貴女の道、ボクの道 01
サクラさんが矢を射て、ゲンゾーさんが大斧を盾にし突っ込む。
他の勇者たちが機を窺って仕掛け、ボクは彼らの隙間を縫うように突進、短剣を突き刺す。
勇者たちのように丈夫な身体を持たぬため、力を振う度に身体が悲鳴を上げる。
肉が裂けるような感覚に襲われ、骨は軋み、短剣を握る指は爪が割れるような痛みが奔っていた。
「後ろで休んでなさい。あまり無理をすると……」
「だ、大丈夫です! 今ここで抜けるわけには」
身体へと目に見えて蓄積していく負荷。
いつも共に行動しているサクラさんには、それが目に見えてわかったようだ。
さっき魔物に殴り飛ばされ、自身も身体に痛みを伴っているであろうに、彼女は僅かな隙を見て近づいてくると、少しばかり下がるよう告げるのだった。
サクラさんの言葉はありがたいけれど、今はそれに甘えることができない。
今のところは全員の頑張りもあって、減ってしまった戦力ながらヤツの回復を超える攻撃となっているようで、徐々に白い体躯へ傷が増えていた。
けれど僅かな均衡で持っているその状況、微々たるものではあるけれど、ボクが抜けただけでもどうなってしまうか知れたものではない。
ゲンゾーさんたちの表情にも、かなり焦燥めいたものが色濃く浮かんでいる。
ついさっきも感じていたそれだけれど、今はより深刻な状況だ。
「……このままだと、たぶんこちらの消耗が先です」
「同感。可能なら一度撤退したいけど、その手段もわからないんじゃね」
「なら倒すしかありません。せめて一撃、今以上の深手を負わせられれば……」
なんとか堪えていても、この状況はいつまでも続きやしないはず。
刻一刻と体力を消耗し、武具も次第に悲鳴を上げつつあるこちらに対し、ヤツはまるで疲労の色を感じさせない。
そもそも疲労などという概念が通用するかすら怪しく、終わりの見えない戦いに、ほぼ全員が諦めに近い感情を抱きつつあるようだった。
ただサクラさんは、まだその中には含まれていないらしい。
彼女はボクのかけた鞄を一瞥し、どこか期待を込めて問う。
「手持ちの薬品は?」
「まだ多少は。可能なら、こいつをヤツの体内にぶち込んでやりたいところですが」
接近戦を仕掛けた時も、奇跡的に手放さず割れもしないでくれた薬品類。
おそらくこれを有効に使えれば、あの白い巨人にも相応の深手を負わせられる。サクラさんもそう考えた。
そこでボクは鞄に手を入れ、一つの小瓶を取り出す。
手にしたのは作成できる中で最も強力な代物。生物どころか無機物に対しても、かなり有用な効果を期待できる物だ。
さっきまでは敵も小山のような大きさであったため、あまりに少ない量に心許なかった。
けれど今はどういう理屈か、元よりも随分小さくなっている。
それでもまだ人の数倍は大きいけれど、仮に上手く体内で撒き散らしてやれば、致命傷を与えられるのではないか。
「ならそいつに賭けるとしましょう」
「でもそのためには、ヤツの表面に相当大きな傷を開けてやらないと……」
「他に案が浮かばないんだから、ダメで元々ってやつよ。もし失敗して全滅なんてなったら、折り重なって倒れてあげる」
たぶんこれが最も、深手を負わせるのに最適なのだと思う。
だがそのために越えねばならぬ障害は大きい。まずは体内へと小瓶を仕込むため、あいつにかなりの傷を与えなくては。
今のこちら側にその力が残っているかは怪しく、かなりの無茶を必要としてしまうはず。
それでも他に妙案が浮かばない以上、やるしかない。
サクラさんはそんな意味合いを込め、不安感を晴らすことは出来ないものの、どことなく悪くはない提案をしてきた。
「ではその時には、ボクが上でいいですよね」
「クルス君が上なの? いやらしい子ね、女性に圧し掛かりたいだなんて」
「単純に体格の話ですって。でも願わくば――」
このような緊迫した状況だというのに、ボクらは普段通りの軽口を叩き合う。
それはきっと本当にこの戦いに敗れてしまった場合、心残りをしたくないという意図があるように。
実際その可能性は否定できない。いやむしろ非常に大きいとすら言える。
だからこそあえてボクらは明るく言葉を交わす。
再びこれが常となる日々が来てくれるように。そう願う言葉を吐き出して。
「二人とも、立ったまま終わりたいです」
「私としては、もうちょっと欲張って全員と言いたいのだけれど」
「ではそこを目指すとしますか。……行きましょう」
ボクの頭には、サクラさんと共に生き残る光景ばかりが浮かんでいた。
けれど彼女はもう少しばかり多くの欲、ゲンゾーさんたちも含め、今生き残っている人たち全員で帰還するという望みを想像したようだ。
確かにそうだ。こうであるのが最良なのは間違いない。
サクラさんにはやはり敵わないなと思いながら、ボクだけを考えてくれていなかったことに、ほんの僅かな嫉妬心すら覚えてしまう。
でも今はそんな我を抱いている場合ではない。ボクは再び短剣を握りしめると、白い巨人を睨みつけた。
次に彼女と言葉を交わすのは、たぶんこの戦いが終わった時。……もしくは共に倒れ、死の間際となった時。
