特別 12
目を覚ましたボクが窓の外へ見たのは、真っ赤に染まった空だった。
ベッドへと横になった状態で、窓から差し込む夕日を浴びつつ記憶を探る。
そうだ、あの後戻ってからすぐさまベッドへと倒れ込み、瞬きをすればそのまま眠ってしまいそうだと考えていたのだった。
結局やはりそのまま眠ってしまったようで、ボクは身体を起こし大きく疲労混じりの息を吐く。
まだ若干寝足りないような気はするけど、これ以上眠って昼夜の感覚が狂っても困る。
身体を纏う睡眠への欲求をなんとかで跳ね飛ばし、自室を出ると階下の食堂へと向かった。
大きく欠伸をしながら降りてみると、そこにはいつ頃起きたのか、サクラさんとゲンゾーさんの姿が。
2人は向かい合って座り、何やら議論を交わしている。
「あの大蜘蛛がヴーズを食べた後、排泄されるまでの過程でどういう理屈か知らないけど、体内で精製されていったと考えるのが自然じゃない?」
「じゃあ何か。ヴーズの身体は原油みたいなもんで、あの馬鹿デカイ蜘蛛は生きた精製施設だと?」
「黒い糸があれだけの可燃性を持っていた以上、同じく燃え易いヴーズが原料と考えるのは自然だと思うけど」
いったいサクラさんたちは、何について話をしているのか。
聞いている限りその熱心さからするに、どうにもお金が関わってきそうな話ではあるようだが。
少々面倒臭そうな気配を感じるけど、ボクだけで食事に向かうのも気が引ける。
そこで少し離れた場所へ腰かけると、話が終わるまで隅の椅子へと座って待つことにした。
「ならよ、上手いこと蜘蛛を捕まえてあの魔物を食わせれば、灯油なりガソリンみたいなのが生産できるんじゃねえか」
「なかなかに魅力的な話だけど、その上手く捕まえるってのが難題ね。それにヴーズがどうやって増えてるのかも定かじゃないし、よしんばそれが成功しても、燃料に利用するなら普通に薪の方が使い易いはず」
どうやらこの2人、早朝に討伐した大蜘蛛とヴーズを利用し、何がしかの品を作り出せないかと考えているようだ。
確かに大蜘蛛から出された粘液は、異様と言える強い燃え方をしていた。
もしあれが上手く使えれば、鍛冶屋などは大助かりしそうではある。
「現状では正直使い道がないわね。この世界に石油の類があったって、宝の持ち腐れにしかならないし」
「やはり無理か。上手くいきゃ一攫千金だったろうによ」
「……おっさん、もうこの国最高の勇者なんでしょ。どれだけ稼ぐ気なのよ」
立ち上がったサクラさんは、ゲンゾーさんの言葉へ呆れ混じりに肩を竦める。
いつの間に気付いたのだろうか、サクラさんは振り返りボクへと声をかけ、食事に向かおうと告げ宿の外へと出た。
そんな彼女を追って外へ出て、正面に建つ酒場へと入ると真っ直ぐに半ば指定席と化しつつある角の席へ。
酒場の主人はボクらが席へ着くなり、注文をする間もなく料理と酒をいくつか運び、「お疲れ」と言い置いて行った。
早朝やった戦いに関しては、どうやら既に知れ渡っているようだ。
「えっと、さっきは何の話をしていたんです?」
置かれた酒を一口含むと、ゲンゾーさんとしていた話についてを訪ねてみる。
ボクに理解が及ぶかどうかは知らないけど、まったく理解できないというのも口惜しいと思ったためだ。
「ああ、あの蜘蛛が吹いてた黒い粘液があるでしょ。あれが私たちの世界で使ってた、燃料の一種によく似ていたのよ。だからそれと同じような使い方ができないかなって」
「異界で使う燃料ですか……。難しそうなんですか?」
「全く同じ物質だとしたら、色々と使い道はあるんだけどね。ただそれを調べる手段もないし、加工するための設備だって無い。それに私たちだって、専門的な知識を持ってる訳じゃないからさ」
惜しいけれどしょうがないと言い、サクラさんはグビリと果実酒を煽る。
彼女ら"ニホンジン"と呼ばれる勇者たちの住む世界は、具体的にはよくわからないけれど、この世界よりずっと進んだ文明を持つと言われる。
その異界で使われる技術や物は、取り入れられればきっと大きな進歩へと繋がる宝の山だ。
だがボクら召喚士は、基本的にはそれを求めることはない。
サクラさんも言ったように、勇者たちはそれについて正確な知識を持つとも限らず、よしんば持っていたとしてもこちらで有用な物とは限らないためだ。
それにもし勇者たちが知識を持っていたとしても、あまり過度に技術を引き出した結果、他国を刺激するのは好ましくないという判断のために。
これは国同士の取り決めというよりも、召喚士たちの間だけで国を跨ぎ共有された、不文律とも言うべきものだった。
「実際私たちが持ってる知識とか技術なんて、既に存在する道具や環境なんていう土台があって、初めて使い物になるものばかりよ。それらが何もない土地へ放り出されたってお手上げね」
「そういうものですか」
「そういうものよ。刺繍の技術があっても針と糸がないと出来ない、そんな感じ」
サクラさんが向こうでどういった事をしていたのかは、いまだよくは知らない。
聞いたことはあるけれど、あまり好んで話してはくれないから。
ただ例の向こうの世界の燃料とやらに関し、特別な知識を持つわけではないのはわかった。
「なら諦めましょうか。どちらにせよあの大蜘蛛はもう居ないわけですし」
「そうなのよね。重ね重ね惜しい事をしたわ……」
割り切ってはいたとしても、納得するかは別の問題らしい。
いまだ残念そうに肩を落とすサクラさんを横目に、ボクはこれ以上口を出せることはないと、目の前に在る皿へと取り掛かった。
