特別 08
ほんの少しだけ頂点からズレ始めた太陽により、日陰となる場所が増えてきた昼過ぎ。
アルマお手製の昼食を食べ終えたボクらは、城壁の影でゆったりと食後の休憩を取っていた。
彼女が食事として持ってきてくれたサンドイッチは、想像を超えとても美味しかった。
ボロボロになった葉野菜や、崩れそうになっていた魚などはご愛嬌だけれど、それでも幼い子が作ったにしては上出来に過ぎる。
「はい、アルマ。冷たいから少しずつ飲むんだよ」
ボクは近くの出店で売っていたお茶を買い、サクラさんとアルマへ手渡す。
木製のコップへと入れられたそのお茶は、この地域でよく自生している花の香りを付けたものだ。
暑い時期になると、爽やかな涼感を感じさせるこのお茶は、一般に広く飲まれるようになる。
買ったそれは今の今まで冷たい井戸水で冷やされていたようで、一気に飲めば頭痛がしてしまいそうな冷たさを湛え、口にしたアルマは瞼を閉じ身体を震わせていた。
口に含んでは冷たさを楽しんでいるアルマの頭を撫で、ふと気になっていた教会での様子を尋ねる。
「教会でみんなとは仲良くしてる?」
「うん。司祭様もやさしいし、みんなともいっしょに遊んでる」
それは何よりだ。
アルマが教会での暮らす様子は、今のところ直接目にする機会がほとんどない。
というのも最初こそ教会を訪ねアルマに会っていたのだが、それ以降は司祭に伝言を頼み、外で会うようにしていたから。
別に司祭を務める老夫婦から、ここへ来るなと言われた訳ではない。
ただ教会には他にも孤児の子供たちが居る。そういった子たちの前に、アルマの保護者面した大人が度々面会に来るというのはどうなのか。
アルマが教会で居心地を悪くする要因になってしまうのではないか、そう考えたからだ。
だからこそ今も司祭らから距離を取って、違う場所で食事を摂っている。
「……」
「アルマ、どうしたんだい?」
ただ教会での暮らしについて問うた後、少しだけアルマが何か言いたそうにしているのが見て取れた。
そのためどうかしたのだろうとか思い問うてみるが、幼い少女は何でもないと答える。
何か教会での暮らしに問題でもあるのか、或いは悩みでも抱えているのかと思い再度問いかけてみるのだが、どうにも歯切れが悪い。
そこまで特別トラブルを抱えているといった風ではない。ただなかなか口には出せないようで、話そうか迷っているようだ。
「何か困った事でもあったら、ボクらに何でも言っていいんだよ?」
「……」
「それじゃあこれが終わった後、……そうだね、明日か明後日にでも時間を取ろうか。その時に話してくれるかな?」
「……うん」
「決まりだね。それじゃあそろそろボクらは行くから、アルマは司祭様の所に戻るんだよ」
名残惜しそうにするアルマを置いていくのは気が引ける。
けれどもこのままここでのんびり会話してばかりも居られない。いい加減勝負に復帰しなければ。
大人しくボクの言葉に頷いたアルマは、空になったバスケットを抱えて戻っていく
それを見送ってから、日陰でのんびりとお茶を飲み続けていたサクラさんを促す。
「いいの? なんだか様子がおかしかったけど」
「仕方ありませんよ。今はまずこの勝負を片付けないといけませんし」
アルマのおかしな様子は気になるけれど、こちらを疎かにはできない。
サクラさんもまた気になるようだが、それに異論はないようで、観念した様子で立ち上がり外へ向かうことにした。
購入した日傘を正門に居る騎士へ預け、補充分の矢を受け取る。
休息もある程度は摂れた、これで勝負終了の日没までは戦えるはずだ。
女性騎士へと話を聞いてみれば、もう一方である2人の勇者は休憩に戻らず、ずっと戦い続けているようだった。
彼らからしてみれば、少しでも拮抗するためには食事を摂る時間も惜しいのだろう。あまり戦果は芳しくないようではあるけど。
ただ彼らが午後から調子を上げてくる可能性もある、こちらも慢心してはいられないと、揃って気合を入れ草原へと踏み出した。
