サムライと呼ばれし人 06
竿の先端から海へスッと延びる糸。
それを見つめながら、ボクは時折竿をクイと引く。
僅かに浮が振れる、引く。振れる、引く。その繰り返しだ。
「タイミングを逃さないようにね」
「了解です。……準備はいいですか?」
既に立ち上がり、射るための矢を準備しているサクラさんの言葉へと、若干の緊張を纏いながら答え問う。
彼女が簡潔に「大丈夫」とだけ告げるのを聞くと、ボクは再び目の前の竿へと集中を始めた。
海へと魔物を求め早3日目。
その間に得た経験に基づいた、魔物を吊り上げるための釣り方がこれでだ。
いや、釣り方というと少々語弊があるようにも思える。
釣るというよりは、引っ張り出す。あるいは誘き寄せるという言葉が適切かもしれない。
普通の魚と同じように釣り上げようとしても、余りにも強い魔物の力と重量によって、早々に糸や竿が限界を迎えてしまう。
それこそ初日の初回に失敗したのと同じように。
ならばいっそのこと、釣るという発想を捨て去ってみようという話になったのだ。
「いいよ、その調子。引いて」
サクラさんの声に反応し、餌に釣られた魔物が針先の餌を突いた瞬間を逃さず、竿を引いて距離を離す。
それを追いかけて来た魔物が再び。……と、この繰り返し。
やはり釣りとは言えない方法だけれど、これが魔物を陸に誘き寄せるには最適な方法。
実際これによって、ここまで2体の魔物を引っ張り出している。
そうこうしている内に、陸地に近づいた魔物がその姿を現し始めた。
巨大な鋭い刃。それを腕に持つ赤黒い肌をした魔物が、杭の如き6本脚を地面に突き刺しながらこちらへと向かってくる。
やつは頭部に付いた長い触角をたわませ、口からは泡を吹く。
今まで釣り上げた2体とは異なる姿を持つ魔物。さながらその姿は……。
「……ザリガニね」
「エビの仲間かなにかですか?」
彼女の言うザリガニなるモノをボクは知らないけど、たぶんあちらの世界に生息するエビの仲間かなにか。
大きなハサミと赤黒い甲羅など、確かにその特徴はこの町でも度々水揚げされる、大きなエビに酷似している。
火で炙ればさぞや真っ赤に変わってくれることだろう。
「でもザリガニって海に居るもんだったっけ?」
「ボクはそれを知らないので何とも……」
「実はザリガニじゃなくて、ロブスターとか伊勢海老とかなのかしら……」
眼前に魔物が迫りつつあるというのに、ボクらは随分とノンビリした会話を続ける。
彼女の独り言のような言葉から判断すると、件のそれは淡水の生物であるようだ。
似たような姿をしながら住む場所が異なる生物というのも、確かにこちらにも存在はするが。
「でも何にせよ、ちょっと美味しそうよね」
「一瞬そう思いましたけど、ここまで大きいとどうなんでしょう?」
ボクはこの町に来て、人生で初めてエビというものを口にした。
それ以降かなり好みの食感というのもあって、頻繁に食堂などで頼んではいる。
しかしそれは大きくとも、精々が腕に収まる程度のもの。
決して目の前に立ちはだかる、サクラさんの数倍以上という体躯を誇る化け物ではない。
「甲羅、硬そうですね。弓ではちょっと不利かもしれません」
「大丈夫よ、そんな時のために用意していた物があるんだから。ほら、早く出す」
サクラさんの急かす言葉に、ボクは急いで近くへ置いていた矢筒を拾う。
そこに納められているのは、高強度の外殻を持つ魔物などを相手とする際に用いられる、分銅が据えられた矢だ。
大型の魔物は固い表皮を持つ存在も多く、そういった相手と遭遇した場合に備え、鍛冶師のフェルナンドに相談し作ってもらった。
ただ普通こんな物を射ようとすれば、先端部の重さによって碌な飛距離が得られない。
それでも用意したのは、サクラさんが持つスキルであれば、ある程度矢の軌道も補正できるという理由だ。
「そんじゃ、試してみましょうか」
サクラさんはそれを番え、これといって敵対行動を取ろうとはしない魔物へと向けて射る。
狙い違わずと言っていいものか、然程動きを見せぬエビ型の魔物の脳天へとその矢は飛び、重い音と共に命中した。
グシャリという音がし、その頭部は細かい破片と共に甲殻をまき散らす。
矢は突き刺さらずにそのまま地面へと落下し、落ちた先の石を荒く破壊する。
それにしてもあんな重量の矢を、よくもまあ易々と射れるものだ。
「来るよクルス君!」
どこか呆然としながら、物体の重さなどを無視した出鱈目な攻撃を仕掛けたサクラさんを見ていると、彼女から叱咤とも言える声がかかる。
その声にハッとして前を向くと、先ほど頭部の一部を破壊された魔物が上体を上げ、片方の大鋏を振り上げている状態だった。
あわててボクは後退し、その一撃を回避する。
振り下ろされた一撃は、鈍い音と共に足元の岩場を破壊し、欠片は四方八方へと散らばっていく。
危ない。サクラさんの言葉が無ければ、ボクもあの岩場と同じ運命を辿っていた。
