失 03
一番最初に彼を見た時思ったのは、どうして外国人の子供が目の前に居るのか。だった。
ただ私がそう思うのも当然だろう。
焦げ茶の髪色はともかくとして、目鼻立ちや淡い色をした瞳など、とても日本人には見えなかったのだから。
しかも私の眼には、最初女の子に見えていた。
声の高さにしても僅かに高めで、少しだけハスキー気味な女の子といった程度に思えたというのもある。
そんな彼、"クルス君"に対し最初に発した言葉は、「なにこのクソガキ」。
突然目の前へ広がった光景に動揺し呟いた言葉だったが、今にして思えばあんまりな言い様だ。
なんだか自分自身の本性が露わとなったようで、気恥ずかしさと自己嫌悪が揃って襲い掛かるようであった。
『ほらもう一度言ってごらん、お姉さんがちゃんと聞いててあげるから』
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい痛い痛い痛いいいいい!』
諸々の説明をされ、混乱の最中に取った行動は彼の頭を鷲掴みにすること。
ちょっとばかりの苛立ちをこめ、つい力を込めてしまったのだが、この世界に来てからの私はどういう訳か、随分と力が増しているらしい。
少し力を入れただけで、可愛らしい悲鳴を上げ鳴くクルス君の反応は本気であった。
もう少しだけ聞いていたい気がするも、それも可哀想かと思い放してやる。
解放されたクルス君から聞かされた話によれば、ここは間違いなく異世界などと呼ばれる場所であるという。
なにを血迷った言動をと思いはするも、揃って説明してくれたイケメンのお兄さんも同じことを言っていたし、なによりも外に人を乗せた化け物が飛んでいたのだ。
流石にこうなれば信じるしかなく、直前に葬儀場で見ていた番組の出演者へと、内心密かに謝る他なかった。
ただ多少言葉を濁されるも、ほぼ断言されたのはもうあちらへ帰れないということ。
そして"魔物"と呼ばれる存在に平穏を脅かされているここで、私は"勇者"と呼ばれ戦わねばならないということだ。
そこはまぁいい。どうせ何かしなければ生きていけないし、訳のわからない世界で放り出されるより、多少なりマシというものだろう。
ただ若干……、勇者と言われるのは気恥ずかしい。
それからの日々は、これまでの人生ではありえない出来事の連続。
武器を手に巨大な魔物を狩ったり、私と同じ世界から来た同類に会ったり。何故か全員日本人であるのは非常に謎だけれど。
その代わりと言っていいのか、ここでは自身が生きているという実感が明確に得られる。
自己を殺し、機械のように動いていた以前とは比較にならないほど充実している。その点はこの世界へ召喚されて良かった点だろう。
特にその中でも、私のパートナーとなった少年、クルス君との関わりはなかなかに面白いものがある。
まず彼はちょっとした事で、すぐに赤面してしまう。
自分を成人した大人の男であると言い張っているのだが、その様子はほとんど子供のそれ。
背伸びをしている子供そのもので、実に可愛らしい。
『さ、サクラさん! なんて格好をしてるんですか!』
『別にいいじゃない、一日の終わりくらい楽な服で居させてよ』
『それは服じゃなく、下着って言うんです! なにか着てくださいよ』
時折わざと無防備な姿を見せ反応を楽しんでいるのだが、赤面して慌てふためく姿は、HD画質で録画しBDに保存しておきたいくらいだ。
ただ男の子が大きくなるのは早い。
その内このからかいも、取り返しのつかない展開へ発展してしまうかもしれず、そろそろ自重するべきなのかもしれない。
それと……、これはあまり良くないものではあるが、クルス君に関して気が付いたことがある。
彼は時折私に対し随分と強気であったり、辛辣な感想を投げかける場合がある。
ただどうにもそれは、クルス君が自身を上の立場であると認識しているためではないようだ。
『待ってください。近付くには早すぎます』
『どうして? あの魔物は食事に夢中だし、今のうちに接近すれば射止めるのは容易いでしょう』
『だからこそですよ。食事中だからこそ、もし気付かれた時に危険です。サクラさんはまだこの世界に慣れていない、今はボクの指示に従ってもらいます』
基本的には素直な子だ。私の言葉へと関心を向けてくれるし、もっと知ろうとしてくれる。
最近はそういう状況も減ったが、狩りの時などは前に出過ぎる私を、鋭く諌めてくる時が稀にある。
きっとクルス君は恐ろしいのだ、私が失うというのが。そして私に見放されるというのが。
故に自分を必要以上に大きく見せ、不可欠な存在であるように印象付けようとしている。
自分を認めてほしい。見放されたくないと。
当人がそれに気付いているかはともかく、そういった感情が彼の言動の根幹を成しているように思えてならない。
ある意味で……、私とよく似た人間なのだろう。
その後、活動の場を南部の港町カルテリオへ移した頃。私はそれなりにこの世界にも慣れ始めていた。
こちらでの世情に疎い私に代わり、クルス君が色々と世話を焼いてくれていたのだが、それも不要になりつつある。
ただそれは彼にとって、酷く恐ろしい状態であったらしい。
自身が不要の存在になってしまうのではという、目に見えぬ恐怖を僅かながら抱えていたようにも見える。決してそんなことはないというのに。
しかしそれも、アルマという亜人の少女と接することで、多少は緩和されたようだ。
今までは私に向けていた、"必要とされたい願望"の矛先が、あの少女に向いただけのようではあるけれど。
故にこれもある種の依存と言い表わすべきで、あまり良くはない傾向だ。
