ギャップ 03
ベリンダと別れたボクは、食堂で木桶にお湯を満たしてもらい、サクラさんが待つ部屋へと向かう。
身体を拭くための布は、サクラさんが使う部屋に置いてあるはずだから必要ないはず。
木桶と服の両方を持つのは若干難しいけど、それを考えずに両方を同時にしようとしたボクの浅はかさが原因なのだ。文句も言いようがない。
「サクラさーん。着替えとお湯を持ってきました、開けて下さい」
木桶を廊下に置き、部屋をノックし要件を述べると、さほど時間をかけずに扉は開かれた。
ただ扉が開かれ目に映った光景に、唖然とし硬直してしまう。
というのも扉の向こうへ立っていたのは、上下共に下着姿の半裸となったサクラさんその人であったからだ。
ボクは思うのだ。これはこちらに対して警戒を抱いていない証拠なのだから、むしろ嬉しく思うべきなのだろうかと。
などと考えつつも、すぐさまハッとし勢いよく視線を逸らす。
しかしバッチリと見てしまった黒い下着が、目に焼き付いて離れてくれない。
下着にレースを使うなんて、異界の人はなんて贅沢なんだろうなどと考えるが、そこでボクの思考は徐々に正常へ戻っていく。
急ぎ周囲を見回すと、サクラさんを部屋へ押し込み勢いよく扉を閉める。
「な、なんて恰好してるんですかサクラさん!」
ボクは赤面しながら叫ぶ。鏡を見た訳ではないが、顔が熱をもっているのがわかった。
極力その姿を見ないように視線を散らしながら、持ってきた服をサクラさんに押し付けると、押し付けた服越しに柔らかい感触が手に伝わる。
目に焼き付いた光景と感触にボクがどぎまぎとしていると、サクラさんの気だるげな礼が耳へ届く。
「ああ、服持ってきてくれたんだ。あんがとね」
欠伸をしながら告げるサクラさん。どうやら僕が服を取りに行っている間、この格好でうたた寝をしていたらしい。
彼女はそう言って、重ねられた服の中から適当な木綿のシャツを手に取り無造作に被る。
とりあえず目の毒な光景から解放され、ボクが安堵の吐息を漏らすと、こんどはサクラさんに向けて少し厳しめの言葉を放つ。
「他の人に見られたらどうするんですか。女性なんですし、もうちょっと慎みってものを持ってもらわないと」
「居るんだ、他の人。クルス君とさっきの教官さん以外、まだ他の人を見てないからさ。誰も居ないと思ってた」
「だとしてもボクに見られちゃダメじゃないですか。ぼ、ボクだって……、一応男なんですから!」
「……ガキんちょがなに生意気言ってんだか」
どうやらサクラさんに、大人扱いはしてもらえないようだ。
実際年齢よりもずっと下に見られてしまう事が多く、師匠曰く母親譲りであるという童顔が恨めしい。
でもこのままでは困る。
しばらくはこの町近辺の、弱い魔物の討伐をして徐々に慣らしていくが、そのうち強い魔物を求めて国内外を旅しなければならない。
そんな共に旅をしている最中に、こうも無防備な様を晒してもらっては困る。そう、色々と困るのだ。
「サクラさん。ちょっといいですか……」
「なによ? 神妙な顔して」
「向こうの世界がどうかは知りませんが、こちらではボクは十分に大人です。それにそんな……、は、はしたない姿で人前に出るのはどうかと思うんです!」
一見幼く見えても、その内面に野獣を飼っている男だって沢山居ると聞く。
ボクの呼び出した勇者であるサクラさんが、そんな輩の毒牙にかけられるなんて許せないし想像もしたくはない。
もちろんあくまでもそういう輩が居るというだけであって、ボクの事ではないが。
何はともあれ、なんとかここでサクラさんには意識改革をしてもらい、そのような連中を近づけさせないようにしてもらわなくては。
その為ならばあえて嫌われるのを覚悟し、彼女へ忠告をするのだ。
「まぁ、わかったわよ。男は狼だから気を付けろってんでしょ」
熱心に力説したおかげか、思ったよりもすんなりと承諾してくれた。
少々肩透かしを食らわされた気分だが、納得してくれたのならばそれでいい。気を付けてさえくれれば十分だ。
うんうんと首を縦に振り、満足の意思を表すボクであったが、サクラさんはニヤリと口角を上げる。
「もしクルス君が狼になったら、その時はちゃんと相手してあげるから安心しなさい」
ああ、全然納得などしてくれてはいなかった。返された言葉に再び赤面するのを感じる。
サクラさんの表情はとても愉快そうであり、明らかにボクの事をからかっている様子だった。
いけない、完全に主導権を握られてしまっている。
いや主導権を握られたというよりも、手玉に取られていると言った方が正解だろうか。この相手は想像以上の難物かもしれない。
「そんなことよりもさ、お湯は持ってきてくれたの?」
「あ、はい。……えっと、廊下に置きっぱなしだった」
