特別 09
涼やかな空気と鳴く鳥の声に目を開ける。
薄ぼんやりとした視界を擦り擦り、大きく欠伸をしながら辺りを見回す。
港町カルテリオへ来て以降、ずっと世話になっている宿……、ではない。
周囲にはいくつもの卓と転がった椅子、そして同じく転がった大勢の男たちと、律儀にも椅子を並べベッド代わりにしたサクラさん。
ここは宿の正面に建つ酒場だ。その証拠と言っていいのか、多くの酒壷や汚れた皿が散乱している。
確かサクラさんと一緒に酒場の酒宴に参加し、ボクもしこたま飲まされたのだったか。
おそらくは疲労と酒の力に屈し、そのまま眠ってしまったようだ。
「おう、起きたか小僧」
「おはようございます……。まさか一晩中飲まれてたんですか?」
「久方ぶりに愉快な酒宴だったからな。つい深酒が過ぎて、気がついたらもう朝だ!」
辺りを見回すボクへとかかった声に振り向くと、そこには床へ座り赤ら顔で酒壷を握るゲンゾーさんが。
彼は結局一睡もせず飲み続けたようで、すぐ隣にはクレメンテさんが突っ伏し、眠ったまま険しい表情で呻っていた。
昨夜は町全体が、随分と浮かれた空気に包まれていた。
ボクらはまだ経験したことないけれど、このカルテリオの町で毎年行われる春の収穫祭よりも、ずっと派手に盛り上がっていたらしい。
ならばきっと他の酒場へ行っても、似たような惨状が広がっているに違いない。
「ふあぁ……」
固まった体を解そうと立ち上がり、一つ大きな欠伸をする。
テーブルに突っ伏し腕を枕にして眠っていたせいか、手がジンジンと痺れる。
痺れを治そうと手を振っていると、少しずつだが頭がスッキリとし始めてきた。
そういえば結局、あれから2人組の勇者たちは姿を現していない。
ゲンゾーさんとクレメンテさんも、確か何処へ行ったか知らないといっていた。
とはいえあの時点で日没であり、魔物が活発化する深夜に疲労困憊の身体で出るなど危険。なのであれからすぐ町を出たということはないはず。
そのことをゲンゾーさんに聞いてみると、彼は酔い覚ましの水をがぶ飲みし、口元を拭いながら楽観的な言葉を発した。
「そう気にすることはなかろう。昨夜くらいはやけ酒を煽ったかもしれんが、あいつらとて勇者の端くれだ。自暴自棄にはならんさ」
「……もしかして、意外と評価してるんですか?」
「弟子にという望みは叶えてやれんが、断られても喰らい付く気概は褒めてやりたいところだな。いずれお嬢ちゃんたちを見返すため姿を現すだろうから、追い抜かれぬよう精進するといい」
ゲンゾーさんはそう言ってガハハと笑い、皿に残っていた乾燥気味なツマミを一つ口へ放り込んだ。
決してそれを楽しみにとはいかないけど、こう言われては多少気も引き締まる。
今現在ではサクラさんの方がずっと力量は上。でも今後はわからない、いずれ立場が逆転するかもという脅しだ。
今日は休みにするつもりだけど、明日以降はサクラさんと共に、また魔物相手に技量を上げていく日々に戻らねばならないらしい。
ゲンゾーさんの大声に叩き起こされたか、徐々に他の客たちも目を覚ましていく。
それが丁度よいとばかりに、ゲンゾーさんもクレメンテさんを連れ宿に戻るというので、ボクもまた自身の相棒であるサクラさんを起そうとした。
ただ椅子の上で小さな寝息を立てるサクラさんへ触れようとした時、突如馬の蹄が地面を蹴る激しい音が聞こえてくる。
いったいこんな早朝に何事だろうと、外へ顔を覗かせ音がする方向を窺う。
すると土の地面を削るように、男が一人馬に跨ってこちらへ向かってくるのが見えた。
その男は酒場の入り口前で止まると、急ぎ馬から降りボクの肩を掴む。
「クルス殿、丁度よかったです。勇者の皆さんはこちらへいらっしゃいますか!?」
「ど……、どうしたんですか?」
唐突に馬に乗って現れたのは、一人の騎士。
何度か見かけたことがある彼は、確か主に城壁の上で警備をしている新米騎士のはず。
その血相を変え詰め寄る騎士に何事かと問うと、彼は町の外で魔物絡みの騒動が起きていると告げる。
普通に魔物が居るというだけなら普段通り。ただこうして呼びに来たあたり、ただ事ではない。
詳しいことは向こうで説明するので、装備を整えて来て欲しいといういまいち要領を得ない内容だが、どうやら彼自身も困惑しているようだった。
「ここにはサクラさんとゲンゾーさんが居ますので、ボクが起こして連れて行きますね。残る2人はどこへ行ったかわからないのですが」
「承知しました。では自分が探して参りますので、そちらをお願いします」
それだけ告げると、彼はまず宿の中をとばかり正面の建物へ駆け込んでいく。
