表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/347

笛の音 01


――――――――――


 拝啓 お師匠様


 お師匠様が住むあの町ほどではありませんが、ここカルテリオも冬を迎え、吹き付ける海風の寒さに日々身を震わせるようになりました。

 サクラさんは毎日のように、庭にこしらえた風呂を寒さの中満喫していて、目下嵩んでいく薪の費用が悩みの種でしょうか。


 ボクが故郷を離れてから、もう何年もの月日が経ちます。

 騎士団へ入り召喚士見習いとなって以降、手紙こそ送ってはいますが、これまで一度としてお師匠様に顔を見せることができていません。

 サクラさんと会ってもらいたいですし、当人もお師匠様の顔を見てみたいと言っています。

 なのでそろそろ、一度は帰省したいと思っていた矢先でした。あの情報が舞い込んできたのは……。


――――――――――



 ブゥン、と。背筋を粟立たせる音が、そして嫌な振動が響く。

 それは1つや2つではなく、それこそ数十という単位で。

 ボクとサクラさんはその低い振動音を背に、過去にないほど全力で逃走を計っていた。



「お、置いて行かないでくださいよサクラさん!」


「クルス君、ちょっと足止めしてよ! 私のために」


「絶対にイヤです! サクラさんの頼みでも、こればっかりは無理です!」



 シグレシア王国の南部、港町カルテリオの西へしばし行った先に広がる森林地帯、通称"狂信者の森"。

 この森へと緒事情あってやって来たボクらは、奥へ足を踏み入れた先で、大量に発生した魔物の群れと発見した。


 魔物が偶発的に大量発生し、対処可能な範疇を越えるというのは儘ある。

 ただ大抵は勇者支援協会へと報告をしている間に、共食いやらなにやらで壊滅してしまうのだ。ここいら一帯に多い、昆虫型の魔物に関しては特に。

 本来であれば今回もそれを期待し、気付かれぬよう静かに立ち去るべき状況。

 しかしボクらはある理由によって、密かにその場を離れることができず、見つけた瞬間に絶叫してしまうのであった。



「ふっざけんな! なんで異世界に来てまでゴ○ブリなんか見なきゃいけないのよ!」


「お、落ち着いて下さいって」


「1メートルよ1メートル! あんな大きさのを見て、落ち着いていられるわけないでしょ!」



 出くわした魔物の姿に、普段は冷静なサクラさんも取り乱す。

 ただ彼女の気持ちもわからないでもない。夏場などに台所や物置で発生する"アレ"、世間的に嫌われ者の代名詞と言える存在が、巨大な魔物という形で現れたのだから。

 おかげでサクラさんは口調すら変わり、逃げる最中に悪態を吐き続けていた。



 そうして全力で逃走を計ったおかげか、なんとかその一群を引き離すのに成功。

 森の入り口すら通りすぎ、カルテリオの近郊へと辿り着いたところで、ようやく膝を着き荒れた息を整える。



「この寒さですから、放っておけば全滅しますよ。……たぶん」


「そう願うわ。もし討伐依頼が来ても断るわよ、断固として」



 サクラさんの明確な意思を感じる言葉に、無言のまま頷く。

 例えそれがどれだけ高額な報酬だろうと、ボクもサクラさんも見て見ぬふりをするに違いない。


 偶然とはいえ嫌なモノを見た。

 ボクらはその鮮烈な光景を強引に記憶から追い出すことにし、カルテリオの入り口となる門をくぐる。

 門の警備をしている、顔なじみの女性騎士に今日の成果を振られ、苦笑いを纏わせ市街へ。

 そしてクラウディアさんの営む、協会の支部兼宿へと入ったところで、ドッと押し寄せる疲労から椅子へ身体を投げ出した。



「今日はまた、随分とお疲れね。なにかあった?」


「聞かないで……。今は話せる気分じゃないの」



 宿の主人であるクラウディアさんは、そんなボクらへと怪訝そうに問う。

 だがボクもサクラさんも、忌まわしい記憶を可能な限り早く排除したく、曖昧な返事で誤魔化す。

 とはいえ魔物の集団発生だ、報告をしない訳にはいかないのだけれど。



「報告は後でしますね。えっと、ところでアルマは?」



 気を取り直し、宿の一階部分を見回す。

 そこには数人の勇者と召喚士たちが居るが、ボクらが町を離れている間に預けている亜人の少女、アルマの姿が見当たらない。

 大抵この時間帯は、椅子の上で昼寝をしているというのに。



「あの子なら裏手で遊んでる。さっきからずっとピーピー音がしてるわよ」


「まだあの笛を吹いてるんですか」


「随分とご執心みたい。君に買ってもらったのが、余程嬉しかったみたいね」



 親指を立て、クイと背後を指すクラウディアさん。

 その先には宿の裏にある庭へ続く通路があり、アルマはそこで一人遊んでいるようだった。


 よくよく耳を澄ませてみれば、確かに甲高い笛の音が聞こえてくる。

 それはつい最近、あの子と一緒に市場へ行った時、偶然見つけ買い与えた笛によるもの。

