内に隠して 03
ベッドとクローゼットを2つづつも置けば、ギリギリといった程度の広さ。
屋根裏に設えたこの狭い部屋が、使用人として潜入したボクとサクラさんに割り当てられた居室だった。
この屋敷で仕える使用人たちが使うのは、基本的に2人で1部屋。
既婚者は市街地に住んでいるらしいけれど、独身者は職場兼自宅として、この屋敷の一室を借りることになる。
ボクらは同郷同士という設定の甲斐もあってか、同じ部屋にしてもらえた。気を使われたというのもあるのだろう。
もちろん本来ならば同郷と言えど、異性で同じ部屋にされるなどといった事はありえない。
普通にボクの存在が女性として受け入れられている事実に、安堵と同時に悲しいモノを感じてしまう。
「という訳ですので、ボクたちは小さい頃に近所の湖でよく遊んでたってことに」
「了解。釣りとか水浴びとかしてたって事にしておけばいいのね」
仕事や食事を終え自室へと戻ると、その日起きた出来事や、会話した内容などのすり合わせを行う。
それぞれによる細々とした話しでも、確認しておかなければ後になって矛盾が生じてしまいかねない。
疲労によって多少の眠気に襲われるが、これだけはやっておかなければ。
薄い壁一枚隔てた隣の部屋には、別の使用人が住んでいるため、当然のように小声での会話で。
「今日もやっぱり、色々な女性にサクラさんの話を聞かれましたよ。好きな食べ物とかアクセサリーについて」
「あら、それじゃいつかプレゼントとかされちゃうのかな」
「かもしれませんね。随分おモテになるようで羨ましいです」
ボクの冗談交じりに軽く飛ばした嫌味に、サクラさんは困ったと言わんばかりの苦笑いを浮かべる。
やはりどうせ貰うならば、異性からの方が良いという事なのだろうか。
ただ彼女はニカリと笑むと、反撃とばかりに自身のしたやり取りについてを口にした。
「そういえば私も聞かれるわよ。クルス君のことについて」
「ボクですか?」
「ええ、こっちも似たような内容でね。好きな花は何か、どういった店を好むのかとか。あとはどんな異性が好みか」
「そ、それって……」
「もちろんこれを聞いてくるのは皆男性。一応好みのタイプは筋肉質な人だって教えといてあげたから」
不意に告げられたその言葉に、ボクの眠気は彼方へと飛び去っていく。
普段ボクを弄り続ける彼女のことだ、これもきっとその範疇なのだと思いたい。
いつもならば話に動揺するボクを見て、最後に冗談であると告げるのがお決まり。
しかし今回彼女の口から告げられたのは、それとは異なる言葉だった。
「さっき部屋に戻る途中、裏庭で2人ほど砂袋担いで鍛えてる人が居たわね。そのうち言い寄られちゃうかもよ」
「じ……、冗談ですよね?」
「本当。割と真剣に問い詰めて来るから、つい教えてあげちゃった。でも流石に彼らが筋骨隆々になる頃には、こっちも姿を晦ましてるはずだし問題ないでしょ」
サクラさんはただ事実を述べているだけに違いない。だがこれは彼女なりの意趣返しのようにも思えてしまう。
だいたい筋肉質な男が好みって……、彼女はいったいボクにどんな設定を追加しようというのだろう。
だがこれでいつまでも、この屋敷でのんびり調査している暇など無いのだと確信する。
ボクは色んな意味で自身を護るためにも、速攻で不正の証拠を見つけ出し、ここから逃げ出さなければならないようだ。
ただとりあえず、これ以上この話をしていてもボクの精神がまいってしまいそう。
そこでここに来た本来の目的を果たすべく、話を変えることにした。
「そ、それは置いておくとして。今日は何か見つかりましたか?」
「全然。それとなく話を聞いてみても、使用人が入れない地下室とか屋根裏も存在しないみたいだし。倉庫で見つけた美術品も目録に書いてある通り」
「こっちも同じですね。現金の類は執事長が管理しているようですけど、然程大金という程でもなさそうです」
