貴女のために 04
大気を強烈に震わせる、白い巨獣が放つ咆哮。
ここまでもヤツの発したそれは、勇者たちの戦意を削り取っていき、勝利への渇望すら萎えさせかねないものだった。
けれどこの時発したそれは、精神と肉体の双方へと影響を及ぼすほどに強烈な代物。
音の塊となって襲い掛かるそれを受け、前衛後衛共に勇者たちは弾き飛ばされる。
地面すら抉り取るその衝撃波をまともに食らい視界は暗転。再び身体を襲う土の感触と、転がり傷つく痛みに絶望感すら覚える。
ただ今回それよりも気になったのは、不気味な声の存在であった。
『――――――――――』
「なんだ、これ……?」
地面を転がった衝撃のせいで目を傷め、暗くなった視界。その真っ暗な世界で、遠くから小さな声らしきものが聞こえる。
それがサクラさんのものでなく、ゲンゾーさんのものでもなく、それどころか他の勇者たちが発した声でもないとわかる。
というのも聞こえる声が、ボクにとって理解の出来る言語ではなかったから。
受けた衝撃も収まり、徐々に視力も回復していく。
そこですぐ隣へ視線をやってみると、同じく吹き飛ばされたであろうサクラさんが、身体を起こし不可解そうな表情をしていた。
「なんなのよ、この声は」
「サクラさんにも聞こえるんですか?」
「え、ええ……。クルス君にも聞こえるってことは、私の耳か頭がおかしくなったわけじゃなさそうね」
さっきボクが発したのとほとんど同じ言葉。
サクラさんは周囲の状況や、他の勇者たちの無事を確認しながらではあるが、声の正体についてを探っていた。
彼女自身が言うように、二人揃って聞こえるということはただの幻聴ではない。
それに無事身体を起こすゲンゾーさんら勇者たちを見ると、彼らもまた同じものが聴こえているようだった。
『――――――』
『――――――――――』
本当に耳へ届いているのか、それとも頭に響いているのかすらわからない声が響き続ける。
勇者たちの生まれ育った世界では、他にも無数の言語が存在するとは聞く。
けれど今ここであえて、彼らがそれを行使する理由はない。
それでも聞こえてくる謎の言葉は、魔物が遠吠えを発するたびに頭へと響いてきた。
となるとやはりこの声、正体は……。
「もしかして、あいつが話しているの?」
思い至った可能性を、サクラさんは小さく呟く。
考えうるとしたらやはりこれだろうか。突拍子もないと言われかねないが、決しておかしな話ではない。
実際黒の聖杯には知性らしきものが存在しているし、それを生み出した存在も同様の物を持っていてもおかしくはなかった。
そいつらが融合しているのだ、こちらが理解は出来ずとも言葉くらい話してもおかしくは。
ただその理解ではあるが、別の形で進めることになるようだ。
「なんだ、こいつは……。頭が!?」
ボクとサクラさんから少し離れた場所。痛めたであろう腕を抑えていた勇者の一人が、動揺交じりに叫ぶ。
ただ彼以外にも何人か、いや見える範疇に居るほとんどの人が同様の反応を。
一瞬ボクには何が起こったのかわからない。けれど直後に理解する、彼らが見えているモノが自身にも確認できたから。
不鮮明な光景に、得体の知れない形だけは人を模しているであろう異形。
それが大量に見えるのだが、おそらく目に見えているのではない。頭の中へ直接侵入してくるようなその像に、勇者たちの動揺は隠せなかった。
「こ、これもヤツの攻撃でしょうか!?」
「たぶんそんなんじゃないわね……。もしそうだとすれば、今の隙を逃すはずがない」
もしやこれは、ヤツが発する精神攻撃の一種ではないのかと考える。
けれどサクラさんはフラつく頭を押さえながらも、こいつがそういった類の攻撃ではないと断じた。
確かに今はただ吠え続けるだけで、魔物は攻撃する素振りを見せない。
なのでこちらが動けぬ間を狙っての攻撃をするという目論見は、ヤツにはないのだと思う。
逆に言えばこちらにとっては好機。だが視界全てを侵食せんばかりに映し出される光景に、攻撃をすることもできやしない。
では今見せられているこの光景には、何の意味があるというのだろうか。
人と良く似た形を持つ異形は、同じような姿を持つ別の個体によって切り捨てられ、あるいは巨大な金属の人形によって薙ぎ倒されていく。
一方的な蹂躙という訳ではなく、そういった行為を互いにやり合っているようで、それはさながら大規模な戦場のよう。
「戦争、なんでしょうか……。だとしたら何でこんな光景を」
「あくまで推測だけれど、これはおそらくさっきの機械に残された記録ね。どうしてそんな物を流すのかわからないけど」