食事を終えて臨んだ午後の勝負、そちらも午前にしていたのと同じく、役割を分担しひたすらに狩り続けた。
そうして時刻は既に夕刻。太陽は既に半分以上が沈み、城壁の上には複数の松明が焚かれ紅い光で照らされている。
草原の向こうへと完全に太陽が消えた瞬間、激しく銅鑼が打ち鳴らされる音が聞こえる。
開始時と同じようにゲンゾーさんが鳴らす銅鑼によって、ようやく長丁場の勝負は終わりを告げた。
「や、やっと終わりましたね……」
「もう限界。早く戻りましょ、キンキンに冷えたお酒が飲みたい」
夜間はどうしても危険性が増すため、普段であれば早朝から昼過ぎまでしか狩りをしない。
なのでここまで長時間外で活動したのなんて、この町に来る旅路以来。
その時は魔物の襲撃が無かったので、馬車に乗って移動するだけの楽なものだったけど。
死骸の処理を騎士たちに任せ、正門へ戻ると一足先に入っていく2人組の姿が見えた。
それは当然例の勇者たちで、疲労のためかあるいは成果が芳しくない故か、若干その背は沈んでいるように見える。
ボクらも続いて中へと入り、採取した部位を出迎えたゲンゾーさんへと渡す。
双方の討伐数を、審判役であるクレメンテさんが数え上げていく。
そうして先に袋の中に入った証明の部位が尽きたのは、当然のことながら向こうの2人組。
クレメンテさんはこれ以上数えるのに意味はないとばかりに頷くと、ゲンゾーさんは周囲の群衆へと高らかに宣言した。
「決着はついたようだな。この勝負、勇者サクラの勝ちとする!」
ワァと歓声を上げる人、拍手をもって称えてくれる人、結果だけを見てそそくさと帰る人など様々だ。
しかしカルテリオの住民たちは皆それなりに楽しんでいたようで、普段はあまり感じられない熱気が町を包んでいた。
勝敗の結果を問わず、それなりに盛り上がってくれていたようだ。
「どうだお前ら、納得したか?」
「……はい」
観客が少しずつ散っていった頃になって、ゲンゾーさんは勇者たちへ問いかける。
正確に数えてはいないけれど、最終的にこちらが狩った魔物の数は彼らの倍近くに上っている。
となれば流石に認めるほかなく、その結果に彼らは力なく項垂れた。
大柄な方は下を向く表情をさほど崩しはしない。ただ握る拳に、力が入っているのが見て取れる。
そしてもう一方、昼間に遭遇し加勢した勇者は地べたに腰を下ろし、胡坐をかいた状態で俯いていた。
双方ともに悔しさを滲ませているのには違いない。
「仮に納得してなくても結果は結果だ、諦めてもらうぞ。ワシに弟子入りしたいというのであれば、せめてそこのお嬢ちゃんくらいの強さを身に着けてこい」
サクラさんを指さしながら告げるゲンゾーさんは、決定は覆らぬとばかりに言い放つ。
ただ諦めさせようとして言っているのはわかるのだが、それだと彼らがサクラさん並みの実力を身に付けたら、また来るのではないだろうか……。
彼らはゲンゾーさんの言葉を聞き終えると、観念したかのように立ち上がって深く一礼し、目の前から駆けて去って行く。
「なんだかちょっと可哀想に思えてきました。あれだけ必死だったのに」
「と言われてもなぁ……、ワシは人を指導などできんぞ。ともあれこれで大人しく王都に帰るだろう」
ボクの問いかけに、ゲンゾーさんはバツの悪そうに頭を掻きながら答える。
あれだけ慕って遠く追いかけてきたのだ、彼とて出来ることであれば受け入れてやりたいという想いはあったのかもしれない。
だが当人がそう言いクレメンテさんが否定せぬということは、彼は本当に人を指導するのに向いてはいないのかもしれない。
「ともあれお前さんたち、今日までご苦労だったな」
「まったくよ。ここまでの苦労分、しっかり対価は請求しますから」
「わかったわかった、ちゃんと礼はする。それに約束の報酬も忘れちゃおらん」
ジトリと視線を向けるサクラさんへ、ゲンゾーさんはカラカラと笑い返し、忘れてはいなかった約束を口にした。
