九話、人の口にも石の口にも戸は立てられぬ
気持ちあっさりめ
*
泣きつかれた子狐を綾に任せ、景頼はようやく一段落、とは行かなかった。
「―――太一のためとは言え、本当に無茶するわぁ。いざとなったら止めなあかん思っとったこっちの身にもなってほしいわ。こっちは貴重な河童の妙薬を使ってまで、あんたのこと助けたんやで? うちらの努力を無駄にしたいん? ん?」
「本当ですよ。もしも失敗したら私の目の前で死んじゃってたかもしれないんですよ? 下手したらトラウマでしたよ!」
星熊童子にはネチネチと嫌味を言われ、ずんべら坊には涙声で責められ、流石の景頼も反省せざるを得なかった。
二人の前で正座しながら首をうなだれ、景頼は叱られ続けていた。
まさかこんなにも怒られるとは思わなかったのである。
生まれてこの方誰よりも器用に生きてきたがゆえに、ここまで叱られるのは初めてのことだ。
「いや、本当に悪かった。もう二度としないと誓うからどうか許してくれないか」
「あかん」「駄目です」
平謝りでそう言うが、二人は許してはくれなかった。
「何故だ……こんなにも反省しているというのに……」
嘆く景頼に対して、星熊童子は溜息をつく。
「……聞いたで。水仕事で荒れた手ぇ、うちに隠してたっていうこと。言うてくれてもええのに」
「うぐっ」
痛いところを突かれ、景頼は胸を抑えて呻いた。
思わずずんべら坊を睨みつけるが、彼はブンブンと首を横に振る。
「星ちゃんに告げ口したのはあたしよ、景さん」
聞き覚えのある凛とした女性の声。
振り返れば絡新婦の綾が、丁度景頼たちのいる部屋に入ってくるところだった。どうやら太一をうまく寝かせてきたらしい。
「だって人間なんて、あたしたちに比べれば軟弱なものじゃない。そりゃ必要以上に過保護にもなるわよ」
それにしても、と景頼の隣に座ってくる綾は相も変わらず天女のように美しい。そう油断していたせいか、彼女がいきなり景頼の顎を掴んできたのにはすぐに反応ができなかった。
クイッと指先だけで顔を持ち上げられ、半ば強引に彼女の方へと顔を向かされる。
「景さんも無茶するわね。自信があったとはいえ、命懸けの無茶をするのはあまり賢い選択とは言えないわよ」
綾は愚かな男に諭すようにそう言い聞かせた。
ぐぅの音も出ない正論に、景頼は己の敗北を認めるしかなかった。
「そういうわけやから」
そうして判決が言い渡されることとなった。
鬼たちが下した判決とは―――
「罰として、今日はもう何もせんこと。自室で反省しとり」
「そんな殺生な!」
あんまりな罰に、景頼はつい声を荒らげた。
しかし星熊童子に見たこともない形相で睨みつけられてすぐに押し黙る。
「言うとくけどな」
表情は笑みの形だが目が全然笑っていない。
人は本当に心の底から怒っている時、憤怒の形相ではなく回り回って笑顔のまま怒ることがある。
そして、それはどうやら鬼も変わらないらしい。
景頼はそのことを身を持って思い知らされることとなった。
そうしてそんな景頼にぴしゃりと追討ちがかけられる。
「部屋から抜け出そうものなら、すぐわかりますからなぁ」
口答えは許されない。そんな空気を敏感に感じ取った景頼は渋々と頷くしか術がなく。
もしも部屋から出たら謹慎がもう一日伸びると言い渡され、ようやくその場は解散となったのだ。
*
謹慎を言い渡され数刻、自室に戻るも何をするでもない。暇そのものだ。かといってこのまま時間を持て余すのも勿体無い。
部屋に備え付けの文机に向かい、硯と墨に紙と筆を用意する。
墨をすり、準備はできた。さあ、この退屈な時間と虚しさをせめて歌へと昇華するのだ。その中で優れた歌でも出来れば儲け物。心にくる恋の歌を添えて、彼女に思いを伝えられるはず。
「うーむ……『君がため、絶えねば絶えね、我が命―――』、あーだめだ……こんなの送ったらまた謹慎が延びかねん……」
『君のためならこんな命絶えてしまえ』なんて意味の和歌など送れば、またネチネチと小言を言われそうだ。
しかしそれは裏を返せば、こちらを心配してくれているということで……。
「……あー、だめだ……」
ただでさえ誰かにここまではっきりと心配されたことなど今まで無かったのだ。
元服する前に母が亡くなり、実の父親からは疎まれるばかり。弟にも父の味方をされ、子供の頃からまるで兄弟のように身近に育ってきたはずの乳母子でもあり従者でもあった忠光でさえ景頼の振る舞いに対して何も言わないことが多かった。
故に景頼にとっては泣かれるのも叱られるのも心配されるのも初めての経験で、こそばゆくて嬉しくて堪らなかった。
これも初めてのことだった。他人に心配されるのがこんなにも大切なことだったとは今まで知らなかった。
知らなかったはずなのに、知ってしまったのだ。
「あー……! だめだ、だめだ……!」
改めて考えると何だか急に恥ずかしくなってきて、歌どころじゃなくなってしまう。
こんなの変だ。おかしい。どうしてしまったのだろう自分は!
