我が家 02
「さあアルマ、今日からここが君の住む家だよ」
翌早朝から教会へアルマを迎えに行き、僅かな荷物が入った小さな鞄を下げ、その足で新しい我が家へと向かった。
数人残っていた子供たちとの別れを惜しんでいたアルマだったけれど、その悲しさも目の前に在る新居を見るや吹き飛んでしまったようだ。
瞳を輝かせ、人目を憚らずかつてない程にバタバタと尾を降り回し、全力で興奮を表現する。
案外ボクが思っていたよりも、現金な子なのかもしれない。
サクラさんと同じく、庭の広さに衝撃を受けるアルマの背を押し家の中へ。
1階から順番に中を案内していき、2階へ上がってからはお待ちかねのアルマ個人に与えられた部屋だ。
「そしてここがアルマの部屋。専用のベッドに勉強もできる机、アルマが着る服を入れるクローゼットだって有る」
どうだと言わんばかりに、ボクは胸を張る。
この家を手に入れるまで紆余曲折はあったものの、戦いを経て手に入れた我が家だ。
もっとも戦っていたのはほぼサクラさんであるし、家を手に入れたのも運の要素が強いことは否定しないけれど。
一人で使うには少々広すぎるかもしれない部屋を前にし、言葉を失うアルマ。
さては感動に言葉を失っているに違いない。などと思っていたボクだったが、どうやら実際には異なる感情を抱いていたらしい。
「……クルスと一緒じゃないの?」
「せ、折角こんなに広い家なんだからさ、一人ずつ部屋があってもいいかなって」
「いっしょがいい。ひとりでねるのヤだよ」
不意に掛けられたその言葉に、ボクはアルマを抱きしめてやりたい衝動に駆られる。
もちろんボクはオスワルドさんと異なり、小児性愛の趣味はない。
ただあまりに可愛らしいその言葉に、歳の離れた妹でもできたかのような想いを抱いたのだ。
尾が真下へと垂れ下がり、寂しそうにするアルマを見下ろしていると、何とも言えない感情がこみ上げてくるのを感じる。
「あんたたちまだこんな所で突っ立ってんの? 早く荷物を片付けちゃいなさい」
大量に運び込まれた自室の荷物相手に、悪戦苦闘し整理していたサクラさんが、いつの間にかボクらの背後に立っていた。
そんな彼女にアルマが発した言葉を伝えると、困ったような呆れたような表情を浮かべながら、しゃがんでアルマと同じ髙さの目線にする。
そして真剣な様子で、諭すように語るのだった。
「いい、アルマ。いくら寂しくても男と同じベッドで寝たいなんて言っちゃ絶対にダメ。男はほぼ例外なく狼なの、獣なの」
「……けだもの? クルスも?」
「もちろん、アルマみたいに小さな女の子なんてすぐ食べられちゃうんだから。……そういう趣味の人だったらだけど」
これは一種の情操教育であると言ってもよいのだろうか。
ボクに対してあまりにも失礼な物言いであるとは思うのだが、言ってる事はそのものはあながち間違いでもないように思える。
だが当然ながら、ボクはそんな真似をする気などさらさらない。
自身でも重ねて確認するが、ボクは幼い少女に対し興奮する類の趣味を持ち合わせてはいなかった。
むしろどちらかと言えば、年上の方が……。
「まぁクルス君は大丈夫だと思うけどね。彼たぶん年上好きだし」
「そうなの?」
ニヤリとするサクラさんと、キョトンとした様子のアルマに見上げられボクは困り果てる。
まさかとは思うが、今の思考まで読まれてしまったというのか。
ともあれこれは非常に良くない傾向だ。
アルマの身元が判明するまで、どれだけの期間ボクらと一緒に暮らすのかは依然として知れない。
そんな状況で、サクラさんの持つ人前用の仮面を外した本性は、あまりアルマの教育によろしくない気がしてならなかった。
目の前で悪戯っぽい笑みを浮かべる人物に任せていては、アルマまでもが似たような性格に育ってしまうのではという不安が押し寄せてくる。
もし2人が揃って、下ネタ交じりにボクをからかうような状況にでもなったらと考えると、なんとも恐ろしい。
…………それはそれで悪くはなさそうだけど。
「そ、そんなことよりアルマの服を買いに行きましょう。早くしないと陽が暮れちゃいますし」
「……話を逸らしたわね」
「なんのことかわかりません。ついでに外でお昼も済ませましょう」
とりあえずは今の困った状態を解消すべく、話を逸らすと踵を返しアルマの部屋から逃げ出す。
階段を下りていくボクの背後から、「逃げたな」という言葉が浴びせられるけど、ここはあえて聞こえないフリをした。
ともあれボクらはアルマの衣服を買うべく、先日寝具を購入した商店へ向かう。
教会で暮らしていた時には、アルマも体格の似た子供たちと服を共用していたけれど、共に暮らす以上はそうもいかない。
そしてなによりもサクラさんが嬉々として、アルマの服を買いたがっていた。
商会の店舗へと入るなり、サクラさんは商品を物色し始める。
そこで手にした商品をアルマの身体へ当てるも、彼女は少しばかり困った様子で首を傾げた。
「短いの穿かせてあげたいのは山々なんだけど……」
「どうしてもはみ出しちゃいますね。夏なんで涼しい方が良いとは思いますが」
「かと言って堂々と晒すってのもね。町の人たちはもう知ってるけど、他所の人が見たら……」
アルマの服に関し難色を示すサクラさんが問題としているのは、値段や意匠の問題ではなくスカートの長さ。