「で、随分と真剣に悩んでるっぽいけど。なんかあった?」
「別に。酔いが回ったついでに、思考の方もブン回してるだけよ」
そして今の私は、勇者支援協会の支部を兼ねた宿の一階、そこに在るバーカウンターに身体を預け酒を飲んでいる。
酔いに任せくだをまく私へと、遠慮の欠片もなく話しかけてくる彼女は、ここを経営する女主人のクラウディアだ。
今のところ、私にとってこの町へ来た一番の収穫は彼女の存在かもしれない。
仕事一筋だったこの身にとって、久しぶりに出来た友人と言える存在。
まだ会って間もないが、随分と打ち解けたし多少の相談事もできるという、非常にありがたい人物だ。
「それじゃあその酔っ払いに、酒の席でお決まりな話題でも振りましょうか」
「……何を話す気なのよ?」
不敵な笑みを浮かべるクラウディアは、自身もカウンターの上に乗りだし、私に耳打ちするくらい顔を寄せる。
いったいどんな善からぬ企みをしようとしているのか。
「それは当然、恋のお話ってやつよ」
「……は? なによ、貴女好きな相手でも居るの?」
「アタシじゃないって。サクラよ」
「私? 何か浮いた話あったっけ……」
訝しむこちらの様子に、クラウディアはとぼけるなと言わんばかりに、こちらの鼻先を突いてくる。
彼女は鼻を突いたその人差し指を逸らし、私の背後にあるテーブルへと向ける。
そこには最近この町へやって来た、源三とかいう高名な勇者のおじさんと談笑するクルス君が居た。
「決まってるじゃない。クルス君って間違いなく、貴女のことを好いているでしょう」
「まぁ……、そうね。確かに随分と慕ってくれているとは思う」
「そうじゃないわよ。本当はわかってるんでしょ、アレがほとんど恋愛感情に近いて」
クラウディアは若干真面目になったように、腕を組んで静かに語る。
……彼女の言う通りだ。私だって本当はわかっている。
最近のクルス君から感じる感情。その半分は少年が年上の女性へと向ける、憧れに近いものであるのかもしれない。
しかしきっともう半分は、異性に向ける恋愛感情と言えるものだ。
私はここまで生きてきて、正直そういった経験に乏しいというのは否定しない。
しかし彼から真っ直ぐに向けられる、憧憬と好意の視線に気付かぬほど鈍感でもなかった。
それに実を言えば、彼が何度か宿の自室で一人そういった行為に耽っていたのも知っている。
クルス君が想像している以上に宿の壁は薄いので、隣の部屋である私には微かに聞こえてくるのだ。面白いから黙っているけれど。
ともあれその際に耳を澄ませ窺ってみれば、まず無意識にであろうけど、私の名前を呟いていたため間違いなくそういうことになる。
でもきっと彼自身は、たぶんその感情に気付いていない。自分が召喚した勇者に対する、ただの強い憧れであると認識しているのではないだろうか。
「それで、どうするのかしら。気持ちに応えてあげちゃう?」
「今のところはないかな。成人しているとは言うけどまだ若いし、それに少なくともクルス君自身が気付いて、ちゃんと言葉に出さない限りはね」
「それはまた、なかなかに難しそうねぇ。いったいいつになる事やら」
クルス君の事は嫌いではない。彼の不安定さを差し引いても、むしろ好意的に思っていると言っても過言ではないくらいだ
ただ今のところは、打ち明けられてもかなり悩むところだろう。
まるで弟のようであるというのもあるが、それだけ今の関係性はとても心地よく、そして楽しい。
今はまだ彼が気持ちを言葉に出したところで、適当な調子でからかいその場を収めようとするはず。
「相手がクルス君であるかは置いとくとして。私だって一人寝が寂しい時だってあるし、いつかは結婚をって……」
「ああ、一応はそういった欲求もあるのね」
「ていうか私もそろそろいい歳だしさ、仕事ばっかしてないで良い相手の一人でも見つけようと思ってた矢先に、なんだかよくわかんない世界に放り出されたわけよ。わかるこの気持ち?」
「わっかんないって、アタシは元々この世界の人間なんだから。……んで、いい歳って言うけど、あんまりそうは見えないんだよね。実際サクラって何歳なのさ、言ってみ?」
そういえば彼女には、私の歳を教えていなかったか。教える理由や機会が今までなかったからなのだけれど。
こちらの人たちは、日本人よりも少々大人びて見える場合が多い。
クルス君などは多少例外にも思えるけれど、全体としてはそうだ。日本人から見ての欧米人に対する感覚に近い。
今現在24歳だと言う彼女は、わたしのことを自身とほぼ同じか、あるいは少し下くらいに思っているフシがある。
私は少しだけ迷い、クラウディアの耳元に顔を寄せ、ボソリと教える。
この年齢を聞けば、今後はあまりクルス君との関係性を煽ってきたりはすまい。
「……ウソでしょ、流石に」
「下にサバ読むならまだしも、こんな嘘ついてどうすんのよ」
俄には信じては貰えないようだ。
まあ……、若く見られるというのは、悪い気はしないけれども。
クラウディアは意外とばかりに頭を抱え、困惑混じりに新しい酒を差し出してくる。
それにしても、こんな取り留めのない会話や冗談の言い合える間柄が、なんとも心地よい。
今までこちらで会ってきた人たちも、多くは好感の持てる相手ばかりだ。
日々武器を手に危険へ身を晒しているが、向こうの世界でひたすら血の味がする日々を送っていたのに比べれば、なんと心穏やかで居られるのだろうか。
そんなことを考えると、私がこの世界に来たのは、クルス君に召還されたからだけではないように思えてきている。
きっと……、私自身がこの世界を望んでいたのだと。
最後のところは、四章の03に続く部分になります。