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内に隠して 06


 無い。どこにも無い。

 メイドとしての仕事を黙々とこなすフリをしながらではあるが、屋敷内の至る所、隅から隅まで探しているはずなのに。


 今日で約1週間。不正をしていると思われる貴族の私室のみならず、厩舎や調理場、トイレの中までくまなく探し続ける。

 しかし今のところ、これといって証拠となりそうな品や金銭は発見できていなかった。



 なんだかんだで昨日のボクは、ほぼ終日リカルドと行動を共にしていたというのもあって、碌に役目を果たせてはいない。

 なので今日こそはと、クレメンテさんへ報告に行っているサクラさんに代わり、少しでも手掛かりを得るべく朝から探し続けているのだけれど……。


 ここまで見つからないと、そもそも本当にこの屋敷の持ち主である貴族が、不正に手を染めているのかさえ疑わしくなる。

 ボクの探し方が悪いのか、それとも情報そのものが間違っていたのか。



「お前はこんな所で何をしているのだ」



 あまりに進展せぬ状況に、ボクは深く息を吐きながら探し続ける。

 しかしそんなボクの背へと、どこか高圧的な嫌味ったらしい空気を纏った声が響く。


 こんな声でしゃべる人間は、この屋敷にただ1人だけしか居ない。

 勘弁してくれ。今はあんたの相手をしている暇なんてないんだ。

 とは思うもののそうもいかず、極力平常心を装って、サクラさんのように笑顔の仮面を被り振り返る。

 そこに居たのは、この屋敷の主人である件の貴族であった。



「せ、洗濯ものを……。暑い時期ですので、どうしても洗う回数が多くなるもので」


「ふむ……。だがこれなど随分くすんだ色をしているように見えるが、まさか怠けていたのではあるまいな?」



 貴族の男は干された布の一枚を指し、不愉快気に眉を吊り上げる。

 だがそれは元々の色だ。新品の状態でもこの色であるため、ただの難癖にしか過ぎない。


 男はおそらく40代の半ばあたりといったところか。

 正直使用人たちからの評判は悪い。ここは他の貴族の屋敷より若干高給だが、如何せんその性格が最悪だった。

 これが趣味であるとばかりに、日常的に新米の使用人をイビリ続けるような人物だ。

 先輩のメイドも、こいつの嫌がらせによって何人の見習いが辞めさせられたかわからないと憤っていた。当然コッソリと。


 その貴族の男は、声の空気そのものといった陰湿な気配を漂わせ、ニタニタとしながらこちらを見下ろす。



「申し訳ございませんご主人様。もう一度洗濯をやり直して参ります」



 少しでもその視線を逸らしたい衝動に駆られたボクは、早くこの場を脱するべく深く長くお辞儀をする。

 普段から使用人たちに難癖を付けては楽しんでいるような男だ、このくらいしておいた方が無難だろう。



「それでは困るんだがね。お前には高い給金を払っているのだ、相応の働きをしてもらわなければ」



 いまだ頭を下げ続けるボクを見降すように、真上から声を落とす。

 なにが高い給金だ。見習いの扱いであるボクへ与えられる金など、それこそはした金でしかない。


 まだ実際には受け取ってはいないが、受け取るはずの給金は異常なまでに低い。

 ボクとサクラさんが魔物を狩り初めて、最初に受け取った額の5分の1ほど。10日も必死に働いてその程度にしかならない。

 まだ見習いであるというのが理由だが、これで食事と住居が付いてこなければ、真っ当な生活を送る事すら困難なはずだ。



「急いで済ませますので、どうかご容赦を」


「ふむ……。まぁ、そこまで謝るならば許してやらんこともない。だがそれにしても……」



 と言いながら、男はボクをジロリと見やる。

 ボクをと言うかボクの腕を。何か不都合でもあるかのように、矯めつ眇めつ眺める。



「夏の暑い時期であるというのに、お前は随分と厚着のようだな」


「これは……、わたしは少々肌が弱いもので、日焼けをすると痛くなってしまいまして」



 貴族の男が言っているのは、ボクが夏であるというのに袖の長い、春秋用のメイド服を着ている点のようだ。

 実際のところボクは日焼けでどうこうなる体質ではないのだだけれど、腕や脚などは直に見れば、女性の身体でないことがバレてしまうために隠している。

 そのために意図的に袖の長い服を着ているのだが、かなり暑いというのは否定しない。



「それは困ったものだな。どれ、わしがメイド長に言って屋内での仕事に替えてもらってもいいのだぞ」


「そ、そこまでご主人様のお手を煩わせるわけには……」



 随分と珍しい言動に、ボクは意外という感想を受ける。

 この人物は使用人に対し、そういった気遣うような発言をするような、殊勝な人間ではなかったはずだが。


 しかし男の言葉には、目的とする別の意図が存在したらしい。

 ニタニタとした表情のまま、グイとボクに密着するほど近寄り、耳元に囁くように言葉を継いだ。



「そう言うな。お前がわしにもっと敬意を払った接し方をするのであれば、良い待遇を考えぬでもないのだがね」



 と貴族の男が囁くのと同時に、臀部へとなにかが触れる感触が。

 ゾワリとした寒気を感じ、ボクは男が言っている言葉の意味を理解した。

 その意図するところは自分の愛人になれ、あるいは身体を……、つまりはそういう事なのだろう。



「こ、困ります!」



 強引に払い退けるのも躊躇われ、身を捩って逃げようとするのだが、貴族の男は随分としつこい。

 偶然を装ってはあちらこちらに触れ、そのついでに身分の差を傘にきて、ボクなどどうとでもなるといった内容の言葉を囁く。