咄嗟の出来事だったから、つい廊下に置いたまま部屋に飛び込んだのだった。
慌てて部屋から出て木桶を拾い、戻って手渡す。
「すみません、忘れちゃってました」
「まぁ別にいいけどさ。手間かけさせるわね」
早速身体を拭こうとするサクラさんを残し部屋から出て、扉へと背を預ける。
召喚に成功して喜んだのも束の間、ずっと彼女に振り回されっぱなしだ。
お師匠様、ボクはこんな調子でこれからやっていけるのでしょうか……。
などと記憶の中の師匠へ祈るように問いかけていると、背にした扉から名を呼ぶ声が。
「ねえ、クルス君」
「は、はい! なんでしょうか?」
突然掛けられた声に、つい身体を強張らせる。
何か重要な話があると言わんばかりの、静かでいてハッキリと聞こえる声。
次に紡がれる言葉がどのようなものか想像もつかぬまま、動悸だけを早め続きを待つ。
「お湯がぬるいんだけど」
「……新しいお湯、貰ってきます」
肩から脱力し、フラフラと部屋の前から移動する。
さっきのはともかく、今回のはたぶん悪意も悪戯心もない言動なのだとは思う。
だからこそなんとなく理解した。きっとボクはこの先、彼女に振り回され続ける破目になるのだろうと。
どこか不条理なものを感じながらも、新しいお湯をもらってサクラさんへ届けた後。
物資の管理担当である女性に言われた通り、補給係の人が居る部署へとやってきていた。
これまでに先輩たちや教官から聞いた話だと、最初に貰える予算は雀の涙程度しかないという。
そこから何とかやり繰りをし、武器や防具、その他必要な物を買い揃えなければならない。
「本当に、本当にこれだけですか?」
そう聞いていたからこそ、一応の覚悟はしていた。だが受け取った額の想像以上の少なさに、愕然とし無意識に問うてしまう。
受け取った予算が入れられた小さな麻袋を振ると、チャリンと軽い音が鳴る。
ジャラリという、幾枚もの硬貨が詰まった音ではなくだ。
「言いたい事は重々理解してるんだがな、年々一人当たりに割り振れる額は減ってるんだよ」
「はぁ」
支給される予算を手渡してくれた補給係のおじさんは、当人に非はないというのに心底申し訳なさそうに言う。
彼はテーブルへ置かれた一枚の紙を手に取ると、それをボクが見えるように示す。
無数に書かれた数字、そしてグラフが描かれたものだ。
「近年魔物の発生率が加速度的に増え、比例して勇者もどんどん召喚されている」
「そこは教官から聞きました」
「だが生憎と、国が騎士団へ与える予算は据え置きだ。なにせ魔物が多いせいで田畑は荒らされ、税の徴収にも困ってる有様だからよ。となると当然、数を増した勇者一人一人へ行き渡る金額は」
「減っていく、……と」
納得の理由だ。文句を言う余地すらなくなった。
ただ麻袋の中を覗いてみれば、数枚の硬貨が寂しそうに佇んでいるだけという、なんとも物悲しい光景が目に映る。
これは当初の予定よりも、だいぶ切り詰めて使わなくてはならないようだ。
「弱い魔物でも倒していけば、多少なりと報酬は出るんだ。とりあえずはそれで頑張りな」
「それなんですけど、どこか初めての魔物討伐に丁度いい場所を知りませんか?」
「最初か……。大抵この近辺なら、そこまで強いのも出ないしな。町から離れすぎず、弱いヤツを狙っていけばいいんじゃないか?」
やはりそうなるのだろうか。どちらにせよこれだけの予算では、他の町にたどり着くよりも先に路銀が尽きてしまう。
いざとなれば、ボクが貯めたお給料を使うって手もあるけれど、正直それでも心許ない。
大人しく町の周辺で魔物との戦闘に慣らしながら、地道に路銀を貯めていくのが無難だろうか。
「お前さんたち、明日は武具を見繕いに行くんだろ。その時は必ず、"勇者支援協会"に顔を出しておくんだぞ。色々とアドバイスもしてくれるし、狭いが部屋も格安で借りられる。マズイが一応飯も出るからな」
「マズイんですか……」
「ああ、とんでもなくな。だが食えるだけマシと思え、この町から出発する召喚士と勇者は必ず通る道だ」
「わかりました、必ず」
食事がマズイというのはいただけないが、財布の心もとない今のボクらは、そこを頼らなくてはならない。
勇者を呼び出した今、本来ならば魔物討伐のためにすぐ旅へと出なくてはならないのだ。あまり長く騎士団の施設に居続けることもできない。
補給係のおじさんに礼を言い、ボクはごく僅かに与えられたお金を握り締める。
まずは一に節制、二に節制。三と四で予算の許す限り最高の装備を整え、五に再び節制だ。
国内各地の名物料理などが頭をよぎるが、それはしっかりと戦えるようになって、財布の厚みが増してから。
まずはマズくない食事の出る宿に泊まることを目標にしよう。ボクはそう心の中で決意するのだった。