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遺伝 04


「これが……、男用ですか?」



 翌日の朝食後。

 早速温泉を堪能するために町へと繰り出したボクらは、まず最初に湯浴み着を手に入れるための店へとやって来た。

 そこで大きさごとに積まれている物を手にし、意気揚々と広げてみるのだけれど……。



「これ、ただの腰巻きですよね」



 手にした湯浴み着を見てみるも、それは服とは名ばかりなただの布きれ。

 端の方へと辛うじて、もう一方を留めるためのボタンが設えているだけの。


 これだけを着用して人前で入浴しろというのは、何とも心もとない。

 なにせもしこのボタンが壊れてしまえば、全てが衆目に晒されてしまう。



「いいじゃねえか別に。別に見られて困るもんでもないだろう」



 ガハハハと大きく笑いながら、ボクの背をバシンと叩くゲンゾーさんは、それに対してさほど気にする様子もない。

 彼は気にしないのかもしれないけれど、ボクの方はあまり見られたくはないので正直困る。



「ねえねえアルマ、こっちはどうかしら? この色なんて似合うと思うんだけど」


「でも黄色もかわいいよー?」


「じゃあ両方買っちゃいましょ。たぶんまた着る機会もあるでしょうし」



 簡素な布きれを手にするボクとは異なり、すぐ横で湯あみ着を選ぶサクラさんとアルマは随分と楽しそうだ。

 彼女らの手にされた女性用の湯浴み着は、男の物とは異なり上は半袖のシャツ、そして下はショートパンツ。

 当然のことながら、男物に比べると隠す面積が格段に多く、その用途を十分に果たしてくれそうであった。


 会話からも察する事が出来るように、色も複数取り揃えている。

 黄色、白、黒、赤、緑と色とりどりで、好みの色を選べるという選択肢が存在する。

 一方の男性用はというと、黒と白の二色のみ。この格差はいったいなんなのだろう。



「諦めてどっちか買ってきな。他所の店も似たようなもんだ」


「せめてもう少し長いのは……」


「無い。男は黙って腰に手ぬぐい一枚巻いてりゃいいのさ、ボタンが付いてるだけマシと思いな」



 振り返り念の為確認するも、ボクの希望はあえなく打ち砕かれる。

 そのため渋々と黒いそれを一点手に取り、店員へと告げ会計を済ませた。


 だが特別高級な布を使っているわけでも、意匠に凝って作られているでもないそれが、普段ボクが着ている服一式と同程度の価格。

 魔物の討伐や今回の報酬によって得た金銭があるため、一応は問題ない額だ。

 けれど普通であればかなり躊躇われる価格なだけに、断腸の思いであった。



「まぁ、ここに来るのは大抵が勇者か王都の金持ちだ。物価も高いわな」



 そう言うゲンゾーさんは、少しばかり皮肉めいた表情を浮かべる。

 なるほど流石は富裕層ばかりが集まる保養地、金銭感覚が一桁二桁異なる。

 先ほどまでサクラさんの機嫌が良くなるのであれば、度々来ても良いだろうかと思っていたのだけれど、この様子では宿代だけでもかなりの費用が必要となるようだ。

 後で確認しておこうと思っていたが、今はクレメンテさんにかかった費用を問うのが恐ろしかった。



 折角湯浴み着を手に入れるも、思考の中にはひたすら数字がチラつき、肩を落としながら予約した浴場へ。

 そうして辿り着いたのは、数人で使うには少々広すぎると思える程の場所だった。


 岩を組んで造られたと見られる浴槽に、薄く削り出したタイル状の石が敷き詰められた床。

 天気は快晴で雲一つなく、上を見上げればどこまでも続いていくかのような空。……つまりは屋外だ。



「天気もいいし、絶好の温泉日和ね。冬場に雪が降る中でってのも好きだけど」


「そうですか。……というかボクは湯が外にあるとは思ってもみませんでした」


「何言ってんの。露天に入らずしてなにが温泉旅行よ」



 シンプルな黒染めの湯浴み着を着たサクラさんは、青い空を仰ぎながら断言する。

 上半身と腰のみを隠し、長い四肢を晒した彼女の姿が目の毒だ。

 ただサクラさんと同じ、黒の湯浴み着を着ているという点が、少しばかりボクの心を浮足立たせる。


 今この場に居るのは、ボクとサクラさん、そしてアルマの3人だけ。

 ゲンゾーさんとクレメンテさんに関しては、ボクらがゆっくり出来るよう気を使ったのか、他のお客も居る貸切でない共同浴場へと向かって行ったため別行動。

 こうまで厚遇してくれると、ちょっと申し訳ないように思えてくる。


 早速サクラさんは木桶に湯を掬い、幾度か身体にかけていく。

 そうして肌へ張りついた湯浴み着に、ボクが赤面し視線を逸らしていると、彼女はそうっと湯へ浸かりボクを手招きした。



「なに恥ずかしがってんの、早く来なさいって」



