笛の音 04
長年堆積していった礫のみで固められた、とても細い道。
そこを進んでいくボクは、少しばかり歩を止めて周囲を見渡しつつ、白い息を吐いた。
町を出発し山地へ入り、そこからは延々と登り。
既に標高は森林限界を超え見通しよく、ゴツゴツとした岩が視界の至る所へと散見される。
気温も昼間であるというのにグッと冷え込み、寒さから手袋の下にある冷たい指を擦り合わせる。
「ほら、クルス君。立ち止まると余計に辛いわよ」
すぐ前を歩いていたサクラさんは、振り返るとボクへ檄を飛ばす。
確かに山を進む時は、一定の丁度よい早さを崩さず登るのが鉄則とは聞く。少し止まっただけで足は重くなり、再び歩き始めるのが困難となってしまうからだ。
「わかっていますって。……でも本当に、こんな場所に住んでいるんですかね?」
「流石にここいらには居ないんじゃない? お爺さんの話だと秋頃に北上して、今はもっと標高の低い所に居るって話だし」
町で老人から聞いた話では、亜人たちの集落は冬が訪れる前に寒さ厳しい高地から、もう少しばかり暖かい場所へ移動するとのこと。
今現在ボクらが居るのは、亜人たちが夏場に暮らしているという辺り。
ここからさらに北上した先で、今の時期亜人たちは集落を形成している可能性が高いそうだった。
実際ここまでの道中で、それらしい痕跡は見られた。
石を組んで造られた竈や、持ち運びの出来る布製の家屋が置かれていたと思われる平地など、亜人たちが居たのがわかる場所を通っている。
「あと少しで山頂を越えるから頑張りましょ」
「登りよりも下りの方が辛いとは聞きますけどね。ですが本当に集落へ追いつけるんでしょうか、もし予想よりも北上していたら……」
「その時は……、仕方ないけど戻るしかないわね。色々な意味で準備が足りないもの」
そう言ってサクラさんは、自身の背でうつらうつらと舟を漕ぐアルマへ視線を向けた。
少しばかりキツイ行程であるとわかっていつつも、今回はあえてアルマを同行させている。
もしこの先にアルマの家族が居たとして、歓迎されるようであればそのまま帰してやるためだ。
ただ仮に予想以上に集落が北上していた場合、サクラさんの言うように、アルマを連れ引き返さなくてはならない。
というのもここよりずっと先、山地の向こう側は他国の領土であるためだ。
「アルマだけなら問題なく越境は出来るけれど、私たちが同行すればそれも難しい。そうでしょ?」
「……はい。ボクらの身許は勇者支援協会が保証してくれます。ですがだからこそ、容易に他国の地は踏めません」
シグレシア王国の北西部に位置するこの山地は、大陸で双璧を成す大国と言われる、コルネート王国との国境にほど近い。
なので下手に北上を続けてしまうと、コルネートの領内へうっかり足を踏み入れてしまうのだ。
半ば流浪の民である亜人たちを含め、一般の人間や商人たちであればそこまで問題はない。
しかしボクら召喚士と勇者は、各国の騎士団や軍に属する立場。容易に国境を越えてはならなかった。
「コルネートは歓迎してくれるでしょうけどね。でもボクらが属するシグレシアにとっては一大事です」
「私は御免よ、外交問題の火種になるのは」
「だからこそ今のボクらは国を跨げません。正式な越境許可が下りない限りは」
魔物の出現は大陸全土で頻度を増しつつあるため、勇者と召喚士は引く手あまた。
でも出て行かれた側に取っては堪ったものじゃなく、下手をすれば脱走扱いにすらなりかねない。
もっともちゃんとした手続きを踏めば、相手の国に渡ること自体は十分可能だ。
ボクらにはそうするだけの理由があるし、帰還を確約すれば手続きもしてくれる。
でも今回はそうはいかない。そういった申請は王都でないと出来ないし、許可が下りるには相応に時間がかかるのだから。
だからもし亜人たちが国を跨いで移動していたら、今回は諦め後日出直してくるしかないのだ。
「可能性を気に病んでいても仕方ないか。どのみちアルマだけで行かせる訳にはいかないもの」
「んぅ……。なーに?」
なるようにしかならないと告げるサクラさん。
その声で起きたのだろうか、彼女の背で浅い寝息を立てていたアルマは、目を擦りボクらを見回す。
「何でもないわよ。もうちょっと寝ててもいいのよ、まだ目的地には着かないから」
「んーん、起きてる」
背負われ眠っていてもいいと言われるも、アルマは首を横へ振る。
そして自ら降りたいと懇願すると、礫の詰まった簡素な道を踏み一緒に登り始めた。
気温は低く、空気も若干薄い。
そんな中を子供に歩かせるのはしのびないけれど、当人がその気である以上は止めにくい。
せめて足を踏み外さぬよう注意しながら、ボクとサクラさんで間へ挟むようにして登っていった。
ゆっくりと悪い足場を進み、ようやく山の頂上へと差し掛かる。