 ここのところずっと肌身離さず持ち歩いているそれを、度々鳴らしては喜んでいるのだ。



「それじゃあボクは、アルマを呼びに行ってきますね」


「はいはーい。そうだサクラ、あんたには手紙が届いてるよ」



 なんとか重い身体に鞭打ち、立ち上がるなりアルマを迎えに行く。


 宿の裏手へと移動し、昼下がりの陽射しを浴びつつ見渡す。

 するとすぐに庭へ置かれた丸太に腰かけ、小さな金属製の笛を咥えたアルマを見つける。

 まだこちらに気付かぬ、垂れた長い耳と長い尾を持つ亜人の少女は、笛の音を鳴らしながらどこか呆然と空を眺めていた。



「アルマ、呆っとしているけどどうしたんだい?」


「……あ、おかえりクルス」


「そろそろ陽が暮れるよ、お家に帰ろうか」



 なにやら様子のおかしいアルマだが、声をかけると表情に明るさが差す。

 さてはボクらが留守にしている間、寂しがっていたのだろうかと思う。

 正確にはわからないけれど、まだ5歳かそこらといった年齢。近所の子たちも今は居ないようだし、退屈していてもおかしくはない。



「その笛、気に入ってくれたみたいだね」



 そう言ってボクは笛を指さし、アルマの頭を撫でる。

 そこまで高くはない、子供のおもちゃとしては安物なそれではあるけれど、喜んでくれたのであればなによりだ。


 ただアルマはそれに対し、形容し辛い微妙な表情を浮かべていた。

 そうしてギュッと金属製の笛を握りしめ、小さく「うん」と頷く。

 こうして肌身離さず持ってくれているのだ、決して喜んでいない訳ではなさそうだけれど、どうにもおかしな反応に思えてならない。



 ともあれアルマの手を引いたボクは、一旦宿の中へと入る。

 そこでさきほどの場所へ戻り、サクラさんと一緒に帰ろうかと思ったのだけど、見れば彼女はなにやら真剣な様子で、手元へ視線を落としていた。



「あの、どうかしましたか」


「うん……、ちょっとね」


「手紙ですか。差出人は誰です?」



 見れば彼女の手には、数枚の紙が握られている。

 そういえばさきほどクラウディアさんは、サクラさんに手紙が届いていると言っていたのだったか。


 彼女の答えも待たず手元を覗き込むと、つらつらと流麗な文字が奔るその手紙には、"クレメンテ"というサインが記されていた。

 この町からずっと北へ行った先、王都エトラニアへ居を構える勇者ゲンゾーの相棒である、召喚士クレメンテ。

 シグレシア王国における召喚士たちの間で、畏敬の念をもって語られる人物だ。



「彼にお願いしていた事があってさ。届いたのはその件について」


「お願い……、ですか。クレメンテさんにするなんて、余程重要な内容ですよね」


「一応ね。内容は、アルマの身許について」



 サクラさんが口にした言葉に、ボクは心臓が僅かに跳ねる。

 王都で騎士団の要職に就くクレメンテさんは、立場上色々な情報に触れる機会があると聞く。

 そんな彼へするアルマに関するお願い事など、一つしかあるまい。



「どこから連れて来られたか、わかったんです!?」


「まだ確実じゃないけど、おおよそは。ここから北西へ行った先の山地に、亜人たちの集落があるって話よ」



 詰め寄るボクの頭へポンと手を置くサクラさんは、努めて平静な調子で告げる。


 王都の闇市場へ移送されている途中、魔物の襲撃に遭った奴隷商の馬車に乗っていたのがアルマだ。

 この子の他に連れられていた子供たちや奴隷商は、魔物によって食い荒らされ全員が命を落としている。

 そのため幸運にも生き残ったものの、アルマの素性は不明なままであり、これまで両親の下へ帰してやることも叶わなかった。



「良かったわね、アルマ。これでお家に帰れるかもしれない」



 アルマが本来暮らしていたかもしれない集落が見つかった。

 つまりそこ行けばアルマの家族が居り、帰りを切に願っているかもしれないのだ。

 長い耳の垂れた頭を撫で、アルマの両脇に腕を差し入れ高く持ち上げ、穏やかに告げるサクラさん。



「おうち?」


「そう、貴女の本当の家。私たちと暮らしている、この町のではなく」



 サクラさんの告げる言葉に、抱き抱えられたアルマは小首を傾げキョトンとする。


 奴隷商によって攫われた衝撃のせいか、両親についての記憶がおぼろげなアルマは、その件について口にすることがない。

 だからといってそれに甘え、無視することもできまい。引き離された本当の家族のもとへ帰るのが、この子にとってたぶん最良であるのだから。


 しかしサクラさんの言葉からは、僅かに寂しそうな気配が漂う。

 今は共に暮らし、既に家族も同然になっている存在なだけに、離れるのが寂しいのは当然だ。

 そしてそれはボクも同じであり、届いた手紙に記された希望に対し、どこか胸がざわつくモノを感じてならなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