ギソウ 06
ずぶ濡れとなった服を着替え、協会本部に併設された宿の部屋から、一階に在る食堂へと降りたところで実感した。
やはりこの王都エトラニアは、王国において最も勇者たちが集まる地なのだと。
足を踏み入れた食堂は、クラウディアさんが営む宿の数倍以上という広さ。
そして当然ながら、利用する人の数も広さに比例して多い。
食堂に居る勇者と召喚士だけでも、おそらく300人は下らないはず。
見ればボクと同世代の人間も居れば、40代くらいの人も居る。男女比はほぼ半々くらいだろうか。
その中で数人ほど見たような顔が居たが、確か彼らはボクより先に旅立った、同期の召喚士なはずだ。
「なんと言うか、ここまで多いと逆に呆れたものね」
食堂にある適当な席に座り軽く周囲を見渡すと、サクラさんはため息をつくように言葉を洩らす。
彼女の言う通りだ。以前にボクが王都へ来た時には、協会を利用しなかったため知らなかったけれど、まさかここまで大勢の勇者が居るとは。
いくら王都エトラニアが国の中枢であるとはいえ、この人数には溜息が出てしまう。
「実際にこの目で見ると圧巻ですね……」
「この国が召喚した勇者の内、半分近くが王都に居るんだっけ?」
「そうらしいです。これだけの勇者が居れば、確かに魔物の取り合いになってもおかしくありません」
王都周辺の日帰りで行ける範疇に、これだけの人間が活動しているのだ。
この近辺に多い無機物で構成された魔物は、当然のことながら自然繁殖など望めるはずがない。
となれば"黒の聖杯"と呼ばれる、謎の現象による魔物召喚が唯一の発生手段だけれど、これだけ多ければ勇者と召喚士一組辺りが狩れる魔物は限られる。
「やっぱりあの時、王都へ向かわなくて正解でした」
「そうね……。私の武器じゃ通用しにくい相手だし、これだけの数で取り合いなんてしてたら、いつまで経っても武器一つ買えやしない」
ボクとサクラさんは、最初に向かう先を港町のカルテリオにした選択が正しかったのだと、今更ながらに噛みしめる。
もし最初に王都へ向かっていたら、その他大勢の勇者に埋もれ、何もできずに居たように思えてならない。
当然こんな短期間に評価を上げ、大きな邸宅を手に入れるなど夢のまた夢だ。
「それにしても、こんな騒がしい場所で食事するなんて、一昨年ビアガーデン行って以来ね……。お姉さん、こっちに適当な果実酒を2人前頂戴」
サクラさんは腰を降ろした椅子の背もたれに身体を預け、近くを通りかかった給仕の女性へ注文をする。
ビアガーデンなるものが何かは知らないが、この場所に準ずるくらい騒々しい場所のようだ。
頼んだものが卓に届くと、ジョッキに並々と注がれた果実酒を持ち乾杯する。
とりあえずは無事王都まで辿り着けたことを祝して。
ただボクは一瞬チラリと壁沿いの席へ視線を向け、小さな不満を漏らした。
「でも少しだけ寂しいです。こんなに近くへ居るのに、一緒に食事もできないだなんて」
「そこは仕方がないわね。今の時点で、あまり関係があると思われるのは好ましくないもの」
「わかってはいるんですが……」
注文した果実酒は2人分、つまり現在のボクらはアルマやゲンゾーさんたちと別に席へ着いているということになる。
その3人は食堂の隅、比較的人の少ない一角を陣取って食事をしていた。
何故このような事をしているかと言えば、これから貴族の屋敷へと潜入するボクらが、ゲンゾーさんにクレメンテさんという高名な人間と、関わりがあると気取られぬように。
件の貴族の耳に入るとは思えないけれど、人の噂というのはなかなかに恐ろしい。
万が一ということを考え、安全策としてこのような行動を選択したのだった。
「きっとクルス君よりも、アルマの方が寂しがってるはずよ。でもここは我慢しましょ」
「そう……、ですね。これが終わったら目一杯遊んであげます」
アルマには少々寂しい想いをさせてしまうが、暫し我慢してもらうしかないか。
本当であれば協会の宿など使わず、サクラさんが勇者であるという事すら隠してしまいたかった。
一応潜入する際には、植物から作った液で髪を染める予定にはなっている。