「……おや?」
被っていたはずの烏帽子をぐしゃぐしゃに掴みながら頭を抱えていると、何だか人の話すヒソヒソとした声が聞こえたのだ。
なんだろうと耳を澄ませてみると、
「藤原景頼と云ふ人が鬼に怒られたでござるとは」
「それ、ほんまに?」
「相違無い。確かにさふ聞おりき」
「まじかー、妖怪に怒られる人間なんて初めて聞いたわ」
「相違無い。誠に滑稽でござるな」
「それなー」
針の先ほど細く小さな話題を実に正確に捕捉された井戸端会議に、思わず景頼は話し声のする渡り廊下の方に顔だけ出して見回してみるが誰もいない。
どういうことだろうと再び自室の中央に戻ると、ヒソヒソ話は再開される。
「……おお、吃驚したでござる。よも聞かるておりきとは」
「……危ない危ない。ちょっとにーちゃんをちゃんと見張っておけって言われとるのやからちゃんとしやんってな」
「そうでござるな。危うい危うい」
「…………」
景頼はもう一度だけ、部屋の前にもその周辺にも誰もいないことを確認する。誰もいないし、渡り廊下の向こう側には庭があるくらいで人影なんてどこにもなくて……。
「……庭にあるものは、石と草ぐらいで……いや待てよ?」
ここは妖屋敷なのだ。ここでは非常識が常識なのだ。もっと思考を柔軟にしなくてはならない。
自室に戻り、妖怪について詳しくまとめられた書物の中に興味深い話があった。
―――その昔、親の仇を求めて諸国を旅する男がいた。その男がとある国を訪れたときに宿が見つからず、仕方なく野宿をすることにした。男は三角の形をした大きな石の上で眠ることにした。真夜中になって眠っている男の頭の方で人の声が聞こえてくる。男は目を覚まして周囲を見回したが人影はない。なんと声は石の方から聞こえてくる。そこで男が耳を澄ませて聞き入ってみると、石は男の仇の居場所を語っていたのだ。男は夜明け前に仇のところへ赴き、見事討ち果たしたのだった。
その石はのちに『囀り石』と名付けられたらしい。
また同じように喋る石の怪は多く、様々な石の怪があるとのことらしい。
つまり先ほどの話し声もおそらく石たちのものということで。
「また部屋に篭うてしもうたぞ。如何したものやら」
「あないに他人様に迷惑かけたのやからじってしておって欲しいやな」
「京の都から参ったと云ふことらしきから構われたいのであろう。童じゃな」
「まるっきし童じゃ」
「全くじゃ全くじゃ」
……それにしても耳が痛い。
そう思うのは自分に非があると理解しているせいだろうか。頭が痛くなって景頼は烏帽子を外し、着ていた狩衣を脱ぎ捨て、御帳台へと倒れ込む。
「もういい……」
―――今日はもう寝よう。
それを最後に、景頼はその日を不貞寝して過ごそうと決めたのだった。