いったい何が起きているかは定かでないけど、ひとまずサクラさんを起さなくては。
そう思い酒場の中へ急ぎ戻るも、その時には騒動に気付いたのか、彼女は眠っていた椅子に腰かけ小さく欠伸を噛み殺していた。
「どうした小僧、なにか問題でも起きたか?」
「ボクもよくわからないですけど、町の外に魔物が出たそうで。とりあえず装備を整えて来て貰いたいと」
「ふむ……。昨日あれだけ狩ったのにか」
寝惚け眼なサクラさんに代わり、いつの間にか酒が抜けたような顔色となっているゲンゾーさんが前に立つ。
そこで知る限りの事情を説明すると、彼は怪訝そうな表情をしながらも、この間に起きていたクレメンテさんと装備を取りに宿へ戻っていった。
ゲンゾーさんへした説明が聞こえていたらしく、サクラさんも自身の頬を叩き無理やりに目を覚ます。
彼女は後れを取るまいと、水を一口二口と飲み、昨夜の酒量が信じられぬ勢いで宿へと走った。
サクラさんたち勇者が去った酒場で、残された空の酒壷へ視線を向ける。
1つや2つではない。10やそこらではきかぬ数のそれに、ボクは愕然とし肩を落とす。
普通あれだけ飲めば、半日は起き上がれないであろうに。勇者という存在の身体は、いったいどういう作りをしているのだろうか……。
「ところでクルス君、あの2人はどうしたの?」
そんな驚嘆とも呆れとも知れぬことを思っていると、すぐさま武具を纏ったサクラさんが戻ってくる。
すっかり酔いも覚めた彼女は、ボクの分の武具を抱えて周囲を見渡すと、戻ってくるなり例の勇者たちが居ないのに気付く。
非常事態とされる状況では、居るに越したことはないと考えたらしい。
「今騎士たちが探しに行っています。ボクらは先に向かいましょう」
「……そうね。場所は正門でいいのよね」
上手くあの騎士が見つけられるかは知らないけど、ゲンゾーさん曰く彼らとて勇者。騒動が起きたと知れば、真っ先に駆けつけてくれるはず。
ならば今はそう信じ、先に魔物の下へ向かうだけだ。
一足先に向かったゲンゾーさんたちを追い、サクラさんと共に正門へと向かう。
そこへ着くなり急ぎ階段を登って城壁の上へ。
ただ登り終えたところで見てみると、既に夜が明けようとしているというのに、何故か城壁の上では無数のかがり火が焚かれていた。
対象を照らすため、というのがかがり火の持つ本来の役割だが、どうにも漂う雰囲気はおかしい。
置かれた松明を盾とせんばかりに持つ騎士たちは、一様に不安そうな感情が顔に現れ、城壁の上は緊張感が満ち満ちている。
どうしてこんな様子なのかと思っていると、ボクらの前へ毎度のように顔を合わせる女性騎士が現れた。
「すみません、お呼び立てしまして」
「構いませんけれど……。これはいった何事ですか?」
「とりあえずこちらへ。見て頂ければおわかりになるかと」
ボクらを見つけ駆け寄ってきたであろう彼女は、城壁の上を案内し移動をする。
そして少し歩きゲンゾーさんたちも居る城壁の一角へ行くと、スッと眼下に広がる草原を指さした。
女性騎士が指す方向を見るも、そこにあるのはただ一面の草の海。
だがよくよく目を凝らしてみると、草原の草深い部分へと何かが蠢いているのがわかった。
「……なんですか、あれは?」
「カルテリオ近隣でのみ見られる、ヴーズと呼ばれる魔物です。あれが少し前にお話ししました、魔物の死骸を放置しているとそれを目当てに寄ってくる存在なのです。どうやら処理しきれていない死骸が幾つかあったようで……」
女性騎士が不気味そうに話すヴーズと呼ばれた魔物は、一見してただの黒々とした塊。
まるで樹液を寄せ集めたような、特定の形状を持たない粘性の物体であり、移動する度に形を変え魔物の死骸へと群がっていた。
魔物を狩った勇者当人が処理するのであれば、きっと漏らしは少なかったのかもしれない。
しかし今回は魔物の処理を騎士たちに任せたことで、情報の共有が上手くいかず処理漏らしが起こってしまったようだ。
ただ頭を下げて謝罪してくる騎士たちばかりが悪いとは言い切れない。
そこに考えが及ばず、正しく伝えていなかったこちらにも十分非はある。
「ヴーズは魔物の死骸を体内に取り込み、対象の体液を吸収していくのです」
「随分と気味の悪い……。やっぱり強いのかしら、見たところ動きは遅そうだけれど」
「いえ、アレそのものは然程強い魔物ではないと聞きます。火を嫌うので、こうして松明を焚いていれば町に近寄ってくることもありませんし」
ヴーズと呼ばれる無形の魔物は、10体少々が蠢きながら魔物の死骸へと集まっていく。
そうして死骸へと覆いかぶさり、形の定まらない身体へと取り込んでいった。
一見するとサクラさんの言うように動きは遅い。
