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失 02


 初めてこういった場に出た時は、なんと時間が長いのだろうと思った。

 小さな小さな葬儀場、そこで真っ黒な喪服に身を包む私は、厚い座布団の上で正座し木魚を叩くお坊さんの背を眺め思い出す。


 初めて葬儀に参列したのは、私がずっと幼い頃。確か祖母の葬儀であったはず。

 その頃は死という意味すらよくわからず、子供にはただ退屈なばかりの時間を、走り回り過ごしていた。

 当然母には窘められ、不貞腐れながらお経の響く席へ座っていたのを覚えている。



 2度目は両親と弟のものだった。

 本来ならば、家族で揃って行くはずだった夏休みの遊園地。

 私は当日になって風邪を引いてしまい、それでも行きたいと癇癪を起した弟のために、祖父へ預けられた私を置いて両親と弟は出かけていった。


 きっと楽しかったであろう、その遊園地からの帰り道。

 飲酒運転で暴走したトラックにより私の家族が失われた結果、祖父に手を引かれ参列したのが2度目。

 その時のことはよく覚えていない。しかし呆然として状況が呑み込めず、涙さえも出なかった記憶だけは残っている。



 3度目は……、正直誰の葬儀だったか。

 忘却の彼方ではあるが、おそらく祖父の知人の誰かだろう。

 当時私は高校生だったが、その頃になると流石に退屈であっても、大人しくするという程度の常識は弁えていた。


 それ以降も私的なものや、仕事上の理由で何度か葬儀には参列している。

 ただこうして喪主という立場になるのは初めて。

 棺桶の中で横たわるのは祖父。幼くして両親と弟を失った私を、一人前になるまで育ててくれた大切な人。

 大人になってからは随分と喧嘩もしたけれど、それでも大好きだったおじいちゃん。

 私の……、最後の家族。



「この度はご愁傷さまでした」


「わざわざ遠方からご足労いただきまして、祖父もきっと喜んでおります」



 お経と喪主であるわたしの挨拶を終え、葬儀に少し遅れてやってきた、名も知らない参列者の御婦人と言葉を交わす。

 涙もなくこういった言葉を交わせるのは、私がちゃんとした大人になれた証明なのだろうか。

 それとも何か月も前から、この日が来るのを想定していたからか。


 確かに祖父は、余命幾ばくもないとは医者から宣告を受けていた。

 そのため薄情とは思いつつも、前もって葬儀屋と相談をしたり、役所に届け出る書類の準備などはしていたのだ。

 今思えば、苦しむ祖父が見たくないがために、わざと自身を忙しい状況に追いやろうとしていたようにも思える。




「これで本当に独りか……」



 諸々一連の流れが終わった後、周囲が気を利かせてくれたのか、棺に納められた祖父と2人だけの時間となる。

 この後は焼き場に移動するのだが、道路が渋滞しているという理由で、バスと霊柩車がなかなか来れないという話。

 なのでおそらく、もう少しばかりかかるのだろう。


 偶然にも得られたその短い時間に感謝し、私は棺桶の中で横たわる祖父の頬へ軽く触れ、呟く。



「ゴメンじいちゃん。花嫁姿、見せてあげらんなかったね」



 よく祖父は言っていたものだ。"まだ結婚せんのかこの不良娘は"と。

 それは本当に結婚を急がせているというよりも、祖父なりのコミュニケーションの手段だったように思える。

 対してこちらは"五月蠅いクソジジイ"と言い返していたので、よく似た祖父と孫だったのかもしれない。



「休みはあと3日か。……この間になんとか持ち直さないと」



 適当なパイプ椅子へ腰かけ、天井を見上げ手帳を片手に呟く。

 上司の計らいで、一応忌引きの休暇は十分にもらっている。

 幸いにも今はそれほど忙しい時期でもなく、私が居なくても混乱するといった事もない。

 ただそれはそれで寂しいものがあり、自分が居なくなっても問題はないのではという、焦燥感にも似た感情が滲み出る。


 ただ実際のところ、このまま会社から去ってしまいたいという願望はあった。

 最近は同期で入った男性社員も、そのほとんどが居なくなってしまっている。

 一部残った人間にしても、彼らは私に出世で先を越されたのが随分と悔しかったようで、以前の様に一緒に呑みに行く機会さえも消えていた。


 昨年入った新入社員も、3人の内2人は辞めてしまっている。

 彼女たちは元々やる気に欠けていたので、そこまで痛くはないのだが。

 ただそれらによって、最近上司から小言を言われる機会は増えた。曰く、君の昇進を推薦したのは間違いだったかもしれない、と。

 わたしが管理職になってから、辞める人が増えたというのがその理由らしい。



「もうホント、勘弁してよ……」