サクラさんが言うところによると、こいつは黒の聖杯を生み出した構造物に残された記録。
たぶんあの構造物を生み出した存在についてを記録したものみたいだけど、いったいどうやってこのような芸当を成したのか。
ただサクラさんの印象であると、かなり古い光景であるようだった。
そのことを証明するようにと言っていいのか、周囲にはこいつに映っているような連中の姿が見られない。
なので戦争をしているらしき光景も相まって、この様子だと既に滅んでいるのではというのが、彼女の予想であった。
どうしてそんな物がボクらの世界へ寄越されているのかは不明。
きっとその理由や原因はわからない。サクラさんたち異界の住人から見ても、想像を絶する技術や知識を持つ存在であったようだから。
「つまりこれを止めてくれる人は居ないってことですね」
「仮定に仮定を重ねたものが合っていればね。どっちみち叩くしかないけど」
ヤツがこの光景を見せた意図は不明なまま。けれど仮定とはいえ色々とわかった。
とはいえそれを知ったからといって、ボクらにとってやることは変わらない。
むしろこいつを生み出したかもしれない存在が、既に居ない可能性が高い以上、より取るべき行動がハッキリしたとすら言える。
「ヤツの正体がわかったのはいいけど、このままじゃジリ貧ね。なにか打開策でもあれば」
ようやく頭に投影される光景が失せ始めたことで、サクラさんは立ち上がって矢を射る。
ゲンゾーさんら他の勇者たちも同様に戦いを再開したところで、彼女は再び焦燥めいた言葉を発した。
現状何一つとして、事態は改善していない。
むしろ遠吠えが終わったことで、再びヤツが再生や攻撃を繰り返すようになっただけ、悪化しているとすら言える。
「打開策、ですか……。出来るならさらに戦力を投入したいところですが」
「そっちはもっと望み薄ね。一応一人だけなら、心当たりが無いでもないけど」
「そんな人が? でもいったいどこに」
王国内の精鋭たちで臨んだ、今回の異界遠征。
けれど実際に来てみれば、戦力的には少々足りないように思えてならなかった。
もちろん実力的に劣る者を無理に連れてきても仕方ないが、それでもせめてもう何人か攻撃手が居ればと思わなくも。
ただそのことを口にしたところ、サクラさんは意外なことを呟く。
今のところあちらの世界とを繋ぐ扉は塞がっている。今頃向こうに現れた黒の聖杯に対処しているであろう、他の勇者たちはこちらに来れない。
あり得るとすれば、向こうで再度召喚の儀を行うという可能性だけれど、まださして時間も経っていないためそれは望み薄。
となれば誰であろうかと問うのだが、サクラさんはチラリとこちらに視線を向ける。
「まさか当人が忘れてるとは思わなかった」
「って、ボクですか!? 確かに勇者の血を引いてはいますが、……今使えと言われましても」
「わかってるわよ。だから当てにはしていない」
どうやら彼女が言っていた心当たりとやら、ボクの半分だけ引いた勇者の血を指していたらしい。
何度か発現したその血であるが、サクラさん曰く腕力面などだけを言えば、勇者たちの中でもかなりのものであるらしい。
なので使い方は限定されると思うけど、若干の戦力となる可能性はあった。
もっとも自身ではまるで制御が出来ず、狙った時に発動とはいかない。
なにやら感情面の起伏が発動の鍵となっているように思うので、そこを上手く刺激してやればあるいは……。
「だが今は、そいつに頼るしかないようだ。無茶を言ってるのはわかるが」
これでは今の状況に貢献など出来やしない。
そう考えたのだけれど、このやり取りが聴こえていたであろうゲンゾーさんが、戦いの最中に振り返る。
彼ら前衛組は、回復を続ける魔物に対しても果敢に攻撃を繰り返している。
結果ゆっくりとではあるが魔物の傷を増やしつつあるが、ヤツの再生は留まるところを知らず、ゲンゾーさんが悲観してしまうのも当然。
ただそれ以上に、彼からは強い焦りのようなものを感じた。
何かを感じ取っているようにも見えるゲンゾーさんの様子が気になり、ボクは再度魔物をジッと見る。
すると真っ白な体色である獅子の身体から、徐々に光らしきものが漏れているのに気づく。
「ちょっとちょっと、勘弁してよ」
「まさかまた変化するんですか!?」
獅子を模した体躯は、光と共にゆっくりと空気へ滲んでいく。
そして徐々に体の形を変じさせ、今度はずっと小さな人の形へ。
……いやよく見ればそれは人ではない。さっき頭の中に映された、こいつを生み出したであろう存在。そいつらと同じ形となっていくのだった。