内に隠して 07
夕方になり屋敷へ戻ってきたサクラさんは、随分と疲労の色が濃かった。
いったいどうしたのだろうと思い尋ねてみると、偶然休日が同じ日となった数人の使用人に、追いかけられていたのだという。
結局は彼女もまた、ボクと同じ目に遭っていたようだ。
追いかけてくるのが同性であるというのもボクと同じ。
ただボクと異なり、途中でそれに気が付いたサクラさんは必至で捲いたそうな。
結果碌に土地勘のない王都を、東奔西走したのだという。
「スパイの気持ちがちょっとだけ理解できたわ……。あと昨日のクルス君の心情も」
スパイというのが何かと問えば、いわゆる間諜や密偵のことであるそうだった。
なるほど今のボクらがやっている事といったら、そう表すのがしっくりとくる。
対象とするのは他国ではないが、やっていることは似た様なものだろう。
「ボクの苦悩が理解して頂けたようでなによりです」
「悪かったって。まさかあそこまで追いかけて来るとは思わなかった……、途中で諦めてくれると思ったんだけど」
どうやらサクラさんの想像を遥かに超え、彼女に想いを寄せるメイドたちは執拗に追いかけていたようだ。
王都に来てまだ10日程度でしかないボクらと異なり、女性たちにはこの地での土地勘がある。
引き離すのはさぞ苦労したろう。
「ところで成果はどうでしたか? クレメンテさんは何て」
「あまり芳しくはないかな。このまま何も見つからなければ、頃合いを見計らって撤収するかもってさ」
「……大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではないけれど、進展がないなら別の手を考える必要があるだろうって話。報酬は約束した通り払ってくれるって言ってたけど」
一度受けた依頼を放棄するというのは気が進まない。
しかしこのままここでメイドを続けても、何も見つからずただ時間だけが経過していきそうではあった。
となればここは少々危ない橋ではあるが、協力者が必要かもしれない。
そこでボクは昼間に先輩のメイドから教えてもらった、リカルドがこの屋敷内に詳しいという話を切り出す。
「彼に手伝ってもらうことそのものは可能だと思う、クルス君に向けている好意を考えればね。でももしそこから私たちの正体がバレでもしたら、一気に危険な状況になりかねない」
「やはり止めておいた方が無難でしょうか?」
「そうね……」
サクラさんはこの提案に否定的な言葉を漏らすも、決して悪くないとも考えているようだ。
現に今は手詰まりな状態であり、協力者が居れば何がしかの打開策を講じれるかもしれない。
当然正体が露見するという危険は増すけれど、他に案が無いというのも事実だった。
「いや、やっぱりやってみましょ。クレメンテさんに確認するのが先だけど」
「了解です。まぁ……、自分で言い出しておいてなんですけど、あんまり気の進まない手段ではありますが」
「そこら辺は頼りにしてるわよ、ミリスちゃん」
そう言って揶揄するような視線を向けるサクラさん。
甚だ不本意ではあるが、ボクがリカルドに好かれているであろう点が有用だと考えたらしい。
とはいえボク自身もそれを自覚し、利用しようと云うのだからあまり人にとやかく言えた義理でもないか。
「それにしても、流石に労力に対する報酬が割に合わなくなってきたわね」
「今さらですか?」
「今さらって何よ。……ってもしかして私のせい?」
「別にそんなことは言ってませんよ。ただ温泉地に釣られて安請け合いしたのは、ちょっと軽率だったかなと思うくらいで」
ボクの言葉に、サクラさんはウッと言葉を詰まらせる。
後になって言っても詮無い事ではあるけれど、正直ボクは最初この話を聞いた時には乗り気ではなかった。
聞いた報酬額は魅力的でも、それ以上の厄介事となるであろう予感がしていたために。
しかし断る前に温泉の存在に惹かれたサクラさんが、二つ返事で引き受けてしまったのが運の尽き。
とはいえそんな状況にあっても、彼女の凛々しい執事姿が毎日のように見れて眼福ではあるので、その点は受けて良かった点と言えた。
「頑張りましょうよ、ボクも最後までお付き合いしますから」
「わかってるわよ、ちょっと言ってみただけだって。本当にこのお子様は冗談の通じない」
「……冗談なんです?」
「冗談よ。たぶんね」
平然と言い放つサクラさんの言葉に、ボクはジトリとした視線を向ける。
どうにも半ば本気で言っていたようにも聞こえたが、彼女曰くこれは冗談の範疇であったらしい。
限りなく疑わしいけれど、ボクは気分屋な性格であるサクラさんのやる気を削がぬよう、これ以上の突っ込みを入れるのを抑えたのであった。
その翌日、ボクはメイドとしての仕事の合間、リカルドとの接触を試みた。
庭師であるリカルドは当然庭や物置に居るのだけれど、こっちは基本的に屋敷内で動くメイドだけに、あまり接触する機会は多くない。
そのため彼が屋敷内に入る僅かな機会を窺ったのだけれど、それは思いのほか早く訪れる。
「あ、リカルドさん!」
執事長へと何がしかの報告をしに来たのか、扉を閉めるリカルドの姿を見かける。
そこで小走りとなって近寄ると、彼は一瞬だけ驚きの表情を浮かべるも、すぐさま笑顔となった。
「おはようございます、ミリスさん。今日もいい天気ですね」
「ええ本当に。あの、昨日はありがとうございました。その前も助けてもらったのに……」
偶然を装って顔を合わせたリカルドと、昨日の礼を口にしながら並んで歩く。
