聖杯 02
翌朝。アルマを連れたボクとサクラさんは、クラウディアさんが営む宿屋兼勇者支援協会の支部へ向かった。
アルマに関しては毎度町の外へ狩りに行く度、彼女についでとばかり預かって貰っている。
なので連れて行くこと自体は毎度のことなのだけど、その光景は少しばかり目立つ感は否めない。
そして案の定、宿へ足を踏み入れたボクらは、この件で早速絡まれる破目となってしまう。
「子供連れでようやくご出勤かよ」
入るなり降りかかってくる声。
苛立ちの色が滲むその言葉が吐かれた方向へと、ボクは小さく視線を向ける。
2階へと上がる階段の上には2人の男が立っており、挑発的な視線でこちらを見下ろしていた。
「ごめんなさいね。私たちはここに住んでいないから、どうしてもほんの少しは遅くなってしまうのよ」
「本当にそれが理由か? どうせ暇な田舎勇者だ、夜が"お盛ん"で朝が起きられないとかだろ」
こいつらは勇者のサワキと召喚士のヤニス。
新たにカルテリオへやって来た勇者らの中でも、特に攻撃的で難癖をつけてくるのがこの2人だ。
サクラさんの平然とした返しに、サワキは粗野なというよりも下卑た言葉を向け、ボクらとアルマを交互に眺める。
ボクらがそういった関係ではないと、知っているというのに。
ただサクラさんはそれに動じた様子もなく、むしろ笑顔すら浮かべる。
このあたりは昨日言っていた通り、極力衝突を避けようという意図が見えた。
しかしそんな笑顔の口から吐かれた内容は、見事に毒を含んだものだったけれど。
「あら、そう見えてしまったのね。それにしても、こうも下世話な発想しか出来ないんじゃ、貴方って王都でも相当の鼻つまみ者だったんじゃない?」
それほど親しくはない相手と接する時、大抵サクラさんは笑顔という名の鉄仮面を被る。
この日の彼女も変わらずそうであったようで、穏やかで涼やかな、好感を持たれ易いよう計算された表情を浮かべていた。
しかし普段とは異なり、サクラさんの口から吐かれる言葉には悪意と敵意、そして強い挑発が含まれている。
出会い頭にさっそくされた嫌味を受け流すつもりなどないようで、サクラさんはまさに臨戦態勢だ。
一方のサワキとヤニスは、これまでほとんど反論もしてこなかったサクラさんが、突如として牙を剥いたことに驚愕。
揃って表情を強張らせ、口は半開きとなっていた。
「それに今じゃ貴方たちも、その"暇な田舎勇者"に含まれるのよ。いっそさっき言っていたように、"お盛ん"な夜を楽しんでみたらどうかしら。貴方たちで」
「ぷっ。……し、失礼」
サクラさんの発した言葉に、ボクはつい噴き出しそうになってしまう。
勇者であるサワキと召喚士のヤニス、こいつらは双方ともに男であるだけに、妙な想像が沸いてきてしまったせいだ。
ただサクラさんの言葉のみならず、そんなボクの反応もまた気に障ったらしい。
サワキは額へ青筋を浮かべ、血走った眼でボクらとアルマを睨みつける。
「んだとテメェ。その亜人のクソガキ、売り飛ばしてやってもいいんだぞ!」
「……やれるものならやってみなさい。その代わり、もし本当に手を出そうものならタダじゃおかない。腕の一本や二本で済むと思わないことね、その心臓を抉り取ってやる」
弱く幼いアルマへも向く恫喝の声。
それに対し流石にキレたか、サクラさんは笑顔の仮面を外し、寒気すらする冷たい視線で強い警告を発した。
これはきっと本気だ。たぶん実際にアルマへ手を出そうものなら、彼女は本当にこれを実行に移してしまう。
ただそんな恐ろしい空気の中、ふとサワキがやり玉に挙げるのが、アルマのことばかりであると気付く。
おそらくだが、サワキはサクラさんを恐れている。
直接やり合えばまず勝てない。そうとわかっているからこそ、直に彼女へと矛を向けないし、余計に苛立ちを募らせているのだ。
しかしこうも激昂していては、それを無視し殴り掛かってくるかもしれない……。
「あんたらいい加減に座りな! 話もできやしない」
ただこの睨み合いも、鋭く響く声によって中断される。
叫んだのは宿のカウンター奥で、酒用のカップを磨いていたクラウディアさん。
最初こそ静観していた彼女だが、一触即発の状態に口を出さずにはいられなかったようだ。
クラウディアさんの叱咤に、睨み合っていた両者は無言のまま背を向ける。
サワキとヤニスは隅にある席へ、サクラさんは静かにカウンターへと向かった。
「ゴメン、クラウディア。頭に血が上りすぎた……」
「まぁ、あれだけ言われちゃあね。でもサクラの方が強いんだから、もう少し余裕を持ちなよ」
「……面目ない」
呆れ混じりなクラウディアさんの言葉に小さくなるサクラさん。
実際にはクラウディアさんの方が年下らしいのだけど、これに関しては小言を頂戴して当然と考えたらしい。
ただ既に家族も同然なアルマを、恫喝の対象とされたのだ。
そのアルマは怯えきって、ずっとボクの服を掴み離そうとはしないし、サクラさんがやり返さずにいたとしたら、きっとボクが罵声を浴びせていたことだろう。