けれどそれをするにはまだ早く、現時点では黒髪というこの世界では特異な風貌を持つサクラさんは、一般の宿に泊まっていては逆に目立ってしまうのだ。
何と言ったか……。そう、いわゆる果物を隠すなら農園の中というやつだ。
大勢いる勇者の中に混じってしまえば、サクラさんもあまり目立たずに済む。
注文し運ばれてくる料理を食べ進める中、ボクは時折周囲を窺う。
それにしても人が多い。普通であればボクらのような新顔、現れた途端に何がしかの反応があってもおかしくはない。
ちょっかいをかけるとまでいかずとも、軽く会釈をしたり注目されたりくらいはしそうに思える。
だがそれすらもないというのは、人が多すぎる余りに、誰も気にしていないという証明か。
ゲンゾーさんへは多くの勇者が挨拶しているけれど、彼らは王都における有名人、あまり参考にはならない。
「これだけの人が居るなら、別にボクらでなくても良いんじゃないでしょうか……」
「と言うと?」
「たぶんこの中には、何年も勇者を続けている人も居るはずです。こう言ってはなんですが、おそらくサクラさんより実力が上な勇者も」
酒場に漂う喧騒の中、ジッとサクラさんの目を見る。
具体的になにをとは言わないけれど、当然これは貴族の屋敷へと潜入するという件について。
ざっと見て、勇者だけでも150人以上。
多少口惜しいけれどおそらくこれだけの数が居れば、まだ駆け出しの勇者であるサクラさんより、実力的に上な人間も居るはず。
そんな人間を差し置いて、どうしてクレメンテさんはサクラさんを選んだのか。
いくら帳簿を見る能力が備わっているとはいえ、元来が向こうの世界で使われている代物なら、1人くらいわかる勇者が居てもおかしくはないと思うのだけれど。
「……これは私の推測に過ぎないけど、信用できるかどうかが問題だったんじゃないかな」
「他に任せられる人が居ないってことですか?」
「おっちゃんたちは王都に居を構える勇者を監督するって立場上、特定の勇者と特別親しくはしないって話よ。それに王都で活動してる人たちだと、例のヤツと多少なり接点がある可能性は捨てきれない」
卓の上へ身を乗り出し、小さな声で告げるサクラさん。
彼女は「あくまでも私の想像だけれど」と続けるも、ボクはその言葉にどこか納得をしていた。
前者も言われてみればそうだし、後者などは単純明快な理由だ。
ボクらは南部の小都市を拠点とし、王都に住む人間とは交友関係を持たない。
素性がバレにくい上に貴族と接点を持たず、ある程度人となりを知っている。
サクラさんの知識や技量も含め、クレメンテさんからすればうってつけの人材だったのかもしれない。
「経緯はどうあれ、信用してもらえたってのは喜んでいいと思う。真っ当にやっていたとしても、普通は認めてもらえるまで長い時間がかかるもの」
「そういうものですか」
「そういうものよ。今更逃げ出すってのも無理だし、今回は大人しく信頼に応えてあげましょ」
サクラさんは肩を竦め、頼んだおかわりの果実酒と肴となる肉へ手を伸ばす。
それも悪くないかもしれない。
出会って間もない人にこれだけ信用してもらえるというのは、もちろん悪い心境ではないのだから。
ならばここはサクラさんの言う通り、素直に信頼へと応えるべく動くべきかと、ボクは気を取り直し卓の中央へ置かれた料理へ手を伸ばした。
食事を終えたボクらは、協会運営の宿にとった自室へと戻る。
そこで食休みを経た深夜。ノックする音に反応し部屋へ迎え入れたのは、幾ばくかの荷物を手にしたクレメンテさんであった。
本来ならこうして接触するのも避けたかったけれど、流石になにもわからない状態で放り込まれても困る。
そこで彼は深夜を利用し、ボクとサクラさんへ潜入に必要となる知識や詳細を教授することになった。
「覚えましたか? では復唱してください」
クレメンテさんが今教えてくれているのは、ボクらに与えられた設定。
いくら何でも本当の素性なまま使用人となる訳にはいかず、偽装された別の人間としての生を演じなくてはならない。
決行まではまだ多少日があるとはいえ、直前になって一夜漬けとはいかなかった。
「私はシグレシア王国の東に在る、小国連合の出身。祖父がバランディン子爵と縁があったおかげで、紹介状を書いてもらえたのね」
