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華鬼と食事を  作者: 水無月水月
第一章 妖屋敷にて
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四話、小豆洗いを脅す

追記:建物の造りや細かい描写などを修正しました。



 長年貴族としての生活を送ってきた弊害だろうか。

 この妖屋敷に来てから、明け方にもならぬ真っ暗な時間帯に目を覚ましてしまうことが最近の景頼の悩みであった。

 京にいた頃は毎朝寅一つ(午前三時頃)に起き、辰の刻(午前七時頃から午前九時頃)には出仕していた。

 そのためすっかり早起きの習慣が身についてしまっている。


 平安貴族なら当たり前の生活習慣なのだが、この屋敷に来てからは生活の時間帯ががらりと変わってしまった。

 なにせ星熊童子やずんべら坊たちは夜が明け、日が顔を出す頃に起き出し、夜がすっかり更ける頃に床に着くのだ。やはりその性分のせいか朝方は苦手で、夕方から夜更けになると活発的になるらしい。


 それはともかくとして。


 ここ数日この屋敷で過ごすことになっても、まだ体に染み付いた習慣は抜けないらしい。

 かといってこんな時間に別室で休んでいるであろう星熊童子かずんべら坊を尋ねるわけにもいかない。


 何故なら彼らが休んでいるであろう部屋は、敷地内の真ん中に建つ『寝殿』にある。そこから東に少し離れた『東の対』と呼ばれる建物の一室が、景頼が与えられた部屋となっている。

 この『東の対』は本来なら屋敷の主人の家族が住まう空間なのだが、何故だか景頼はこの一室を割り当てられた。景頼を家族も同然と扱ってくれているのか、それとも主人が住まうであろう中央の『寝殿』には近付けさせないという配慮なのか。

 理由は今だに訊けていない。


 さて、話を戻そう。


 何度も言うがこの屋敷は、京都にある宮中を真似て造った貴族の家の建築様式である『寝殿造り』となっている。

 景頼の居る『東の対』から、敷地の中心にある『寝殿』へと行くには、渡殿わたどのと呼ばれる建物と建物をつなぐ屋根のある長い廊下を渡っていく必要がある。


 つまり鬼やずんべら坊たちがいるであろう『寝殿』に行くためには、暗い中で長い渡り廊下を歩き、訪ねなければならないのだ。


 彼らの商いや生活を日々手伝っている景頼ではあるが、一応客人として彼らに丁重に迎えられている立場だ。故に目が覚めたから話相手として世話になっている彼らに付き合ってもらうのもいささ不躾ぶしつけだろうと思うのだ。


 もう一つの問題としては足元がおぼつかないほど暗いためという点もある。


 寅の刻と言えば、まだ太陽も顔を出さず隠れている頃合だ。

 そして太陽以外となると、この時代の照明器具は十分な明るさがない。一般的に室内で使われるのが高灯台たかとうだいと呼ばれるものだ。これは油を燃やした灯明皿を台架の上にのせて、屋内を照らすものである。


 丁度、景頼が使うこの部屋にも蓮華れんげをあしらった品の良い高灯台たかとうだいが備え付けられている。だがこれはあくまで室内用であって、室外に持ち出すには大きすぎて向かない。


 移動を考えるならば持ち出して手元を照らせる高坏灯台たかつきとうだい、細かくした松の木などを火であぶって手元を紙で巻いた紙燭しそくというものがある。


 だがそれらを使ってまで『寝殿』にたどり着いたとして、このような早すぎる時間帯に世話になっている恩人を起こすのも忍びない。


 幸いなことに今景頼が使わせてもらっている部屋には、いくつかの書物が置いてある。

 その中には景頼が幼い頃に慣れ親しんでいた『古今和歌集こきんわかしゅう』や『万葉集』をはじめとした和歌集や『伊勢物語』といった物語集の和本わほん巻子本かんすぼんが書棚に所狭しと並べられていた。


 だから最近は目覚めて暗いと、高灯台に明かりを灯してそれらの本を眺めていることが多い。

 中には羽振りが良かった時の景頼でさえ所有していなかったような貴重な書物もあり、大変興味深く、下手をすれば朝が来たことも気付かないほど夢中になった日もあった。

 元々本を読むことや勉学は嫌いではないせいか、最近はそう過ごすことが楽しいことを発見した。

 やはり書物は良い。そう再認識した。


―――太宰府へ行くことが決まり、京を離れたあの日。


 お気に入りの歌集や物語集も荷物の中に入れていたが、あの騒ぎによってそれどころではなくなった。

 そのためこの屋敷に運ばれた時、己の持ち物もすっかりないままにここへ来た。唯一の持ち物であったその時身に付けていた衣服は血と泥で汚れてひどい有様だったため、星熊童子によって新しい衣服を用意してもらった。