そこで軽く深呼吸し薄い空気を取り込むと、感慨に浸る間もなくすぐ北へ向け足を踏み出す。
流石に歩かせられないとアルマを背負うサクラさんの後ろにつき、若干急な下り坂を下っていった。
背に負われたアルマは、再び歩かせてもらえなくなった不満のせいか、首へ下げた自身の笛を取り出す。
それを口に咥え吹くと、これまでと同じ甲高くも澄んだ音が響いた。
「……鳥?」
ただ何度かアルマが音を鳴らしていると、空から笛の音にも似た別の音が聞こえるのに気付く。
足元に注意しながら見上げてみれば、そこには2羽の鳥が悠々と舞い、ボクらの直上を旋回していた。
「笛とよく似た鳴き声ですね。アルマが吹いた音に寄せられたんでしょうか」
「ということは、アレがミルータね」
同じく空を見上げるサクラさんは、それが町に居た老人から聞いた、ミルータと呼ばれる鳥であると呟く。
騎士団が使う飛竜の鳴き声よりも、若干高く澄んだ音。
それは確かに笛の音とまるで同じであり、この笛がミルータを使役するため、亜人たちに使われていたのだと確信させる。
「鳥さん、アルマの笛できたの?」
「そうだよ。もう一度吹いてごらん、返事を返してくれるかも」
ボクらを倣ってか空を見上げるアルマは、自身の持つ笛と鳥を交互に見返す。
そんなアルマへともう一度吹くよう促すと、恐る恐る咥え高い音を短く鳴らした。
直後2羽のミルータはほんの少し高度を下げ、挨拶し返すかのように鳴く。笛の音とソックリな鳴き声で。
ただそれ以外に反応はなく、案外本格的に使役するには、特別な吹き方の習得を要するのかもしれない。
今の時点ではそれがわからないけれど、ともあれこれで可能性は高まった。やはりアルマはこの地で育った子なのであると。
「アルマ、なにも思い出せないかしら?」
「うん」
「そう……。ゴメンね、気にしなくてもいいのよ」
サクラさんはこれが、おぼろげにでも記憶を呼び覚ます一助になると考えたか、アルマへと静かに問いかける。
しかし返されたのは、これまでと変わらぬ内容。
奴隷商によって攫われる時に、よほど恐ろしい目に遭ったのか、アルマは記憶を掘り起こすことはできないようだ。
「鳥さん、ついてくるよ?」
「アレ大丈夫ですよね……。まさかボクらを餌と間違えたりとか」
背負われたままで振り返るアルマは、空を見上げ鳥の姿を凝視する。
今はもう笛を鳴らしていないけれど、ミルータはまだ上空を旋回し続けており、鋭い眼光でこちらを見下ろしていた。
たぶん肉食な猛禽の類であるため、妙な迫力が感じられてならない。
ただそう呟くと、「アルマの前で何を言ってるの」と軽く頭を叩かれる。
当人は気にしていないようだけれど、確かにこの子の前で言うには無神経過ぎただろうか。
「まぁ、万が一襲ってきても大丈夫だけどね。魔物って訳でもないし、そこまで脅威では――」
「……どうかしましたか?」
ミルータはこの世界に元から生息する動物であり、普段相手をしている魔物に比べれば幾分かマシ。
きっとサクラさんはそう言おうとしたのだろうけれど、彼女はその言葉を途切れさせる。
下り坂も緩み、短い平地が現れた場所で歩を止め、ジッと進行方向を凝視していた。
「そりゃそうよね、鳥よりもこっちの心配をしないと」
「いったい何を……、って魔物!?」
「こんな場所にも現れるんだから、油断も隙もあったもんじゃない」
サクラさんが言葉と歩を止めたのは、進む先に魔物の影が現れたためのようだ。
見れば道を塞いでいると言わんばかりに、地面の色と同化した巨躯がノソリと起き上がる。
大量の礫が、あるいは岩が寄り集まった外見。いわゆるゴーレムと呼ばれる、無機物で構成された魔物だ。
「ちょっとだけ苦手な部類ね。矢が足りるかどうか」
王都近郊ではよく見られるそいつだけど、この山中でも出現するらしい。
弓使いであるサクラさんにとって、天敵と言える高強度の身体を持つ魔物。
彼女は対抗するべく矢筒へと視線をやり、先端に重い金属を仕込んだ矢の本数を確認していた。
「クルス君、アルマをお願い。いざとなったら全力で逃げるわよ」
「えっと……、そのいざって時は、たぶんもう来てると思うんです」
「え? いったいどういう――」
サクラさんからアルマを渡され、ボクは背嚢を前に回しアルマを背負う。
ただサクラさんの言うように、いざという時に備え逃げ出す準備をしようとした矢先、視界に飛び込んできたのは恐ろしい事態であった。
道のあちらこちらから、次々にゴーレムが起き上がってくる。
この道を行く人間を待ち構えていたのかは知らないけれど、その外見を利用し潜んでいたようだ。
これはマズイ。そう考えたボクとサクラさんは、互いに顔を見合わせ息を呑むと、迷うことなくその場から逃走を計ったのであった。