「ボクたちは遠縁の親戚同士で、執事とメイドとしての技術を習得したいと考え王都へ来た。……でいいんですよね」
部屋の外へと漏れぬよう小さな声で、淀みなくスラスラと言葉を綴る。
バランディン子爵というのは、今回ボクらが貴族の屋敷へ使用人として入るための紹介状を書いてくれた、王国の北部に居を構える親切な老貴族。
……という設定を持つ架空の人物だ。
クレメンテさんの話によれば、こういった特殊な状況で活用できるよう、本当は実在しない貴族籍が複数存在するらしい。
貴族たちに実在の物と認知させるべく、舞踏会などの度に専任の役者を使って存在を偽装しているそうだ。
もちろんその事実は秘匿されており、今回クレメンテさんに情報を流した某高位貴族を含むごく一部の貴族や王族、そして騎士団や協会の幹部しか知らされていないという。
正直、あまり踏み込んではならない話を聞いてしまったような気がしてならない。
「……まぁ、こんなところですか」
「いいんですか? 使用人として振る舞えと言われても、ボクは正直まったくわかりませんよ」
「仕草などに関しては、初心者という設定ですので下手に教えない方が無難でしょう。むしろ素人然としているのが自然ですから」
そういえばボクとサクラさんは共に、見習いの使用人という立場なのだったか。
ならば下手に所作を習うより、クレメンテさんの言うように素人のままでいた方がいいのかもしれない。
「偽造した紹介状はまだ完成していないので、こちらは当日渡すとして……。そうですね、とりあえず衣装合わせでもしておきましょうか」
クレメンテさんはそう言うと、昼間の内にどこかで入手してきたであろう、大きな麻袋を手元に寄せる。
いったい何が入っているのだろうかと思っていたけれど、それには執事服とメイド服が入れられていたらしい。
実はちょっとだけ、執事服というものに憧れがあったので、若干嬉しいようなくすぐったいような。
麻袋から出されたそれは、いかにも典型的な執事とメイドの服装だった。
後ろが長い黒のジャケットに同じく真っ黒なパンツ。白いシャツに蝶ネクタイとベスト。
非常に判り易い執事の衣装だ。
一方のメイド服は、黒のワンピースに白いエプロン。カチューシャなどはなく、思ったよりも飾り気のない淑やかなデザインをしていた。
これがこの国における一般的なメイド服であるらしいけれど、雇う貴族によっては思い思いに意匠を変更したりもするらしい。
「ちょっと気恥ずかしいわね……。この齢でこういった格好をするなんて」
「いいじゃないですか、こんな服を着る機会なんて滅多に有りませんし」
卓の上へ置かれた服を見下ろすサクラさんは、僅かに頬を染め恥ずかしそうにする。
ただボクはそんな彼女を横目に、この服を着たサクラさんの姿を想像していた。
潜入する時には染めてしまうのだけれど、黒く長いサクラさんの髪と黒いメイド服がよく似合っていそうではある。
ボクも一度くらいはご主人様になってみたいものだ。などと善からぬ妄想が駆け巡るが、それは胸の内に仕舞っておくとしよう。
「大きさが合わなかったりしてはいけないので、今のうちに試着してください。もし合わなければ取り換えに行きますので」
「あ、はい。わかりまし…………、た?」
クレメンテさんの言葉に了承し、ボクは執事服へと手を伸ばそうとする。
しかし指先が執事服へ触れた瞬間、どうにもおかしな点に気が付く。
サクラさんはボクと比べ、頭一つ分ほど背が高い。
であるにも関わらず、この執事服は隣に置かれたメイド服より幾分か大きいように見える。
本来ならば男女の体格差もあるのでそれも普通だけれど、ボクらの場合は逆ではないだろうか。
「あの、クレメンテさん。これって大きさが逆だと思うんですが」
「ん? ああ、それなら別に間違っていませんよ」
指摘を口にするボクへと、ニヤリと笑むクレメンテさんの表情に酷く嫌な予感がする。
彼は置かれたメイド服の肩口を掴み、ボクの身体に合わせるように押し付ける。
そしてとても……、とても満面の笑顔でこう告げたのだった。
「なにせこれは、クルス君が着るんですから」




