内に隠して 01
特定の職業に就かぬ限り、一生の内でまず着る機会はないであろう上等な衣服。
他者へ仕えるためだけに作られたそれも、これはこれでなかなかにアリなんじゃないかと思えてしまう。
ただそれは当然ボクのことではなく、今まさに執事服へと袖を通したサクラさんのことだ。
衝立に隠れ着替え終えた彼女を見た瞬間、ボクは思った。女性の執事も案外カッコイイものなのだなと。
スラリとした長身に纏う、黒いジャケットとパンツ。
今はまだ染めていない黒の長い髪は、一本に束ねられ肩口から下げている。
どうやら視力の矯正器具であるという顔にかかった金属の輪も、こうして見ると随分知的な印象を与えていた。
「姿見が無いからわからないんだけど、どうかな?」
その場でステップを踏むかのようにクルリと回り、サクラさんは執事服を纏った全身を晒す。
初めて着たとは思えない程、執事服が様になっている。
高い身長と姿勢の良さも相まって、何年も執事を続けてきたベテランの気配さえ漂っているようだ。
時折ではあるがサクラさんは、ごく自然に女性を誑し込む。
涼しげな目元としなやかな動き、それに親しい相手の前以外では外さぬ人当たりの良い仮面と相まって、一部のお嬢さん方から妙な人気を博すことがあるのだ。
なのでこのような格好をしていれば、さぞ今まで以上におモテになることだろう。
「こりゃまた随分と様になってんな。胸もないせいでまったく違和感がないぞ」
「ふふ、そこまで褒めてもらえるなんて光栄ね。でもそれ以上言ったら蹴り潰すわよ」
着替えてボクらの前に出てきたサクラさんへと、部屋へやって来たゲンゾーさんは揶揄の声をかけた。
褒めてるんだか貶してるんだかわからないその言葉に、サクラさんは笑顔のまま嫌な返しをする。
潰すとはいったい何をなのか。……いや、たぶんナニをなんだろうけれど。
でも怖いのでボクの見ていない所でやってください。
「とてもお似合いですよ。凛々しい雰囲気がとてもよく映えています。ですよね、クルス君」
「似合います! すごく!」
クレメンテさんに振られたボクは、ついつい拳を握り言葉に力が入ってしまう。
ただ他の部屋に聞こえぬよう自重していた大きな声に慌てて自身の口を押える。
サクラさんは軽い調子で「ありがとう」と言いながら、側に置かれた椅子に座って瞳を輝かせるアルマの頭を撫でていた。
この子もゲンゾーさんと一緒に先ほど来たのだが、どうやらアルマにも好評のようだ。
格好の良いサクラさんと一緒に行動できるというのも、なかなかに眼福か。
そう云う意味では、今回の依頼は悪くないと言っていい。
ただ一つの問題を除いては……。
「さ、次はクルス君の番ね」
やはり都合よく失念してはくれないらしい。
執事の姿となったサクラさんは、卓の上に置かれたメイド服を掴むと、ジワリジワリとボクに迫ってくる。
いつの間にやらゲンゾーさんは扉の前に移動し、逃げ場は無いとばかりに退路を塞ぐ。
クレメンテさんは諦めろと言わんばかりの視線を向け、アルマも期待に満ちた様子でこちらへと熱視線を送り、スカートの下で尻尾を激しく振っていた。
「クルス君、いい加減観念しなさい」
「ほ、本気なんですか……?」
手にメイド服を掴むサクラさんの目は、妙に据わっているように見える。
ここで一つ断言できるのは、既に退路が断たれてしまったということ。
今からボクも執事が良いですと言ったところで、きっとクレメンテさんは受け入れてくれないのだろう。
というかそもそも家事が苦手なサクラさんに、メイドなどという役割が務まるはずがなく、執事となる方がよほど違和感がない。
潜入する先の貴族側も、2人同時に執事を受け入れたって困るだけだろう。
庭師では屋敷内を動き回る理由に乏しいし、護衛としてはボクの容姿が頼りないのくらい自覚している。
そうなると彼女の補佐役として屋敷内を動き回るには、メイドという立場はうってつけ。
そして幸か不幸か、ボクは少年時代から今までずっと、中性的な容姿をからかいの種にされ続けてきた。