大きく息を吐き首を振るクラウディアさん。
彼女は気を取り直さんとばかりに、宿の一階へ響く声を発した。
「さて野郎共。……つっても勇者にも召喚士にも女は居るけど、まぁいいわ。心して聞きなさい」
サクラさんがサワキとやりあっていたこの場所、既に宿泊客である他の勇者たちも集まっている。
オリバーとカミラは所用で現在町を離れているけど、それ以外の全員、現在20名を超える勇者と召喚士たち。
クラウディアさんはその全員へと、今回ここへ集めた理由を切り出した。
「今回あんたたちを呼び出したのは他でもない、勇者支援協会本部から直々の依頼があったからだ」
「本部から……? こんな田舎町にか」
クラウディアさんの言葉に、この場に居合わせた勇者や召喚士たちは、意外そうな様子で囁き合う。
高く掲げたクラウディアさんの手には、数枚の紙が握られている。
それは彼女の言うところの、勇者支援協会本部からの依頼が書かれた物だ。
昨夜ボクがした予想通りではあるけれど、確かにこの地方の小都市に、協会本部が直接依頼をするというのは珍しい。
「ここカルテリオの西側へ、広大な森林地帯があるのは知ってるね」
「もしかして、"狂信者の森"のことか?」
「そうさ。今回本部から届いた依頼は、そこへ出現したとされる新種の魔物を調査すること。捕獲でも討伐でも、情報を持ち帰るだけだっていい」
クラウディアさんが読み上げた内容に、ボクは少しだけ納得がいく。
新種の魔物を調査するという依頼そのものは、そう頻繁にあるものではないけれど、稀に行われるとは聞く。
"黒の聖杯"と呼ばれる謎の現象は、常に何処かで魔物を生み出し続けており、その中には未知の種が混じっていることもあるからだ。
たぶんあの森へ行ったどこかの勇者が、これまで見たことのない魔物を目撃し、協会に報告をしたのだろう。
ただそれなりに強力な魔物であれば、協会が選抜した実力的に上位の勇者へ直接依頼がいく。
つまりこうしてカルテリオに届いたということは、そこまで脅威度の高い魔物ではないということだ。
ボクは高まりつつあった緊張を霧散させ、密かに安堵の息を漏らした。
「ねぇ、クルス君。私はあんまり詳しくないんだけど、危ない場所なの? "狂信者の森"だなんて、名前からして危険そうだけど……」
ひっそりと、耳元で訪ねてくるサクラさん。
そういえばこの町へ住んでしばらく経つけれど、町の西側へはあまり行くことがない。
「別にそんなことはありませんよ。やたら広いですけど、言ってしまえばただの森です」
「そうなの? 狂信者ってのは?」
「かなり昔、そういった集団が居たんですよ。といっても実際には無害な人たちだったみたいですけど」
カルテリオの西部に広がる森林地帯、通称"狂信者の森"は、あまり良い噂の無い土地だ。
理由は邪神崇拝を行っていた宗教組織が、生贄の儀式などを行う拠点を構築していたという噂が流れたため。
ただ実際のところは、自然崇拝をする教会の少数宗派が村を作り、そこで畑を耕していただけという情報が独り歩きしたものだった。
なのでおどろおどろしい名前に反し、そこは至って普通の森林。
ただ当然のことながら、魔物は出現するようだけど。
「報酬は1400万ディニア、これを参加者全員で山分けする。当然目に見える成果を挙げた者には、高い比率を振ってやるよ!」
「悪くない額だな。ここでの足場を固めるにはうってつけだ」
「参加しない手はないだろう。オレたちは行くぞ!」
揚々とクラウディアさんが告げた額に、勇者たちは色めき立つ。
20人以上居る全員が参加したとして、平均でひとり頭70万弱。
100万ディニアほどあれば、この町においては当面悠々と暮らせるだけの額。なのでかなりの好条件だ。
「どうします、ボクたちも参加してみますか?」
「本格的に冬が来る前に、もう少しだけ稼いでおくのも悪くはないかも」
「では決まりですね」
ここまで受けた依頼や魔物からの素材を売ったことで、懐事情はむしろ暖かい。
ただそれでも冬に向け、食料などを含め諸々が高くなっていく。
特に薪などは、件の"狂信者の森"から伐採した木材が多いため、あの場所を調査しておくことは町の人にとっての利にもなる。
「あちらさん、こっちへの対抗意識剥き出しみたいよ」
「え? ああ、そうみたいですね……」
サクラさんの言葉に反応し、チラリと視線を動かす。
その先に居たサワキとヤニスは、強い敵意を纏った目で睨みつけ、より成果を出すのは自分たちだと言わんばかり。
実際には協力しなければいけない相手だというのに、完全にボクらを敵と認識した様子だ。
「どうする? 売られた喧嘩だし私たちも張り合ってみましょうか」
「より成果を出した方が勝ちってことですね。少しやる気が出てきました」
ボクもまた先ほどのサクラさん同様、内心ではかなり腹が立っている。
ならばここで見返してやるのも悪くはないと、密かに闘志を漲らせるのであった。