 あちらの世界の人間であるサクラさんなどはともかく、ボクはこういった場の経験が少ない。

 しかも女性と一緒だなんてと、どうにも気恥ずかしさを覚えてしまうのは、仕方がないのではないだろうか。

 どことなく落ち着かない気持ちになり、少しだけ身体を縮ませてしまう。

 ボクは着替えてからここまで、本来湯上りに身体を拭うための布を身体へ巻きつけている。ひとえに気恥ずかしさによって。



「そんなこと言われましても……」


「別に誰も気にしやしないわよ。堂々としなさい」


「あ、ちょっと!」



 と言って、サクラさんは湯の中から手を伸ばし、ボクの被っていた布を引っぺがす。

 そうして湯浴み着という名の腰巻き一枚となったボクを、サクラさんはジッと凝視した。


 ボクは自身のとても筋肉質とは言えない身体を、少しだけ切なく思う。

 もうちょっと男らしいガッシリとした身体であれば、恥じることなどなかったのだけれど。

 などと考えるボクであったが、なにやらサクラさんは困った様子を浮かべ、ボソリと呟くように告げる。



「クルス君。君は一人で温泉に……、ていうか男湯には行かないこと。いいわね」


「へ?」


「……こんなの男湯に放り込んだら、何されるかわかったもんじゃない」



 言っている意味がよくわからない。

 男であるボクが、男性用の浴場に入って何か不都合でもあるのだろうか。

 疑問ばかりが頭に浮かぶボクに、サクラさんは申し訳なさそうに言葉を次ぐ。



「ゴメンなさい。私が悪乗りしちゃったせいよね、きっと」


「どういうことですか?」


「だってクルス君、肌が白いし細いし。仕草なんて女装が板についてたせいか、妙に女の子っぽいんだもの。……襲われるわよ、男に」



 聞いている途中から、その内容にボクは憮然とする。

 ボクの身体が騎士団員としては、かなり貧弱であるというのは認めよう。

 つい最近男に迫られたりはしたような記憶はあるが、それだってボクが女性のふりをしていたからに他ならない。

 いくらなんでも男湯で男性用の湯浴み着を着ているという、明確に男であると主張した状況で襲われるなど有りはしないはず。


 仕草が云々というのは、少々身に覚えがあるので耳を塞ぎたいところではあるけれど。



「またまたそんな冗談を。先に身体を洗ってきますね」



 ボクは話を逸らすためにそう言うと、サクラさんの「冗談じゃないのに」との言葉を背に受けながら、身体の汚れを落とすための洗い場へと向かう。


 洗い場に置かれた小さな木の椅子へと腰かけ、湧き出している湯を桶に汲んで身体にゆっくりとかける。

 少しだけ熱いその湯に身体が悲鳴を上げるも、何度か繰り返してくる内に慣れてきた。



「なんていうか、湯をこうも使えるなんて贅沢です」


「カルテリオでも温泉が湧いてればいいのにね。でも森は近くにあるから沸かす薪には事欠かないし、案外お風呂は作れるかも」


「大量の真水を使うってのが難しいですよ。新しく井戸でも掘れれば別でしょうけど」



 温かさに気が緩むボクへと、サクラさんは湯へ浸かりながら深く息を吐く。

 彼女はどうやら、この小旅行を終えて町へ戻ってからも、湯を堪能する術を模索しているようだ。


 ボクらの我が家がある港町カルテリオは、大量の水を前にはしていてもそれは海水。

 使えないことはないと思うけれど、きっと温泉には到底敵わないはず。

 井戸を掘れば真水を得られるかもしれないけれど、それだって決して安くはない。



「なら井戸を掘ってもらうしかないわね」


「本気ですか? 一応頼めるだけの予算はありますけど……」


「当り前よ。温泉なんて入っちゃったおかげで、俄然やる気が出てきた」



 青空のもとで入る湯は、サクラさんの欲求に火を点けたらしい。

 クレメンテさんから受け取った報酬はかなりの額だし、専門の人に委託するのは問題ない。

 もっとも水を汲み上げるところも含め、一度入るための苦労は並大抵ではなさそうだ。


 ただそれはそれで悪くはないか。サクラさんのやる気が増してくれるなら、安い買い物と言えそうなのだから。

 そのサクラさんは湯から一度上がると、アルマの手を引き適当な椅子へと腰を降ろす。



「ほらアルマ、背中流すから上脱いで」



 彼女はアルマと前後に並ぶと、手にした布に石鹸を押し付け泡立て始める。

 基本的に高級品である石鹸など、そう易々と仕えるものではない。

 その見た目と泡の感触にはしゃぐアルマの背へと、サクラさんは穏やかな表情で布を滑らせていた。


 ボクも同じく身体を洗っていると、一通り洗い終えたのか湯を流す音が聞こえる。

 そして楽しそうなアルマは、次いで自身も同じことをやってあげようとしたようだ。



「サクラのせなかも洗ってあげるねー」


「そう? それじゃお願いしようかしら」



