笛の音 06
「何をしているの! 早く隠れなさい!」
「アルマが……、アルマの様子がおかしいんです!」
姿を現したゴーレム型魔物とやり合う最中、サクラさんはこちらを振り返り、焦りの混ざった声を飛ばす。
ボクもそうしたいとは思うのだけれど、なかなかそうはいかない。
アルマを抱き抱えようとするのだが、幼い身体のどこへそんな力があるのか、腕を払い奇声めいた悲鳴を上げるのだ。
そんな状態を悟ったか、サクラさんは魔物を誘導するように駆けていく。
そしてボクとアルマから注意を逸らすべく、あえて接近し自身へ魔物を引き付けようとしていた。
「落ち着いてアルマ、いったいどうして……」
「ヤダ……、ヤダぁぁぁ!!」
アルマは基本的に聞き分けよく、時折駄々をこねることはあっても、こんなに叫ぶことはまずない。
いわば半狂乱と言える状態であり、まともに理由を聞くどころか押さえつけるのすら困難だ。
「さっきまではこんなじゃなかったのに……」
いったいどうしてと思い、空回りする頭で思考を巡らせる。
ただ理由として挙げられそうな可能性は、ボクではなく魔物と戦うサクラさんから飛び出てきた。
「コイツのせいじゃないの! 出てきた途端にそうなったんだから」
「それって……」
「わからないけど、アルマはこの魔物を見たことがあるのかもね!」
先端へ重い金属を仕込んだ矢を放つサクラさんは、振り向きもせず魔物と対峙し叫ぶ。
確かにそうだ、あの魔物に原因があると考えるのが自然かもしれない。
同じゴーレム型の魔物とは言え、ヤツはさっき見たのとは違い随分と大きい。それに色もどこか黒っぽく、異質な雰囲気を醸し出していた。
となればコイツの姿を見たことがあるアルマが、薄れていた記憶を呼び覚ましたというのは十分考えられる。
「そうなのかい、アルマ? あの魔物を見たことが?」
叫び声から泣き声へと変わり、僅かに力の弱まりつつあるアルマ。
そのアルマをなんとか抑えて担ぎ上げると、少しでも安全な場所へと滑り込む。
小さな身体を地面へ座らせ、自身の外套を頭から被せてやると、アルマもほんのちょっとだけ混乱が和らいだようで、小さな声で問うてみる。
「ママが……。みんな、逃げ……、こわいおじさん、……いっぱい」
ただただ断片的な、無秩序に並べられるアルマの言葉。
徐々に奥底へ仕舞い込んだ記憶が蘇ってきたようで、アルマの声は留まらず溢れていく。
なんとかそれらを繋いでいき辛うじてわかったのは、やはりアルマがここで暮らしていたであろうということ。
そして集落を襲った奴隷商たちと対峙している時、あのゴーレム型の魔物が現れたということ。
どうやら奴隷商は魔物によって一部やられたらしいけど、そのドサクサに紛れ、アルマは生き残った連中に連れ去られたようだった。
そのやられた奴隷商というのが、数か月この場で放置された結果、獣に肉を食われ白骨化したあの死骸。
見ればサクラさんが魔物の攻撃を回避することによって、振るう腕が地面を大きく抉り、その勢いで死骸が粉砕されていた。
「おねえちゃ……、やられちゃぅ……」
「大丈夫、サクラさんは強いんだから。きっと魔物を倒してくれるよ」
蘇った記憶によってか、サクラさんが魔物に押し潰される光景を想像してしまったらしい。
涙を浮かべるアルマの頭へ手を置き、ボクは安心するよう告げた。
でも本当のところは、ちょっとだけサクラさんが不利だろうか。
魔物の脅威そのものは大したことはない。けれど硬い身体に加えてあの巨躯だ、数えるほどしか持たぬそれ用の矢が底を尽きかけている。
このままでは戦う術を失ってしまい、また逃走を計らなくてはならない。
そんな内心の不安を鋭敏に感じ取り、混乱した思考を無意識に沈めようというのか。
アルマは自身の首元から、ミルータの笛と呼ばれるそれを引っ張り出すと、震える手で握り吹き鳴らした。
混乱した思考を吹き飛ばさんばかりに響くその音は、いまだ上空を待っていた2羽のミルータへと届く。
「……って、降りてくる!?」
何度も吹き鳴らされるそれに反応し、ミルータは勢いよく降下してくる。