その言葉に満足したサクラさんは、大きく頷き身を翻す。
彼女の役割はここで終了、祭りの後片付けまでは流石に面倒見る気はないらしく、既に意識は今夜の祝宴へ向いているようだった。
とりあえずこれでボクも落ち着ける。
一旦そう思ってしまうともうダメで、ここ数日の忙しさからくる疲労がドッと身体に圧し掛かってくる。
ボクも宿へ帰り、食事と柔らかなベッドへ飛び込みたい。
そう思って必死に身体へ鞭打ち、上機嫌で帰るサクラさんの後を追いかけた。
ただそうして宿に戻るなり、ボクらは少しばかり攻撃的な言葉を頂戴してしまう。
その言葉を発したのは、宿の主人であるクラウディアさんだ。
「アンタたちはこれで終わりでしょうけどね。こっちは夜通し続くのよね、戦いが」
「そいつは災難ね。でもちゃんと手間賃は貰えるんでしょ? 自分の食い扶持と思って我慢しなさいな」
「そっちはいいわよ、隣でクルス君が助けてくれるんだから。アタシは延々一人でこの膨大な量と格闘するの!」
いったい何事かと思うも、その原因となっているのが、宿の隅へ大量に積まれた魔物の素材であるとわかる。
サクラさんと2人の勇者が狩った魔物の数は、たった一日とは言え相当な数に上る。
今も引っ切り無しに騎士たちが運び込んでおり、大量のそれはなおも数を増やしつつあった。
クラウディアさんはこいつを一つ一つ調べ、値を付けていく必要があるのだ。
終わるころには明日の朝、いや明後日の朝になるかもしれない。
「えっと……、お手伝いしますか?」
流石にこれを全部クラウディアさんだけ任せるというのは気が引け、手を動かしながら辟易とした表情を浮かべる彼女へ手伝いを申し出る。
しかしボクの言葉へ一瞬だけおかしそうに微笑み、手と首を軽く横へ振る。
「冗談だって。本当は全部運び終わったら、騎士さんが数人手伝ってくれるからさ。夜中には終わるはずよ」
「そうそう。クラウディアは普段昼間っから酒飲んでくだ巻いてるんだから、少しくらい苦労したって罰は当たらないって」
「あんたは少しくらい手伝いなさい。ていうか昼間から酒を飲んでるのはそっちも一緒でしょ」
「私は休日限定だもの。普段はひたすら真面目にしているご褒美よ」
クラウディアさんの言葉に便乗するように、サクラさんは勝手に引っ張り出した果実酒を、一人手酌で注ぎながら茶々を入れる。
現在進行形で飲んでる人が言っても、あまり説得力があるようには思えない。
ただそんな横からのちょっかいに怒る風も無く、クラウディアさんは秤を前に手を動かしながら、丁々発止とやり取りを続けていった。
宿に戻ったらすぐ食事に行こうと思っていたけど、楽しそうな掛け合いを続けている二人を見ていると、それを邪魔するのも野暮に思えてくる。
酒を飲む速度も上げていっているようだし、正面の酒場で行われる酒盛りの前に、ここである程度出来上がってから行くつもりのようだ。
「何も食べずに飲むのは良くないですよ。酒場から何かもらってきますけど、希望はありますか?」
「乾き物がいいわね。あとなにか味濃いめなヤツ」
少しくらいは何か食べた方が良いかと思い尋ねるも、サクラさんはこちらを振り返ることなく答える。
食事よりも酒ありきで考えているようで、そんな物では碌に動けないであろうにと息をつく。
ここ数日慌ただしかったので、ボクとしてはちゃんとした食事と休養を取ってもらいたいのだけど。
しかし身体の休息よりも、精神的な充足感を求めているのであろうと察し、たまには良いかと思いボクは宿の前に建つ酒場へと足を向けた。
今日までも、そして今日ももっぱら頑張っていたのはサクラさんなのだ。
なので彼女の希望を叶え、今日一日使いっパシリになったとしても、それこそ罰は当たらないはず。
そんなことを想い、口元を綻ばせながら酒場へと向かう。
だがその翌朝には、ボクの献身的とさえ自称できそうな心情を打ち破る、大きな厄介事が起きるのであった。