 今来ている服は全て彼女が用意してくれたものだ。あの鬼はどこから調達してくるのか貴族顔負けの品々をひょいひょいとくれる。

 この屋敷といい、一体どこにそんな財があるのか。

 それも日々の疑問の一つなのだが、いちいち考えたところでそもそも相手は妖なのだから浮世離れしていて当然で。

 その恩恵を与えられている身としては、気にするのも野暮というものだろう。


「いつ手の平を返されるかわかったものではないと言われればそれまでだが、今のところは彼らとは良い関係を結べていると言えるかな……」


 ぼんやりとした灯りの下、和本を捲りながらポツリと呟いた。

 昨日もずんべら坊と薪を割ったり、星熊童子と昼餉ひるげ夕餉ゆうげの支度を手伝った。こき使われるわけでもなく、ほどほどといった具合に休みを入れ、どちらかを手伝うことが多い。

 ただし気がかりなこともあった。


「今だにあの二人以外の妖を見ないが……どういうことだろうか」


 この間の星熊童子の口ぶりだと間違いなく他にもいるはずだが、全くもって見ないのはなぜなのか。真意を問いただしたくても薄ら怖いものがあって聞くに聞けないでいるのが情けない。

 そうつらつらと考えていると、最近よく耳にする音が今日も聞こえてくる。


「今日もか」


 静かだからこそ耳に入ってくる微かな音だ。

 しょきしょきという音。まるで川辺や井戸などの水辺で、小豆を洗うような。そんな音が今日も聞こえてくる。

 これも最近の習慣のようなものだ。

 試しに今日も障子しょうじを開けて、廊下の向こう側や周囲を見回してみても何もいない。

 影も形もないはずなのに確かに音だけは聞こえてくる。

 最初耳にしたときは何とも薄気味悪いと思いはしたが、こちらに何をするでもなく、ただ音だけが聞こえる現象だと分かればすぐに慣れてしまった。

 それに正体も判明した。


「ふむ。姿は見えないが小豆を洗うようなしょきしょきという音を立てるのは、こいつに違いない」


 丁度部屋にあった和本の中に”小豆洗い”という妖怪に関する伝承が書かれているものがあったのだ。おそらくこの音の正体はこの妖怪で間違いないだろう。


「『基本的に姿は見えず、本当に小豆を洗っているのかさえ分からない故に正体不明。しかし音だけの妖で害はない』、ふむ。なるほどな」


 正体が分かれば何ということはない。

 そう思ったその時だ。


 小豆を洗うような音に加え、何やら小声でぼぞぼそという話し声。

 よく耳を澄ませているとそれは歌のようなもので。


「小豆とぎやしょか、人取って食いやしょか、しょきしょき」


 そんな歌が聞こえてくる。

 人を取って食う、その物言いに思わずぎょっとする。

 景頼のそのような反応が気に入ったのか、子供のような老婆のような甲高い声はまたあの歌を口ずさんでくる。


「小豆とぎやしょか、人取って食いやしょか、しょきしょき」


 小豆を洗うような音は依然止まらない。

 景頼は突然あることを思いつき、声の主に聞こえるようにこんなことを口にしてみる。


「私を食えば鬼が怒るかもしれぬぞ。それでも食うか?」


 本音を言えば、あの星熊童子が本当に怒るかどうかは景頼にも分からない。


 だが昨日か一昨日おとといの会話で、おの美しい少女のような鬼は景頼に害が及ばないように他の妖に云いつけたような口ぶりだった。

 そこから他の妖があの鬼の云いつけに従っているのが、景頼の今の現状だというなら彼女の言葉に逆らえばどうなるのか。

 しかも相手はあの京中を暴れ尽くした酒呑童子の一味なのだ。

 その本性は、そこらの妖が敵うような鬼ではない。


 そう目星をつけた一言だった。

 そして景頼のその予想はどうやら見事に的中したらしい。


 その言葉に恐れをなしたのか、音がぴたりと止んだのだ。

 しょきしょきという音も、老婆のようなしゃがれ声も聞こえてこない。

 効果覿面こうかてきめんとは正しくこのことか。

 げに恐ろしきは御仏みほとけ御威光ごいこうよりも鬼の名であるようだ。


「……とはいえ少しおどかしすぎたかな」


 最近の読書のおともとなっていた調べを失って、すっかり静まった室内で景頼はぽつりと呟く。

 少しの寂しさを感じつつも、気付けば障子の向こうから日が差してくる。


 夜明けはもうすぐそこだった。



このお話でストックが切れますので、次の更新は時間がかかるかもしれません。

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