二人のボク 07
延々と代わり映えのない光景。
真っすぐに伸びる街道は延々と王都にまで続き、視線の先にはうっすらと王城や城下の影が見える。
そんな王国中部の街道上を、サクラさんとヤツは歩き続けていた。
街道に出てから約半日。馬車にでも乗ればとっくに着いているが、徒歩ということもあって少しばかり時間がかかっている。
それに黒の聖杯が変じた偽のボクは、体力面でも本物と酷似しているようだ。
おかげで時折歩く調子に陰りが見え、手を膝に着く様子すら見せていた。
『疲れていませんかサクラさん。すぐに言ってくださいね、休憩をはさみますので』
ヤツは自身の疲労を考慮してか、サクラさんを心配するような素振りで振り返った。
今までも何度となく、サクラさんとの間で繰り返してきた光景。なんだか自分自身を見ているようで、若干の情けなさすら覚えてしまう。
一方でサクラさんも、そんな状況に慣れているものだ。
少しだけ先を歩いていた彼女は振り返ると、軽く肩を竦めるのだった。
『疲れているのはむしろそっちでしょうに。……私なら別に平気だけど、急いでるんじゃなかったの?』
『もちろん急いではいます。けれどサクラさんの身体を想えば、そっちの方が大切ですので』
ちょっとだけ心配をするサクラさん。そんな彼女にヤツは笑顔を浮かべ、飄々と軟派な言葉を吐くのだった。
今までボクが例え強がりであったとしても、言いたくとも言えずにいた空想の台詞。
それをあいつは易々と、澄ました顔で口にするのだ。この悔しさといったら、形容しがたい物がある。
ヤツの言動に、再び腸が煮えくり返るような心境に。
でもそれと同時に、なんとなくではあるがボクの姿を複製したヤツが、完全にボク自身と同じという訳ではないのに気付く。
その気質というか言動には、若干だけどボクの願望が混ざりこんでおり、そいつが表に出すぎているように思えた。
『ところでさ、一つ聞いていいかな?』
『またですか。でも構いませんよ、なんなりと』
普段とは異なる様子に、サクラさんは若干の違和感を感じてくれたのかも。
彼女は背を向けて前を向き、ゆったりと歩きながら問いを口にしていった。
『少し前、クルス君が作った薬のことを覚えている?』
『それはもちろん。あの時は大変でした、皆しばらくは目を合わせてくれませんでしたし』
『あの時のレシピ、結局燃やしちゃったじゃない。君の本音としては、案外誰かに使いたかったんじゃないかなってさ』
サクラさんが発したのはつい先日の一件。
お師匠様からの試練である、手帳に記されていた最難解な薬の作成成功は、あまり良い結果をもたらしてはくれなかった。
調合の成功そのものは嬉しいのだけれど、問題はその作用。一定以上な親しみを持ってくれている人へ、強制的に好意を植え付けるという代物。
結果何人もの女性陣、……と数人の男たちが暴走、色々と厄介な状況に陥ってしまった。
とまあそんな薬ではあるが、たぶん商会でも作って扱えば、シャレにならない値で売れたことだろう。
おそらく今後の人生、永久に左団扇が続けられるくらいの財に。
でも結局書かれたレシピは破棄したし、頭に入っている製法も極力忘れようとしている。間違いなく悪用されてしまうような物だから。
ボク自身もそいつを使う気はないと明言したのだけど、サクラさんはまだ未練があると思っているらしい。
『例えばそうね、……私に対してとか』
『否定はしません。でも残念ながら、勇者には効果がなかったので』
サクラさんは、そしてヤツは揃ってとんでもないことを口走る。
確かにあの薬、高い身体能力やら抵抗力を持つ勇者には、まったくと言っていい程に効果がない。
なのでボク自身の欲望に忠実となるなら、最も使いたいと思えてしまう相手に対しては、そもそも効果がなかったのだ。
だが決して口にしなかったその言葉を、あいつは易々と言い放ってしまう。
『それにサクラさん相手なら、あんな物を使わず自力で振り向かせてみせますので』
……こいつはいったい何を言っているのだろうか。
軽く上がった息を抑え込んだヤツは、表情だけは余裕さを浮かべ、唖然とするような言葉を吐いた。