ただこちらにではなく、魔物と戦うサクラさんの方へと。
まさかサクラさんが狙われているのではと思うも、どうやらそうではなかったようで、2羽揃って爪を剥き魔物へと攻撃を仕掛けた。
「ちょっと、何がどうなってんの!?」
「わ、わかりません。アルマが笛を吹いたら急に……」
「ていうかコイツら、想像してたのと違うんだけど!」
突然の事態に驚き、大きく距離を取るサクラさん。
しかし彼女が驚いたのは、ミルータが魔物を攻撃したこともさることながら、この生き物が想像していた姿と異なっていたためだ。
正確には姿というよりは、その大きさが。
ずっと上空に居たため、いまいち大きさが計れなかったけれど、これは思っていた以上だ。
鋭い爪は鋼で出来た槍の様で、嘴は岩をも砕く槌のよう。そして身体全体は、ゴーレム型の魔物を包み込まんばかりの巨大さ。
「翼を広げたら5メートルはあるわね……。どうやってこの大きさで空を飛んでるのよ」
「こんなに大きな鳥、見たことがありません」
「たぶん亜人たちは狩りに使っていたのね。あとは魔物から身を護るために」
舞い降りた2羽のミルータは、破壊の象徴と言わんばかりな爪と嘴を振るい、魔物の身体を抉っていく。
相当な強度を持っているようで、魔物の身体は破壊されていくも、ミルータの側は傷一つとしてもらってはいない。
サクラさんの言うように、亜人たちがこの生物を使役していたとすれば、そういった使い方をするはず。
ただそれでも奴隷商に襲われアルマを攫われたのは、たぶん魔物が現れた事も含め咄嗟の事態であったがため。
なにせ笛を用いなくてはいけないのだ、そんな暇もなかったのかもしれない。
「ともあれこれはチャンスね。クルス君、もう十分だから引くようアルマに言ってあげて」
「でもたぶんアルマは、どうやって攻撃させたかもわかっていませんよ」
「たぶん大丈夫でしょ。これだって本能的にやったんだろうし」
最後の1本となる矢を番えるサクラさんは、軽く片目を閉じて言い放つ。
根拠が希薄にも思えるけれど、魔物を見ればもう既に身体はボロボロ、あとは黙っていても崩れてしまいそうだ。
ボクは膝を曲げアルマと目線の高さを揃えると、鳥を引かせたいという理由でもう一度笛を吹いてみるよう告げる。
アルマはしばし目を瞬かせるも、軽く頷き、笛を咥えて甲高い音を長く鳴らした。
するとミルータは攻撃を止め、2羽揃って空へと舞い戻っていく。
どうやらアルマの、というよりも亜人が意図するところを敏感に察しているようで、笛の音は実行の合図でしかないようだ。
「上出来上出来、トドメくらいは任せてもらうわよ」
「美味しいところだけ持って行くんですね」
「そのくらいさせてよ。今回私はほとんど活躍できなかったんだからさ」
そう言って、サクラさんは番えていた矢を射放つ。
重い金属で作られた矢は、ボロボロとなった魔物の胴体を一部砕き、直後その巨躯は崩壊するように地面へと落ちていった。
サクラさんはなんとか面目躍如といった様子で、少しばかり困ったような表情を浮かべている。
ただ活躍できていないという点では、ボクもまた似たようなもの。
なにせやったのは隠れたままアルマの話を聞き、笛を吹かせただけなのだから。
「今回最大の功労者はアルマってことでいいかしら」
「まったくもって異論はありません。最大と言うか、ほぼ唯一ですけど」
「わ、私はそれなりに頑張ったわよ。ほら、囮になって戦ったりとか!」
地面の石へと還っていった魔物から離れ、アルマの頭をわしわしと撫でつけるサクラさん。
彼女は自分などまだマシな方だと、少しだけ意固地さを見せ言い張っていた。
そんなサクラさんの様子をキョトンと眺めるアルマは、ようやく表情を普段通りに綻ばせる。
しかしそんな顔をしたのもつかの間、一気に緊張の糸が解けたのか、目を閉じ倒れ込んだ。
「ち、ちょっとアルマ!?」
地面へ抱擁する前に支えるサクラさんは、動揺から視線を泳がせる。
ただああも錯乱し、沈んでいた記憶を噴出させたのだ。こうなるのも仕方がないと、ボクは眠ってしまったアルマを外套で包み、ゆっくり横たえるのだった。




