一話、鬼と出会いの話(前半)
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目を開けると、見知らぬ木目の天井が視界一面に広がっていた。
景頼が身体を起き上がらせると、自分が今まで上等な布団に寝かされていたことを知覚する。肌触りからして良いものだということがわかる。
さらに周りを見渡せば、景頼が寝かされていた部屋の中には一目見ただけでも一級品だとわかる調度品ばかり。
部屋の中を一通り、ぐるりと見回して己の体を見下ろすとようやく違和感に気付く。
「傷が、癒えている……? あれだけの痛みもない……?」
息をするのも苦しかった腹部の傷の痛みが消えていた。
血と泥に汚れていた服も、今は清潔な服に着替えさせられている。
試しに服を捲くり、深く切られたはずの腹部を確認する。
だが、傷どころか傷跡すらない。綺麗さっぱり消えている。
「気ぃ、付いたみたいやね」
襖が開かれ、小さな人影が入ってきた。
華奢で小柄な美しい少女だ。
思わず、景頼は呼吸をするのも忘れそうになる。それほど見惚れてしまったのだ。
切り揃えられた黒髪に、あどけない可憐な美貌を宿している。
だと言うのにどこか外見に不相応な色香を身に付けている。
魔性、という言葉が頭に浮かび上がる。
その直感は、あながち間違いではないという確信に至った。
少女の小さな額には、常人にはあるはずのない二本の角が生えていたからだ。
「まさか鬼に命を救われるとはな……幸運なのか不運なのか……」
「……助けた恩人に向かって随分と失礼なこと言っとる自覚はありますか?」
景頼自身にもその自覚はあったので、素直に頭を下げておく。
どうやら景頼が思っていたよりも寛容な鬼らしく、すぐに此方の非礼を許してくれた。
「これは失礼した。改めて確認するが……私は君に救われた、そのような認識で良いのかな……?」
「正確に言えば、うちだけの手柄やないけどねぇ」
「というと?」
「見つけてここへ運んだのは、ずんべら坊。傷を治したのは河童の秘伝の妙薬のおかげ。うちがしたのは布団敷いて寝かしたぐらいどす」
ということは、この屋敷は妖たちが住む屋敷ということだろうか。
少なくとも、人間である追手が来る心配は払拭されたが、そうすると別の危険があるのには変わりがない。妖や鬼の中には人を食らうものも少なくはない。今は気まぐれから救われたとしても、いつ食われるかわかったものではない。
どうせ拾われた命だ。それに親族や信頼していた従者にすら裏切られ、今の景頼はどうにでもなれという開き直りもある。
食らわれるならそれも己の天命である。せめて潔く振舞おう。拳を握り、諦めにも似た決意を固める。
「そないに怯えんでもええよ。取って食おうとも思わんし」
「それをすぐに信じられると思うか?」
「鬼の言ったことをすぐ信じるなら、同じ鬼か妖連中ぐらいかぁ……。成る程、確かになぁ。うちの言い方が悪かったどすな」
クスクスと、美しい鬼は口元に手を添え、上品に笑う。
言葉遣いといい所作といい、どうもこの鬼は粗暴さの欠片を感じさせない不思議なやつだった。景頼が都にいた頃に伝え聞いていた、人を食う恐ろしい鬼の話と目の前の鬼が景頼の中では同じものとは到底思えないでいた。
少し気になったので思い切って聞いてみた。
「…本当に鬼は人を食わないものなのか?」
すると鬼は気分を害するでもなく、鷹揚に答えてくれた。
「そら鬼にも色々おるからなぁ。うちの知っとる鬼の中には確かに、人を好んで食らっとったのもおったわ。うちが食わんのは単純にうちの舌に合わんからやわ」
「それは裏を返せば、人を―――食ったことがある、ということか……」
「んん? うちが恐ろしくなったん?」
鬼が可笑しそうに景頼の顔を、下から覗き込んでくる。上目遣いに此方を見上げる黒曜の双眸が妖しく細められる。思わず相手の雰囲気に飲まれそうになる。
景頼はゴクリと喉を鳴らし、振り切るように向き直る。
「……食ったことがあるということは、過去のことであろう? では、お前は普段は何を食っているのだ? まさか人と同じように米や魚、野菜でも食っているというのか」
「そうどす。基本は人と食べるもんはそう変わらへんよ」
「そう、なのか……?」
「鬼は人間と違って嘘は言わんよ。嘘ついても仕方ないしなぁ。まぁ……人に比べたら、やけどね。あんたが信じるかは別としてな」
「ほう」
「あと酒も好きやなぁ。ほら、酒が好きで有名な鬼がおったぐらいやしな。“酒呑童子”って聞いたことあらへん?」
景頼は知っていると頷いた。
あくまで噂として伝え聞いた程度の知識であるが。
“酒呑童子”と言えば、悪名高い鬼の代表格とも言える鬼である。 丹波の大江山を拠点とし、数多くの鬼共を率いて京で暴れまわったことで有名だ。そしてその名の通り、大の酒好きでも有名である。
だが結局は最期はその酒好きが仇になる。
酒に毒を盛られ、退治されたのだ。
そうして帝より征伐の命を受けた源頼光とその部下たちによって、今から約五年ほど前の長徳元年(995年)に討たれたと聞いている。
「……まあ、この話は長くなるから置いとこか。それよりもお腹すいてへん? 一応、用意してるけど、どないしましょ?」
そう言われ、景頼の腹の虫が目の前の彼女にも聞こえるほどに主張し始める。
その音を聞いて、再び笑う少女。妙な気恥ずかしさから視線を外す景頼に、少女はますます可笑しそうに笑った。
「わかったわ。ちょい待っとってな」
口元に手を当てて上品に笑う少女鬼に、場違いにも「ああ、綺麗だな」と思ってしまう。
そうして景頼は部屋を出る彼女の後ろ姿を見送ったのだった。