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失 01

サクラ回想回です。短い三話構成。

直接本編とは関係なさ気なので、読み飛ばし可。

ほとんどが独白なので、ちょっと読みづらいかとは思います。


 愛しの我が家で待つのは、足を入れるのに躊躇する熱いお風呂と、冷蔵庫でキンキンに冷やしてあるビール。

 コンビニで適当なおつまみを買い、レンタル屋で借りまだ見ていないドラマを見ながら、ソファーに寝転がり日の高い内から独りで乾杯。


 そんな欲求が首をもたげたのは、いつものように会社のデスクへ向かい荒々しくペンを置いた時。

 きっと多くの人が一度と言わず何度となく、何もかも仕事を放りだし帰ってしまいたいと考えたことはあるはず。

 ただ実際に、それを行動に起こす人はそう多くない。

 叱責を喰らうのが目に見えているし、後々で今以上の苦労を負う破目となるのが目に見えているからだ。


 私も今では部下を持つ身、もしこんな真似をしてしまえば、当然誰もついて来てくれなくなってしまう。

 なので仕事の合間に溜まったストレスの解消として、空想の範疇で楽しむのが関の山。

 そんな蠱惑的な妄想を一瞬のうちに済ました私は、腰かけるチェアの向きを変え、重苦しい息と共に言葉を発した。



「確かこの前も同じこと言ったよね? あと何回言えばいいのかしら」


「す、すみませんでした……」



 険しい表情を作る私の前に立つのは、今年入って来たばかりの新入社員。

 彼女はどこか青褪めた顔をし、何度となく私に対し頭を下げていた。


 今の役職に就いて一番期待されるようになったのは、新人たちの教育を行うこと。

 ……しかし今の光景を人が見れば、教育と言うよりも新人イビリのように受け取られかねない気がしてしまう。

 口調は嫌味ったらしく、眼つきは険しい。自身ですらそう思えてしまうほどに。


 ただ彼女は同じ失敗をするのがこれで何度目だか。

 これまでは裏で優しく注意してきたけれど、そろそろそういった時期も卒業しなければならない。

 私のする明確な嫌味を見事跳ね返し、無事乗り越えていってもらえれば良いのだが。



「やる気がないなら、帰ってもらっても構わないんだけどね」


「いえ、頑張ります。もう失敗はしませんので!」



 失敗しないなどと、よく言えるものだ。そんな新入社員など居てたまるものか。

 失敗するのを責めているのではない、むしろ今のうちにどんどん失敗を積み重ね、吸収してくれればそれで十分。

 大抵の人はそうやってきた、私も含めて。


 とはいえこうして人前で嫌われる人間に徹するのも一苦労だ。

 これが素でやれるという嫌な人間も多いけれど、そうでない人にとってはただのストレスでしかない。

 ……ああ、嫌だ。

 出世などするんじゃなかった。ヒラだった頃とは別の心労が溜まる。



「もういいから、次は気を付けて。とりあえずは入力前に再度データのチェック。それでも不安が残るようなら、誰か先輩に確認してもらいなさい」


「はい……。すみませんでした」



 彼女は肩を落としもう一度頭を下げ、とぼとぼと自身のデスクへ戻っていく。

 その様子を見て、言い過ぎてしまったのだろうかと思うも、今の私にはそれすらもわからない。

 私だって管理職一年目なのだ。何もかもが手探りで、どうしてよいのかサッパリ。

 ただ一つだけわかるのは、今現在の私という存在が、3人いる新入社員たちからは酷く恐ろしい存在に見えているということ。



「宮代さん、少し休憩してきなよ」


「……そうね、ちょっとだけ抜けさせてもらおうかな」



 こんなはずじゃなかったのにと、人に悟られぬよう小さな吐息を漏らす。

 ただすぐ隣に居た同僚には聞こえてしまったようで、気を使ってくれた彼女はこっそり私に飴をくれると、リフレッシュしてくるよう告げた。


 鬱屈した気分のままでは、仕事に差し支えてしまうかもしれない。

 そのため彼女に礼を言い、気分転換も兼ねトイレへ行くことにする。

 別に用を足す状態ではないのだが、誰にも見られない空間で気を落ち着けたかった。



 しかしどうやら、それも上手くはいかないようだ。

 移動するまでに歩いた廊下でカーペットの歪みにイラ立ち、トイレの床に溜まった僅かな水に機嫌を損ね、扉の指紋やゴミ箱の位置にすらストレスを覚えてしまう。

 叩きつけるように扉を閉め、蓋が閉まったままなその上に荒く座って深く息を吐くと、少々躊躇いつつももらったレモン味の飴玉を口へ放り込む。


 最近はずっとこんな調子だ。些細なことでイライラしてしまっている。

 憂さ晴らしにどこか日帰りの旅行にでも行こうかと考え、ボケットからスマホを取り出し観光地の情報を眺める。

 ただそうしていると、不意に誰かが入ってくる音が聞こえてきた。


 女子トイレなのだから当然ではあるが、比較的若い女性の声が2人。談笑しながら入ってくる。

 その2人は化粧でも直しているようで、用を足すことなく鏡の前でずっと会話に興じていた。

 人のことを言えた義理ではないが、休憩時間ではないのだから用を済まし、さっさと戻れば良いものをと思っていると、不意に彼女らの口調が変わるのに気付く。



「ほんとむかつくあのオバサン。なんであんなちょっとミスっただけで怒られんのか、マジわかんない」



