サムライと呼ばれし人 10
ボクらは翌日から早速、より沖に生息すると思われる魔物を狩るための準備を始めた。
とはいえその方法は単純明快。沖へ出た小舟から魔物の肉を撒き、少しずつ陸地へ戻りつつ引き寄せるというもの。
ようは自分自身を釣り針に見立てるというものだ。
ただ手漕ぎでは追いつかれ食われる危険があり、船は陸から引っ張るという手段に。
括り付けたロープを引っ張るのは、大型船の錨を下ろす時に使う機材を、少しばかり改良した物。
その準備を終えた早朝、僕は若干の異臭を放つ木箱を小舟に積み込み、海岸から押し海へと出る。
船を駆け押したボクは、勢いそのまま小舟へと飛び乗ると、背後の陸地へと軽く手を振った。
そこには微笑みながら手を振り返すサクラさんと、険しい表情をしたオリバーの姿が。
ボクはそんな2人へと向いたままで腰を降ろし、櫂を掴んで沖へと小舟を進めていった。
「あの、わたしも漕ぐから」
「いいですよ、カミラさんは座っていて下さい」
大きく櫂を漕ぐボクの背後から、カミラさんが覗き込みながら心配そうに告げる。
この小舟へ乗っているのはボクだけでなく、オリバーの相棒である彼女も同乗していた。
陸でオリバーが険しい表情をしていたのは、ここに理由がある。
「だけど……」
「こういう時は男が格好つけるものだって、サクラさんからも口を酸っぱくして言われましたから。大した距離でもないし、大丈夫ですよ」
軽く弾みつつある息をなんとか抑え、ボクは平然とした素振りを作って断言する。
その言葉に納得してくれたかはわからないけど、カミラさんは若干の躊躇を挟み、大人しく小舟の真ん中へと腰を降ろした。
サクラさんもオリバーも居ない小舟、そこにボクとカミラさんの二人だけ。
彼女がどうしてこの小舟に乗りこんでいるかと言えば、当人のたっての希望によるものだった。
全ての準備を終え、翌日には決行と相成ったその夜。
彼女は共に囲んでいた夕食の席で、自分も船に乗り手伝わせて欲しいと頭を下げたのだ。
「でもカミラさん、本当にどうして船に? オリバーと一緒に待っていても良かったんですが……」
こう言ってしまうと角が立つけれど、この作業そのものはボクだけでも行える。
移動し、餌を撒き、合図をして引っ張って貰う。あとは餌を撒きながら小舟に揺られるだけなのだから。
それを知っていてもあえてこう言ってきた以上、カミラさんには相応の理由があるはず。
昨夜はあまりその辺を語って貰えず、半ば熱意に押し切られた形になってしまったのだ。
「役に……、立ちたい。少しでも」
「オリバーのですよね? 今でも十分、彼を支えていると思うんですけど」
舟を漕ぎ沖へと出ながら、ボクはボソリと喋るカミラさんの話を聞く。
彼女自身は召喚士ではないけれど、同じ役割を担う以上その気持ちは痛いほどよくわかる。
ただここまで見た限りでは、彼女は陽気に過ぎるオリバーを抑え、上手くやっているように見えた。
「オリバーの目標、叶えるためにわたしも頑張らないと」
「目標、ですか?」
「彼、ブシになりたいんだって言ってるから」
少しばかり俯き加減なカミラさんの言葉に、ボクは一瞬漕ぐ手を止め首を傾げる。
カミラさんの話によれば、オリバーが彼女と二人だけの時に、度々する話題があるという。
その度にオリバーの口をつく"サムライ"というのは、サクラさんら勇者が生まれた国で大昔に存在した、騎士のような人たちを指すらしい。
今はもう居ないそうだけれど、オリバーはそれに憧れ"ニホン"へ渡り、そこで召喚されたのだそうな。
気高く、礼を重んじ、強くある。こちらの世界でもそんな存在になりたく、彼は勇者として活動しているのだと言う。
普段から陽気なオリバーの雰囲気とは少々違うけど、カミラさんはそんな彼を召喚士であった兄に代わり、横で支えたいのだと告げる。
「オリバーは、"サムライには良い妻も欠かせない"って言ってた。でもわたしはそう見てもらえない、だからせめて相棒として……」
「えっと、つまりカミラさんはオリバーのことを?」
オリバーが普段から言っているであろう言葉を呟く彼女に、ふと浮かんだ考えを問う。
するとカミラさんは僅かに頬を染め、小さく頷きそのまま顔を下げてしまった。
なるほどそういうことか。
これで彼女が無理を押してでも、こうして同行しようとした理由がわかった。
きっとオリバーは、彼女が一緒に陸で待っていても別に不満には思わない。
だがカミラさんにとっては、それでは満足も納得もいかなかったようだ。
「気持ちはわかります。ボクもサクラさんに認めてもらいたくて、必死ですから」
「……てことは、クルスさんも?」
「まぁ……、一応。あの人には絶対言わないで下さいね」
召喚士同士ではなくとも、ボクらは案外似た者同士であったらしい。
ボクのはどちらかと言えば、恋慕というよりも彼女に認めてもらいたいというのが先に立つのだけれど。
ただ気持ちとしては理解でき、彼女の心情に同意を口にすると、カミラさんは顔を上げ口をポカンと開く。
そして問うた内容に若干曖昧な肯定をするなり、小さな笑いを浮かべた。
