聖杯 08
魔物の身体へと、無数に増えていく傷。
それは必殺の尾を失うことによって、勇者たちがより近くでの接近戦を試みた結果だ。
石化という脅威が取り払われたのに加え、密着状態での戦闘であれば効果的な攻撃を与えやすいと判明した。
ただ身体へと刻まれていく傷によってか、徐々に魔物の側も学習していく。
重量にしては身軽な身体を撓らせ、こちらの手が届かぬ木々の上へと逃げ延びてしまった。
「撤退しますか? 今なら追ってこないはずですし……」
弓に矢を番え狙いを定めるサクラさんへと、ボクは拾ったサワキの長剣を握りつつ問う。
魔物は攻撃の意志を減退させ、森と同化しつつある。今動こうとしないのは、単純にこちらの様子を窺っているため。
たぶんこちらが撤退を選べば、追いかけては来ないのだとは思う。
「いいえ、ここで仕留めておかないと。ああいうヤツは身体を再生させるのも多いから」
しかしサクラさんは首を横へ振り、ボクの提案を否定した。
もし彼女の言い分が正しく、あの尾が再生するのであれば到底見過ごしてはおけない。
そうなればこの"狂信者の森"は名前に恥じぬ危険な場所となり、木材を得るため人が立ち入ることすら難しくなるはず。
「多少無理をしてでも狩るわよ。そのために、ちょっとだけ協力して」
「もちろんです。……でもどうすれば」
「クルス君の役目は簡単よ。私が――」
あの魔物を見逃してやるわけにはいかない。
その為に採れる手段を、サクラさんは簡潔な指示を伝えてきた。
他の勇者たちにもそれを伝えたところで、ボクは大きく頷く。
「単純な作戦ですけど、一番成功しそうに思えます」
「まったく、いつも一言多いっての。ともかく任せたわよ」
サクラさんはそう言って、他の勇者たちと共に駆けた。
目標は樹上の魔物。そいつへと残り少ない矢を射ると、ヤツは木々の上を渡るように移動していく。
ただ魔物もそれなりに重量があるせいか、全ての枝へと乗れるわけではない。
度々飛びついた先の枝が折れ、危くその巨躯を地面へ降下させかねない状況になっていた。
そしてそのすぐ下には、武器を持ち待ち構える勇者たち。
魔物は咄嗟に木の幹へしがみ付き、スルスルと昇っていく。
だがそこへも小さなナイフなどが飛来し、ヤツに休息の隙を与えることはなかった。
「続けて! そのまま南側へ誘導する!」
走ってそれを追いかけるサクラさんは、勇者たちへと指示を飛ばす。
ボクは例によって彼女に抱えられ、後生大事に拾ったサワキの中剣を抱えたまま、運ばれるばかりであった。
ただ一応、ボクにも少しばかりの役割は存在する。
他の勇者たちの手は借りられない、ボクがやらなくてはならない役割が。
木々の間を飛び移る魔物を追って南へ。
空気へは次第に潮の匂いが混ざり始め、深い森の中でも海が近いことに気付かされる。
そうして辿り着いたのは、絶壁にほど近い木々のまばらとなった場所。
「みんなお願いね、一本残らずやっちゃって!」
そこへ着くなり、サクラさんは勇者たちへ叫ぶ。
彼女の言葉に反応し、ここに至って残る勇者たちは全員、全力で自身の武器を振るう。
魔物にではなく、周りへ立つ木へと。
「さあ、降りてきなさい。もう逃げ場はないんだから」
木々は次々となぎ倒されていき、魔物が飛びつく先は失われる。
そうして僅かに残った、ギリギリで体重を支えられる木にしがみ付く魔物へと、サクラさんは挑発的に口元を歪め宣言した。
この言葉が、魔物に理解できているとは思えない。
それでも魔物は直後に鋭く牙を剥き枝から跳躍、高く舞い上がりサクラさんの真上に達すると、そこから降下し彼女へ向け太い前腕を唸らせた。
「サクラさん!」
「大丈夫よ。いい子いい子、ちゃんとこっちの予想通りに動いてくれるんだから」
サクラさんの身に降りかからんとする攻撃に、ボクは無意識に叫んでしまう。
しかし彼女は余裕の表情を崩さず、舌なめずりすると弓を構え、すかさず真上へ矢を放った。
真っ直ぐ降下してくる魔物へと、正面から対峙するように向かう矢。
普通に考えれば、空中に居るのだから回避などできようはずがない。
だが魔物は妙に器用な動きで身体を捩じらせると、刺さる直前で避けるという離れ業を成した。
サクラさんの背負う矢筒は既に空。
追い打ちをかけることもできず、当然そんな余裕もない。
彼女は矢が回避されると見るや否や、脚を鞭のように撓らせ弾けんばかりの勢いで飛び退いた。