リカルドが貴族の不正に繋がる情報を持っているとは思えないけれど、親しくなっておけば情報も得やすくなるというもの。
ただこれに関しては好感を持ってもらう云々というよりも、単純に礼節の問題だ。
昨日は碌に礼も言えなかったので、言うならば早い方が良い。
もっともその際に少々恥ずかしそうに、声を小さくするといった演技を混ぜ込んでいく。
「当然の事をしたまでです。ミリスさんがとても困ってる様子だったので」
「でも聞きましたよ。ああやってご主人様にちょっかい掛けられてる人たち、みんなを助けてくれてるって」
「まぁ、一応は。偶然出くわすと放っておけなくて」
なるほど、やはり彼は困っている人を放っては置けない性分であるようだ。
その行動が正しいかはともかくとして、多少好感を持たれ易い人なのだろう。
リカルドが善良な人であるが故に、余計に気は進まない。
しかし彼から情報を引き出すため、少々気を引くような言動をさせてもらう必要があり、ボクは意を決して己が持つ演技力を総動員する。
「そうですよね。わたしだけじゃ……、ないんですね」
「え?」
「続けて助けてもらったから、つい自分だけが特別なのかなって勘違いしてしまって」
リカルドの話に合わせ、それとなく思わせぶりな発言を繰り出す。
少しだけ沈んだ感じで、胸の前で両手の指を合わせ上目使いでリカルドを見上げながら。
これが昨夜サクラさんの発案した、『いっそもっとベタ惚れさせて翻弄し、色々と利用した後で姿をくらまして逃げればいいじゃん作戦』だ。
名前の長さに関しては、もうどうこう言うつもりはない。
ただこれでは間諜の真似事というよりも、どちらかというと詐欺師の手法ではないかと思えてくる。
それにしても、なんとあざとい仕草なのだろうか。
しかしリカルドには効果覿面であったようで、彼は狼狽に視線は泳ぎ顔が赤くなっている。
ここまで感じてきた罪悪感が、並々積もっていくような感覚。酷い悪事に手を染めてしまったような錯覚すら覚えてしまう。
「お、俺は……。ミリスさんが望むなら、貴女だけを護ってもいい!」
「本当ですか?」
おお、随分とアッサリ餌に食いついてきた。入れ食いだ。
……といってもこの場合の食べられようとしている餌はボクなので、決して喜ばしいものではない。
「もちろんです。これからは誰よりもミリスさんを優先したっていい、むしろ俺はそうしたい!」
「あ、いや……。そこまでは別に……」
両の肩を掴まれ、ズイと顔を寄せてリカルドはボクに迫る。近い近い。
少々煽りすぎてしまったようで、ここまで本気で迫られると流石に厳しいものがある。
自分で誘導しておいて何ではあるが、まだリカルドとは会って数日しか経過していないというのに、何が彼をここまでボクへと駆り立てるというのか。
「もうちょっと場所を考えてもらえると、こちらとしては助かるのだけれど」
そんなリカルドの圧に困っていると、不意に背後から怒気混じりの声が聞こえる。
聞き覚えのある、というよりも間違えようのないその声に、ボクはビクリと身体を震わせた。
ソッと振り返ってみると、そこには当然サクラさんの姿が。
彼女はその切れ長の瞳から放たれる、ジトリとした視線でこちらを眺めていた。
半ば我を忘れていたリカルドも、それに驚いたのかボクの肩から手を離し数歩距離を取る。
「職場での色恋に口を出すつもりはないけれど、もうちょっと人目のない所でするのをお奨めするわよ」
サクラさんの言葉にハッとして周囲を見回すが、これといって人影は存在しない。
その様子に彼女は、今はまだ見つかっていないはずだと付け加える。もう少し場所を選ぶべきだったか。
そのままボクとリカルドは、しばしサクラさんからお小言をもらう。
リカルドの方が彼女よりも先輩であるはずなのだが、彼は大人しく聞いているようだ。
あるいはボクへ強引に迫ろうとした負い目があるのかもしれない。
「ほら、まだ仕事は残ってるんでしょ? 行った行った」
リカルドを追い払うべく、自身の役割に戻るよう促すサクラさん。
はて、彼女の発案でボクはリカルドに接近したのではなかったか。
助かったという気がしないでもないが、なぜ彼女は今妨害するような真似をするのだろう。
「なかなか良さそうな雰囲気だったじゃない。もうほとんどクルス君しか見えてないって感じ」
「ならどうして邪魔したんですか? ちょっと助かりましたけど」
「助かったって何が? ……まぁいいわ」
と言って言葉を継ぐ彼女の弁では、少々邪魔が入った方が恋は燃え上がる、とのことだった。
燃え上がるって、どこまで炎上させるつもりなんですか。
あんまり火力が強いと、燃やされ尽くしそうで若干恐ろしいのだけれど。
もっともサクラさんによれば、横入りをした理由はそれだけではないらしい。
リカルドも使用人の女性陣から多少の人気があるようで、あまり見られるのは好ましくないと考え、今回はあえて妨害したようであった。
「それにしても順調に彼を籠絡しているようだし、君は案外こっちの才能があるのかもね」
「こっちの才能って、……いったい何のですか?」
「それはもう、結婚詐欺師の」
なんとも嬉しくない。
ボクはいつの間に召喚士から、詐欺師への道を歩んでしまったというのか。
なにやらとてつもない勢いで、進む道を間違えてしまっている気がする。
そんなボクの様子を気にしていないかのように、サクラさんはボクの背を叩いて明るく告げるのだった。
「その調子でどんどんいこうか」