貴女のために 03
金属の構造物が発していたものより、ずっとずっと強烈な光。
どす黒いはずな黒の聖杯。ヤツが纏う繭の隙間から漏れ出したその光は、緊張に震える勇者たちを呑み込んでいく。
「警戒して、何か来るわよ!」
異様な光景に、サクラさんは警戒を口にする。
彼女らは己が武器を盾のように構え、光の中から来るかもしれぬ反撃に備える。
ただ待てど暮らせど、黒の聖杯から攻撃らしきものは発せられない。
とはいえ決して、サクラさんの言葉が間違っていたという訳ではなかったようだ。
攻撃の代わりにボクらの目へ映ったのは、さっきまでとは大きく姿を変じさせた黒の聖杯の姿であった。
「白……、い」
眼前に現れたそれに、ボクは唖然としながら呟く。
白だ。ただひたすらに、染め抜いたような白い表皮。
光そのものと見紛うほどに白く変じたそいつは、さきほどまで見せていた黒い繭状の形ですらなくなっていた。
例えるならそう、"獅子"だろうか。
若干細かな形状は異なるし、もちろん本物はこのように純白ではない。けれどこいつの形状は、巨大な獅子を彷彿とさせるものだ。
「クルス、危ない!」
神々しさすら感じさせる、獅子を模した巨大な魔物。
ヤツの姿についつい見とれてしまっていたボクだけど、突然聞こえた声と共に身体が強く跳ね飛ばされた。
突き飛ばした人、サクラさんはボクと共に地面を転がる。
丁度その時に見えたのは、さっきまで自身が立っていた場所を、鞭のような真っ白い触手が穿った光景。
その鞭は地面と共に、すぐ近くに立っていた勇者たち2人を打ち付ける。
彼らの胴体は小枝を鉈で払うように易々と両断、肉の塊となり血をまき散らしながら転がっていった。
「お前ら気をつけろ! ……こいつは危険だ」
アッサリと命を落とし、無残に肉の塊となっていく勇者たち。
その亡骸を見たゲンゾーさんは、怒りや苛立ちと共に、強い焦燥感を露わとした。
確かにこいつは危険だ。声こそ発しないものの、獅子の形らしく遠吠えするような仕草をするなり、身体から無数の白い触手を生やす。
そいつは唸りを上げ、次々と勇者たちを襲っていった。
今度はこちらも警戒していたため、簡単に攻撃を受けたたりはしないものの、こちらの勢いを削ぐには十分たるもの。
「どうする、一旦引く?」
「そうしたいのは山々だがな、どこに行きゃいいんだか。それにここで引いても碌な策を思いつくとは思えん」
唸りを上げしなる白い鞭を避け、追い立てられていく勇者たち。
そんな中、避けた先で偶然背を合わせたサクラさんとゲンゾーさんは、一時撤退の可能性を口にしていた。
けれどこのような得体が知れぬ場所、どこに逃げればいいというのだろうか。
実際ゲンゾーさんもそれは考えていたらしく、即座にサクラさんの提案に首を横へ振る。
一方でボクは、サクラさんの小脇に抱えられながらその様子を眺めるばかり。
きっとこいつは過去に遭遇したどんな魔物よりも強力。それはサクラさんとゲンゾーさんの様子からよくわかる。
「仕方ない、ワシが先陣を切る。お前たちはワシを盾について来い」
「本当に大丈夫なの? かなり強力そうだけれど……」
「他に出来る者が居るなら任せたいがな。嘆かわしいことに、この中で一番頑丈に出来てるのがワシときたものだ」
また一人、勇者が白い鞭状の触手をまともに食らってしまう。
その光景を目にしたゲンゾーさんは、自身の前に大斧を突き出し、低く構えて突進の体勢を取った。
勇者を軽々と両断してしまう魔物の攻撃。
それはきっと如何に頑丈なゲンゾーさんであっても、タダでは済まぬ破壊力を持つはず。
だが誰かが囮とならねば、増え続け既に両手足では数えられぬ本数となった触手を、掻い潜るのは難しそうだった。
なので彼自身が言うように、最も技量体力共に防御面で優れたゲンゾーさんに任せるのが最も無難。
そのことをすぐさま理解したサクラさんは、大弓に矢をつがえて構え魔物へ向けた。
接近での戦いを得手としていないサクラさんだ。けれどゲンゾーさんが突撃するのを手伝うことは十分可能。
彼女が射た矢は狙い違わず、宙でうねる触手を射抜く。
「少しでも活路を開く。その隙に仕掛けて」
まだ本体に攻撃が効くかはわからないが、少なくともあの触手には有効であるらしい。
サクラさんの矢を受けた触手は、バタバタと動きながら千切れ地面に転がっていく。
そんな自身の攻撃がちゃんと有効であるのを確認した彼女は、ゲンゾーさんへの支援を告げた。
「助かる。では行くぞ諸君、無事済んだら好きなだけ飯と酒を奢ってやる!」
サクラさんの言葉を受け、地面を蹴って突撃を仕掛けるゲンゾーさん。
別に彼が言うところの食事や酒に釣られた訳ではないだろうけれど、他の勇者たちも迷いなく続き、自身の得物を持って果敢に魔物へ向かっていく。
きっと彼らもわかっているのだ。例えどれだけ恐ろしかろうと、目の前に聳え立つこいつを討たねば、この場から帰ることが叶わないのだろうと。
己を盾とし、最前列で突撃するゲンゾーさん。そして決死の想いで続く、近接戦を得意とする勇者たち。
