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内に隠して 02


 ボクとサクラさんは数日の後、クレメンテさんから紹介状を受け取り、対象となる貴族の屋敷へ潜入を果たした。

 当然紹介状を書いたとされる貴族や、ボクら自身の身分も全て偽装されたもの。

 ただ実在しない貴族とはいえ、権威の力というのはよほど強いモノであるらしい。

 屋敷を訪問し紹介状を渡した次の瞬間には、揃ってここで働くことが決まっていた。


 最初の山場を越え安堵するも、正直メイドというものを甘く見ていたかも知れない。

 彼女たちに抱く印象といえば、穏やかに微笑んでお茶を淹れてくれたり、幼い子供の子守りをしたり。

 あるいは玄関の前で箒を握っていたりと、どこか漠然とした穏やかな雰囲気のものであった。


 しかし現実はといえばどうか。

 大量の荷物を抱え屋敷中を動き回って汗まみれ。それでも制服は着崩せず、笑顔の下ではひたすら我慢。

 昨日などは屋敷の敷地内に侵入した近所の悪ガキを追って、広い庭の中を延々探し回る破目になった。

 完全無欠な肉体労働だ。華やかで淑やかなメイド像など欠片すらもない。



「ミリスさん、次は洗濯室からシーツをもらってきて頂戴。そろそろ洗い終わっているはずだから」


「は、はい! わかりました」



 真夏の炎天下に焦がされる貴族の屋敷。

 ボクは少しだけ年上であろう先輩のメイドに指示され、重い荷物を持ち屋敷内を右へ左へ動き回っていた。


 足首近くまであるスカートは、少し膨らみを持たせてあるものの、走れば脚に纏わりつく。

 動いて汗をかいていれば尚更なのだが、これはボクが慣れていないせいなのだろうか。

 ……これに慣れるという経験などしたくはないけれど。


 先ほど先輩のメイドに呼ばれたミリスという名前は、ボクがこの屋敷で働くに当たって付けられた偽名。

 韻が少しだけ似ているのは、あまりにかけ離れた名前をしていては、呼ばれた時に反応出来ない可能性を考慮してのものだ。


 当然のことながら、彼女を含め屋敷の人間は全員ボクを女の子であると思っている。

 速攻でバレるかと思いきや、ここまで約3日間全く正体を気取られる様子はなく、それが逆にボクを切なくさせていた。



「すみません、シーツを受け取りに来たのですが……」


「ああ、出来てるよ。そっちの隅に積んでるのがそうだから、勝手に持って行っておくれ」



 屋敷の中を端から端へ移動し、恐る恐る入った部屋で一人黙々と洗濯をこなす中年男性は、こちらを見もせず隅を指さす。

 大きな浅い水槽に溜められた水の中に入り、大量の泡と共に格闘する彼の周囲には、未だ大量の布が積まれている。

 これを一人でこなすのはさぞ大変に違いない。


 ボクは背を向けたままの彼に礼を言い、水を吸って重くなったシーツが入る篭を抱える。

 重い。ただひたすらに重い。

 これは一度に全て運ぶのは困難。幾度かに分けなければ、途中で潰れ動けなくなるのがオチだ。

 そこでボクはとりあえず半分だけ持ち、洗濯室から出てヨタヨタとふらつきながら、外の干し場へと向かった。



「お、重っ……」



 出来るだけ往復する回数を減らそうとするも、それでも一度に持つ量が多すぎた。

 前が見えず敷かれたカーペットの皺に躓き、ボクはよろめき身体を斜めにしていく。


 その視界の中で倒れる自身よりも心配してしまうのは、床に落ちて汚れてしまうシーツのこと。

 やはり洗い直しだろうか。また洗濯担当のおじさんにお願いしないとダメなんだろうか。

 おじさんだけでなく、きっと先輩のメイドにも怒られてしまうに違いない。

 いやそもそももっと廊下を綺麗にしておけば、汚れずに済むのでは。いやいや、土足で歩く以上それには限界がある。


 などなど、何時の間にやらメイド業に染まりきった思考に支配されるも、いつまで経っても地面と固い抱擁を交わす瞬間は訪れなかった。