今のところ、これといった証拠となるものを発見できてはいない。
日常のメイドとしての仕事だけでも大変なので、じっくりと探す余裕などないというのも一つの理由。
とはいえ屋敷内を動き回るのは仕事の最中でもできるので、ボクらが上手く見つけきれていないのか、あるいは目に見える範囲には置いていないか。
「もしかして屋敷の外に隠しているってことはないでしょうか?」
「そこは何とも言えないけれど、もしそうだとしたら見つけようがないわね。今こうしてここに居ること自体が無駄骨になるし」
「休みをもらった時にでも、クレメンテさんに相談してみましょうか……」
一応使用人には、10日に1度ほどの割合で休日がもらえる。
その時ばかりはほとんどの人間が屋敷外へ繰り出し、買い物などに興じていると先輩のメイドから聞いていた。
クレメンテさんに相談するとすればその時しかない。
経過の報告と共に何か新しい情報はないか、聞いておく必要があるだろう。
「ボクはとりあえず3日後にお休みをもらえるんですけど、サクラさんはいつです?」
「わたしは4日後。少しズレちゃうけど、こればっかりは仕方ないわね」
「そうですね。揃って行ったら目立ちますし、どっちがクレメンテさんと接触しましょうか」
そう問うと、サクラさんはジッとボクの目を見つめる。
なにやら心配そうな、一抹の不安感を抱えているような雰囲気だ。
いったいどうしたのだろうと思うが、それを質問する前に彼女は口を開く。
「……早い方がいいだろうし、クルス君が行ってきて。ついでにアルマに顔を見せてあげたら?」
「わかりました。それじゃあボクが聞いてきますね」
サクラさんの反応は気になるも、ともあれ今日の確認と報告はこれで終わり。あとは明日に備えて早く寝よう。
欠伸しながらサクラさんへと、おやすみなさいと言うと、彼女は速攻ベッドに潜り込みながら軽くおやすみと返した。
メイドとしての日々を過ごし、そうこうする間に数日の時間が経過。
休日の朝にボクが起きた時、既にサクラさんは隣のベッドから姿を消していた。
休日であるという理由で、少しだけ遅くに起きたボクと異なり、彼女は今日も執事としての仕事が待っている。
どうやら朝食の時間は既に過ぎているらしい。慣れないメイド業の疲れからか、普段以上に眠ってしまったようだ。
大きな欠伸をしベッドからのそのそ起き出すと、クローゼット内にある私服を取り出す。
私服とは言うモノの、これはボクにとって衣装、仮装と言って差し支えない。
なにせ今から着るのも、やはり女性物の服なのだから。
寝惚け眼のまま寝間着を脱いで、胸に詰め物をした下着を着け、薄灰色のシャツを羽織りスカートを穿く。
この数日で女性用下着やスカートの着用にも随分と慣れてきた。
今ではすっかり違和感もなく、着替えに手間取る事もない。
「……って、慣れてどうするんだボクは」
眠い中でも、自然に着てしまえるようになった自分が酷く悲しい。
スカートはともかくとして、偽胸の形を丁寧に整えている動作に、違和感を感じなくなっている点が特に。
ため息交じりにクローゼットを閉め、顔を洗うため部屋から出る。
外の井戸へと移動する途中、すれ違った他の使用人たちと挨拶を交わしトイレに寄る。
これといって意識せず、女性用に入ってしまうのも自己嫌悪の大きな要因。
今回の潜入から解放された後も、つい癖で女性用に入ってしまったらどうしよう、などと要らぬ不安に駆られるのもいつもの事だ。
「おはようミリス、今日はお休みかい?」
「はい。これから街へ出ようかと」
「いいな、オレは一昨日休んだばかりだからさ。折角の休日だし楽しんできなよ」
井戸の冷たい水で顔を洗うと、どこか眠ったままであった思考が覚醒していく。
そんなボクへと背後から声をかけてきた使用人の男は、満面の笑みを浮かべていた。
この恰好をするようになって、随分と男たちから親切にされる。