 その会話に、ボクは自分の意識が集中するのを自覚せざるを得なかった。

 先ほどアルマの背中を流している時もそうであったが、女性用の湯浴み着の構造上、背中を洗おうとすればどうしてもそれを脱ぐしかない。

 つまりサクラさんが洗われる側になるということは、あの黒い湯浴み着を……。


 急に沸き上がった邪な想像は、必死に抵抗する理性を平然と押しのけ、一瞬だけ視線を動かしてしまう。

 するとボクの目には、上半身に何も纏わぬ状態となったサクラさんの背中が映った。


 心臓が跳ね上がり、首ごと視線を逸らす。

 激しい動悸と共に頬は熱を持ち、細身ながらも女性的な線が目に焼き付いて離れない。



「どうしたの、クルス君?」


「い、いえ! 別になんでも……」



 硬直するボクの様子を不審に思ったか、サクラさんは身体の泡を落とすなり、近付いて声をかける。

 恐る恐るそちらへと顔を向けると、彼女は当然のように再び黒い湯浴み着を纏い、怪訝そうな表情をしていた。



「そう? クルス君も湯に入りなよ、気持ちいいからさ」



 彼女なりに気を使ってくれているのだろう。ボクも早く湯に入るよう勧めてくる。

 と言われても、今のところボクはそうもいかないのが現状だ。

 浸かるのがイヤな訳でも、湯の熱さにのぼせた訳でもない。ただ、今は立ち上がると非常にマズい。



「ボ、ボクはもう少し涼んでから……」


「のぼせるほど湯に当たってもいないでしょ。折角温泉に来たんだから、堪能しないと勿体ないわよ」


「え、ちょっと!?」



 きっとサクラさんは、良かれと思ってした行動に違いない。

 手を取って強引に立ち上がらせると、そのまま湯の方へと引っ張っていく。

 その間ボクはといえば、手にした布で必死に彼女の視線から一部分を隠し、連れて行かれるがままになっていた。

 こうなったら仕方がない。このまま隠した状態で湯へと入り、なんとか治まってくれるのを待つしかない。


 しかし、その目論みは儚くも崩れ去ってしまう。

 踏んだ場所が石鹸の泡で滑り易くなってしまっていたのは、誘惑に負け視線を向けてしまった罰なのだろうか。

 滑らせた足を放り出すように、尻餅をつく状態でボクは後ろへと倒れてしまう。

 下に敷かれた石のタイルへと強かにぶつけ、骨に響く程の痛みを覚え臀部を押さえる。



「ちょっと大丈夫? 気を付けなさいよ、遊びに行った先で怪我なんて洒落になら――」



 転んだボクを心配してくれたのか、それとも呆れたのか。

 労わりと苦言が混じった言葉をかける彼女の言葉であったが、どういう訳かそれは途中で途切れる。


 尻餅付き、痛みに薄く涙目となるボクを、目を細めて見下ろすサクラさん。

 いったいどうしたのだろうと思っていると、彼女はゆっくりと口を開いた。



「そういえばオッサンから聞いたわよ。クルス君て半分は日本人の血が入ってるんだって?」



 彼女がオッサンと呼ぶのは、往々にしてゲンゾーさんに対してだ。

 確かにボクは以前ゲンゾーさんに対し、父が勇者でありボク自身半分はニホン人の血が入っていると教えた事はある。


 ここまで話す切欠がこれといって無かったため、彼女にはそれを直接話した事は無い。

 別にそれを知られたからといって不都合はないので、ゲンゾーさんを非難するつもりもないけれど。

 だが今この時に、急にそんな話を持ち出してくるというのは、どういう意味なのだろうか。



「ええ、そうですけど……。どうかしましたか?」


「いや、それなら納得だなって。まぁ、日本人の何割かはそうだっていうし、あまり気にすることはないわよ?」



 いったい何の話をしているのだろうか。

 どうにも言葉の意図を測りかねたボクは、彼女の細めた瞼の奥にある瞳から、視線を辿っていく。


 スッと伸びた視線の先、ボクの顔よりも更に下へと目を向けると、……そこには何もなかった。

 いや、本来"有る"べきものは存在するのだが、それを隠すべき最後の壁が存在していなかったのだ。

 視界の端には、隠すためにそれを留めていたボタンが落ちている。


 ここに至り、ようやくボクは理解した。

 必死にこの状態を否定する言い訳を考えるが、どうにも上手く言葉が浮かばない。

 急いで手にした布で普段より威勢の良いそれを隠し、サクラさんを再びソッと見上げる。

 だが彼女は慌てふためくボクとは異なり、これといって取り乱す様子もなく、口元に手を当て言葉を次いだ。



「ドンマイ。代わりに心の方"は"大きく持てばいいじゃない」



 サラリとした、爽やかな笑顔を湛えて放たれた言葉。

 それはさながら彼女が射る矢のように、ボクの心を深く深く抉るのであった。



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