つまりそれを着るアルマにとって重要な、亜人の特徴となる尾が隠れるか否かといった問題だ。
これから夏の盛りを迎え、ただでさえ暑苦しくなりがちな尾に風を通すため、少しでも涼しい恰好をさせてあげたいという気持ちはある。
しかし髪の毛に隠してしまえる耳とは異なり、尾はそれなりの長さと毛量があるため、どうしても脛丈までのスカートが必要となってしまう。
アルマを亜人知るや善からぬ考えを起こす者は居るため、極力そうとは感じさせない恰好で居る方が無難。
「着る服が限定されてしまうってのはちょっと可哀想ですけど、仕方ないですね」
「こればかりは我慢してもらうしかないか。アルマはどれか欲しい服ある?」
問うサクラさんの顔を見上げ、アルマは首を横に振る。
欲しい物がないというよりは、贅沢を言ってはいけないと考えているふしがある。
あまり遠慮せずとも良いのだが、幼いなりに気を使おうとしているのだろうか。
きっと無理やり聞き出そうとしても、何でも良いと言うばかりだとは思う。
もし仮に希望を告げたとしても、妙に気を使って値段の安い物ばかりを選ぼうとするかもしれない。
それをさせるのも心苦しく、ならばボクらが選んであげるのも手か。
「ならこのシャツはどうかな?」
ボクは山と積まれた服の中から、丁度良さそうな大きさの一枚を選ぶ。
薄灰色の単色という一般的な品だけど、裾に小さく刺繍が施されていたりと、少しだけ可愛らしい印象を受ける服だ。
これから暑くなるため涼しげな白などが良いだろうかと考えはしたが、ああいった汚れが目立ちやすい色はあまり好まれない。
そのため店の中を見回しても、大人向けに数点置かれているくらいだった。
やはり子供は走り回って服を汚すのが本文、どうしても人気はないようだ。
「それでいい」
「うん、それじゃこれは買っちゃおうね」
どうやらボクが選んだ服は好ましかったようで、アルマは淡く微笑んでくれる。
なんとかまずは一点が決定。
チラッと見た限り、ボクが普段着ているものの倍近くの値がしたが、喜んでくれているようだしまあいいだろう。
それにしても子供用の服は高い。世のお母さんたちが懸命に一から縫ったり、お下がりを重宝している理由がよくわかる。
次からは布を買って来て、一から作った方が良いかもしれない。
サクラさんはこういった作業を苦手としており、彼女の服の解れなどもこれまでボクが直している。
なのでアルマの服を縫うのは、どちらにせよボクの役割になるはずだ。
「ちょっと待って、私のも見てよアルマ!」
そんな様子を見て、サクラさんは焦りを露わとする。
別段アルマとの関係が悪くはないけど、正直この少女はボクの方により懐いている。
なのでサクラさんとしては服を選ぶのにかこつけ、少しでも距離を縮めようとしていたようだ。
そのため慌てたサクラさんは手にした服を片っ端からアルマに見せるも、あまり芳しい反応は得られない。
着せ替え人形よろしく次々と試着もされていくけれど、この様子だとアルマは最初に渡した服以外、これといって気に入った物はなさそうだった。
こう言っては自意識過剰だろうけど、たぶんボクが選んだというのが重要であったらしい。
「サクラさん、当人も欲しがっていないみたいですし、また次回にってことで……」
「もう少しだけ! ……アルマ、これとかどうかな?」
なんとか負けじと服を探すサクラさんは、壁に視線をやるなり一つの品に目を止める。
それはたぶん大人向けの物であろう、一見してアルマには大きく見える黒のキャスケット帽。
ただその大きさが逆に、アルマの耳を隠すには丁度良さそうには見えた。
「少しだけ大きいけど、アルマの赤い髪にはよく似合ってると思うの」
「良いと思いますよ、上手く耳も隠れてくれますし。どうかな?」
サクラさんが手にしたその帽子をジッと見るアルマ。
一瞬好感触かと思いはするも、考え込んでから少しして首を横に振った。
これもダメかと、がっくり項垂れるサクラさん。
しかし彼女の言うように、ボクもアルマにはよく似合っているように思えた。
それでも首を縦に振ってくれなかったのには、アルマなりの理由があったからのようだ。
「……クルスがくれたのがあるから」
ボソリと呟くアルマの言葉に、つい首を傾げる。
そうは言われても、ボクはアルマに帽子をあげた記憶など無い。
なのでいったい何を指しているのかわからなかったのだけど、その反応に業を煮やしたのか、アルマは少しむくれた様子で自身の頭へと指を向けた。
細く小さな指が示す先に在るのは、以前ボクらがあげた銀色の髪飾りだ。
亜人の特徴である耳から、人の視線を逸らすという目的もあり贈った品だけれど、アルマは気に入ってくれたのか会うたびに着けていた。
これがあるから、帽子は不要と言うことらしい。
「……そっか。大切にしてくれてるのね」
「うん!」
半ば諦めた様子なサクラさんの言葉に、普段の人に隠れるような仕草とは一変、元気よく返事をするアルマ。
そんなアルマの姿に、ボクは密かに胸を撫で下ろす。
おそらくここ何か月かの間に、アルマは家族から引き離され、見ず知らずの土地へと連れて来られ身の危険に晒された。
そのため多少と言わず、無理をしているというのは想像に難くない。
でもこうして明るい笑顔を向けてくれるのは、ボクとサクラさんにとってある種の救いだった。