我が家 04
この港町カルテリオは基本的に、勇者が多く訪れるような土地ではない。
故に町は常に魔物の脅威に晒され、周囲を高い城壁で囲い、人々はその中で生活のほとんどを完結させてきた。
当然農耕地も壁の内側のみで、その面積も限られた範囲でしかない。
作る作物もその時期毎により多く収穫できる物ばかりで、市場に流通する種類も非常に限られていた。
「やっぱり種類が少ないですね……」
「仕方ないわよ。根菜の類は地下で保存してるみたいだけど」
昼過ぎに狩りを終え町に戻ると、クラウディアさんの宿での採取素材売却とアルマの迎えをし、その足で市場へと向かった。
ただ昼ともなると暑さも厳しく、流石に人出も落ち着いたため市場は若干閑散としている。
既に多くを朝の内に買われてしまっているのか、幾つもの露店を周るも置かれている種類は非常に少ない。
そもそもが地理的な要因で、どうしても市場で扱われる野菜の種類は限られる。
目的の品は根菜なので一応問題はないけど、折角作るのだからもう少し彩豊かにしたかった。
ただない物は仕方がなく、ボクらは売っている品の中から数種類を選び購入する。
とりあえずは今夜使う分だけ。我が家には保存庫の類がないので、その都度買わなければ痛んでしまうからだ。
「とりあえず目的の野菜は手に入れましたね。あとは……」
支払いを済ませ、次の目的地へと視線を向ける。
次は卵を仕入れたいのだけれど、生憎とカルテリオには肉類を専門に扱う商店が存在しない。
というのもここが港町であり魚介が豊富というのに加え、外に居る魔物の影響で、肉の仕入れがほとんど行われてこなかったせいだ。
そのためこの地では肉類が高く売れ、それを目論み運ぼうとした行商人も少数ながら居ると聞く。
ただ大抵の行商人たちは、匂いで魔物を寄せ付けやすい肉よりも、利益は少なくとももっと安全に運べる品を選ぶ。
となれば当然町には肉を専門に扱う商店など存在せず、あるとしても魚屋が極一部だけ扱う程度。
そんな中でも毎日一定数が並ぶ卵というのは、高価ながら町の人たちで取り合いとなっていた。
「卵かい? 今日はもう売り切れちまってなぁ……」
「一応毎日仕入れちゃいるが、まず朝一番に売り切れてしまうよ」
「直接鶏を飼ってる農家に聞いた方が早いと思うぜ」
営業している魚屋を訪ね回ったが、万事この調子だ。
ボクが想像する以上に、この町における肉や卵が貴重な品であると痛感する。
そういえばあまり気にはしていなかったが、この町に来て一度も卵を口にしていない。
もっと北部に在る町では普通にあったため、数日に一度くらいの頻度で食べていたように思う。
やはり所変われば、食も変わるということのようだ。
「すまねえな。昼頃までなら3つあったんだが、もう売れちまったよ」
そうして4件目に訪ねた魚屋も空振りに終わる。
時刻はもう夕方に迫ろうとしている。ほとんどの店も閉まってしまい、ここに無ければもう直接農家に聞いて回るほかない。
とはいえ今から訪ねても迷惑だろう。
「すいませんサクラさん。ちょっと今日は手に入りそうにないです……」
「別に謝らなくていいわよ。この辺じゃ貴重な物だって話だし、いきなり欲しがっても手に入らないのは当然なんだから」
ガクリと肩を落とすボクへと、疲れ眠ってしまったアルマを背負うサクラさんは軽く背を叩く。
そうは言ってくれるけど、やる気も起こしていただけに残念という想いが強い。
今はもう帰る手段すらわからぬ、世界という境界を挟んだ向こうに在るサクラさんの故郷。
そこの料理を食べさせてあげられるろいう、折角の機会であるというのに。
内心ではサクラさんもそれを楽しみにしていたのではないか。ボクにはそう思えてならなかったのだ。
しかしここで粘っても仕方がない。
店主に礼を言い去ろうとすると、商店の店主は偶然ボクらと入れ替わるように来た、客の老婆へと声をかけた。
「なぁ婆さん。あんた確か鶏を何羽か飼ってなかったか?」