もしそうなっていたらきっと魔物の赤黒い身体は、一層その色を濃くしてたはず。
ただなんとか無事に回避するも、その代償はそれなりに払う破目となってしまったようだ。
「ああっ! ボクの釣竿があああ!」
何ということであろうか。
ボク自身は無事であったものの、宝とも言える釣竿は代わりに犠牲となってしまう。
狩りの最中に呆けていたボクが悪いのだが、自身の趣味のため持っていた釣竿は木端微塵。
最近買い換えたばかりの釣竿は粉砕され、哀れ岩共々自然の一部へと還っていくのであった。
ボクが自由に仕えるお金の範囲で、可能な限り良い材料を使った釣竿を購入したのだ。
その衝撃は言うまでもない。
「や、やっちゃって下さいサクラさん! 大切な釣竿の仇!!」
「……いや、ボケッとしてた君が悪いんだからね?」
なかなかに鋭い……、というか至極当然なツッコミを頂戴する。
ただ仇はともかくとして、どちらにせよ倒さねばならぬ相手。
サクラさんは何度か分銅付きの矢を射て、頭部の甲殻を破壊していく。
魔物もそれなりに抵抗するが、やはり水棲の魔物であるが故か、あまり素早くは動けずにいた。
逆にそんな状態の魔物相手に、竿を犠牲にしてしまったボクが情けないとも言える。
「クルス君、普通のを頂戴!」
魔物の攻撃半径から逃れ、何本かの矢を射たところで、サクラさんはボクへと指示を出す。
随分と簡潔な内容ではあるが、普通のというのはおそらく、普段使っている何の変哲もない矢を指している。
その指示を受け、ボクは慌てて矢筒の置かれた場所へと走り、拾い上げる。
振り返ると、今はもうサクラさんは矢を射たりはせず、魔物の攻撃が当たらぬ距離を保つばかり。
おそらく理由としては、今使っていた分銅付きの矢が少々お高めであるというのが一つ。
もう一つの理由としては、出来るだけ傷の少ない状態で仕留めたいというのがその理由だった。
なにせ初めて見る魔物。どの部分にどういった利用価値があるのか、判別しなければならない。
「受け取ってくださいっ」
悠然と距離を取る彼女へ向けて、手にした矢筒を放る。
彼女はそれを振り返りもせず片手で受け取ると、ゆったりとした動作で矢を番え、振り回されるハサミの間を縫って射た。
そこまでの攻撃によって大きく空いた頭部の穴へと吸い込まれ、見えなくなるほどに深々と突き刺さる。
しばしそれに気付かぬかのように鋏を振り回していた魔物も、次第に鈍り動きを止めていく。
普通の動物型の魔物であれば、脳をやられた時点ですぐ動きを止める。
だが魚類はどうにもこの辺りの動きが予測もつかない。昆虫ほどではないけれど。
「……ようやく倒れてくれましたね。早速解体しますか」
完全に動きを止めた魔物へ近づき、ボクは解体を始めるべく腰へ差した短剣を手にする。
この大物を一人でやるのかと、少々うんざりし始めていたのだが、ふと横を見ればサクラさんも手に短剣を握っていた。
ボクが首を傾げると、彼女は「どうかした?」と言わんばかりの表情を浮かべ、眼前に倒れた魔物の関節へ短剣を突き立て始める。
「ほら、サッサと解体して持って帰るわよ。あんまりぐずぐずしてると奴らが現れるんだから」
「は、はい!」
急かせる彼女の言葉に従い、同じように魔物の関節へと短剣を突き立て、パーツ毎に解体を始める。
そういえば、昨日倒した魚に近い形状の魔物に対してもこうであった。
普段動物や昆虫型の魔物を解体する時には、あまり自ら積極的にやろうとはしないサクラさんではあるが、どうにも海の生き物に関してはそれが平気であるらしい。
この辺りの感覚は、いまいちボクには理解しかねる。
魔物の解体を進め、荷車へと乗せられるだけ乗せたボクらは町への帰路に着く。
とりあえず大きな鋏と甲羅の一部、そして巨体を支えていた強靭な脚と一部の身を乗せて。
荷車に乗りきらない大部分は、残念ながら海へと還した。
そこいらに放置して、余計なモノを呼び寄せても困るからだ。還した部分は他の魔物の餌となっていくのだろう。
「でもこれを見る限りだと、本当にエビそのものね」
「身も普通に白いですし。サクラさんの言う通り、段々と美味しそうに見えてきました」
荷車の上に乗せた魔物の一部を見て、ボクは素直な感想を漏らす。
サクラさんが言っていた通り、大きさという問題を別にすれば、普通にエビの身とそう変わるところのない見た目をしている。
このまま火に放り込むだけでも美味しそうだ。
「……まだダメですよ? 安全の確認ができてないので」
瞳を爛々と輝かせ、身を削るための短剣を手にしたサクラさんへと、念のために釘を差しておく。
この後で町の中へと持ち込み、然るべき手段で食用が可能か調べなくてはならない。
彼女は小さく舌打ちめいた動作を見せ、ボクへと「冗談に決まってるでしょ」と返す。
はて、いったいどこまで冗談であったのか。
ボクは若干の疑惑と共に、サクラさんと周囲を見張りながら町へと戻っていくのであった。