「大丈夫?」


「えっと……」


「無理せず自分の持てる分だけにしないとダメでしょ」



 頭の上から、何者かの声が降りかかってくる。

 と同時に、倒れようとしていたボクはその人物によって抱きかかえられ、しかもシーツの落下も阻止してもらったのだと理解した。


 チラリと視線を上に向けると、少しだけ呆れた様子のサクラさんが、ボクを抱きかかえているのだと知れる。

 ああ、やはりこの人は頼りになる。

 ボクの身体を腕一本で支え、洗濯物までも汚れという魔の手から護りきっているのだから。


 サクラさんの浮かべる呆れ顔も、また凛々しい。

 抱き抱えられたまま、どこかに連れ去られても構わないんじゃないかという妄想さえ湧いてくる。

 ……この数日ほど、自身が男であるという事実を忘れてしまいかける。女装恐るべし。



「ほら、さっさと自分で立つ。半分持ってあげるから」


「す……、すみません」



 ボクを支えた腕を引き、シーツの半分を持ってくれるサクラさんの髪は、普段とは異なりはしばみ色をしている。

 クレメンテさんが手に入れてきた、木の皮を煮出して作った液を塗りつけたらしく、随分と綺麗に染まったものだ。

 サクラさんは黒髪の方が似合うと思うけれど、こちらも元からそうであったかのように違和感がない。



「どうしたの?」


「あ、いえ。本当に執事みたいだなって。すごくカッコいいです」



 人に聞かれぬよう小声で話す。周囲に人影はないが、一応は用心だ。

 それにしても女性にカッコいいは失言であっただろうか。と思うも、サクラさんは気にした風もない。

 むしろ腰へ手を当て、得意気にフフンと鼻を鳴らし笑む。

 その礼とばかりに、機嫌を良くした彼女は人差し指を立てボクの鼻へと当てる。



「君もすごくかわいいじゃない。本当に女の子みたい」


「からかわないで下さい。それにまったく褒められてる気がしませんし」


「あら、そんなことないって。わりと本気よ、この先ずっとその姿でもいいんじゃないかってくらいには」



 やはり彼女は、これをからかいの種にしているようだ。

 ずっとなど冗談じゃない。さっきは少しだけ気の迷いもあったが、ボクにも男としての矜持があるし、そういった趣味はない。

 これからはより男らしく、サクラさんを支えていくのだ。


 などと考え決意に拳を握りしめると、いつの間にか彼女の手が伸び、ボクの片胸が掴まれているのに気が付いた。

 何をしているのだろうと思っていると、そのまま握りつぶされるのではと思う程に、力が込められているのに気付く。



「えっと、サクラさん?」


「でもこいつだけは憎たらしい。偽者とわかっていても」



 当然詰め物された偽物なので、実際には痛くも痒くもない。

 痛くはないのだけれど、なんというか視覚的には非常に痛い。とても落ち着かない気持ちにさせられる。


 しかもそれをするサクラさんの顔が、笑顔のままであるのがなお怖い。

 かわいいと言うさっきの言葉とは裏腹に、この偽胸には少々思う所があるようだ。

 でも形が崩れるので、指を食い込ませるのは勘弁してください。



「と、とりあえず行きましょうかサクラさん」


「……そ、そうね。早くしないと怪しまれるし」



 ボクの言葉でハッとしたかのように手を離すと、彼女は視線を逸らしてごまかそうとする。

 あまり突っ込んでも悪いので、ここはあまり気にしないようにしておこう。



 気を取り直し、ボクらはシーツを抱え外の干し場へと向かう。

 持つ量も半分になり随分と楽。最初から無理をせず、身の丈に合った量を運べばよかった。


 裏庭に在る干し場へと行くと、ボクが戻るのを待っていたであろう、先輩のメイドが植木に水をやっていた。

 待つ間もずっと動いていたようで、メイドという仕事は何よりも効率を求められるのだと知る。