「ああ、4羽ほど居るよ。家で食べる分の卵を採るためにね」
「その卵だがよ、この勇者さんたちに少し譲ってやっちゃくれねぇか。どうしても欲しいらしいんだ」
偶然居合わせた、農家を営んでいると思われる老婆の言葉にボクは目を輝かせる。
店主が繋げてくれたこの機会、何とかモノにしたい。
でなければ他の住民たちとの取り合いを制すため、後何日粘る必要があるともしれないのだから。
「もしよろしければ、ボクらに譲っていただけないでしょうか? もちろんお代はお支払いますので」
「本当は今夜にでも使おうと思ってたんだけどねぇ……。ただあんたらには町のみんな世話になってるんだ、4つほど有るからうちへ取りにおいで」
ボクの申し出へと、老婆は快く頷いてくれる。
勇者という立場を利用したようで、少しばかりズルい気もする。
ただこれでサクラさんに料理を作る準備が目途が付いたことに喜び、ボクは老婆と店主へ深く深く頭を下げるのだった。
陽の沈んでいくカルテリオの町を走り、老婆の住む家へと向かう。
快く渡してくれる卵を受け取ったボクは、急ぎ市街中心部にほど近い我が家へと戻った。
そして家の一角に置かれたやたら広い台所へ、ボクは今一人で立っている。
目の前には農家で貰った卵と、近所の食堂で分けてもらった魚の骨で作ったスープ、そして砂糖と油。これが材料の全て。
サクラさんが頭を捻り思い出した材料なのだけど、随分と少ない種類で作れるものだとは思う。
本来ならば魚のスープではなく、もっと違うものを使うらしい。
しかしこちらの世界でそれは手に入らない材料であると、サクラさんは後から思いだしたようだった。
「えっと、溶いた卵にスープを入れてから味付け……、と」
サクラさんがなんとか記憶から掘り起こした作り方が書かれたメモを眺め、僕は卵を相手に格闘していく。
竈に灯した炎へフライパンを当て、植物の油を回し入れる。
そこへ卵とスープを合わせた物を焼くそうなのだけど、味付けは意外なことに砂糖。
卵に砂糖を合わせるなど、お菓子以外には無いと思っていただけに意外だ。
ただサクラさんによると、家庭によっては味付けが塩だったり、幻の調味料ショーユであったりと色々あるらしい。
「続けて失敗は出来ないな……。2人ともお腹を空かせてるし」
意を決し卵を投じる前に、ボクはつい先ほどのことを思い出す。
ボクが食べたいと要望した、根菜を砂糖で甘く味付けした調理は、つい今しがたサクラさんによって作られた。
ただ自分だけでやってみせると言い放ち、台所へ篭ったサクラさんが完成させた物は、想像していたそれと大きく異なる代物。
砂糖を焦がしすぎたのか、全体的に色は焦げ茶。
であるにも関わらず、何故かジャリジャリとした砂糖の食感ばかりが残り、根菜は逆に原型を留めずドロドロとなっていた。
工程の各所で盛大に失敗を重ねたようなその料理、意外にも食べられないことはなかった。
とはいえ決して美味しいとは言い難く、サクラさんが密かに凹んでいたのが印象に残る。
「……とりあえず作ってみよう」
ボクまでしくじる訳にはいかぬと、妙な義務感に駆られつつ、フライパンへと卵の液を落としていく。
ある程度固まってきた頃合いを見計らい、薄く丸く焼かれた玉子を皿へと取り出した。
そうして同じ工程を、何度も繰り返していく。
サクラさんは確か、薄く焼いた玉子を重ね、長方形の形にすると言っていたはずだ。
おそらくはこれを何枚も作って重ね、その形に切ればいいのだろう。
それらを何度も続けていき、10枚以上の丸い薄焼き玉子を重ね、包丁で端を落として長方形の形にする。
ただやはりこの形状にする理由が謎で、切り落とした端の部分が随分と勿体ないと思える。
案外向こうの世界では、この形に何か特別な意味が込められているのだろうと考え、ボクは出来上がったそれをリビングへと運ぶ。
「一応できましたよ。どうぞ食べてみてください」
