聖杯 04
「クソっ、オレらの獲物を横取りする気か!?」
「何を言ってるの。あの魔物を捕獲するのは私たち、邪魔だからそっちは大人しく引っ込んでいなさい」
「テメェなんぞに先を越されるか! アレを仕留めるのはオレたちだ」
勇者支援協会の本部から届いた依頼。調査対象である未確認の魔物を発見したボクらは、深い森の中を跳ねるように進んでいく。
ただボクを抱き抱え疾走するサクラさんのすぐ近くには、同じく召喚士のヤニスを背負うサワキが駆けていた。
ヤツはサクラさんへと苛立たしげに、噛み付かんばかりの怒声を浴びせてくる。
サクラさんも相応にやり返すのだが、微妙に双方の会話はかみ合っていない。
片やより完璧な依頼達成とする為に捕獲を。片やそんなことは気にせず、普段通り魔物として仕留めようとしている。
なるほど、こういった基本的な思考の点からして、完全に反りが合わないようだ。
「数十の魔物を狩っただの、デカイ魔物を討伐しただの聞いてるぞ。いったいどうやってそんな大嘘を流したんだ、この詐欺師野郎」
「誰が野郎よ、言葉は正しく使いなさい。ともかく全て本当よ。証人なら居る、王都のゲンゾーっていうおっさんに聞いてみなさい」
先を延々逃走し続ける、白い毛並みを持つ鹿に似た魔物。そいつを追跡しながらも、双方のやり取りもまた続く。
とはいえ実際にはサワキが喧嘩を吹っ掛け、サクラさんがため息交じりにあしらっているのだけれど。
「どうだかな。あのゲンゾーに上手く取り入ったんだろ、その身体を使ってよ」
「……本当に、品性下劣ね。親の顔が見てみたいもんだわ」
サワキのように今回カルテリオへ流れてきた勇者というのは、競争苛烈な王都での争いに敗れた者たち。
そんな連中にとっては、召喚後に王都ではなく地方へ行き、そこで成功したサクラさんは苦々しく思える対象。
なのでそういう意味では、攻撃的な言葉を向けてくるのは理解できなくもない。
ただサワキのあまりに下卑た言葉に、サクラさんは完全に外用の仮面を取り払い、冷え冷えとした視線を返す。
「お、親は関係ねェだろうが!」
「なら貴方個人の問題ね。これ以上恥をかかない内に忠告しておくわ、自分でその性格矯正しておきなさい」
凍えるようなサクラさんの視線を浴びたサワキは、強烈な圧に少しだけ気圧される。
ただそれにしても、サワキの攻撃性は常軌を逸しているように思えてならない。
他の最近カルテリオへ来た勇者たちは、ちょっとした嫌味を口にする程度。対してこいつはただひたすらに、粘りつくように口撃を繰り返していた。
流石に相棒のヤニスも、ここまでくると困った様子を浮かべ始める。
彼もボクやサクラさんに好意的ではないが、サワキに比べればまだ多少は話せそうだ。
「サクラさん、距離を離されそうです」
「そうだった。こいつの相手をしている場合じゃないわね」
サワキの攻撃的な言葉に返答している内に、知らず知らず追跡の速度が緩んでしまったようだ。
あるいは魔物が加速したのかもしれないけど、どちらにせよこれ以上離されるわけにはいかない。
口を閉じたサクラさんは、ボクへしっかり掴まっているよう告げると、地面を踏む力を強める。
一気に速度を速め、遠く麦粒程度の大きさとなってしまった魔物を追う。
ただそんな彼女へと、サワキも喰らい付いて来ようとしていた。
「負けっか! あいつはオレの獲物だつったろうが!」
歯を食いしばり、ヤニスを背負ったままで駆ける。
ただサクラさんの方が体力的に余裕がありそうで、抱えているのがボクという軽い荷物という違いはあるものの、両者に差があるのは明らかだった。
ただそうしていると、深い木々の葉から見える空が、次第に暗くなっていくのに気付く。
時刻はまだ昼を少し過ぎた辺り。いくら秋が深まったとはいえ、陽が落ちるには早い。
一雨来るだろうかと思っていると、すぐさま滴が顔へと当たり、それはどんどん大粒となって身体を濡らしていった。
「マズイわね。視界が悪くなってきた」
「追いかけるこっちが不利ですね……。流石にこの条件だと魔物の方が」
「残念だけど、諦めるしかないかも。下手に怪我でもしようものなら、目も当てられない」
雨というのは存外危険だ。
地面はぬかるんで踏ん張りは利かないし、視界は不明瞭、それに音や臭いだって変わる。
特に今まで分け入った経験のない、深い森の奥では致命傷となりかねなかった。
折角見つけた標的の魔物だけど、こちらの安全には変えられない。
速度を緩め歩を留めるサクラさん。だがすぐさま追いついて来たサワキは、そんなボクらを怪訝そうに凝視する。