その言葉にボクだけでなく、サクラさんまでもポカンとする。
いや、でもこいつがこんな事を言っているあたり、案外心の内でボク自身が思っていたことなのだろうか。
『……随分と素直ね。どんな心境の変化があったのかしら』
『ちょっとだけ正直になることにしたんです。付き合いも長くなりましたし、関係を進展させたいという欲求はありますから』
ヤツは堂々と、サクラさんに迫る。
同じ顔、同じ声。でもボクよりもずっと自信満々なそいつは、複製されたとはまるで思えない。
気質までも複製しているかと思ったのに、欲望にだけは素直なあたり、やはりボクとは異なる存在であるようだ。
そしてヤツのそんな違いを、サクラさんは遂に、しっかり感じ取ってくれたらしい。
王都まであと少し。このままいけばあと数十分で到着するというところで、歩を止めて振り返るサクラさん。
彼女は小さく嘆息すると、希望の見える言葉を吐いた。
『もし仮にそう思っていても、クルス君ならこんなこと言ってくれないわよね』
『……どういう意味です?』
ジッと偽物の目を見て、その正体を疑う。
疑うというよりも、彼女は既に確信を持っている。こいつが偽物であると。
こんな軟派な言動を続けたのだ、そう思うのもある意味で当然。
それでもここまで確信を持てなかったのは、きっとあまりにも精巧に姿を模していたため。声から基本の性格までも。
けれどやはり、ボクが表に出したくとも出せなかったものは、サクラさんにとって不審と思うに足るものであった。
『そのままの意味。本物のクルス君なら、絶対にこんな言葉は吐かない。あるいは君が錯乱したかだけど……、そっちはたぶんないわね』
『そ、それは……』
『だからあんたは偽物。返してもらうわよ、本物のクルス君を』
まるで世間話でもするかのようなサクラさん。
けれど彼女は偽のボクに近づくとギラリと鋭い目となり、目にも止まらぬ速さで背の大弓を握り、そのままヤツの顔面を殴りつけた。
易々と宙を舞い、数十歩分も吹っ飛ぶ偽クルス。
ヤツは吹っ飛ばされ、地面に転がり土や雑草をまき散らすと、その後はピクリとも身動きをしなくなった。
あまりにも突然な容赦のない攻撃に、ボクはつい目を白黒させてしまう。
あれがボク自身であったら、たぶんアッサリと死んでしまうような一撃。
多分確信は持っているのだろうけど、そいつを迷いなく行ったサクラさんに寒気すら覚えてしまう。
……結果的に、彼女の行動は正しいのだけれど。
『案の定ね。やっぱり偽物、か』
鏡の向こうに居るサクラさんは、倒れた偽物へと近づく。
ただそいつは横たわった身体を徐々に薄れさせており、色も次第にどす黒く変化。やがて空気の中へ溶けるように消えていった。
サクラさんは消滅する偽物を姿をジッと見送る。
そして完全に消え失せたところで、吐き捨てるように言い放つ。
『大切な私の相棒なのよ、その姿を騙るのは許さない』
ドキリとさせるような、重く鋭い声。
どこか怒りを湛えたようなサクラさん声が鏡から響いた時、こちらでも変化が起こり始める。
目の前に浮かんでいた鏡が急にひび割れ、同じように空気へ混じって消えていったのだ。
どうやらさっきサクラさんに殴り飛ばされたやつと、この鏡は対となる存在であったらしい。
若干間抜けな経緯ではあるけど、黒の聖杯が崩壊していったことで、ボクの状況も改善に向かうようだ。
鏡の代わりに現れたのは、異界へ続く小さな扉。人ひとりが辛うじて入れるかもといった程度な大きさの。
一瞬だけ不安になるも、ボクはそいつへ自身の鞄を放り込むと、勢いよく頭から飛び込んだ。
最初に引きずり込まれた時と同様、暗転する視界。
生ぬるい、気持ちが悪くなるような得体の知れぬ感触。
けれどそれもすぐに晴れ、目には強い光が差し込む。目を細めながら開けてみると、見えるのは野に広がる草と空。
そして大弓を手に振りかぶり、今まさにこちらを打たんとするサクラさんの険しい表情。
「ちょ、ちょっと待ってください! ボクです、本物ですよ!」
ついさっき殴り飛ばされた偽物の姿が脳裏をよぎり、一気に青褪める。
慌てて自身が偽物ではないと主張し、なんとか攻撃を止めてくれるよう懇願。