「わかった。内緒」
「これがバレでもしたら、延々からかわれる破目になりますから。本当に黙ってて下さいよ?」
「大丈夫。絶対に言わない、わたしが忘れない内は」
そう言って含み笑いをするカミラさん。
ボクはなんとなく親しい友人が出来たような気になり、こんな状況だというのに、同じように小さく笑みを浮かべてしまう。
ただそんなボクらの姿を、陸から遠巻きに見ていたサクラさんは怪訝に思ったらしい。
大きく手を振ると、何事かを叫ぶような素振りを見せる。
つい舟を漕ぐ手を止めてしまったため、異常でも起きたのかと心配したようだ。
ボクは慎重に立ち上がると、問題ないという意味の手振りを返す。
そして座り直すと、再び櫂を手に目的の場所へと漕ぎ始めた。
少しして沖の方へと出ると、ボクは漕ぐ手を止める。
そこで立ち上がると、木箱にしてあった蓋を開けた。
「ここから始めましょう。ロープの長さも限界が近いですし」
「餌、撒く?」
「お願いします。少しずつでいいですよ」
餌に使う魔物の肉は、狩ってから一日以上が経つためかなりの臭いを発している。
そのためかなりの悪臭がしているけれど、魔物を呼び寄せるにはこのくらいの方が良さそう。
カミラさんが乗り気であるためそちらは任せ、ボクは警戒に専念することにする。
魔物が引き寄せられたと判断したら、すぐ陸へ合図し引っ張って貰うためだ。
これから始めるという合図を、遠く見えるサクラさんたちへと送る。
すると向こうからも了解の合図が返ってきたため、待機するカミラさんへと頷き餌を撒き始めた。
「さて、目的の魔物が出てくれればいいけれど……」
「どんなのか、誰も知らないんだよね?」
「オリバーが見つけた文章にも、魔物の姿とかは一切書かれてませんでしたからね。出て来てからのお楽しみです」
件の鉱石が採取できるという魔物に関する情報は、彼が役場から発見したという古い文章のみ。
ただそれも走り書きのような物で、当時の勇者がしたメモに近い代物だった。
どんな姿であるか、そして対処法なども記されておらず、ボクらは手探りで討伐しなくてはならない。
「……不安」
「だ、大丈夫ですよ。サクラさんもオリバーも、勇者としては腕が立つ方らしいですし」
となれば当然、この暗い海の底で潜む存在に対し抱く感情など決まっている。
恐怖や不安感に肩を震わすカミラさんは、餌を撒く手を止めそうになっていた。
ただそれでもオリバーの役に立ちたいという方が強い感情なのか、すぐに意を決して餌を撒き続ける。
そんな彼女の様子に安堵しつつ、ボクはジッと海面を窺い続けた。
ほんの少しの異変も漏らさぬよう、餌に魔物が反応したのを見逃さぬように。
すると少しして、海面の波が僅かに荒れるのを感じる。
それが潮の満ち引きによるものではないと感じるなり、ボクは大きな素振りで陸へ向け大きく手を振った。
「クルスさん」
「わかっています、振り落とされないでくださいね!」
カミラさんもまたその異変に気付いたようで、餌を放りつつも片方の手は船の縁をしっかりと掴む。
直後陸から伸びたロープがピンと張られ、ボクらの乗る小舟は一気に引っ張られていく。
ただ視線を後ろの方へとやると、そこには大きな水飛沫が舞い立ち昇る。
中にはなにやら赤い色が見え隠れし、こんな小舟など飲み込んでしまわんばかりな、魔物の巨躯が姿を現そうとしていた。
「近付いてきます、……追いつかれる!?」
悲鳴にも似たカミラさんの声。
見ればそいつは餌を撒くこの小舟へと、猛烈な早さで迫りつつ飛沫をあげていた。
ロープによって引かれ徐々に陸地は近づいているけど、それでも迫る魔物の方が少しだけ早い。
ボクは砂浜に居る二人へと、もっと早くと合図を送る。
するとサクラさんとオリバーは、置かれた機材のハンドルを勢いよく回し、ロープを巻き上げていく。
「このままだと危険です、餌を撒くのを止めてください!」
「で、でも。……わかりました」
陸に辿り着くのが早いか、それとも追いつかれ船を沈められるのが早いか。
おそらく半々程度の可能性を分が悪いと感じ、カミラさんへと餌を撒くのを止めるよう告げる。
彼女は一瞬だけ躊躇するも、命には代えられないと考えたか、手を止め迫る魔物へと注視する。
だが餌が投下されなくなっても、魔物の迫る勢いは落ちない。
おそらくヤツはもう、この小舟そのものを餌と認識しているようだった。
こうなればもうあとは賭けだ。追いつかれぬよう祈り、引く2人を信じることしかできない。
「掴まって!」
ジワリジワリと距離を詰められていく。
ただほんの僅かに、ボクらが陸地へ辿り着くのが早かった。
カミラさんへと叫び小舟の上で踏ん張ると、砂浜へと突っ込んでいく衝撃が小舟を襲う。
ただ思いのほか勢いがあったようで、ボクらは揃って砂浜の上へと投げ出されてしまった。
白砂の上を転がり、全身を白く染め上げていく。
柔らかな場所なので怪我もなさそうだけど、口の中へ入った砂の感触に辟易し吐きだし、振るいながら顔を起こす。
そうして目を空けた先に居たのは、赤い巨躯を持ち上げた異形の姿であった。