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遺伝 03


「いつもご利用ありがとうございますゲンゾー様、クレメンテ様。従業員一同、心よりお待ちしておりました」



 前もってクレメンテさんが手紙を送り、予約していたという宿。

 そこへ入ったボクらを出迎えてくれたのは、板張りの床へと膝を突き、触れんばかりに深く頭を下げた中年女性だった。


 貫頭衣とは異なるのだろう。一枚の大きな布で作られたような、色鮮やかな衣服を身に纏っている。

 町並みと同じく、ボクがこれまで見た事の無い姿や行動。

 これもニホンと呼ばれる場所の文化、それを反映しているのかもしれない。



「おう女将、しばらくぶりだな。久しく見ないうちにまた女に磨きがかかったようじゃねえか」


「そう言って頂ければ光栄です。ゲンゾー様も暫くいらっしゃらないうちに、随分と男振りが良くなられまして」



 ナンパなんだか社交辞令だかが混じったような会話。

 オカミと呼ばれた女性がゲンゾーさんへかけた言葉は、おそらく社交辞令に含まれるものなのだろうけど。


 ひとしきりの挨拶を終えたその女性に促され、板張りの廊下へと進む。

 先を歩くゲンゾーさんたちが、履いている靴を脱いで上がるのを見て首を傾げるも、サクラさんも同様に履いているブーツを脱ぐ。

 珍しい作法だとは思うけれど、どうやらこの先は靴を履いて進むのが禁止となっているようだ。



 廊下を進み通された部屋は、ここまでとは異なりそれほど物珍しい作りをしてはいなかった。

 広めで上等ではあるが、これといって変わった様子のないベッドに、歓談のために据えられたであろう黒皮のソファー。


 ボクらが普段使う宿よりも、遥かに上等でゆったりとした部屋ではある。

 しかしボクが想像する範疇通りな宿の風景で、そこは逆に肩透かしを食らってしまった。



「さすがに和室にはなってないのね」


「ああ、イグサが手に入らないせいで畳が作れんからな。それだったら無理に合わせずに、こっちの様式通りにしようってことだろ」


「ちょっと残念。それに掛け軸がチグハグに見えるけど、悪くはないかも」



 やはりこの客室に関しては、向こうのそれと若干異なるらしい。

 どうしたところで異界では手に入らぬ物があるようで、そこは諦めこちらにある物で代用することにしたようだった。

 ただそんな中でもサクラさんが、僅かに見られる故郷のそれと似た光景に、頬を緩めているのが少しだけ嬉しい。



 結局部屋割りはサクラさんとアルマ、ゲンゾーさんとクレメンテさん、そして寂しいことにボクだけの部屋となった。

 予約だけはしていたらしいけれど、夏時期は繁忙期であるとのことで、3人以上で泊まれる部屋はとっくに埋まっていたとのことなので仕方がない。

 一旦各自の部屋へ荷物を置くと、出たところで全員と合流する。



「料理に関しては少しだけ期待していいぞ。完全な日本食とまでは言わんが、この町では再現したもんが食えるからな」



 そう言うゲンゾーさんの言葉を聞くと、少々楽しみに感じてしまう。

 ボクは当然のことながら話に聞くだけで、あちらの世界での料理というものを食べた経験がない。

 サクラさんが食べて育ったというニホンの料理。それへの関心は、話を聞くたびにつのっていた。


 はやる気持ちを抑えきれず、そそくさと食事が用意されているであろう食堂へと向かうと、廊下で何人か他の客とすれ違う。

 その人たちは細かい部分では異なるものの、最初に応対してくれた女性とよく似た格好をしていた。



「……変わった格好ですよね。あれもあちらの世界で使う衣服なんですか?」


「あっちの世界でって言うよりも、私たちの国にある服装ね。普段使いというよりは、もっぱらこういう温泉地で着る物だけど」



 町へと入ってから、宿へと来る道中も多くの人を見かけた。

