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遺伝 01

前話までの雰囲気はここから一新です。


 王都エトラニアに在る、勇者支援協会本部に併設された宿。

 早朝近くにここへと戻ってきたボクとサクラさんは、その後昼過ぎまで眠って現在は夜。

 夕食時に食堂へと降り、しばらく顔を会わせられなかったアルマにくっつかれるボクは、緩んだ緊張感に欠伸をしながら食事を摂っていた。


 ボクとサクラさん、そしてアルマの他にクレメンテさんやゲンゾーさんも一緒だ。

 既に潜入も無事終え、彼らとの関わりがあると知られても困るような状況にはない。

 そのため協会の宿一階に在る食堂で、こうして一緒に食事をするのも問題は無くなっていた。


 完全に勇者や召喚士専用の宿であるので、一般の人たちに見かけられる心配もない。

 あの屋敷に使えていた人たちと、顔を会わせてしまうという可能性は皆無と言っていい。



「とりあえずは乾杯だ。じゃんじゃん飲め、今日は全部ワシの奢りだ!」


「それじゃ遠慮なく。そこのお姉さん、ここに書いてあるお酒端から全部お願いね」


「……い、いや少しは遠慮してもいいんだぞ」


「あら、男に二言があるのかしら? ゴメンなさい、やっぱりこの一番高いのをもう一本追加で」



 無事貴族の不正を暴いたことで、ゲンゾーさんの機嫌は上々。

 彼は大見得を切って奢りを宣言するのだが、直後にサクラさんがした注文に青褪める。

 見ればメニューの中には、目玉が飛び出そうな額をした物も含まれている。慌てて止めようとする気もわからないでもない。

 一方のクレメンテさんは、既に諦めているのか、苦笑いをして首を振っていた。


 それにしても、そう長い期間潜入していた訳でもないというのに、この雰囲気が懐かしく思えてならない。

 潜入中にボクらが食事してきた場所と言えば、屋敷内に設けられた使用人用の食堂。

 当然周囲に居るのはメイドや執事、あるいは料理人や庭師といった人たちばかり。


 だが今、ボクらの周りで食事をしているのは勇者や召喚士。

 鎧やローブを纏った彼ら彼女らの姿に、これこそが本来居る世界なのだと実感できる。

 そしてなによりも、望まぬ女装から解放されたという事実は、ボクの心に多大な余裕を生んでいた。



「なんていうか、こうして普通に食べられるだけでも、幸せに思えるもんなんですね」


「大げさね。あそこで食べてた物もそう変わらないでしょうに」


「大違いですよ! 食べてるのかどうかわからないくらい、小さく切らなくてもいいんですから」



 目の前に置かれた肉の塊。

 炭火で程よく焼かれたそれにナイフを入れ、頬張るくらいの大きさに切り分けて口へと運ぶ。


 実に男らしい食べ方であると実感できるこれは、屋敷の中では叶わなかった。

 指先ほどの細々とした大きさに切り、小さく口を開けて食べ、半分ほどでお腹いっぱいという演技までしていたのだ。

 可憐なメイドを演じる必要のない食事に、感動さえ覚えてしまう。



「それは何よりです。今回の事でお二人には苦労を掛けましたからね」



 肉と幸せを同時に噛みしめるボクへ、クレメンテさんは労うように告げる。

 その彼に視線を向けてみれば、地下室へ姿を現した時に蓄えていた髭は既にない。

 どうやらあれはボクが顔を会わせない内に伸ばしていたようで、用が済んだ今はアッサリ剃り落したのだと言う。



「ですのでこちらとしては、そんなお二人へ報酬の残りを支払わねばなりません」


「報酬の残りっていうか、むしろそっちが目的なんだけれどね。私としては」



 ボクとクレメンテさんの間へ割って入るように、サクラさんは相槌を打つ。

 それは明日か明後日にでも向かうであろう、金銭とは別なもう一つの報酬である、温泉付きの保養地へ招待してくれるという件について。

 金銭だけでは難色を示していたサクラさんも、これにばかりは目の色を変えて飛びついていた。



「温泉ですか。ボクは一度しか入ったことがないんですよね」


「こっちの世界はお湯に浸かる文化がないものね。……こんなに日本人が溢れてるっていうのに」


「仕方ありませんよ。人が入れるくらいにお湯を沸かすなんて、燃料がどれだけ要るか」



 サクラさんらが生まれた世界では、日常の一部として入浴が行われると聞く。

 いったいどんな贅沢な世界かと思うも、あちらではそれが普通であり、水や湯に浸した布で身体を拭くというこちらの方が信じられないのだと言う。


 ボクは一度しか経験がないけれど、確かにお湯の中に浸かるというのは、なかなかに気持ちの良い体験であった。

 ただこちらで日常的にそんなことが出来るのは、水源とそれを沸かす燃料の双方が豊富な土地。あるいは湯が自然に沸き出ている場所くらいなもの。

 クレメンテさんがボクらを案内しようとしている保養地は、つまるところその後者だ。



「基本的には、お湯に浸かる時に専用の湯あみ着が必要になります。それは向こうで売ってるので、到着してから買いましょう」


「こっちでは服を着て入るの?」


「ええ、もちろん。あちらの世界では確か裸でしたか? 以前ゲンゾーが言っていましたが」



 クレメンテさんの説明に、サクラさんは湯あみ着の存在を不思議に思ったようだ。

 ……ということはあちらの世界では、何も着ずに湯に入るというのだろうか。

 こういった浴場というのは、ほぼ例に漏れず大人数で同時に利用する共同浴場。

 そんな中で何も着ず、素っ裸で入るというのは幾らなんでも恥ずかしくはないのだろうかと思う。


 そんな想像を働かせるボクへ、クレメンテさんは微笑みながら告げる。



「急ですが、明日には出発するので荷物を纏めておいてください」