「前々から思ってたのよね。クルス君って、スカートが絶対に似合うって」
「う、嬉しくないです!」
「まぁそう言わずに。きっと大丈夫よ、辛いのは一瞬だけですぐ気持ち良くなるはずだから」
理屈としてはわかる。でも感情の方はそうもいかない。
とはいえ今となっては逃げられず、もう観念する以外に道はなさそうだった。
「……わかりました。でも絶対に笑わないで下さいね」
そう言ってボクは嫌々ながら、サクラさんの手からメイド服をふんだくり、衝立の向こうへと周る。
男なのだから、そこまで着替える場所を気にしなくても良いけれど、何とも言えない気恥ずかしさを感じてしまったためだ。
それに普通に考えれば、メイド服に着替える姿など、到底人に見られたいものではない。
衝立の裏に隠れ着ている物を脱ぎ、下着一枚になってからメイド服を手にし考える。
これはいったい、どうやって着ればいいのだろうかと。
「ほら、早く着ちゃいなよ。どうせ背中のボタン留めらんないでしょ?」
ちょっとだけ思案し首を捻っていると、衝立の意味などどこ吹く風、突如としてサクラさんが乱入してくる。
恥ずかしさに身を縮めるも、彼女はそんなものどうでもいいとばかりに、強制的に着替えを手伝い始めた。
急な行為に戸惑うが、黒いワンビース状のメイド服を奪われ、頭から被せられる。
ボクは困惑に声を上げるが、決してその手を止めてはくれない。
「そこ腕通して。あ、ごめん前後逆だった。……てか腕細いわね、それでもホントに騎士団員? っていうか本当に男の子?」
「そんなこと言われましても……」
脚に纏わりつくスカートの感触と、脚の間を走る空気の涼しさに違和感が満載だ。
開いた背中のボタンを留める、サクラさんの手もなんともくすぐったい。
自分が本当に女性となったかのような感覚に、赤面するような恥ずかしさを覚える。
しかも着替えを手伝ってくれているのが、男装したままの女性であるため、何とも形容しがたい感覚だ。
クレメンテさんはご丁寧にも、女性が胸部に身に着ける下着まで用意していたようだった。もちろん詰め物付きで。
途中からそれに気づいたサクラさんは、突如として悪乗りを始める。
嫌がるボクの抵抗など叩き潰そうとするかのように、無理やり組み敷いて着けさせられたのは、恥辱と言ってもいいのだろう。
しばし衝立に囲まれた狭い個所で格闘を続けるも、最後に髪留めを付けられたところでボクの抵抗は終わりを告げる。
「はい、完成。……しかしこれはまた、何と言うか」
「最悪ですよ。もう諦めましたけど」
「それは良かったわ。でもそうね……、とりあえず見せてみましょうか」
完全にボクの着せ替えを終えたサクラさんは、どうにも歯切れの悪そうな様子を見せる。
それもそうか、酷く情けない状況であると自身でも思う。
ただここまで来ればもうヤケだ、堂々と衝立の向こうへと行って、盛大に笑われてやろうじゃないか。
笑われる覚悟を済ませたボクは、意を決し衝立に隠した身体を表に出す。
甚だ不本意ではあるが、当面はこの姿で過ごさなければならないのだから。
衝立の陰から飛び出すボクの姿を、アルマやゲンゾーさん、クレメンテさんは目を点にして凝視する。
逆にボク自身はと言えば、開き直って両足の間隔広く立ち、腕を組み詰め物をされた胸を張っていた。
演じなければならないであろう女性的な仕草など無視し、今はただ堂々と全力で恥ずかしさに耐えるのみ。
「で、コレどう思う……?」
ボクの後に続き衝立の影から姿を現したサクラさんは、今までの悪乗りした様子とはうって変わり、若干気まずそうな表情を浮かべる。
その感情を例えて言うなら、"やってしまった"というところか。
姿見が無いのでボク自身はよくわからないけれど、彼女が言葉を詰まらせてしまうほどに酷い有り様であるらしい。
「こいつは参ったな」
「少々予想外でした……」
ゲンゾーさんとクレメンテさんは弱ったような、どう扱ってよいものか悩む素振りだ。
もし鏡が有ったとしても、確認のため覗き込むのが恐ろしくなる。