正直、嬉しくはない。ありがたいとは思うけれども。
諸々の支度を終え屋敷の敷地を出て、貴族の多く住む閑静な住宅地を歩いていく。
その道中で見かけるのは馬車ばかりであり、流石はお貴族様の多い地域。
外に出るのも徒歩ではなく馬車移動が基本のようで、住む世界の違いというのを感じさせられてしまう。
ボクも以前は、いつの日か有名になってそんな暮らしをしてみたいと考えていた。
勇者と共に大きな活躍をして、屋敷で使用人たちに囲まれて暮らす。そんな生活だ。
成功した勇者と召喚士というのは、そういった生活も夢ではないと聞く。
実際ゲンゾーさんの家はそうであるらしい。普段の言動からは、とてもそうは見えないのだが。
「でも今はそこまでじゃないんだよな。これで十分っていうか」
港町カルテリオに得た、少しばかり大きな家がとても居心地良い。
ここでサクラさんとアルマと一緒に暮らしていければ、それで十分なんじゃないか。今ではそう思えてきた。
なので貴族たちの屋敷や使用人を眺めても、別段羨ましいという気は起きない。
……多少のやっかみや、メイドの気苦労を知ったが故かもしれないけれど。
ともあれさっさとこんな窮屈な依頼から解放され、あのノンビリとした我が家に帰りたい。
そう思いながら、クレメンテさんが居るであろう落ち会う場所に向かっていると、ボクは唐突に背後から声をかけられる。
「ミリスさん!」
既にその名を自身のものとし慣れきったボクは、後ろを振り返り声の主を見る。
名を呼んだ人物は、手を振りながら走ってこちらへと向かってくる。
遠目に男であるのはわかるのだけれど、さてあれはいったい誰であったか。
ミリスという名で呼ぶ以上、屋敷の関係者であるのは間違いない。
というよりも、ボクの本当の名前を知っている人間など、この王都には一握りしか居ないのだから。
サクラさんやゲンゾーさんたちを除けば、せいぜいがボクの同期である召喚士か、カルテリオで会った2人の勇者くらい。
その人たちにしても、ボクがこんな恰好をしていれば気付かない可能性は高い。
男が走って近づいてくるにつれ、ボクはそれが誰であるかに気付く。
確か屋敷に住み込みで働いている、庭師の青年だ。
何度か挨拶したり、食事中に少し話をしたりしたくらいの接点ではあるけれど、こちらの名前を憶えてくれていたらしい。
彼は少しだけ息を弾ませ、ボクの目の前に立ち止まると、満面の笑顔で話しかけてくる。
「今から市街に出るんですか?」
「え、ええ。少し買い物でもしようかと」
「偶然ですね。俺も今日はお休みをいただいて、今から市街へ買い物に」
それなりに大勢の使用人を抱える屋敷だ。10日に1度の割合で休みがあれば、誰かしら被るのが普通。
どうやら庭師の彼は、偶然ボクと休みが同じ日になったようだった。
ただ彼はノンビリとその休日を謳歌するのではなく、共に過ごす相手を欲していたようで、おずおずとボクへ話しかける。
「それでその、もしよければ俺と一緒に行きませんか?」
「ボ……、わたしとですか?」
「はい、途中まででも構わないので」
これはまた、随分と奇特な人も居たものだ。
あまり話した回数も多くない他国から来た……、という設定の相手と、折角の休日を僅かな時間とは言え過ごしたいなどと。
これからクレメンテさんと会うので、正直遠慮願いたいところ。
しかしあまり邪険にするのも気が引けるし、ある程度人との関係も角が立たぬようにしておきたい。
気は進まないが、ここは了承しておくべきか。少しの時間だけだと言うし。
「わかりました。途中までご一緒しましょう」
ボクは可能な限り微笑んで、彼に了承する意思を伝える。
すると若干……、彼の顔が赤くなったように見えるのは気のせいだろうか。
庭師の青年は嬉しそうにボクの隣へと並ぶと、歩きながら次々に話題を振ってくる。
何を買おうとしているのか、昼の食事の予定はあるのかと。それはもう、とても熱心に。