人が増え混雑していく酒場で、ボクらは来る人来る人の多くから声を掛けられる。
今朝の騒動の労をねぎらい、奢りと称して大量の酒や料理が運ばれてくるため、必然胃に納める量も増えていった。
結果許容量を超えた料理と酒精によって、ものの1時間ほどで完全に動けなくなってしまう。
そこで限界を宣言し卓へ突っ伏すのだけれど、一方のサクラさんは料理こそ口にする量が少なくとも、酒に関しては底なしであった。
次々と消えていく酒壷の中身。積み上がっていく空となったそれに、客たちは歓声を挙げていく。
とはいえそれも程なくして、酒場の主人による一喝を受け治まったのだけれど。
「そういえばクルス君」
「はい?」
「昨日の昼にアルマと話していたでしょう。いつ頃にするか決めたの?」
酒によって鈍る思考と回りそうになる視界。
それらと必死に格闘していたボクへと、サクラさんは酔いを感じさせぬ平静さで、今の今まで忘れていた内容を口にした。
そういえば昨日の昼、昼食を持ってきてくれたアルマと、時間を取って話をすると約束したのだった。
ただ今日はもうとっくに日が沈んでおり、ボクもこの有様。到底会う事など出来やしない。
なので明日あたり顔を見せようかと思うも、サクラさんはそれを先読みしてか、不可能であると釘を刺してきた。
「明日はダメよ。クルス君が起きてくる前だけど、町長さんが来て明日訪ねて欲しいってさ」
「町長さんが……、ですか?」
はて、何か問題でも起してしまったのだろうか。
でも昨日今日と随分派手に立ち回ったけれど、魔物を討伐したことを含めカルテリオに害は一切及んでいないはず。
でも考えてもみれば、ボクらはこの町の町長といまだ会ったことがない。
これといった用事があるわけでもないので、当然といえば当然なのだけれども。
「なにか、怒られるような事をしましたっけ?」
「だとしたら来た時に文句言って帰るでしょ。そんな悪い内容じゃないと思うわよ」
「それならいいんですけれど……」
「それよりもアルマよ。明日はどのくらい時間がかかるかも知れないし、とりあえず明後日ね」
今朝大蜘蛛を討伐して戻った時には、ようやく落ち着けると安堵し、数日はゆっくり過ごそうと決めていた。
だが周りはそれを許してはくれないようだ。
アルマの件に関しては、ボクが積極的に関わりに行っているのではあるし、嫌々やっている訳でもないけれど。
「本当に、ゆっくり昼寝をする暇もありませんね」
「あら、忙しいのは良いことよ。暇を持て余して宿で寝てるよりはね。それに今回のゴタゴタは、ちゃんと金銭に換算して、オッサンに請求したし」
「……あれって本気だったんですか」
ソウヤとコーイチロウを相手とした勝負の準備を始める時、サクラさんはしっかり必要経費を請求すると言っていた。
そのためゲンゾーさんには確かに、必要経費を記載した紙を渡していたのだけど、当然のように迷惑料も込みで記載したらしい。
おそらくだけど、この様子だとボクの分もちゃっかり上乗せされていそうだ。
そんなサクラさんに感心と呆れが混じった笑みを漏らし、酔い覚ましに水を飲んでいると、背後から声が掛けられるのに気付く。
振り返ってみると、そこに居たのはソウヤとコーイチロウの勇者2人組。
彼らが止まる宿は、ボクらの使うクラウディアさんの宿ではなく、カルテリオにある別の宿。
なのでたまたま食事をしに、この酒場へ来た来てという訳ではないはず。
サクラさんもそれは察しているようで、あえて早々に話を引き出すために問う。
「偶然出くわした、って感じではなさそうだけど」
「……ああ。俺たちは明日、朝一で王都に戻る。その前に挨拶をしておこうと思って」
「随分と殊勝な心がけじゃない。でもそれだけじゃないんでしょ?」
なにやら本題を切り出すのを躊躇う様子のソウヤ。
彼の代わりにすぐ隣へ立つコーイチロウが口を開こうとするも、それは制止され、一歩前へ出たソウヤが意を決して告げる。
「ちゃんと礼を言いたい。俺の我儘に付き合わせたし、二度も助けられた。この借りは必ず返さないといけない。俺に出来る事ならなんでもやらせてくれ」
どうにも素直ではないけど、これが彼なりに精一杯の言葉なのだとは思う。
ただ正直彼にこれといって願う事など無いのだけれど、それでは彼自身消化不良で終わってしまうはず。
では何かを負ってもらおうと考えていたところで、サクラさんは立ち上がる。
「と言われても、今これといって頼みたい内容もないのよね。でもそうね、あえて頼むとすれば……」
「なんだ?」
「私たちが王都に行く時があれば、その時にちょっと良い宿でも手配してもらいましょうか。2泊分くらいでいいわよ」
「そんなことでいいのか……?」
「言ったでしょ、今の貴方たちに頼めるような事はないの。それを悔しいと思うのなら、その時までに面倒事を頼みたくなるくらい強くなっておいて」
若干と言わず、明確な挑発を兼ねた発言。
だがこうした方が2人は発奮してくれるだろうという、サクラさんの優しさに思えた。
案の定と言うべきか、文句を言う訳ではないが少々不満げな顔をしながらも了承すると、一礼して2人は去っていく。
「あれでいいんですか?」
「いいのよ。いつか王都に行った時には、精々豪遊させてもらうとしましょ」
豪遊、という彼女の言葉に恐ろしいモノを感じる。
いったいいつになるかは知れないけれど、その時になって彼らが自身の言葉を後悔するのだろうと、ボクは密かに同情をしてしまうのであった。