聖杯 07
何本もの矢を射掛けるも、ことごとくが空を切る。
魔物は巨大な体躯に似合わぬ俊敏さで跳躍し、木々の幹を足場とし四方八方へ動き回っていた。
ここまでで既に5人、勇者たちが犠牲となっている。
その全てが魔物の尾についた針によって、身体を石化させられたのが原因。
直後は大した怪我でなくとも、次第に患部を中心に石化が始まり、じき身動きが取れなくなっていく。
石となった部分はまるで動かせず、重みによって回避も儘ならない。
そうして地面へ繋ぎ止められたが最後、巨大な魔物の重量を受け、石化した身体を砕かれるのだ。
「距離を取って! 尾に触れたら最後だからね」
「わ、わかった」
「君もその大きな武器は諦めて。回避優先で腰の短剣を使いなさい!」
魔物のすばしっこさや石化を成す尾を警戒し、勇者たちは近寄れずにいる。
そんな状況であるためか、いつの間にか彼らはサクラさんの指揮下へと入っていた。
この依頼に参加した勇者の中で最も冷静さを保っているのに加え、弓という遠距離から攻撃する手段のため、全体の状況を把握し易いという理由もあってだ。
「前に出過ぎよ、下がりなさい」
「ウルセぇ! オレに命令すんな」
しかしサワキだけは、サクラさんの言葉に耳を貸そうとはしない。
追いついて来たヤニスも彼を説得しようとするが、そんな事はお構いなしに長剣を振るい前へ出る。
ボクにはその姿が、ただ意地を張っているだけに見えた。
耳を貸すなど格好悪い。もう今更後には引けないと言わんばかりに。
「まったく、あのお子様は……」
そんなサワキの反応に、サクラさんは新たな矢を番えつつ表情を険しくする。
素早い動きをする魔物に対し、サワキが持つ長剣ではどうにも不利。辛うじて尾の一撃を掻い潜り接近するも、振る間に跳躍し回避されてしまう。
「クルス君、矢を頂戴」
「は、はい。でもこれで最後です、予備はもう……」
サクラさんは立て続けに矢を射てみるも、突き刺さるかと思われたそれは、細長い尾によって叩き落されていく。
結果矢の消耗は激しく、予備として持って来た矢筒もこれで終わり。
「使った分を拾える?」
「魔物から離れた場所のでしたら。それでも使い物になるのは半分くらいでしょうか」
「無いよりはマシ。お願いね」
最後のひとつとなった矢筒を、サクラさんへ手渡す。
ただここまで1本として命中させることが出来ていない。飛ぶ矢の軌道を任意の方向へ修正するという、サクラさん独自のスキルを用いていてもだ。
可能な限り、ほんの僅かでも矢が欲しい。
ボクはサクラさんの真剣な言葉を受け、頷く時間も惜しく走りだす。黒の聖杯から現れた魔物の注意を惹かぬよう、距離を保って木々の間を隠れながら。
ただそんなボクの前へと、影がひとつ躍り出てくる。
「邪魔だ召喚士、うろちょろするな!」
地面に落ちた仕えそうな矢を拾い、木に刺さった物を引き抜くボクの前に現れたのは、全身を汗に濡らしたサワキだ。
彼は肩で荒く息をしながら、上手く戦えぬ苛立ちをボクへぶつけようとしていた。
「お前ら召喚士は戦闘じゃ役に立たないんだ、サッサと消えろ!」
「そ、そんな言い草はないでしょう! ボクだって役に立とうと――」
「お前らなんぞ居なくても戦えるんだよ! ヤニスとい他の連中といい、召喚士はどいつもこいつも目障りだ」
これが本心かどうかはわからない。
ただ自身の相棒であるヤニスすらも槍玉に挙げ、サワキは暴れるように言葉を吐いた。
その直後、ボクはすぐさま周囲を窺う。
魔物の接近を警戒したというのもあるが、もし今の言動をヤニスが聞いていたらと考えたために。
もしボクが同じような発言をサクラさんからされれば、きっと立ち直れないだろうから。
しかし運よく周囲にヤニスの姿はなく、こんな状況だというのにホッと胸を撫で下ろす。
「ムカつきやがる……。魔物も、召喚士も、他の勇者連中も」
「ち、ちょっと。いったいなにを」
「あいつら全員で馬鹿にしやがって。オレはこの世界に選ばれた勇者だぞ、なんでそのオレがこんな……」
しかし安堵したのも束の間、サワキからは強くドス黒い感情が漏れ出すのを悟る。
彼は自身の長剣を何度となく地面へ叩き付け、血走った目でブツブツと悪態を吐き続けていた。
声をかけてみるも、反応らしい反応は返ってこない。
魔物との分が悪い戦いによる影響か、それともこれまで積もり積もったものが噴出しているのか、こちらの声など聞こえてはいないようだった。
その様子は雨が降って雨宿りをし、ボクらが渡した食事を口にしていた姿とかけ離れており、強烈に嫌な予感を受ける。
「オイ、召喚士のガキ」
「……なんですか」
「オレら勇者には、特別な力が発現するって本当か?」
ようやくボクへ気付いたのか、こちらを向き唐突に呼びかけるサワキ。
その彼がした質問は、どういった意図であるのか計りかねるものだ。