今もなお一進一退の戦いを続ける勇者たちと共に、どういった運命を辿るか。それはこの手に握った代物にかかっているかもしれない。
一瞬だけこちらを振り返ったゲンゾーさんも、こちらが策を弄そうとしているのに感づいたらしい。
それに賭けると言わんばかりに、大きく頷いていた。
再び前に出るサクラさん。ボクはその後方で好機を窺う。
たぶん必要分の薬品はあるけれど、それでも十分であるとは言い難い。一度で、確実に仕留めなくては。
だがそんな時だ。機を狙っていたボクをあざ笑うかのように、またもや白い巨人が動きを緩めたのは。
「来るぞ、備えろ!」
その様子を見て、ゲンゾーさんが大きく叫ぶと同時に、白い巨人が遠吠えのようなものを放つ。
耳をつんざく轟音、歪む視界、そして目に映る在るはずがない光景。
こいつはさっきと同じだ。大昔に存在したであろう、己が創造主たちが残した記録を見せている。
ゲンゾーさんはそれに対する抵抗を口にするのだけれど、実際にどうしていいのかわからない。
現に勇者たちのほとんどはただ混乱し、フラついて武器の刃先を下に向けてしまう。
でも今こんな真似をしてきたという事は、もしやヤツはこの状況に焦っているのではないか。
これを行っている間は回復こそしないものの、攻撃の手を緩めることが出来るのだから。
そう考えたかどうか、手を止める多くの勇者たちの中にあって、サクラさんとゲンゾーさんだけは幻を振り払う。
「むしろ今が好機ね、私は行かせてもらうわよ」
「わかっとるわい! 小娘だけでやらせてなるものか」
もっともなにをどう備えればいいのかわからず、勇者たちは幻に翻弄される。
けれど王国で最上位に立つ彼女らだけは、そんな状況にあっても標的を見失うことはなかった。
幻の映る中、白い巨人へ向け駆ける。
ボクもそんな二人に置いて行かれまいと、頭を振ってなんとか目に映るそれを無視。
小瓶を割れぬよう握りながら、足にだけは力を込め駆け出す機会を窺った。
幻をものともせず向かってくる二人の姿に、ヤツもただ吠え続けることは出来なかったようだ。
すぐさま発していた咆哮を制止、迎え撃つべく腕を振り上げる。
回避し、受け流し、最大の一撃を叩きこむ隙を窺う二人。
と同時に幻覚が止んだことにより、他の勇者たちも攻撃を再開。共に畳みかけていくことで、さらにヤツの隙は増しつつあるように見えた。
そして最も狙っていたであろう瞬間は、振り下ろされた強力な腕をゲンゾーさんが大斧で受け止めた時に訪れる。
「うおぉぉぉおおおぉぉ!!」
地響きすらさせかねない轟声を上げ、受け止めた攻撃を跳ね返すゲンゾーさん。
彼はそれによって生じた、ほんの僅かな間を逃すことなく、流れるような動きでヤツの胴体に全力の一撃を叩きこんだ。
それこそ鎧をハンマーで殴りつけたように、ヤツの白い表皮が砕かれる。
空中を舞うそれを見て、ボクは一気に駆けだした。
一瞬だけ目が合ったサクラさんの、ちょっとだけ驚いた表情。けれどそれを気にしないよう、全力で脚を回す。
真っすぐに向かうは白い巨人の胴体。
そこへと突っ込み、この薬品をぶち込んでやる。その一点だけを考えて進んでいると、標的としている箇所に、鋭く矢が突き刺さるのが見えた。
大きく抉られていた場所を、さらに切り裂く大ぶりな矢。
当然サクラさんが射たそれによって、白い巨人の表面は深く穴が開き、鉛色をしたなにかが見えた。
金属らしい光沢を持つ、何度か見たことのある物質。
黒の聖杯と呼ばれるそれへと肉薄すると、ボクは薬品瓶を握った左の手を、迷うことなく叩きつけた。
「ぐ……、うぅぅう……」
ヤツにとっての核であろう聖杯部分。そこへとまき散らされた酸が浸食していく。
けれどそれは同時に、薬品を叩きつけたボクの左手もまた、同じ目に遭うということでもあった。
もちろん叩きつけた時に手は引いたものの、多少の飛沫を受けることは避けられない。
こうなることはわかっていたため、相当な痛みは覚悟していたものの、想像していた以上の苦痛に顔は歪み声が漏れる。
けれどまだだ。ようやく発した悲鳴と共に暴れ始めたヤツの胴体へと、無事なままの右腕で全力の拳を見舞った。
不意の攻撃というのもあって、仰向けで倒れる白い巨人。
そんなヤツに痛みを無視し跨ると、ボロボロになった手を鞄に入れ、さらにもう一つの小瓶を取り出した。
「ご苦労さん。あとは任せて頂戴」
なんとか動く右手も使い、そいつを白い巨人の核に叩きつけようとする。
けれど背後から伸びてきた手によって、振り上げた腕を掴まれ、小瓶を取り上げられてしまった。
その奪い取った主、サクラさんはボクに小さく微笑む。
彼女はそのまま至近距離で聖杯に矢を射て貫くと、ボクを抱えて大きく跳躍しながら、目印とするかのように矢へ向け小瓶を投下した。
ゆっくりと落ち、狙い違わず中心で割れる。
淡い色をした液体が散り、巨人の身体を酸が侵食。立ち昇っていく煙と引き換えにするように、ヤツを溶かしていく。
少し離れた地面へと着地し、そのまま溶けていく巨人を眺める。
トドメとして取っておいた2つ目の瓶は、最初のよりも大きい。そのためより大量の酸を受けたそいつは、次第に胴体へ大穴を穿つように崩れていった。