 この地へとやってきた観光客たちもまた、一様に大きな布を羽織るような衣服を纏っていた。

 サクラさんがユカタと言うその格好は、さほど薄着には見えないのだけれど、どこか涼しげな雰囲気を漂わせている。


 建物一つ、纏う衣服一つ取ってもボクの知るものとは大きく異なる。

 これがあちらの世界、サクラさんたち勇者が故郷とする国の景色に近いのだと思うと、どこか感慨深く思えてならない。



 そんな思考に浸りつつ、揃って食堂へと足を踏み入れる。

 少しばかり背の低い椅子へ腰かけると、注文もしていないのに小さな皿に盛られた料理が、卓を埋め尽くさんばかりに所狭しと運ばれてきた。



「この手の旅館には何度か泊まった経験があるけど、刺身の類が一切出てこないってのは初めての経験ね」


「ここは内陸だからな、そこは我慢するしかねえさ。ここいらの川魚に手を出す訳にゃいかねぇしよ」



 一口サイズの副菜や、小さな熱した小鍋で煮ている肉など、料理の種類は多種に及ぶ。

 食材そのものに目新しさは感じられない。けれど見た目は全体的に色鮮やかで、王都近郊で採れる食材だけで作ったとは思えぬほどだ。



「それでだ、ここの食事最大の目玉といえば、やはりこれだろうよ」



 得意気に、ゲンゾーさんは卓に並べられた料理の中でも、最も目立つ位置に置かれた一つの料理を指さした。

 それをサクラさんはジッと眺め、ふむと小さく呻ると若干感心したように呟く。



「……すき焼きね」


「そう、すき焼きだ! 我らが祖国における素晴らしいご馳走、すき焼き様だ!」



 サクラさんの呟きに大いに満足したのか、ゲンゾーさんは椅子から立ち上がり、天井を仰ぎながら絶叫する。

 料理が出てくるまでの間に頼んだ酒で、既に完全に出来上がってしまっている。この妙に高いテンションはそのためだ。


 食堂とは言うものの、ここはボクら5人が使うのに丁度良い広さの個室。

 他のお客にこの醜態を晒さずに済んだのはありがたい。


 そんなゲンゾーさんは自身の大声など気にもせず、向こうの世界における食器なのだろう、2本の細い棒を手にする。

 そして掴んだ細い棒を器用に片手で扱うと、サクラさんの前に置かれた小皿へ煮込まれた薄切りの肉を放り込んだ。

 マジマジと眺めるサクラさんは、すぐさまそれを口に運び、幾度かの咀嚼の後に飲み下しゆっくりと口を開く。



「うん、たぶん……、すき焼きなのかな」


「ダメか?」


「確かにそれっぽいんだけど、なにかが違うのよね。……醤油が原因かしら? ていうかよく手に入ったわね」



 スキヤキとかいうこの料理、向こうの世界における料理らしいけれど、どうやら彼女が知っている味とは少々異なるようだ。

 そういえば以前にゲンゾーさんから聞いたことがある。

 件のショーユなる品は、こちらでの製造を試みるも難航しているのだと。



「この近くに在る町で試験的に作っててな。こうやって勇者が泊まりに来る度、試食も兼ねて出しとるんだ。ちなみに開発費用は有志の勇者一同による寄付で賄っとる」


「相変わらず、食への拘りハンパないわね日本人……」



 そのスキヤキとかいう料理を、ボクも試しに一口食べてみる。

 ……なんというか、不思議な味だ。

 塩辛いのに、甘い。料理に砂糖が使われているようだけど、肉に砂糖を使って味付けするなんて初めて。

 おまけに変わった風味もするし、知らないはずなのにどこか懐かしさを感じる。

 案外、嫌いじゃないかも。


 ゲンゾーさんもテーブルに置かれた、試作品のショーユのみが入れられた容器から少しだけ取って舐める。

 だがやはり彼も満足とはいかないようで、サクラさんと似たような反応を示していた。



「まだまだだな……。ただこれでも昔に比べれば、随分とマシになったもんだ。材料はほとんど同じ物を用意出来ているし、製法も召喚された連中から少しずつ情報を得て、改良してはいるんだが」