「一応、あるにはあります。サクラさんも持っていますし、ボクが知る限り王都に居るゲンゾーさんも」
「ならオレにも特別な力が宿る可能性はあるってこった」
「……否定はしません。でも勇者全員にではなく、極一部の人が得られるだけです」
サワキは見せていた苛立ちなどどこへやら、一転してニヤリとした笑みを浮かべる。
確かに勇者たちの中には、他者が持たない"スキル"と呼ばれる特殊な能力を持つ人が存在する。
サクラさんのように移動する物体の軌道を制御するスキルもあれば、ゲンゾーさんのように自身の筋力を飛躍的に上げる能力も。
オリバーなどは武器を微細に振動させ、切れ味を極端に高めるというスキルを持っていた。
だがよもやこの状況で、得られるかどうかもわからない、それもどんな作用かもしれないスキルに頼ろうというのだろうか。
アレは一部の勇者たちが、偶然のように手にした能力。狙って発現するようなものではない。
しかしサワキはそんなことなどお構いなしに、激昂し大きな声で叫ぶ。
「オレは勇者だぞ! 他の連中と同じつまんねえ日常から、勇者として召喚された男だ。そのオレが雑魚どもと同じなわけがねぇ!」
この状況に混乱をしているせいか、サワキは平静な思考を完全に失っていた。
自身を選ばれた存在であると確信し、根拠のない楽観論に支配されてしまったようだ。
だが彼は間違い、そして忘れてしまっている。
勇者は確かに召喚士によって、そしてこの世界によって選ばれた。
しかし勇者はこちらの人間よりは強く丈夫であっても、あくまでも人という器を持った生物なのだということを。
「どけよ雑魚ども、オレの邪魔をすんな!」
サワキは自身の長剣を握りしめ、狂気に満ちた笑みを浮かべ突進を仕掛けようとする。
ボクは彼の抱えていた闇を、小さく見積もりすぎていたらしい。
召喚以降積み重なった鬱屈は大きく、サワキの判断力を曇らすには十分であったようだ。
「クルス君、止めて!」
無謀な攻撃を仕掛けんとする様子に気付き、サクラさんは叫び止めるよう告げる。
しかし既に駆け出し、他の勇者たちを押しのけるサワキを制止するのは到底叶わない。
一気に魔物の前へと躍り出るなり、持つ長剣を大上段に振り降ろした。
とはいえそんな単調な攻撃、容易に回避されてしまい、すぐさま尾による一撃をお見舞いされる。
「っざけんな、糞トカゲが!」
しかしサワキは意に介さず、さらに距離を詰める。
意外なことに尾による攻撃をギリギリで回避すると、剣を突き魔物の胴体を穿った。
得意気な表情を浮かべ、自身の攻撃を誇るサワキ。
ボクだけでなく他の勇者も、そしてサクラさんも感嘆に目を見開く。
ところがその直後、回避し背の方へ流れた尾は、向きを真反対に向け一気に振り降ろされた。
「サワキ!」
その様子を見ていた召喚士のヤニスは、咄嗟に自らの相棒である男の名を叫ぶ。
身体を石化させてしまうという、凶悪な効果を持つ魔物の尾。それがサワキの背へ深々と突き刺さり、胸まで貫いていたのだから。
だがそんな状態でも、サワキの戦意は損なわれない。
握った剣の柄を放すことなく、グッと握り締め高く掲げる。
「ま、まだ……。終わっちゃいねぇぞテメェ」
そう言って、彼は長剣を振り降ろす。
魔物の胴体へではなく、尾の付け根へと向けて。
取り回しにくい大きさをしたサワキの長剣は、易々と魔物の尾を斬り落とす。
その衝撃によってか、魔物はこれまで発してこなかった甲高い悲鳴を上げ、前腕を振り回しサワキの身体を弾き飛ばした。
細い木を薙ぎ倒し飛ばされるサワキを追って、ボクとヤニスは駆ける。
そうして倒れた彼に近寄り、混乱から刺さった尾を引き抜こうとするヤニスを止めると、弾き飛ばされた軽装鎧の下を覗き込んだ。
「チクショウ、あいつはどうなった……?」
辛うじて意識を手放していないサワキは、顔だけ起こすなり魔物の姿を探す。
ただ自身で身体を起そうとはしない、いや起こそうと出来ない。
破れた服の下に見える皮膚は、既に灰色へと変色しつつある。早くも石化が進行しているのだ。
「すみませんヤニスさん、この場は任せます」
「おいクソガキ、お前何する気だ」
ヤニスへとそう告げ、立ち上がって背を向ける。
ただそんなボクへと、背を石と変えつつあるサワキは、少しだけ弱々しくなった声で呼び止めた。
「今が好機なんです、サクラさんを手助けしに行かないと」
「召喚士に何が出来るってんだ。無力なだけだろうが!」
「……そうじゃないこと、見せつけてやりますよ。貴方の長剣、借りますね」
サワキによって、一番の脅威である魔物の尾は失われた。
ならばずっと戦い易くなったはずで、ボクでも囮役くらいにはなれるはず。
ボクは悪態衝くサワキへと挑発的に告げるなり、弾き飛ばされた彼の重い長剣を拾い、真っ直ぐサクラさんの居るところへ駆けた。