しかし武器による攻撃が利きにくいそうで、弱点となる火を用い近寄らせないのが効果的であるという。
ただそれであれば、あえてこのように急いで勇者を呼びに走る必要はなさそうに思えるのだが。
「それじゃあどうして私たちを? いっそあいつらに処理させちゃえばいいと思うのだけれど」
「実はそうもいかないのです。あれそのものの危険性はそこまで高くはありません、ですが……」
そこまで言ったところで、ボクはふと彼女が最初に言っていた言葉を思い出す。
確か魔物の死骸を放置して現れるのは、大型の魔物だと言っていたのではなかったか。
ブレードマンティスは人ほどの大きさであり、それを取り込むヴーズもそこそこのもの。
しかし大型と形容する程ではなく、女性騎士が言っていたそれを指すには違和感がある。
そんなボクの感想を肯定するように、彼女は息を呑み言葉を絞り出す。
「実はヴーズを捕食する、大型の魔物が存在するのです。そいつが現れてしまえば、この町がどうなるか……」
彼女や他の騎士たちが恐れていたのは、ヴーズそのものではなくその捕食者。
今のところ姿を表してはいないが、どうやら既に予断を許さない状態なのだろう。
もし現れた場合にどういった対処をするべきなのだろうかと思い、大型の魔物の特徴や弱点などがあればと彼女に聞こうとする。
ただその前に、騎士たちの間からザワリと動揺の声が聞こえる。
彼らの視線は外へ、完全に陽が昇り朝日に照らされた草原へと向けられている。
まさかもう現れたのかと思い、騎士たちの視線を追う。
だがそこに居たのは魔物ではなく、正門から飛び出しヴーズへと駆ける人物。
一瞬手にした戦斧からゲンゾーさんかと思うも、彼はボクらと同じく城壁の上で草原を見下ろしている。
「あのバカ、先走りやがって」
そのゲンゾーさんは、飛び出していった姿を見るなり悪態つく。
間違いなく、あれは昨日サクラさんと勝負をし負けた勇者の片割れ、魔物に襲われてたところを助けた方の勇者だ。
ならもう一人はどこへと思うも、その彼は丁度ボクらが居る城壁の上へと、息を切らしながら上がってきたところであった。
彼はゲンゾーさんの前へ来るなり、突然に飛び出した方を連れ戻すのに協力して欲しいと頭を下げる。
「直情的ではあるけど、普段はあそこまで無謀な行動をするヤツじゃないんです」
「それじゃ、どうしてこんな真似をしたの?」
「それは……。あいつは昨晩、目に見える成果が欲しいと言っていました。そうじゃないと召喚士のところにも帰れないって」
当然彼らも勇者である以上、呼び出した召喚士が存在する。
ゲンゾーさんへの弟子入りを志願し、その相棒の制止を振り切ってまでカルテリオへ来たのだ。
召喚士を置いてまで暴走した以上、成果を得られなければどのような顔をして帰ればいいのかわからない。
そのための獲物として目を付けたのが、追い詰められた中で目の前にぶら下がっていたヴーズの群れであったようだ。
ヴーズへと接近した勇者の青年は、手にした身体に合わぬ戦斧を振り下ろす。
ただちゃんと当たりこそするものの、遠目からではあるけど効果的な一撃には至っていないように思える。
女性騎士の言う通り武器による攻撃が効きづらいようで、ただ水を殴りつけるように素通りするばかりだ。
「どうするの? 今のところやられる気配はなさそうだけれど」
「そうだの……。普通なら気が済むまでやらせればいいが、もし例のヤツが現れでもすれば」
サクラさんの問いかけに、ゲンゾーさんは首を捻って少し悩む素振りを見せる。
彼の攻撃が意味を成していなくとも、ここで止めさせても鬱屈したものを抱えたままには変わりない。
なので連れ戻すか、気の済むまでやらせるかを迷っているようだった。
正直、ボクは彼に対して決して良い印象を抱いてはいない。
サクラさんを異様に敵対視した挙句、助けられても素直に礼の一つもしなかったのだから。
でも目に見える結果を求め、魔物に喰らい付こうとする彼の気持ちは若干理解できる。
最近こそ多少は魔物の討伐に貢献できているような気になれているけど、ほんの少し前までボクはただの荷物持ち同然。
自分自身がサクラさんにとって、お荷物でしかないのではないかという思いに支配されていただけに。
「……っと、噂をすれば奴さんお出でなすったようだぞ」
ボクが僅かな同情心を抱え始めていると、ゲンゾーさんから緊張感漂う声が発せられる。
平静時にはどこかふざけたような、おどけた空気を纏う彼であるが、今はそれらが皆無。
そのゲンゾーさんが指す、ヴーズ相手に悪戦苦闘する勇者の向こう。
そこへゆっくりと、地を揺るがさんばかりの巨躯が姿を現そうとしていた。