「あら、アウラさんじゃない。手伝ってくれたの?」


「はい、この子には少々重そうだったもので」



 先輩のメイドはサクラさんに近寄ると、その手に持たれたシーツを受けとる。

 アウラというのは、サクラさんに付けられた偽名だ。

 ボクと同じく韻の似た名前にしたのだが、当人は既に自身の名前であると認識しているようで、呼ばれる名に対し返答は澱みない。


 ただサクラさんに関しては、ボクと異なり性別を偽ってはいない。

 凛々しい容姿をしてはいるものの、体形などから流石に誤魔化しが利かないためだ。



「ごめんなさいね、忙しいのに手伝ってもらって」


「いえ、ご用があれば何でも言ってください。私で良ければいくらでもお手伝いしますので」



 サクラさんは先輩のメイドに軽く微笑むと、「ちょっと失礼」と言いながら彼女の頭にソッと手を伸ばし、髪に付いた草の欠片を摘まむ。

 その草を丁度よく吹いた風に乗せ、彼方へと飛ばす動作が妙に様になっていた。



「あ、ありがとう」


「いいえ、折角の綺麗な髪を汚すのは、しのびないですから」



 先輩のメイドはそんなサクラさんの姿を見て、礼を口にしつつも呆としている。

 さり気ない所作や少々キザったらしい言葉で、既にこの人は籠絡されてしまったらしい。


 この屋敷へと入り込み、他の使用人達に紹介されて以降サクラさんは妙な人気がある。

 男性陣からは話しかけ易いと。そして女性陣からは、この先輩メイドのような反応をされる場合が多い。

 ある意味サクラさんが持つ最大のスキルである、"外面の良さ"という仮面の能力が、ここでも如何なく発揮されているようだ。



 先輩メイドは少しでもサクラさんと言葉を交わしたいのか、取り留めのない話題を振っては頬を染めている。

 警戒されないよう、愛想を振りまくのは良い。

 ただ今度は逆に屋敷の使用人達との距離が、近くなりすぎてしまっているのではないかと思わなくはない。



「私はそろそろ失礼いたします。ご主人様から申し付かっている仕事がございますので」


「ごめんなさい、引き止めてしまって。また食事の時にでも話しましょう」


「もちろん喜んで。お昼の時間を楽しみにしていますね」



 会釈して立ち去るサクラさんを、先輩メイドは熱心に目で追っている。

 同期のベリンダが召喚した勇者のミツキさんも、会う度にサクラさんへと同じような熱を持った視線を送っていた。

 あれは他の勇者に絡まれていた彼女を、サクラさんが助けたのが切欠であったが。



「そういえば貴女たちって同郷なのよね?」


「は、はい。一応遠縁の親戚でして、似ていませんけれど」



 頬を染めたままの先輩メイドへと、暗記したおいた設定上の関係性を伝える。

 向こうから言われる前に、似ていないけれどと付けておくのも忘れずに。

 こうしておけば、向こうから積極的にそこを突いてくる事は少ない。……はず。


 ただありがたいことに、彼女はその点にはあまり意識が向かなかったようだ。

 「あんな親戚のお姉さんが欲しかった」などと、しみじみとぼやいている。



「あのね、アウラさんが好きそうな物とか知らないかな?」



 サクラさんが去った後で、ボクは再度洗濯室へと戻り残りのシーツを二度に分けて運び、干していく。

 その最中先輩のメイドからは、サクラさんについての話を色々と聞かれ続けた。主に趣味嗜好に関する話を。


 念のためにそういった各種設定を、大まかに設定しておいて正解だった。

 とはいえ細かい所まで聞かれたら、ある程度即興で話を作らなければならない。

 きっと他のメイドたちにも似たような話をする機会はあるはず。

 今夜にでもサクラさんと話をすり合わせておかなければならないと、ボクは心の内で密かに苦笑いをするのであった。


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