特別 14
先を行くサクラさんを追って辿り着いた邸宅は、市場から道を一本入った先に在る、住宅街に入ってすぐの場所に建っていた。
港町カルテリオは王都からも遠く離れ、人口も1万少々という小さな田舎町だ。
それでも市場からすぐというこの場所は、まさに一等地。
普通であればボクらのような新米勇者と召喚士には、到底手の出ぬ場所には違いない。
「なんていうか、想像よりずっと豪華ですね」
「……甘く見てたわ。まさか町長さんが、ここまで本気だったなんて」
その町へ居を構える報酬として提示された物件を前に、ボクとサクラさんは唖然とし見上げる。
他の家々と同じく、そこは多くの石材と木を組み合わせて建てられている。
ただ滑らかに削られた石の表面は、綺麗に白く塗装をされており、富裕層向けという言葉に偽りないであろう瀟洒さ。
青く塗られた2階の屋根へ向け、壁沿いに伸びる蔦は計算して生やされており、いかにもといった雰囲気を醸し出しているように見える。
大きさもおそらく、クラウディアさんが営む宿と同じくらいの広さがある。
なので2人で使うには十分。いやむしろ持て余してしまうほどだ。
周囲を魔物対策の城壁で囲み、限られた広さに町を詰め込んだカルテリオにおいて、土地の広さというのはそれこそ富の象徴。
なので確かにサクラさんの言うように、こんな豪邸を前にしてしまえば、町長が本気である度合いが伝わってくるというもの。
教えられた住所が間違いでなければではあるけど。
「クルス君、庭よ庭! 広っ!」
早速息を呑みつつも敷地に入ると、サクラさんは拳を握りしめ叫ぶ。
町が管理しているという敷地は草が綺麗に刈り取られ、これといって何も植えられてはいないものの、小さな花壇までもが作られていた。
裏手にある庭も広く、おそらく建物と同程度かそれ以上。やはりこれも2人では持て余してしまう。
「家庭菜園とかいいわね。ハーブを植えるってのも一度やってみたかったし」
サクラさんはそんな広く綺麗な庭を前に、上機嫌で活用法を想像し始める。
どうやら彼女の生まれた国では土地が高く、持ち家というものがなかなかに手の出ぬものであったせいなのだろう。
ボクなどは親代わりのお師匠様が持つ敷地が広く、森なのか山なのかすら定かでなかった。
なのでこういったものに対する思い入れというのが、イマイチ理解し辛かったりするのだが。
「サクラさん、庭もいいですけど中に入りませんか?」
「ちょっと待ってよ、今いいところなんだから」
「先に入ってますよ」
目の前にした広い庭に、空想が止まらなくなったサクラさんを置いて、ボクは預かった鍵を取り出す。
なかなかに立派な作りをした扉へ差し込み、重いそれを引き開け中へ入ると、思いのほか簡素な内装が目に飛び込む。
広さに見合った大きさの玄関ホールと、左右に伸びる廊下と幾つかの部屋。それに2階へ上がる階段。
外から見た印象通りな、いかにもといった豪邸の造りだ。
とはいえ壁の塗装や階段の手すりなどは、高価な材料で丁寧に作られているようだし、壁には小さいながら絵も。
ここがやはり相当豪勢に造られた物件である様子が伺える。
「なかなか悪くないかもね。なんだか高そうな絵も飾ってあるし」
「あまり触らないで下さいよ。まだ貰うと返事してないんですし」
「わかってるって、子供じゃないんだから」
いつの間にか後ろに着いて入っていたサクラさんは、家に入るなり中を見回し感嘆の声を上げる。
見れば所々に小さな壷や額縁が飾ってあり、それだけで高級感を感じてしまいそうな雰囲気だ。
大抵こういった物は住人の好みで置かれそうなものだけど、案外これはこの邸宅の宣伝用として飾られているのかもしれない。
そこからボクらは、順に一階のリビングや台所などを見ていく。
どの部屋もかなり広く、やはりこれは二人で住むような広さであるとは思えなかった。
なのでおそらく、使用人を置いて管理してもらうのが前提。
「使用人ね……。確かにこれだけ家が広いと、専属の人間が居なければ掃除も行き届かないでしょうし」
「使用人を雇うのは問題ないと思いますよ。大蜘蛛討伐分の報酬がなかったとしても、最近のサクラさんでしたら十分に払えます」
サクラさんは懐事情を心配するも、もっぱら財布を管理するボクはすぐさまその心配を無用と返す。
安定して近隣の魔物を狩ることで、港町カルテリオの物流は大幅に改善しつつある。
そのためサクラさんが狩った魔物の素材も、他の町へ移送することが可能となり、需要増で買い取り額も大きく跳ね上がった。
なので魔物を月に3~4体も狩れば、使用人を1人迎え入れても十分おつりがくるのだ。
そういった使用人を雇う事も含めて、町長はボクらにここを宛がおうとしたに違いない。
それに勇者が定住を決め豊かな暮らしをしている様子を見せれば、他の勇者もこの地を好むようになるかも。
人の良さそうな町長ではあったけど、きっとそこまで考えていたのだと思う。
「でも魔物が減ったりとかは? あんまり狩り過ぎて居なくなっても困るんだけど」
「昆虫型の魔物は増え易いですからね。サクラさん1人が毎日10体くらい狩っても、まず全滅はしませんよ」
「それはそれでどうなのかしらね……」
