笛の音 01
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拝啓 お師匠様
お師匠様が住むあの町ほどではありませんが、ここカルテリオも冬を迎え、吹き付ける海風の寒さに日々身を震わせるようになりました。
サクラさんは毎日のように、庭にこしらえた風呂を寒さの中満喫していて、目下嵩んでいく薪の費用が悩みの種でしょうか。
ボクが故郷を離れてから、もう何年もの月日が経ちます。
騎士団へ入り召喚士見習いとなって以降、手紙こそ送ってはいますが、これまで一度としてお師匠様に顔を見せることができていません。
サクラさんと会ってもらいたいですし、当人もお師匠様の顔を見てみたいと言っています。
なのでそろそろ、一度は帰省したいと思っていた矢先でした。あの情報が舞い込んできたのは……。
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ブゥン、と。背筋を粟立たせる音が、そして嫌な振動が響く。
それは1つや2つではなく、それこそ数十という単位で。
ボクとサクラさんはその低い振動音を背に、過去にないほど全力で逃走を計っていた。
「お、置いて行かないでくださいよサクラさん!」
「クルス君、ちょっと足止めしてよ! 私のために」
「絶対にイヤです! サクラさんの頼みでも、こればっかりは無理です!」
シグレシア王国の南部、港町カルテリオの西へしばし行った先に広がる森林地帯、通称"狂信者の森"。
この森へと緒事情あってやって来たボクらは、奥へ足を踏み入れた先で、大量に発生した魔物の群れと発見した。
魔物が偶発的に大量発生し、対処可能な範疇を越えるというのは儘ある。
ただ大抵は勇者支援協会へと報告をしている間に、共食いやらなにやらで壊滅してしまうのだ。ここいら一帯に多い、昆虫型の魔物に関しては特に。
本来であれば今回もそれを期待し、気付かれぬよう静かに立ち去るべき状況。
しかしボクらはある理由によって、密かにその場を離れることができず、見つけた瞬間に絶叫してしまうのであった。
「ふっざけんな! なんで異世界に来てまでゴ○ブリなんか見なきゃいけないのよ!」
「お、落ち着いて下さいって」
「1メートルよ1メートル! あんな大きさのを見て、落ち着いていられるわけないでしょ!」
出くわした魔物の姿に、普段は冷静なサクラさんも取り乱す。
ただ彼女の気持ちもわからないでもない。夏場などに台所や物置で発生する"アレ"、世間的に嫌われ者の代名詞と言える存在が、巨大な魔物という形で現れたのだから。
おかげでサクラさんは口調すら変わり、逃げる最中に悪態を吐き続けていた。
そうして全力で逃走を計ったおかげか、なんとかその一群を引き離すのに成功。
森の入り口すら通りすぎ、カルテリオの近郊へと辿り着いたところで、ようやく膝を着き荒れた息を整える。
「この寒さですから、放っておけば全滅しますよ。……たぶん」
「そう願うわ。もし討伐依頼が来ても断るわよ、断固として」
サクラさんの明確な意思を感じる言葉に、無言のまま頷く。
例えそれがどれだけ高額な報酬だろうと、ボクもサクラさんも見て見ぬふりをするに違いない。
偶然とはいえ嫌なモノを見た。
ボクらはその鮮烈な光景を強引に記憶から追い出すことにし、カルテリオの入り口となる門をくぐる。
門の警備をしている、顔なじみの女性騎士に今日の成果を振られ、苦笑いを纏わせ市街へ。
そしてクラウディアさんの営む、協会の支部兼宿へと入ったところで、ドッと押し寄せる疲労から椅子へ身体を投げ出した。
「今日はまた、随分とお疲れね。なにかあった?」
「聞かないで……。今は話せる気分じゃないの」
宿の主人であるクラウディアさんは、そんなボクらへと怪訝そうに問う。
だがボクもサクラさんも、忌まわしい記憶を可能な限り早く排除したく、曖昧な返事で誤魔化す。
とはいえ魔物の集団発生だ、報告をしない訳にはいかないのだけれど。
「報告は後でしますね。えっと、ところでアルマは?」
気を取り直し、宿の一階部分を見回す。
そこには数人の勇者と召喚士たちが居るが、ボクらが町を離れている間に預けている亜人の少女、アルマの姿が見当たらない。
大抵この時間帯は、椅子の上で昼寝をしているというのに。
「あの子なら裏手で遊んでる。さっきからずっとピーピー音がしてるわよ」
「まだあの笛を吹いてるんですか」
「随分とご執心みたい。君に買ってもらったのが、余程嬉しかったみたいね」
親指を立て、クイと背後を指すクラウディアさん。
その先には宿の裏にある庭へ続く通路があり、アルマはそこで一人遊んでいるようだった。
よくよく耳を澄ませてみれば、確かに甲高い笛の音が聞こえてくる。