「最後の締め、任せた」
後方へ飛び退るサクラさんは、余裕の表情を崩さない。
そんな中で小さく呟いたであろう彼女の言葉が、ボクの耳にはハッキリと聞こえる。
ボクはそれを聞くなり、条件反射のように躊躇うことなく、拾ったサワキの中剣を魔物へ向け投げつけた。
圧倒的な膂力を持つ勇者が使う、重量級の代物。
ボクのように小柄で非力な召喚士では、持つことすら難儀するそれを、骨が軋まんばかりの全力で放る。
フワリと勢い無く投げたそれは、今まさに着地したばかりの魔物へ。
だが当然そんなものが攻撃として有効なはずもなく、魔物は有るとも知れぬ表情を嘲りの色に染め、前腕の小さな動きで長剣を弾いた。
「ちょっと不格好だけど上出来よクルス君、流石は私の相棒ね!」
その有効打には至らない、魔物すら余裕を露わとする攻撃こそ、サクラさんの欲していたものだった。
ボクへの称賛めいた言葉を叫ぶサクラさんの声と同時に、さきほど空へ向け射た矢は鋭さを増しつつ降下し、余裕を露わとする魔物の頭頂部を貫いた。
彼女の持つスキルは、基本的には移動する物体の軌道を修正するというもの。
ただサクラさんは暇を見ては訓練を重ね、まだ僅かな程度ではあるけれど、その勢いも制御するに至っていた。
普通に落下しただけでは威力の小さなそれも、勢いが増せば十分な殺傷力だ。
「……そう言ってもらえると、光栄ですよ」
頭部を穿たれ、その動きを止める魔物。
やつの四肢から力が抜け地面へ崩れ落ちるのを見て、ボクはサクラさんが発してくれた言葉へと、ようやく小さな声で返す。
やはりサクラさんがボクの勇者でよかった。
きっとこの言葉は何度言われようと欲してしまう、召喚士にとっての麻薬のようなもの。
それをここ一番で言ってくれるなんて、彼女はとんだ人たらしだ。
魔物の逃げ場となる木々を倒し終え、戻ってくる勇者たち。
そんな彼らは若干気まずそうにするのだが、サクラさんは笑顔を浮かべ礼を口にしていく。
「打ち合わせ通りね。みんなもご苦労様」
「……俺たちは何もしてねぇよ。ただ馬鹿みたいに武器を振り回しただけだ」
「それが必要だったんじゃない。素直にお礼の言葉くらい受け取って頂戴」
彼女の柔らかで整った表情を見るなり、顔を赤らめる勇者たち。
やはり彼女はとんでもない人たらしだ。
「あ、そういえばサワキは……」
「……そうね、クルス君ちょっと様子を見て来てくれるかしら」
魔物を討ち、勇者たちを籠絡したのもつかの間。ボクはふと彼の存在を重い出す。
あれから少しばかりの時間が経っている。想像する通りであれば、きっと彼はもう……。
それでも確認はせねばならないし、サクラさんに言われ首を縦に振ると、サワキの長剣を拾い踵を返す。
しかし丁度振り返った先には、意外なことにサワキの相棒たる召喚士、ヤニスの姿があった。
彼はフラフラと身体を揺らしつつ森から出てくると、虚ろな目でボクやサクラさん、それに他の勇者たちの姿を眺める。
そして乾ききった唇で、こう言葉を吐いた。
「すまない、誰か手伝ってくれないか。……墓を掘りたい」
ヤニスが発した言葉に、その場へ居た全員が静まりかえる。
つまりはそういうことだ。あの尋常ならざる速度で進行する石化は、当然のようにサワキをも飲み込んでいった。
結果ボクらは、6人目の犠牲者を出したのだ。
「……体力の残っている人は手伝ってあげて。全員分のを用意しましょ」
「つ、連れては帰らないのか?」
「ここは森の最奥、石となった人たちを運んで帰るには酷よ。それにまた今みたいな魔物が現れないとも知れないし」
自身の弓を背に仕舞うサクラさんは、勇者たちを見渡し手伝いを口にする。
ただやはりその場に墓を掘るというのではなく、町へ連れて帰ってやりたいというのが本音であるのか、勇者の一人は異論を口にした。
しかしサクラさんの言うように、ここは"狂信者の森"の最奥。
人の大きさをした石を抱えて帰るには遠い距離で、当然"黒の聖杯"という脅威があれだけとは限らない。
となると犠牲となった彼らを連れ帰るにせよ、相応の準備が必要。
おそらくヤニスも、憔悴しながらもそう考えたからこそ墓を掘ると言ったのだ。
「わ、わかった。手伝うよ」
「悪いわね。同郷のよしみで、丁寧に弔ってあげましょ」
口々に協力を申し出る勇者たち。
そんな彼らへと、サクラさんはどこか寂しそうな素振りで微笑むのであった。