"大蜘蛛"や"森の王"などの、強力な魔物は"黒の聖杯"という謎の現象によってのみ、極少数が召喚される。
それに対し比較的弱い魔物は多く召喚され、この世界へ発生をして以降繁殖し、既に自然の一部となりつつある。
特にカルテリオ近辺に多い昆虫型魔物は、旺盛な繁殖力によってその数は際限ない。
気温が下がると増え辛くなるけれど、春や夏であればまず全滅というのはありえなかった。
「部屋は幾つもありますし、住み込みでも十分でしょうね」
「へぇ。クルス君は使用人が居てもいいんだ」
「えっと、それはどういう……」
なので基本的には使用人を雇う事に問題はない。
ただそのことを告げるボクへ、サクラさんはなにやら意味深な言葉と視線を向けてくる。
「別に。ただちょっとだけ、クルス君には私と2人だけの方が好ましいんじゃないかと思って」
「そ、そんなことはありませんよ。いや別にサクラさんと一緒なのが嫌って訳ではなく!」
「なにをそんな狼狽えてんのよ。ちょっとした冗談じゃない」
悪戯っぽい笑みを浮かべるサクラさんは、くすりと声を漏らし背を向ける。
いけない、完全に弄ばれている。この大きな家という舞台は、彼女の悪戯心をくすぐっているようだ。
しかしそのサクラさん曰く冗談という内容に、ボクはほんの少しだけ空想を膨らませてしまう。
リビングでソファーに腰かけ、淹れたお茶を揃って飲む姿。
一緒に台所へ立ち作った温かい料理を、食卓で囲み穏やかな時間を過ごす光景。
そんな様子をつい想像してしまい、頬が緩んでしまうのを手で押さえて隠す。
ダメだダメだ。こんなことを考えていては、きっと勘の鋭いサクラさんのことだ、すぐにでも察してしまうはず。
ボクは脳裏を過った妄想を打ち払い、涼しい顔を作って奥へと進んでいくサクラさんの後を追う。
次いで2階へ上がると、5つほどある部屋の全ては寝室だった。
もしここに住むのならば、内一つを潰して物置にしても十分そうだ。
寝室に置かれた大きなベッドを見て、またよからぬ想像をしそうになったため、頭を振り煩悩を追い出す。
「なんていうか、今の私たちの状況ってアレに似てるわね」
「アレって、なんですか?」
「新居を探しに来た新婚夫婦」
その言葉にボクは一気に赤面するのを感じた。必死に追い出したはずの妄想が再び首をもたげる。
サクラさんは当然ボクをイジるために言ってるのだろうけれど、寝室として作られた部屋を前にしてその言葉は勘弁して欲しい。
顔に手を当てて緩む表情を見られぬよう隠すのだが、ボクのそんな様子を見るまでもなく、どんな想像をしてしまったのか予想がついたようだ。
「どうしたの? 随分と顔が真っ赤だけど、風邪かしら?」
ニヤニヤとからかうように、ボクの顔を覗き込みながら言ってくる。
白々しく、というよりもその意図を隠す気はさらさらないようだ。
最近久しくからかわれる事が無かったため油断していた。
彼女はこういった人を玩具にする絶好の機会を逃すような人ではない。今までの緩みそうになっていた表情もバレていた可能性が高い。
「新婚夫婦なら寝室は一つでよかったのにね。残念だったわねクルス君」
「いや……、それは」
「そうよね、私と一緒の部屋なんてイヤよね……」
僅かに表情を曇らせ、サクラさんは軽く俯いて声のトーンを落とす。
その様子にボクは慌て、そんなことはないと声を掛けそうになる。
だがその表情の影へと、面白そうに口の端をヒクリと動かすのが見えた。
「気持ちはわかるわ。だって寝室が同じだと、一人で落ち着いて出来やしないものね」
と言って顔を上げ、にこやかに親指を立ててボクへと示す。
嗚呼……、この唐突に飛んでくる下ネタの最低な感じ、久しぶりだ。
むしろここまで最低だと、いっそ逆に清々しい。
ただサクラさんは、ひとしきりボクをからかい満足したらしい。
寝室の窓を開け眼下の庭を見下ろし、振り返ってから穏やかな表情を浮かべる。
「と、冗談はここまでにして。どうかな、私としてはこれ以上ない提案だと思うけど?」
おどけた雰囲気を僅かに残しながら、軽い調子で問いかけてくる。
町長からの提案を受け入れるかどうかという選択だが、彼女の意志はもう固まりつつあるようだ。
「いいと思います。ですが一応2日は時間をいただきましたからね、その間にしっかり考えましょう」
「慎重ね。むしろ君の方が乗り気だと思ってたんだけれど」
確かに今はサクラさんと一緒に、この町に残るというのも悪くないと思っている。
だが実際のところサクラさんが言っていた、地方で活動する不利を一番気にしているのはボク自身ではないかと思い始めていた。
きっとボクは自分自身で考えていた以上に、名誉や称賛というものに対する憧れが強かったように思う。
幼い頃からお師匠様のように、英雄的な勇者の召喚士となるのを夢見続けてきたというのが理由。
故にこの機会を逃せば、今後得られないであろう高待遇へ飛びつくのを躊躇っている。
「悩むのはタダですからね。後悔の無いようにしたいだけですよ」
ボクはそんな内心をひた隠し、ほんの少しの嘘をつく。
ただきっとサクラさんはこれに勘付いているのではないか。そんな気がして仕方がなかった。