笛の音 02
ゴロゴロと転がり石を跳ねる、硬い木材で作られた車輪。
それによって時折揺れる馬車の動きに、アルマは驚きつつもボクへしがみ付き、嬉しそうに笑む。
幼いアルマを連れて向かうは、カルテリオから真っ直ぐ北上し、そこからさらに北西へと伸びる街道の先。
クレメンテさんから届いた手紙に記された、亜人たちが住むという集落だ。
普段であればこういった移動の際、大抵ボクは御者台へ座り手綱を握る。
しかし今回はあえて馬車を借りず、数少ない便数の乗合馬車を利用していた。
というのもこれから向かう山地、馬車が通れるような場所ではないそうで、どうしても移動は徒歩に限られるせいだ。
「お客さんたち、今日はここらで野宿にしようと思うんですが、止めちゃってもいいですかい?」
ここまでその乗合馬車に揺られて半日、太陽も傾き始めている。
亜人の集落とされる場所へ行くために経由する町は、到着するのが明日の昼過ぎ。
夜間の移動は危険が伴うため、ここで夜明かしをするという御者の男へと、ボクや同乗した客は了解を返した。
御者は街道の隅で馬車を止め、乗せていた薪を降ろす。
適当な石を組んで鉄鍋を置き、手早く火を熾して水筒から水を入れ、乾燥した野菜や肉の類を放り込んでいく。
そうして出来上がるスープに硬いパンを添えるだけという、簡素な夕食。これらは全て乗合馬車の料金に含まれていた。
「自分で食事を用意しなくていいんだから、これまでも乗合馬車を使えばよかったわ」
「サクラさんは元々ほとんど料理をしないじゃないですか……。どちらにせよカルテリオからは、乗合馬車がほとんど出ていませんよ」
「こればかりは地方住まいな勇者の辛いところね。王都だったらまた違うんだろうけど」
「王都に住む勇者たちは、逆にあまり離れようとしないそうですけどね」
手早く夕食を作る御者の男を眺めながら、ボクとサクラさんは地面へ腰を降ろしのんびり言葉を交わす。
あとはもう食事をして眠るだけ、やることもなく暇なものだ。
アルマは同乗した他の客に交じる、同世代の子供とすぐ近くで遊んでいる。
そんなアルマへと視線をやり、ふと沸いてきた不安感をサクラさんに話そうとするも、彼女もまた同じようなことを考えたようだ。
「ねぇ……。アルマの帰る家、本当に残ってると思う?」
遊ぶアルマに聞こえぬよう、ボソリと小さく呟かれた内容に息を詰まらせる。
これは言葉通りの意味だけに限らず、サクラさんはいくつか存在する可能性についてを問いたいのだと思う。
当初こそクレメンテさんからの手紙へ記された内容に喜んだサクラさんも、ここまでの道中で好ましくない可能性に思考を巡らせていたようだ。
「わかりません。集落に辿り着いて、無事アルマの両親に引き渡すというのが、最良の結果だとは思いますが……」
「そう上手くはいかない、てことね」
「たぶん、あまり好ましい成果は得られないと思います」
ボクはハッキリと、この旅路が感動の別れで終わらぬであろうと断言した。
ただこれは直感や予感の類ではなく、残念なことにある程度の根拠に基づくものだ。
アルマが件の集落に辿り着いた時に起りうる悪い可能性は、いくつか考えられる。
その中の一つが、そもそもアルマが行った先の集落とは別の場所から来たというもの。
「亜人の数はそう多くありませんが、この国だけで300人やそこらでは足りません。そんな人数が一か所に集まれば、どうしても目立ちます」
「つまりこれから向かう先以外にも、亜人の集落があるってことね。目的地がアルマの故郷とは限らない」
王都など一部の大都市には、亜人たちが暮らしていたりはする。
ただ基本的に亜人たちは狙われ易いだけに、多くは各地の隠れ里でひっそり暮らしていると聞く。
そんな彼らが一か所に集まって暮らせば、到底隠し通すことなどできはしないため、複数個所に分かれ暮らしていると考える方が自然だった。
「あとは……、既に奴隷商によって集落が壊滅させられている可能性でしょうか」
「でも亜人は闇市場で高値が付くんでしょ? 連れ去るならともかく……」
「奴隷商たちが狙うのは基本的に子供です。亜人の場合はその見目もあって、労働力ではなく愛玩目的で売買されますから」
こう言ってしまうと悪いが、やはり奴隷としての商品価値が高いのは子供だ。
外見的に奇異な特徴に加え、麗しい容姿を持つ者が多い亜人だからこそ、やはり求められるのは若い存在。
亜人の中でも齢老いた者や大人の男、若い女性であっても子を成した経験のある者は、高値を付けるのが難しいとクレメンテさんから聞いたことがある。
「道中必要な食糧であったり、単純に一台の馬車へ多く乗せられるという理由もあるようです。となると高値となる子供たち以外は……」
「なるほどね。ただ私としては、もう一つ嫌な展開が想像できてしまうんだけど」
「ボクもです。たぶんアルマにとっては、これが一番キツイでしょうけど」