中性的と言われてきたボクの容姿ではあるが、さすがに女装などしては目立つはず。
ちょっと無理をしてでもやはり執事服をボクにも用意してもらうか、もしくはサクラさん一人で潜入してもらった方が確実ではないのか。
などと考えため息交じりにこの先について不安を滲ませていたのだが、隣にはいつの間にやらアルマが立っているのに気付く。
折角懐いてくれたというのに、こんな醜態を晒しては嫌われてもおかしくはないと、ガックリ肩を落としてしまう。
ただアルマの目がどういう訳か、先ほどサクラさんの執事服姿を見ていたのと同じく、キラキラ輝いているのが見えた。
いったいどうしたのだろうと思っていると、そのアルマから発せられたのは、なんとも意外な言葉。
「クルスかわいい」
小さく呟くような言葉ではあるが、ボクにはハッキリと聞こえた。かわいいと。
なるほど確かにこの服はある種の可愛さがあるのだとは思う。
こう言うと少々語弊があるが、ボクもメイドさんの制服であるこれを可愛らしいと思うし、密かに憧れに思わなくはないのだ。もちろん自分で着るという意味ではなく。
あるいは無理やり着けさせられた髪留めを指しているのか。これはアルマの物を借りているため、自分の持ち物への自信なのかもしれない。
……などという現実逃避をしてはみるも、実際にアルマが発した言葉の意図はハッキリとしている。
認めたくはないのだ、その言葉の意味を。
しかしそんな僅かな抵抗も、困り顔のサクラさんとゲンゾーさんによって打ち砕かれる。
「予想以上に似合ってるわ……。ボタン留めてる時なんて、普通に男の子だって忘れかけたし」
「前々から女顔だとは思っちゃいたが、こうも違和感がないとはな。普通もっと男らしさが表に出るもんだろうに」
「そうなのよね……。ねぇクルス君、ちょっとスカートめくってもいい? 一応性別を確かめておきたいから」
サクラさんとゲンゾーさんの言葉に、現実を突きつけられる。これはボクに対する言葉なのだと。
確かにボクはこの容姿や性格を、男らしいと評された経験がない。
むしろ小さい頃から、そしてその後騎士団に入って以降も、主に年上の女性たちに不本意ながらカワイイと評されてきた。
そういえば過去に一度ベリンダに言われた経験がある。女装しても気付かなそうであると。
ついでに騎士団に居た備品担当の女性に、それらしい事を言われたような記憶も蘇る。
「彼ならば女装でいけるのではと、ダメ元で持ってきたのですが……。一応執事服は用意してありますけど、こちらは不要ですね」
クレメンテさんの発言に愕然とする。
とんでもない事に、このメイド服はダメで元々といった程度で持ってきたものであったようだ。
これから大仕事が待っているというのに、随分と余裕のある冗談をかましてくれる。
ボクはクレメンテさんの事を、もっと真面目な人だと思っていたというのに。というよりもこれが彼の地であるのかもしれない。
「あの、ボクは執事服の方が良――」
「いっそメイクとかしちゃう? もしくはウィッグとか被せてもいいし」
「両方すればいいのでは。ここまで来たらとことんやりましょう」
「これ胸は詰め物してんのか? もっと増やそうぜ」
「アルマの髪留めあるからつかっていいよ!」
切実なボクの懇願を遮り、全員揃って飾り立てるための案を練り始める。
既に人の話を聞く耳を持つ気さえないようだ。
ついさっきまで悪乗りしていたサクラさんやクレメンテさんはともかく、アルマまでもが乗り気になっている。
この子には真っ直ぐに育って欲しいという、親心にも似たボクの想いは脆くも砕け散っていく。
元来がこういった性格であるのか、サクラさんの影響下に置かれたのが原因かは定かではない。
「お、お手柔らかにお願いします」
これ以上の抵抗を口にしても、おそらく無視されるのがオチ。
早々に諦めたボクは、更に酷い結果にならぬよう祈りつつ、そう言葉を吐くのが精一杯だった。
メイド服のイメージ的には、クラシックでブリティッシュな感じで。