 この声。おそらくどころか間違いなく、ついさっき私が説教をした新入社員。

 上司への不満をどこかで口にして解消するというのは、気持ちを切り替えるために多少なりと必要かもしれないし、私だって何度となくやってきた。

 だが怒られた理由すらもわからないというこの言葉は、少々信じ難かった。

 ただ苛立ちに任せ、口走っているだけだと思いたいけれど……。



「いい歳して男居ないみたいだし、焦って八つ当たりしてんじゃないの。適当に相手しときゃいいじゃん」


「そういやアイツって独身だっけ。なんか仕事一筋っぽいし、行き遅れそう」


「同期の男よりも先に出世したんでしょ? そりゃモテないって。このままお局一直線」


「あーあ、もっと大きい会社入れてれば、あんな五月蠅い上司に怒られず楽できるのに」


「そうそう、嫌な上司なんて居なさそうだし、若くて金持ちの男とか居るんじゃね?」


「どっかにいい男落ちてねーかな。さっさと結婚して、こんな会社辞めて主婦とかなりたいっつの」



 怒り、なのだろうか。あるいは情けなさか。

 私はトイレの個室で独り、拳を握りしめ俯いていた。


 反省などしていない。ただその場をやり過ごし、こちらを侮蔑の目で見ていた部下。

 これがその部下に対する感情なのか、それともそれを見抜けなかった自身のマヌケさに対するものかはわからない。

 2人は私の存在に気付きもせず、化粧と雑談を終えトイレから出て行く。


 残ったのは香水の強い香りと、彼女らが言うところの行き遅れかけた嫌な上司のみ。

 その悪臭とすら思える臭いが換気扇へ吸い込まれた頃、私は握った拳を個室の扉に叩きつけた。



「糞が!!」



 激しい音と共に、品のない言葉が口をつく。

 私はお前らとは違うんだ、お前らみたいに腰かけ気分で仕事してるんじゃない。

 同期の男連中より先に出世したのだって、私が昼夜問わず彼ら以上に働き続けて結果を残したからだ。

 デカい口は人並みに使えるようになってから吐きやがれ。


 大きな会社なら楽だって? 大きな会社ならこことは比べ物にならないくらいに、内部での激しい競争が待っているんだぞ。

 それに落ちてる良い男を探すだと? お前らみたいな糞以下の女なんぞ、男だって願い下げに決まっている。

 良い男ってのは、ちゃんと女の側を見定めてくるんだよ。はなからお前らなんぞ相手にもしてもらえるはずがない。

 畜生が、ふざけるな、私を小馬鹿にしやがって。


 そんな言葉が思考をドス黒く多い尽くし、叩きつけた拳からはジワリと血が滲む。

 薄らと目尻に涙が溜まっていった頃、徐々に憤りよりも手の痛みが勝り始めた。

 どうやら少しずつではあるが、頭が平静を取り戻し始めたようだ。



「……ああ、確かに私は嫌な上司かもね」



 深い自己嫌悪に襲われ、代わりに真っ先に浮かんだのは、これが私の本性なのだろうかとということ。

 人の目が無いとは言え、社内でこうも暴れてしまう程度の自制心なのだから。


 それに新入社員が使えないなんて当然だ。仕えるよう教育していくのが、私の役目ではなかったのか。

 以前に在籍していた上司が、当時新入社員だった私を使えないと連呼していたのを思い出す。

 ああは成りたくないと思い続けていたはずなのに。

 今の私は、あの元上司と同じになっているように思え、胃の奥に鉛を仕込まれたような重い痛みに苛まれる。



 なんとか落ち着くことができた私は、いつの間にか噛み砕いていた飴を飲み込み、使ってもいないトイレの水を流し個室を出た。

 ハンドソープを使って傷だらけの手を洗うと、僅かに沁みる。

 その痛みに顔を上げ鏡を見ると、自嘲気味な笑いが自然と零れてしまう。



「…………酷い顔」



 鏡へと映ったのは、近頃の睡眠不足からクマができ、肌も荒れ放題な20代後半に入った女。

 なるほどこれを見れば確かに、逃げ出したいと思う気持ちも湧いてくるかもしれない。


 もう一度苦笑を漏らした私は、トイレから出て廊下を歩き、意を決してオフィスへと足を踏み入れる。

 すると丁度出くわしたのは、私が叱責したばかりの新入社員。つまりトイレで陰口を叩いていた片割れだ。



「すみませんでした。次からは一生懸命にやりますので」



 元気よく、深く頭を下げながら言う彼女の姿を、わたしは冷え切った心のまま見下ろす。

 普段であれば、ここで多少の期待を呼び起こしているところ。

 たださっきの会話を聞いてしまった以上、そこまでの心境に至るのは難しそうだった。

 なにせ小心で性格の悪い私は、そこまで広い心を持ち合わせてはいない。


 だが……、それでも指導をする立場として、一応はこう言わなければならないのだろう。



「もういいわよ。反省を次に活かしましょう、貴女はもっとやれるはずなんだから」



 再びドス黒く染まりゆく心を、笑顔の張り付いた鉄の仮面で隠す。

 これは一種の処世術だ。大声で喚き殴りつけたい衝動から、自身の社会的な立場を護るための。


 耐えろ。耐えろ。お前は上司なんだ、ここでキレたら全て台無しだ。

 私は内心ではほくそ笑んでいるであろう彼女の顔を、人より少しだけ高い身長で見下ろしながら想う。

 ああ、早く家に帰りたい、と。


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