「なにしてんだテメェ。見失っちまうんじゃねぇのか」
「追いかけっこは終わりよ。雨が降ってきた、私たちは雨宿りをするからそっちはご自由に」
「なんだと!? たかが雨だろうが!」
「そう思うなら好きにすればいいわ。でももう一つだけ忠告しておくけど、障害物の無い王都周辺と違ってここは森の中、何が起きるかわからないから」
実のところサワキとしては、先を行くサクラさんが居なくては、魔物を追うことすら儘ならない。
なので追跡を中断した彼女に食って掛かるも、アッサリと目論みは霧散する。
「クルス君、どこか休憩に良さそうな場所を探しましょ」
「了解です。ついでに食事も摂りますかね」
慌てた様子を見せるサワキとヤニスを放って、ボクらは雨を避けられる大きな木を探し始めた。
今の時期下手に雨へ打たれ続ければ、急激な体温の低下も招いてしまう。
それにこの追跡によって、あの魔物が非常に俊敏で、かつ持久力があるというのは判明した。人を見かけてすぐ襲おうとせず、逃げるという選択をする知能があることもだ。
これだけのことが知れただけでも儲けもの。過度に欲をかくと痛い目を見る。
「ここが良さそうですね。テントも張りますか?」
「そうね、お願い。……テントって、どっちの意味かしら」
少しだけ探し見つけた木は、広がった葉が雨を避けるのに都合が良さそうだった。
そこで背負った背嚢から密の高い布を取り出し敷くと、念のため頭上にも必要かと問う。
するとサクラさんは頷くなり、小さく笑って冗談交じりの言葉を吐く。
こういった下ネタを口にできるあたり、少しばかり気持ちの余裕が出てきたようだ。
ただ先ほどサワキを品性下劣と言った手前、直後に口元を押さえ「しまった」と呟く。
「そういう冗談はいいですから、食事にしましょう。簡単な物を作って来ましたので」
「ちょっとは動揺してよ、つまんない。……ところで」
鞄の中から軽食を取り出し、平静さを装って渡す。
そんなボクの様子をつまらなそうに眺めるサクラさんであったが、手にしたそれの包み紙を外しつつ、チラリと視線を横へ向けた。
彼女が見た先、そこへ居るのはサワキとヤニス。
雨によって魔物の追跡を中止したボクら同様、彼らもまた雨宿りをするという選択をしたようだ。
せめて離れていればいいのにとは思うも、雨を避けるにはこの巨木が無難だった。
「クルス君、ちょっと」
そんな彼らを見て、サクラさんはちょいちょいと手招きする。
彼女へと近寄るなり耳元で小さく呟かれる言葉に、ボクは顔を顰め難色を示すのだけど、「いいから」と告げられ押し切られてしまう。
仕方なしに鞄からもう少しばかり軽食を取り出し、ヤニスへと近づく。
そして手にしたそれを押し付け、ボクはそそくさとサクラさんの隣へ戻ると、すぐさまサワキの苛立たしげな声が響く。
「なんのつもりだ」
「恵んであげる。こんな森の奥で食料も分けようとしなかったなんて、後で言われても困るもの」
「余計なお世話だ。こんな物なくても……」
「なら返して頂戴。私たちだって満腹にするほどは持ってきていないんだから」
そう言って掌を出すサクラさん。
ただその動作を見たサワキは、突き返そうとするも一瞬だけ躊躇を見せる。
"狂信者の森"はカルテリオからそう遠くないだけに、おそらくこの2人は食料の持参を怠っているはず。王都周辺でやっている時には、必要が無かったために。
「大人しく受け取っておきなさい。今更返されたって困るし」
「……これで恩を売ったなんて思うな」
「思わないって。恩を売るのも面倒臭い」
ひたすらに雑な返しをするサクラさんだが、これはある種の気遣いなのだろうか。
そんな風にしてやる義理などないと思うのだけど、こうしておけば向こうも多少は受け取り易いはず。
サクラさんの意図を知ってか知らずか、ヤニスは手にした食事の半分を相棒へと渡す。
そして若干躊躇いつつも、大木の根基に荒々しく腰を降ろし齧り付いた。
「少なくとも今日はこれ以上、ちょっかいをかけては来ないでしょ」
「だといいんですけど」
こちらを向き、サクラさんは密かにウインクし告げる。
彼女の言うように、敵意を剥ぎ取るには足りなくとも、肩透かしを食らわせるというのには成功したのかもしれない。
ぶつけた敵意に対し応戦されるならともかく、食料を渡されてはやり場が無くなってしまう。
願わくば、これを切欠に面倒な衝突を避けられれば幸い。
ただサクラさんは、ボクのそんな思考を砕き力の抜ける言葉を吐き出した。
「まぁ、持って明日までだと思うけどさ」