「あれじゃないの、麹。そもそも世界が違うんだから、同じモノがあるとも限らないでしょ」


「そういう可能性もあるか……。だとすればもうどうしようもないじゃねえか」



 サクラさんたち勇者が求める、ショーユ探求の道程はまだまだ長そうだ。

 ボクもゲンゾーさんに倣い、少しだけそれだけで舐めてみたのだが、独特ではあるけれどこれでも十分オイシイ調味料に思えた。

 しかしサクラさんら本物を知る人たちにとって、まだまだ物足りない味なのかもしれない。



 異なるとはいえ故郷の味と似た物を口にしたせいか、サクラさんの郷愁が呼び起こされたようだ。

 卓を挟み向かい合って、ゲンゾーさんとああでもないこうでもないと激論を交わし始める。

 既に共に酒も進んでいることだし、これは長くなりそうだ。



「どう、アルマ。おいしい?」



 長くなりそうな話を余所に、ボクの隣で握ったフォークを動かし続けるアルマへと問う。

 すると彼女は口へと大量に詰め込んで喋れないまま、笑顔で大きく頷いた。

 このスキヤキなる食べ物は、幸運にもアルマの味覚にも合ってくれたらしい。


 ただ他の皿に目をやれば、塩味の強いピクルスや正体不明の白く四角い食品に関しては、あまり手が伸びていないようだった。

 保護者の立場としては、好き嫌いの改善もしていかなければならないか。

 まず自身が試しにと、その白く四角い物体をスプーンですくい口に運ぶと、柔らかくほのかに豆のような風味がする。



「食べたことない料理ばかりですけど、本当に美味しいですね」


「それはよかった。あちらの料理を初めて食べて以降、自分もハマってしまいましたよ。一部食べられないものもありますが」



 ボクの率直な感想へと、クレメンテさんは肩を竦めて答えてくれる。

 彼とてやはり、どうしても苦手な品の一つや二つは存在するか。



「食事だけでも十分なのに温泉まで。過去にない程の贅沢をしている気がします」


「そう言って頂けると、招待した甲斐があるというものです。残念ながら夜間は浴場が締まってしまうので今日は入れませんが、明日は朝一で湯浴み着を買って、それから向かいましょう」



 王都とその周辺地域は、ボクらの家がある港町よりも北に位置する。

 おかげで多少は涼しいけれど、まだまだ暑い夏の気候の中を来たのだ、身体は全身汗まみれとなっている。

 なので温泉に入って身体を洗いたかったけれど、こればかりは致し方ない。

 今夜は普段通り、身体を拭くだけになりそうだった。

 アルマもある程度それを楽しみにしていたようで、クレメンテさんとの話を聞いていた彼女は、ボクへと訴えかけるように問う。



「おふろは明日?」


「そうだよ。明日一緒に温泉に入る用の服を買って、みんなで一緒に行こうね」



 ボクと同様に、アルマもまた入浴という未知の経験に胸躍らせていた。

 今日の事にはならないと聞き、少しだけ気落ちした様子を見せる。

 元々垂れているふさふさの耳が、より一層クタリと垂れたように見えてならない。


 そういえば浮かれていたせいですっかり忘れていたけれど、アルマには一つ問題がある。

 亜人である彼女の身体的特徴、つまり長い耳や尾は、隠す物の少ない浴場ではさぞ目立ってしまうに違いない。

 とはいえアルマ一人を置いて、ボクらだけ温泉を満喫するというのも薄情な話。



「あの、アルマのことなんですが……」


「ご安心を。小規模の浴場を一件貸切にしてもらっていますから、他の人に見られることはありませんよ」


「良かった。……でもかなり高かったのでは?」


「気にしないで下さい、これもまた今回の報酬ということで」



 小声で問うた言葉に、クレメンテさんは用意周到抜かりない準備を口にした。

 数人で使う小さなそれとはいえ、浴場を貸切にするなどかなりの費用がかかっただろうに。


 とはいえこれでアルマも人の目を気にすることなく、安心して入浴できるはず。

 彼らの気遣いと厚意に感謝し、ボクは安心して目の前の料理へと取り掛かることができた。


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