彼らの背後から、サクラさんを始めとした遠距離を得意とする勇者たちが、支援をするべく攻撃を放つ。
ひとまずそれは、一定の成果を得ようとはしているようだ。
振う武器は純白の巨大な獅子に傷を負わせ、血こそ出ていないものの、そいつは痛みに悶えるような動きをしていた。
だが効果があるが故にヤツの凶暴さを、その本領を発揮させるカギとなったのかもしれない。
「な、なんだこいつは……!?」
さらに畳みかけようとしたゲンゾーさんたち。
だが白い巨躯の魔物は矢鱈滅多に触手を振り回して距離を取った後、突如これまで発しなかった声を上げたのだ。
それはまさに獅子の遠吠え。
振える空気、身体に圧し掛かる強烈な重さ。そして精神が悲鳴を挙げるほどの、猛烈な恐怖。
五感を狂わせてしまうようなそれは、今すぐにでも踵を返しこの場から逃げ出したいと、そんな思考を抱かせる。
頭上から降り注ぐ遠吠えは、多くの勇者たちを委縮させた。当然ボクも。
明確な隙。そしてボクらが見せた僅かな時間は、ヤツにとって反撃を試みるに十分な要因であったらしい。
「しまった、避けろお前ら!」
白い獅子は、突如大きく跳躍。
前衛として攻撃していたゲンゾーさんたちを大きく飛び越え、後ろで支援をしていたサクラさんたちの前に着地した。
ボク自身もその場に立っており、目の前へと巨体に似合わぬ素早さで飛んできた魔物を、唖然として見上げる。
だがほんの数秒すら、ヤツは混乱の時間を与えてはくれなかった。
気付けばボクは宙を舞っており、かなりの距離を横に吹っ飛ばされていたからだ。
弾き飛ばされ、地面を転がって強く背を打つ。
息が詰まり、視界が白濁し、耳鳴りがして前後や上下の区別すら曖昧。なんとか思考だけは無事だけれど、それだけに鼻先へと死の臭いが掠めたことを理解させられる。
「クルス! 息は……、してるわね」
そんな弾き飛ばされたボクへと、いつの間にか近づいてきたサクラさん。
彼女は普段ボクにする君付けすら忘れ、すぐに口元へ手を当て命の無事を確認した。
良かった、少なくとも彼女は無事であるようだ。
弾き飛ばされた時に一瞬だけ見えたのは、ヤツの背後から伸びてきた太い影が振り回される光景。
なんとか焦点の戻りつつある目でヤツを見てみると、獅子に備わっているモノとは大きく異なる、丸太を何本も束ねたような太い尾が揺れていた。
なるほど、これまでずっと正面ばかりを向けていたから、尾の存在に気付かなかっただけのようだ。
「ほ、他の皆は……」
「散々な有様よ。今はおっさんがなんとか対処してくれてるけど」
見回してみると、周囲には地面へとうずくまる幾人もの勇者たちの姿が。
サクラさんは何とか回避したようだけれど、後ろで支援をしていた彼らは纏めてなぎ倒されたらしい。ボクと一緒に。
今はその負傷者たちを下げながら、ゲンゾーさんらが魔物に肉薄している。
けれど尾を振り回される度に後退し、再度近づいて僅かに攻撃を当ててはまた尾の一撃で距離を取り、触手を回避するというのを繰り返していた。
これではきりがないし、見たところヤツは少し時間が経つにつれ、徐々に傷を塞いでいるようにも見える。
「とりあえず私もあっちに加勢してくる。後衛以上に人が足りない」
ボクがひとまず無事であることに安堵したサクラさんは、矢を一度だけ射ると、自身の大弓を地面に突き刺す。
そして腰に差していた中剣を引き抜き、刃を魔物の方へと向けた。
「ですけどサクラさん、あまり剣の扱いが得意じゃ……。それにその武器では」
「確かに接近戦は苦手だけど、居ないよりは多少マシってもんでしょ。選り好みしてられない」
基本的には弓を使う彼女だが、それだけでは臨機応変な対処が出来ないため、普段から近接用の武器も携帯している。
とはいえいつも腰に下げているのはもっと小振りな短剣。
あえて今回中剣を差しているのは、流石に短剣では対応できぬ状況があると考えて準備したのだ。
もっとも敵はあまりに巨大。ゲンゾーさんのように大斧を使うのならともかく、この中剣でも不足に違いない。
現に近接戦闘を得意とする勇者たちも、比較的小さな武器を使う人が繰り出す攻撃は、若干威力に欠けている感が否めない。
もちろんその分だけ動きが軽快ではあるのだけれど。
「しゃらくさい、一気に仕掛けるぞお前らぁ!!」
ただそんな彼らを囮として、重量級の武器をもって迫るゲンゾーさん。
彼は一進一退の状況に焦れたか、防御の比率を下げて攻撃に集中。サクラさんを含め他の勇者たちと共に、怒涛の勢いで仕掛けていく。
魔物は回復こそしていくものの、それを上回る猛攻。
次第に白い巨躯がボロボロになっていくのが見え、仮にこの勢いで押し続けていけば、討伐はすぐではないか。そんなことを考えてしまう。
けれどボクの抱いた淡い期待を打ち砕くように、ヤツは再び獅子の遠吠えを発した。
それはさっきよりもずっと重く、さらに重く。……けれどどこか、意思めいたものを感じさせるものであった。