笛の音 03
シグレシア王国南部の都市カルテリオから数日、定期便の馬車を乗り継ぎ辿り着いたのは、北西部に在る小さな都市。
険しい山々の麓に位置するその町は、高い標高のせいかカルテリオよりずっと冷え込んでおり、ボクらは馬車を降りるなり寒さに少しだけ身を震わせた。
乗合馬車の御者へ礼を告げ、寒空の下を町の中心部へ。
カルテリオよりも少しばかり小さなその町にも、勇者支援協会の支部は存在するようで、ボクらはひとまずそこへ脚を向けた。
宿と支部を兼ねた建物へ入り、一晩の宿代を払う。
そうして主人に近隣の地理について尋ねると、彼は怪訝そうな表情をし息を吐いた。
「あんたらまさか、亜人たちの里に行こうってのか」
「ご存知なんですか?」
「この町じゃ知らないやつは居ない。何度となく奴隷商どもが来やがるからよ」
意外なことに、亜人たちが暮らす集落のことは、公然の秘密となっているらしい。
とはいえそうなった理由が、度々訪れる奴隷商人によるせいだというのは、あまり歓迎したくない理由だけれど。
「その奴隷商は最近もよく来るんです?」
「いや、ここ最近はめっきり姿を見せないようだ。なにせ裏稼業の連中だからよ、どこかで野垂れ死んだか、捕まったんだとは思うが」
宿の主人がした想像は、両方とも正解に近い。
もしアルマを攫った連中が、ここへ来ていた奴隷商と同じであればだけれど。
何にせよ主人にそう思わせるほどに、奴隷商とは危険の多い稼業。
非力な亜人の子供を連れ移動を重ねる以上、魔物による襲撃を受ける確率は高い。加えてこの国では奴隷売買に対する刑罰が重いため、拘束され処罰される危険性もだ。
それでも奴隷商が存在するのは、ひとえに成功すれば法外な利益を得られるため。
「では亜人たちは、今も同じ場所へ?」
「さてな。元々亜人は人から隠れて暮らしている、接点なんて有って無いようなもんだ」
「そうですか……」
「だが時々、農作物や加工品を売りに山から降りてくるらしい。市に出ている商人なら、何か知っているかもしれんぞ」
宿の主人はそう言って、この町の市場が立つ方角を指さす。
クレメンテさんが書いた手紙にあったのは、この町の先に在る山中に、亜人の集落が存在するという情報のみ。
そこから先は自分たちで探す必要があるかと思っていたけれど、多少の手掛かりがあるだけまだマシか。
市場へと行けば、集落への行き方も判明するかもしれないと考え、ボクらは荷物を宿へ預け早速その市場へ向かう事にする。
ただ背を向けたボクらへと、主人は少しばかり重みのある声で尋ねてきた。
「一応聞いておくが、まさかお前らも亜人を攫いに来たんじゃないだろうな?」
「まさか。見せましたよね、勇者と召喚士の証明」
振り返ったサクラさんは、平然と自身の首へ下がったタグを掲げる。
それは彼女が召喚された後、最初に訪れた協会支部で作成した、勇者としての身分を証明する物。
これがあればどこの国へ行っても、勇者としての扱いを受ける。
ボクも召喚士としての証明を提示しているため、身元に関しては定かだ。
「……そうだったな。すまん、行っていいぞ」
宿の主人はかぶりを振ると、悪かったとばかりに軽く手を振る。
どうやらこの町へ住む人間にとって、奴隷商が出入りするという噂は、著しく不名誉なものであるようだ。
宿兼協会支部を出たボクらは、アルマを連れて市場へと向かう。
そこで軽食などを買いつつ、それとなく商人たちから亜人の集落について聞き出そうとするのだけど、早々上手くはいかなかった。
「まったく手掛かりがないわね。亜人を見たことはあっても、集落の場所までは知らないって人ばかり」
「関わり合いになりたくないのかもしれません。なにせ奴隷商なんて連中が狙っていたんですから」
広場の隅に置かれたベンチへ腰を降ろし、ボクとサクラさんは深く息をつく。
市場へ出ている商人たちへ聞き込みを続けてはいるが、ここまで碌な情報が得られていない。
ただ商人たちにとって亜人は、近しい隣人でもなければ特別贔屓にしている商売相手でもないのだ。危険も考えれば、積極的に関わってこなかったのも頷ける。
「ねえクルス。まだ帰らないの?」
「もう少し待ってね。あとちょっとだけ話を聞いて回ったら、宿に戻るから」
そんな成果の上がらぬ空気を感じ取ったのか、アルマは袖を引っ張り訴える。
小さな子供にとって酷く退屈な作業であるのは言うまでもなく、延々乗合馬車に揺られ続けたのに加え、歩き続けで疲れも出始めているようだった。
「笛、ふいてもいーい?」
「小さい音でね。周りへ迷惑になっちゃうから」
聞き込みに飽いたアルマは、首へぶら下げた紐に括り付けられた、金属製の笛を取り出す。
カルテリオの市場で目を惹き気まぐれで買った物だが、甲高い音を発するだけで音階も変えられぬそれを、アルマはいたく気に入っていた。
口元へ指を当て、アルマへ静かにねと念を押すと、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべ笛を咥える。
その様子を微笑ましく眺めるのだが、どうやらこの様子からして、アルマは町の光景には見覚えが無いらしい。
とはいえこんな幼い子供を連れ、町まで作物を売りに来るというのは考えにくいから、それも当然なのかもしれないけど。