リビングへ移動すると、そこへは既に椅子へ座り準備万端といった様子のサクラさんとアルマが待っていた。
揃って両手にナイフとフォークを握り締める姿は、両者に存在する年齢の差を感じさせない。
もちろん、幼いアルマの側に寄ったものではあるけれど。
心待ちにしていたであろう彼女らの前へと、出来上がった皿を置く。
一瞬サクラさんの目がそれを見た輝いたように思えるも、すぐさま彼女の表情が怪訝そうなものに変わるのに気付く。
「……?」
「どうしました?」
「ああ、そういうことね……。これは私の説明が悪かったんでしょうね、間違いなく」
「……な、なにか間違ってしまいましたかね」
どうやら彼女が考えていた物と、ボクが想像して作った品は大きく違う点が存在するようだ。
クスクスと笑い始めたサクラさんの姿に、ボクは多少の動揺を隠せず問う。
聞けば薄く焼いた卵を折り畳んでいき、継ぎ足していくように焼くのだと言う。
それは確かに説明不足というか、彼女の言うように理解するのは無理というもの。それにどうやら本来は、専用の道具を使うらしい。
「もう一度作り直してみますね。あ、でももう卵が……」
「別に問題はないわよ。想像してたのとちょっと違うけど、味は変わらないでしょう。たぶんね」
そう言うと、苦笑いしながらもナイフで一口分を切り取り口に運ぶ。
ゆっくりと咀嚼するサクラさんを緊張の面持ちで見ながら、感想を待つ。
少しして飲み込んだ彼女の表情が、懐かしそうに柔らかく解れていく様にボクは安堵した。
少なくとも美味しくないということはなさそうだ。
「見た目はクリーム無しのミルクレープみたいだけど、美味しい。母親が作ってくれたのはもっと甘かった気がするけど、子供用にかなり砂糖を入れていたのかしら」
「す、すみません。砂糖がちょっと高かったので、抑えすぎたかもしれません」
「ううん、このくらいでいいわよ。あの甘さは大人にはちょっとキツすぎるでしょうし。ほぼ私が食べたかった味」
サクラさんが刺したフォークから、重ねた玉子の層がバラバラと崩れていく。
それを見ながら彼女は小さく微笑むのだが、視線はもっと向こう、遠い故郷を見ているかのようだ。
ボクも故郷の味が恋しくなる時はまま有る。
ただボクのそれとは異なり、サクラさんの故郷は帰ろうと思えど決して届かないトコロにある。
サクラさんをこの世界に召喚し、3ヶ月少々。
それは決して長い月日ではないけれど、これからその数字は延々と積み重なっていくのだ。
「でもやっぱり、魚介のスープじゃちょっと違うわね。やっぱり鰹出汁じゃないと」
「それは作れないんですか?」
「難しいかな。そもそも私だって、詳しい製法を知ってやしないし。……そのうちこっちの世界に慣れて、向こうの味を忘れる日が来るかもね」
そう言って、アルマと一緒になって玉子焼きの残りを満足気に食べ進めるサクラさんの姿は、ボクには少し悲しそうにも見えた。
サクラさんに料理を覚えてもらおうと試みたけれど、逆に郷愁の念を呼び起こしてしまう結果になってしまったのだと。
当人の意志すらも関係なく、こちらの都合で無理やりに呼び出す召喚。
それによって彼女たち勇者は、故郷へ帰れなくされている。
サクラさんやゲンゾーさん。タケルにミツキさん、ソウヤとコーイチロウらの全員がそうだ。
サクラさんと行動を共にする中で、ボクはいつの間にか忘れてしまっていた。
命令があったとはいえ自身がそれに加担し、サクラさんを永久に故郷から引き剥がしてしまったのだと。
「食べたくなったら、また言ってください。次は上手く作ってみせます」
「いいのかしら、そんな安請け合いをして。自重せずに毎度おねだりするかもよ?」
内に抱えた暗く沈む感情を抑え込み、笑顔を浮かべてまた作ると告げるなり、サクラさんはニヤリと笑み脅しをかける。
だがそんなサクラさんへ返せる言葉は、これだけしかなかったのだ。
「構いませんよ。これから何度でも……、何度でも作りますから」