それはつい最近、あの子と一緒に市場へ行った時、偶然見つけ買い与えた笛によるもの。
ここのところずっと肌身離さず持ち歩いているそれを、度々鳴らしては喜んでいるのだ。
「それじゃあボクは、アルマを呼びに行ってきますね」
「はいはーい。そうだサクラ、あんたには手紙が届いてるよ」
なんとか重い身体に鞭打ち、立ち上がるなりアルマを迎えに行く。
宿の裏手へと移動し、昼下がりの陽射しを浴びつつ見渡す。
するとすぐに庭へ置かれた丸太に腰かけ、小さな金属製の笛を咥えたアルマを見つける。
まだこちらに気付かぬ、垂れた長い耳と長い尾を持つ亜人の少女は、笛の音を鳴らしながらどこか呆然と空を眺めていた。
「アルマ、呆っとしているけどどうしたんだい?」
「……あ、おかえりクルス」
「そろそろ陽が暮れるよ、お家に帰ろうか」
なにやら様子のおかしいアルマだが、声をかけると表情に明るさが差す。
さてはボクらが留守にしている間、寂しがっていたのだろうかと思う。
正確にはわからないけれど、まだ5歳かそこらといった年齢。近所の子たちも今は居ないようだし、退屈していてもおかしくはない。
「その笛、気に入ってくれたみたいだね」
そう言ってボクは笛を指さし、アルマの頭を撫でる。
そこまで高くはない、子供のおもちゃとしては安物なそれではあるけれど、喜んでくれたのであればなによりだ。
ただアルマはそれに対し、形容し辛い微妙な表情を浮かべていた。
そうしてギュッと金属製の笛を握りしめ、小さく「うん」と頷く。
こうして肌身離さず持ってくれているのだ、決して喜んでいない訳ではなさそうだけれど、どうにもおかしな反応に思えてならない。
ともあれアルマの手を引いたボクは、一旦宿の中へと入る。
そこでさきほどの場所へ戻り、サクラさんと一緒に帰ろうかと思ったのだけど、見れば彼女はなにやら真剣な様子で、手元へ視線を落としていた。
「あの、どうかしましたか」
「うん……、ちょっとね」
「手紙ですか。差出人は誰です?」
見れば彼女の手には、数枚の紙が握られている。
そういえばさきほどクラウディアさんは、サクラさんに手紙が届いていると言っていたのだったか。
彼女の答えも待たず手元を覗き込むと、つらつらと流麗な文字が奔るその手紙には、"クレメンテ"というサインが記されていた。
この町からずっと北へ行った先、王都エトラニアへ居を構える勇者ゲンゾーの相棒である、召喚士クレメンテ。
シグレシア王国における召喚士たちの間で、畏敬の念をもって語られる人物だ。
「彼にお願いしていた事があってさ。届いたのはその件について」
「お願い……、ですか。クレメンテさんにするなんて、余程重要な内容ですよね」
「一応ね。内容は、アルマの身許について」
サクラさんが口にした言葉に、ボクは心臓が僅かに跳ねる。
王都で騎士団の要職に就くクレメンテさんは、立場上色々な情報に触れる機会があると聞く。
そんな彼へするアルマに関するお願い事など、一つしかあるまい。
「どこから連れて来られたか、わかったんです!?」
「まだ確実じゃないけど、おおよそは。ここから北西へ行った先の山地に、亜人たちの集落があるって話よ」
詰め寄るボクの頭へポンと手を置くサクラさんは、努めて平静な調子で告げる。
王都の闇市場へ移送されている途中、魔物の襲撃に遭った奴隷商の馬車に乗っていたのがアルマだ。
この子の他に連れられていた子供たちや奴隷商は、魔物によって食い荒らされ全員が命を落としている。
そのため幸運にも生き残ったものの、アルマの素性は不明なままであり、これまで両親の下へ帰してやることも叶わなかった。
「良かったわね、アルマ。これでお家に帰れるかもしれない」
アルマが本来暮らしていたかもしれない集落が見つかった。
つまりそこ行けばアルマの家族が居り、帰りを切に願っているかもしれないのだ。
長い耳の垂れた頭を撫で、アルマの両脇に腕を差し入れ高く持ち上げ、穏やかに告げるサクラさん。
「おうち?」
「そう、貴女の本当の家。私たちと暮らしている、この町のではなく」
サクラさんの告げる言葉に、抱き抱えられたアルマは小首を傾げキョトンとする。
奴隷商によって攫われた衝撃のせいか、両親についての記憶がおぼろげなアルマは、その件について口にすることがない。
だからといってそれに甘え、無視することもできまい。引き離された本当の家族のもとへ帰るのが、この子にとってたぶん最良であるのだから。
しかしサクラさんの言葉からは、僅かに寂しそうな気配が漂う。
今は共に暮らし、既に家族も同然になっている存在なだけに、離れるのが寂しいのは当然だ。
そしてそれはボクも同じであり、届いた手紙に記された希望に対し、どこか胸がざわつくモノを感じてならなかった。