けれどサクラさんは疑わしそうな目で見下ろし、振りかぶる体勢は崩そうとしない。
「その証拠は? それに自分を本物って言うあたりが怪しいわね」
「向こうで見てたんです! どういう訳か、黒の聖杯がサクラさんの様子を映していて……」
「……まぁ、そこは別にいいか。で、証拠は」
「えっと、ボクならあんな恥ずかしいこと言えません。たぶん」
否定の言葉を吐くも、それだけで信用はしてくれないようだ。
なにせあれだけ精巧に複製されていたのだ、次いで現れたのがまたもや偽物で、本物のフリをしているだけと考えるのも仕方ない。
けれど試しにと同じように殴られては堪ったものではない。
そこでボクは自身でもわかるほどに顔を熱くしながら、偽物の発していた言葉を思い出す。
「なら確認するためにも、試しに一発殴ってみた方がいいか」
「いや死んじゃいますから! ていうか何を考えてるんです、もしアレが偽物じゃなかったら」
「大丈夫よ。万が一間違いだった場合のために、クルス君の体力を考慮して加減したんだから」
「……一撃で破壊しちゃったのにですか」
必死に否定し本物であると訴える。
彼女の腕に力がこもるのがわかり、さっき連れ去られていた時よりもなお強烈に、自身の死を色濃く感じてしまう。
「あいつが君よりも頑丈じゃなかったってことでしょ。結果的に上手くいったんだから気にしないの」
肩を竦めるサクラさんは、平然とした様子で恐ろしい言葉を向けてくる。
でもこの様子だと、ボクが本物であるとは認識してくれているようだ。
手にしていた大弓を背に戻し、地面に腰を落とし降参の体勢をとるボクへ手を差し伸べてくれた。
彼女の手を握り、ゆっくりと立ち上がる。
服について土を払いサクラさんを見上げてみると、少しだけホッとしたような表情を浮かべているのが見えた。
「危うく相棒に仕留められるところでした。それにしても、よく偽物だってわかりましたね」
「流石にクルス君にしては言動がおかしかったし、なにせ状況が状況だもの、別人だと考える方が自然でしょ? ほとんど最初からわかってたわよ」
「ボクが操られているだけっていう可能性は……」
サクラさんはやはり、しっかりとあいつの正体を見極めようとしていたようだ。
異界への扉に引きずり込まれ、何もなかったかのように現れた存在が、普通の状態であるはずがないという根拠で。
その上でボクの言葉がおかしいことに、ほぼ最初の時点から気付いてくれたというのは、正直嬉しさがある。
とはいえもしその疑いが間違いであった場合を想像すると、身の毛もよだつ。
仮にあれが偽物ではなく、ボクの精神を操った存在であったならと。
「もしそうだった時は、そうね……」
「そうだった時は?」
「お墓の前で悲しみに暮れてあげる。喪に服して1年くらいずっと」
腰に手を当て堂々と言い放つサクラさん。
なるほどそれは光栄だ。サクラさんの1年間を、ボクにだけ向けてくれるというのだから。
けれどそんな冗談めかした反応をする気力すら抜け、ボクは脱力しうなだれてしまうのであった。
「ところでさ、聞いておきたいことがあるんだけど」
「なんですか。答えられる範疇なら」
「ずっと見ていたって言ってたけど、……もしかしてアレも聞いてた?」
そんなうなだれるボクへと、サクラさんはおずおずと問う。
てっきり連れ去られた先についてを聞こうとしているのかと思うも、どうやらそうではないらしい。
彼女はちょっとばかり気恥しそうな素振りで、おそらくは偽物を殴り倒した後、最後に言い放った言葉についてを問うているようだった。
「ああ、あれですか。ボクのために本気で怒ってくれて、嬉しかったですよ」
「……やっぱり君、偽物かもしれないわね。もう一発殴って今度こそ本物を」
最後に発した、自身の相棒であるボクを騙った偽物に対する、強い怒りの言葉。
それに対する正直な感想を口にすると、サクラさんは顔をどことなく赤くし、再び背の大弓を握りしめる。
きっと気恥ずかしさから来ているであろうその反応。
ボクはそれを微笑ましく眺める余裕などなく、脱兎のごとく背を向け、王都方向に逃走を図るのであった。