 なるほど評判が悪いのも納得だ。先輩のメイドも裏ではこの男の事を、猥褻オヤジや女の敵と言い続けていた。

 この屋敷に仕える見習いではない使用人の給金が、他よりも比較的高い理由にも今更ながら納得いく。

 高く設定しておかないと、人が長く居付かないのだ。その理由は言うまでもない。


 女性に対してはただのスケベオヤジ。男には無駄に難癖をつけ続けるという、なんともはた迷惑な性格というか気質。

 直接の関係はまったくないのだが、こんな人であれば不正の一つや二つやっててもおかしくないように思えてくる。



 なんとか逃げようとしていたのだが、それももう限界が近い。

 あまりのしつこさに、いい加減堪忍袋の緒が切れそうになった時、不意にガシャンという音が響く。

 それによって貴族の男は、随分と驚いたようだ。

 ビクリと反応し振り返ると、そこに居たのは庭師であるリカルドだった。



「失礼を致しました」



 睨みつけられるリカルドは、それに動じず深々と頭を下げる。

 彼が手にする荷物を落とした音であったようで、ボクはそれによって助けられたのだと理解した。

 もちろん、偶然などではなく意図して。


 昨夜サクラさんが呆れていたのもわかる。これでは確かに物語へ出てくるお嬢様だ。

 危機に陥ると都合よく駆けつける主人公。そして感涙に咽ぶヒロイン。

 人気のある展開なのだろう。古今東西様々な国や地域に伝わる物語で、非常に多く見られる超が付く程のド定番な物語。

 だが残念なことに今現在のボクは、ヒロインの側に分類されてしまうらしい。



「……キサマ、わしに不服でもあるのか」


「滅相もございません。ですが大切な剪定器具を落とし壊してしまいました、この分は給金から引いていただければと」


「と、当然だ! 使えぬ庭師め、次に邪魔をしたら叩き出すぞ!」



 深く頭を下げ謝罪するリカルドに、一瞬黙り込んだ貴族の男は、気まずそうにしながらも罵声を浴びせる。

 気分よくメイドに手を出そうとしていたのを、庭師に邪魔された腹いせか。


 罵声に耐え頭を下げ続けるリカルド。

 彼に罵声を発し続けていた貴族の男であるが、次第に息が切れてきたのか、不機嫌そうに大股で屋敷の中へと引っ込んでいく。


 残されたリカルドは貴族の姿が見えなくなったところでようやく頭を上げ、困惑するボクへと視線を向け、微笑んだだけで自身の仕事へと戻っていった。

 不覚にもその姿が、ボクにはちょっとだけカッコいいと思えてしまうのであった。



「どうしたのミリスさん?」



 一人残され立ち尽くしていると、いつの間にかすぐ近くへ来ていたのか、先輩のメイドが声をかけてくる。

 その声でようやく我に返ると、空気を払うように慌てて首を横へ振った。



「い、いえ! なんでも……」


「なんかあったなら言っちゃいなよ。吐き出すと楽になるし」



 彼女はボクの様子を心配し、善意から言ってくれているのだとは思う。

 とはいえボクが抱える目下の悩みなど、到底相談できようはずもしない。


 ボク本当は男なんですけど、男に好かれて困ってます。などと言おうものなら、全てが破綻してしまうのだから。

 なのでその件は置いておくとして、貴族の男から受けた過剰な誘いについてを話してみることにした。



「そう、怖かったでしょうに。ったくあのオッサン、いつか一服盛ってやる」


「一応穏便にしていただけると……」


「あらいやだ、冗談に決まってるでしょう。いくら腹が立つからって、自分の雇用主に毒を盛ったりはしないわよ。今のところは」



 今のところで済ませてくれると助かる。

 こっちとしても、疑っている対象に途中で倒れられたら、誰を断罪して良いのかわからなくなってしまう。

 その先輩メイドはさり気なく? ボクへと庭に生えている食べてはならない薬草の類を教えてくれるのだが、いったいその知識をどう活かせと言うのか。



「でもリカルド君に助けてもらえて助かったじゃない」


「そうですね、彼が助けてくれなかったら、つい殴り倒してしまったかもしれません」


「お、言うわね。彼は時々、嫌がらせされてる子を見つけて助けてくれるのよ。見た目も悪くないし、案外人気はあるのよね。庭師だからあんまり接点無いんだけれど」



 どうやらさっき助けてくれたのは、別に相手がボクだからという訳でもないようだ。

 自身の自意識の過剰さに少々イヤになる。

 そう言う先輩メイドは、リカルドに対してはそれなりに好意を持っているようだ。

 ただこれはサクラさんに向けるものとは、少々違う方向性のものなのだろう。


 なので何か聞けるだろうかと思い、リカルドについて少し話を振ってみたところ、色々話を聞かせてくれた。

 どうにもリカルドは少年の頃から、この屋敷で庭師見習いとして入っているらしく、貴族の性格の悪さから出入りが激しい使用人のなかでも、比較的古株であるという。

 なので彼の受け持ちではない箇所、つまり屋敷内の貴族や来客が使うスペースを除き、使用人たちの共用部分などに在る物のほとんどを把握しているらしい。

 これは、使えるかもしれない。



「それは頼りになりますね。わたしも困ったことがあれば聞いてみます」


「あんまり頼ってばかりでもダメだけど、それがいいと思うよ」



 ここまで親切にしてもらったり助けてくれた相手だ、都合よく利用しようというのも気が引ける。

 しかし何よりもボクらは、目的を果たさなければ我が家に帰ることも叶わない。

 リカルドには悪いが、貴族が不正をしている証拠を掴むため、当人に告げず協力してもらおうという考えが浮かんでいた。



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