 視線を天井から床へと落とし、消え去らんばかりな小さい声で呟く。

 どうしてこうなったのか。がむしゃらにやってきた今までは、全て無駄だったのだろうか。

 小言を言う上司相手に、休み明けにでも辞職願を叩きつけてしまうというのも一つの手であろう。

 いっそ丁度よい、仕事を辞めて心配をかける相手も居なくなったのだから。


 ただその願望を思い留まらせるには、誰か1人だけでもいいから、私を認めてくれる人が居れば十分。。

 よく今まで耐えた、君は悪くない。そう言ってくれる誰かが。



「じいちゃんは、そういうの言ってくれない人だよね」



 祖父はそういった言葉をかけてくれるほど、優しい人ではなかった。

 わしに褒められたければ結果を残せ。そう公言して憚らない人だ。だからあまり褒めてもらった記憶はない。

 それでも辛い思いをして帰ってくると、祖父は黙って自慢のローストビーフを作ってくれたものだ。

 ただ今となっては、それももう食べられない。



 座って1人だけでいると、思考がどんどんと暗くなっていくのを感じる。

 これから祖父を見送るのだ、こんな状態ではそれも儘ならないと思い、追い払うべく別室へ行きそこへ置かれたテレビを点けてみる。


 やっていたのは、お昼時のワイドショー。

 丁度流れていたのは、十代から二十代の若年層の大量失踪事件についてだった。

 昔からあったそうだけれど、ここ何年かは特に顕著となって起き続けているだけに、世間を騒がせている話題だ。



『某国による拉致という説や、犯罪組織による集団略取、あるいは特定宗教による洗脳といった説がよく囁かれますが、教授によれば別の可能性が存在するとのことですが?』


『はい、わたくし共による研究の結果判明した事実ではあるのですが――』



 番組の司会らしき芸能人が、コメンテーターと思われる何処ぞやの大学教授だかに質問をぶつけている。

 画面から発せられる空気感は、どこかノンビリとしたもの。

 おそらく事実であるかどうかというよりも、それを扱って邪推や空想を膨らませようという趣旨なのかもしれない。



『――判明した事実ではあるのですが、その行方不明となった若者たちは、時空の歪みに飲み込まれた可能性があるのです』


『……じ、時空……、ですか?』


『一見してそれは、空想上の出来事と思われるでしょうが、現在の研究では、特定の環境下においては時空の壁面へ一定の裂け目を生じさせ――』



 突如として発せられた言葉に、つい口がポカンと開いてしまう。

 スタジオの中もザワザワとし始め、出演者もどこか視線が泳ぎ困惑を隠せないといった様子だ。

 驚愕の事実に混乱したというよりも、突拍子もない発言に焦っているといったように見える。


 数秒唖然とし口を開くも、私は少しして軽く噴き出してしまう。

 なにやら俄にオカルトめいた話に変わりつつある。

 テロップに表示されたコメンテーターが所属している大学名は、非常に名の通ったものであったが、一気に胡散臭く感じてしまう。


 もしかしてワイドショーだと思っていたのが、実はお笑いの部類に類する番組だったのではないのか。

 出演者も私が知らないだけで、全員有名な芸人なのではという疑念が思考をよぎる。



 ともあれこんな荒唐無稽な話であっても、思考を切り替えるのには役立ってくれたらしい。

 陰鬱な気分を少しばかり晴らせたのに気付き、私は首を振ってリモコンでテレビの電源を切る。



「そんなものが存在するなら、是非私も引きずり込んでもらいたいものね」



 祖父亡き今であれば、行方不明になったところで誰も気にしはしないだろう。

 上司も私を邪魔扱いするのだ、それもいいのかもしれない。

 幸運にも私は失踪者の対象となる二十代、その資格はあるはずだ。


 そこまで考えて、馬鹿げた自身の思考に再度笑いがこみ上げる。

 これから祖父を見送らなければならないというのに、何を考えているというのか。

 それに会社にだって、まだ私を必要としてくれている人は居る。

 他の課で欲しいと言ってくれているところもあるし、去年入った新入社員の残り一人は、要領こそ悪いものの熱心に話しかけてくれる。



「さくらちゃん、バスが来たよ」



 そうこうしている間に、迎えのバスと霊柩車は到着したようだ。

 顔だけ覗き込んだ近所のおじさんが、ようやくそれらが来たことを知らせてくれる。

 現実逃避の時間はここで終わり。私にはまだ、祖父のために一仕事残っている。



「すみません、今行きます」



 そう言って立ち上がり、頭を引っ込めたおじさんの後を追って居間を出ようと一歩踏み出す。

 だがその瞬間だ、私の視界が突如真っ白な光に包まれたのは。


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