「わかりました。といっても、ボクらの荷物なんて大した量はないですけれど」



 ここに着いてからほどなく貴族の屋敷へ潜入したため、宿の中に置いてある荷物などたかが知れている。

 むしろ疲労感を抜きにして言えば、今から出発しても構わないくらいだ。



「そんなこと言って。クルス君には大切な荷物があるじゃない」


「なんのことですか?」



 サクラさんは唐突に揶揄するかのような、囃し立てるような言葉を投げかける。

 いったい彼女が言わんとしている荷物とは、何のことであろうかと考える。

 精々が数日分の着替えや、細々とした消耗品程度だと思うのだけれど。



「想い出の品なんだから大切にしないと。ほら、メ・イ・ド・ふ・く」



 耳元でクスリと笑うように呟かれた言葉に、ボクは赤面するのを感じた。

 そういえば昨夜宿に戻ってから、着替えてそのまま放りっぱなしにしている。

 用済みとなったそれをクレメンテさんに返そうとしたのだけれど、彼は要らないから好きにしてくれと言っていた。

 その時は疲れから保留し放置していたのだけれど、すぐに処分しておくべきだったのかもしれない。



「あれは処分します。もう着ることもありませんし」


「あんなに似合ってたのに? 勿体ない」



 冗談じゃない。あれを着てからの日々は、ボクにとってはむしろ消してしまいたい記憶。

 あんな物をいつまでも後生大事に持っていては、思い出したくもない記憶を呼び起こすだけだ。


 それにもしも、あんな恰好をしている場面を見知った人にでも見られたりしたらと考えると、身の毛もよだつ。

 と考えた所でボクはふとある事を思い出し、クレメンテさんへと問う。



「そういえば、あの屋敷の人たちはどうなるんでしょうか? あの人たちに責任はないので、住む場を追われるのは気の毒に思えて……」



 リカルドと約束した以上は、彼らの処遇について多少なりとボクに出来ることをしておきたかった。

 事が終わった後とはいえ、あまり人の目に付く場所で話すような内容ではないのかもしれない。

 しかし周囲は人の多さから随分と騒がしく、これであれば声を落として話せば聞かれる心配もせず済むはずだ。



「それについては、心配なさらなくても大丈夫ですよ。例の貴族と入れ替わりで来る人物が、引き続き雇ってくれる事になっていますから」



 どうやら少なくとも、あの屋敷で働く使用人たちが先に迷うような目に遭う事はないようだ。

 屋敷で世話になった先輩のメイドたち数人の顔が、浮かんでは消える。



「ただ昨夜話をしたのですが、あのリカルドという青年はあそこに居辛くなってしまったようなので、辞めると言っていました」


「そんな……」


「ああ、もちろん今回最も協力してくれたのは彼だというのは知っています。こちらでちゃんとした別の貴族に仕えられるよう、取り計らっていますので安心してください」



 その言葉に、ボクは心の内で胸を撫で下ろす。

 何よりも心配な事柄であっただけに、次に行く先を世話してくれるというクレメンテさんの言葉に安堵する。

 場合によっては物語に登場する怪盗よろしく、家の窓に金銭でも放り込もうという考えさえ浮かんでいたのだ。



「これで彼が路頭に迷う状態になったら、どう詫びて良いものかと……」


「口止め料も込みですがね。ですが次に仕える相手は、間違いなく真っ当な人物ですので安心してください」



 ホッとするボクの隣で、サクラさんもまた口元を綻ばせる。

 ただ表情から察するに、リカルドとの件でボクをからかうネタでも思いついたようだ。


 そんな彼女の表情を横目に、一息つこうと水の入ったジョッキを煽ろうとする。

 だが丁度その時、ボクの袖が引っ張られるのを感じた。

 手を留めて視線だけ動かせば、それをするのは先ほどからずっとボクにくっついているアルマだ。



「クルス、なにかうれしいことあったの?」



 つぶらな瞳で、状況が理解できぬといった様子を見せ問う。

 この子には今回ボクらがやっていた行動について、碌な説明もしてはいない。

 おそらくアルマが理解しているのは、ボクが何らかの理由によって女装しどこかに行っていた。その程度だろう。



「ボクの……、"友達"が困っているのをクレメンテさんが助けてくれたんだ。それが嬉しいんだよ」



 アルマに対してしたこの表現は、多少事実とは異なると言っていい。

 実際のところボクはただ、彼を利用していたに過ぎないのだから。


 そんな人間に友達だなどと言われても、リカルドが事情を知っていれば憤慨するに違いない。

 ただアルマに本当のことを言って、大人の汚い面を見せたくないというのは、ただの過保護なのだろうか。

 結局事の顛末である、購入された品が卑猥な絵画であったなどという件は、どちらにせよ伝えるのが憚られるものはあるけれど。



「アルマもお友達が困ってるのを見たら、助けてあげたいでしょう? クルス君だって同じなのよ」



 ボクの言葉へと添えるように、サクラさんは頬杖をつきながら優しく口を添える。

 彼女が発したその言葉には、アルマを納得させるに十分な物があったのだろう。

 幼い少女はうんと頷き、納得した様子を見せた。


 助け舟を出してくれたサクラさんに感謝し、テーブルに置かれた肴の皿を少しだけ彼女の側に滑らせる。

 彼女は即座にそこへと盛られた料理を手で摘み、愉快そうに口へと運ぶ。


 言葉もアイコンコンタクトもなく行われたそれが、ボクには妙に嬉しい。

 サクラさんとの意志がより近づけたような錯覚に、酒精の入らぬ水を飲みながらも、ボクはどこかほろ酔いとなったような感覚を覚えていた。


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