「とはいえこれが最もありえそうな展開ね。忌々しいほどに」
そして想像しうる中で、一番可能性が高そうなもの。
その考えはサクラさんも抱いていたようで、彼女の眉間は強く寄せられ、そんな想像をした自身すら嫌悪するかのようだった。
「向こうの世界でだってあった話よ、親が子供を売り飛ばすなんてね」
「積まれた額によっては、そういうこともあります。亜人に限りません」
おそらくはこれが、最も高い可能性。
アルマの帰宅が望まれていないという嫌な考えは、どうしたところで過ってしまう。
もしこの予想が正解であったと仮定すれば、アルマを連れて行くことのなんと残酷なことか。
手を引かれ親の目の前へ立ち、微妙な表情をされてしまえば、間違いなくアルマは傷付く。
ボクは頭の中へ勝手に構築した想像上の両親に対し、憤ってしまいそうになっていた。
「もしもそうであったとしたら、クルス君はどうするのかしら?」
「ボクは……」
「それでも親元に帰すのがいいと判断する? それとも……、任せられないと判断して連れて帰る?」
サクラさんはボクを覗き込み、試すように問い質す。
きっと彼女は確認したいのだ。ボクがどれだけの覚悟を持って、この旅路を越えようとしているのか。
だが今更向かうのを諦め、カルテリオへ帰るというのも出来ない。
両親に会わせてあげると言った手前、アルマに何と言っていいのかわからないからだ。
「私たちは親代わりにはなれても、親じゃない。亜人であるアルマの気持ちは汲めても、同族にはなれない」
「わかって……、います」
「それでもまだ自分の方がマシだと思って引き取るか、本当の親元へ行かせるか」
これから向かう集落にアルマの家族が居て、感動の再会を果たすという展開も無いではない。
ただそれはきっと、雲を掴むとまでは言わないものの、期待するのが酷と言えるほどな確率のはずだ。
それに本当にアルマが売られたのだとすると、帰したところでまた同じことになるのは目に見えている。
そうとわかっていて、サクラさんは問うているのだ。
かなり意地の悪い、試すようなサクラさんの声と御者の男がくべる薪が爆ぜる音。そして楽しそうに、同乗した客の子供とやり取りをするアルマの声が耳へ届く。
そんな時間が少しだけ流れたところで、ボクは意を決して答えを口にした。
「もしそうだったら、連れて帰ります。きっとアルマは、その方が幸せだろうから」
「根拠は?」
「説明できるほどの根拠はありません。でもここまであの子は楽しそうにしていました、ボクはそれでいいんじゃないかって思います」
理想を言うならば、両親の愛情を受け育つというのが一番だ。
ただ両親亡き後のボクがお師匠様に育てられたように、他の道だって存在するはず。
ボク自身がお師匠様のようになればいいのだと、そう思えた。
「ま、いいんじゃないの。食い扶持の1人くらい養ってみせるし」
「なんでそんな急に気楽になるんですか。さっきまでの神妙な空気は何処へ……」
「だって延々シリアスじゃ疲れるもの。それにたぶん、アルマはクルス君から離れたがらないだろうしさ」
決意を込めた言葉が効いたのかと思うほどに、サクラさんは肩を竦めると力の抜けた声色でそう言い放つ。
たぶん最初からこういう返答をすると、彼女はわかっていたのだろう。
あっけらかんとし笑顔を浮かべ、ボクの鼻先を指で小突く。
「弟みたいなのも悪くないけど、妹を持つのも悪くないってね」
「弟って、もしかしてボクのことですか……」
「そうよ。他に誰が居るっての?」
サクラさんの言葉に、ボクはガクリと肩を落とす。
彼女にとってボクは異性ではなく、あくまでも共に暮らす"弟"のようなもの。
そんな扱いであることが、どこか切なくもの悲しい。
「……弟という点に関してはいいです。でもアルマを妹と言うのはどうなんでしょう」
「別に問題は無いでしょ。最近はアルマも私に懐いてくれてるし」
「そこはいいんですが、サクラさんとアルマじゃ姉妹というよりも親こ――」
サクラさんにとっても、アルマは既に家族の一員。
ならばそれも悪くはないかと冗談を言いかけるのだけど、言い終わらぬうちにボクは両の頬を抓られる。
「姉妹というよりも、……なんですって?」
「でふかあ、ふふぁりはおぁこみたいだっふぇ」
「ゴメンねクルス君、ちょっとよく聞こえないわ」
笑顔ではあるが、どこか迫力のあるサクラさんの表情。
これはマズイ、ちょっとした軽口のつもりだったのだが、踏み越えるのが躊躇われる一線であったようだ。
そんなボクらの様子に気づいたか、アルマは走って飛びついてくる。
「アルマもまぜてー!」
小柄な体格の割には、勢いのある突進。
それによって地面へ倒れ込んだボクとサクラさんは、顔を見合わせて薄く笑顔を交わした。
頬に感じるヒリヒリした痛みと、上機嫌なアルマの重さを感じながら。