弱く笛を鳴らすアルマの隣で、ボクとサクラさんは今後について意見を交わす。
このまま町中で情報を集め続けるべきか、それとも思い切って山へ向かってみるか。
ただ闇雲に山中を捜し歩くというのも埒が明かないし、どうしたものかと途方に暮れていると、不意にこちらへかかる声の存在に気付いた。
「こいつはまた珍しい。"ミルータの笛"じゃないか」
声がした方向へ振り向いてみれば、そこに居たのは一人の老人。
たぶん市場へ出ている商人の一人だと思うけれど、その人物はゆっくり近づくとアルマを……、というよりもアルマの咥える笛を懐かしそうに見下ろした。
「この笛をご存知なのですか?」
「ああ、見るのは何十年ぶりかだがね。懐かしいもんだ」
アルマの笛を眺める老人は、そう言って顔に刻まれた皺を深くし微笑む。
話を聞いてみれば、老人が口にした"ミルータ"というのは、この地域で生息する大型の鳥であるらしい。
そして笛は狩りを行う際に、ミタールを使役するため使用する物であると。
かつてこの地域でのみ作られていたとのことで、まず他の土地へは出回らないと言う。
「よく見れば亜人の子供じゃないか。それなら納得だ、ミルータを操る術を持っているのは亜人たちだけだからの」
笛を用いるのは亜人たちだけ。その言葉に、ボクは密かに得心のいくものを感じてしまう。
音階も何も出せない、ただ甲高くそこまで大きくもない音が発せられるだけな面白みのない笛に、どうしてアルマが熱心であったのかを。
ただアルマはこれについて知っていた訳ではなく、ただなんとなく気に入っていただけのようだ。
見覚えがあるとも、一度としてアルマは言っていない。
「この笛はもっと南方の都市で見つけたんです。当人は知らなかったのですが、一目見て気に入ってしまったようで」
「そうかいそうかい。ならばその子の血に、こいつの記憶が刻まれていたのだろうて」
ボクはあまり、こういった話を信じる方の人間ではない。
ただまったく知らないはずのアルマが妙にこの笛へ執着しているのは、その証拠であると言われているかのようだ。
もしこの老人が言っている言葉が真実であったとすれば、アルマはこの山地の何処かに在るという、亜人の集落出身であるということになる。
ボクはサクラさんと視線を合わせて頷き合うと、老人にも集落の場所を知らないか問うてみる。
「亜人たちを狙う輩は多い、そのため時折集落の位置を移動しておる。季節によっても移動するようじゃからのぅ……。今はどの場所へ居るものか」
「ということは、何カ所かをご存知なんですね? ほんの少しでも手掛かりが欲しいんです、知る分だけで構いません、教えてはいただけませんか?」
意外にも亜人の集落が存在する位置を知っていると思われる老人。
老人はどうやらこの町で昔から商いをしていたようで、その頃に亜人たちと商売上の付き合いがあったようだ。
とはいえあまりそれを教えようとはしたがらない。奴隷商のような連中が、亜人を狙っているのを知っているためだ。
例えボクらが、アルマという亜人の少女を連れているとしても。
それでも今更ここで引き返す気は無く、アルマを前に出し亜人の隠れ里を探している理由を口にする。
すると老人は辛うじてこちらを信用してくれたのか、手招きし広場の隅へと誘導すると、小声で知る内容を教えてくれた。
「なにぶん最後に亜人を見たのは1年近く前、今も確実に居てくれるとは限らんぞ?」
「構いません、当てもなく広い山地を歩き回るよりはマシですから」
「……季節はもう冬だ、あまり標高の高い土地には居らんじゃろうて。おそらく本格的に雪が降る前に、北上しておるはずだ」
手にした杖を砂の地面へ突き、ざっと簡素な地図を描く。
現在居るこの町を起点とし、北の山地を進み最も近い集落が在ると思われる場所を示す。
次いで徐々に時期ごとに移動する先を示していき、今の時期に最も居る可能性が高そうな場所を教えてくれた。
冬になるにつれ北上していくのは、単純に標高が下がっていき、集落を構えやすい場所がそちら側であるという理由だ。
地図を指し「覚えたか?」と聞く老人へボクとサクラさんが頷くと、すぐさまその描いた地図を足で払い消す。
「上手く見つかるよう祈っておるよ。その子が家族と会えるようにも」
「ありがとうございました。戻って来たら必ずお礼を……」
「別に気にせずともいいわい。運良くまた顔を合わせられたら、成果を聞かせてくれるだけで構わんよ」
それだけ言うと、老人は腰に手を当て去っていってしまう。
ボクらはそんな老人を見送ると、大人しくしていたアルマを見下ろし、長い耳の垂れた頭を撫でた。
「良かったね、アルマ。家族が見つかるかもしれない」
「かぞ……、く」
「そうだよ。アルマの本当の両親だ」
ボクはそう告げるも、アルマの反応はいまいち芳しくない。
アルマは攫われた時の衝撃によるせいか、あまりここいらを覚えてはいない。
自身に本当の両親が居るとはわかっていても、あまり恋しがるような素振りは見せないし、別段それに対し不思議に思うこともないようだ。
そんな姿を見て、ボクは少しばかりの善からぬ欲求に駆られる。
本当に当人がさほどそれを望んでいないのであれば、このまま連れ帰ってしまっていいのではないだろうかと。