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二人のボク 06


 まるで双子と見紛うかのように、ボクとソックリに変異した黒の聖杯。

 ヤツは自身とボクの間に開けた扉へ、瞬きするほどの一瞬で飛び込んでいった。



「ま、待て!」



 つい唖然としてしまったボクだけれど、そんな光景を見て手を伸ばす。

 あちらの世界へ戻るためにも、この機を逃してなるものかと扉へ向かおうとするのだが、開いていたのは極々僅かな時間。

 あと少しで触れようかというところで扉は縮小し、消滅してしまうのだった。



「クソ……。あいつ、いったいどこへ」



 扉を通って、ヤツがどの場所へ飛んで行ったかは不明。

 ボクらの住む世界かもしれないし、あるいはまったく知らない、未知の世界へ行ったのかも。

 あいつがボクの姿へ変異した理由は定かでないが、どうであるにせよここから脱するためには、賭けであってもあれに飛び込まねばならなかった。


 数少ないこの世界から脱出する術を逃したことに、歯噛みし悪態つく。

 こうなったらもう一度、目の前にある巨大な金属に触れ、また黒の聖杯が出現するのに賭けようかと考える。

 けれど近寄ろうとするボクの目の前に、またもや宙が歪む様子が見えた。


 まさかさっきのヤツが戻ってきたのだろうかと思うも、今度は空間に開いた穴などではなく、どういう訳か現れたのは一枚の板。

 それも強い光沢を纏った、鏡のような代物であった。


 今度はいったいなんだというのか。

 もしやこれも、黒の聖杯の一種なのだろうかと思い、短剣を構え慎重に近づく。

 だがそんなボクの耳へと、どういう訳か聞き馴染んだ声が届くのであった。



『ちょっと、今までどこに行っていたのよ!?』


「さ、サクラさん?」



 聞こえてきたのは異なる世界に居る、最も近しい人の声。

 声が聞こえるのは、目の前に在る宙に浮かんだ鏡のような物体から。そしてどういう仕組みであるのか、こいつにはサクラさんの姿が映し出されていた。


 もしかしてこちらの姿も見えているのだろうかと、淡い期待を抱く。

 けれどサクラさんの視線は他所を向いており、いったいどこを見ているのだろうかと思っていると、次いで鏡に映し出されたのは決して好ましくない存在。



「な、なんでボクが……」



 慌てるサクラさん。彼女の正面へと現れたのは、なんとボク自身。

 ……いや、違う。これはさっきボクの姿を写し変化した、黒の聖杯だ。

 ヤツは異界同士を繋ぐ扉をくぐり、サクラさんの前へと移動した。ボクの姿に偽って。


 そんなボクの姿を偽った黒の聖杯、"ヤツ"は笑顔を浮かべサクラさんに近づく。



『すみません、突然居なくなっちゃって』


『君、向こうの世界に引きずり込まれたんじゃ……。どうやって戻って来れたのよ?』


『僕もよくわからないんです。いまいちあっちでの事は覚えていなくて、いつの間にか戻って来れたみたいですが』



 ヤツはボクの姿どころか、口調すら複製。

 完全に"クルス"という存在になりきり、"ボク"の相棒であるサクラさんと言葉を交わす。


 そのおぞましい光景に、強い寒気を感じ短剣を落とす。

 自身の姿を模した敵が、最も近しく想いを抱く相手に近づき、素知らぬ顔で接しているのだ。

 嫌悪感などという次元の話ではない。頭が沸騰するかのような強い怒りに、警戒感もなく鏡へ掴みかかった。


 意外にもちゃんと実体があり、触れられるそれを引き寄せ覗き込む。

 映るそいつをジッと凝視するのだが、今のところサクラさんが気付いた様子はない。

 どことなく寂しいような、悲しいようななどと思うも、どうやらそれどころではないようだ。



『早く帰りましょう。僕、あまりここに居たくはありません』


『気持ちはわかるけど……。クルス君、本当に向こうであったことを覚えていないの?』


『残念ですが。そんなことより報告に戻りましょう、皆に知らせないと』



 サクラさんがボクの名を呼ぶ度に、腸が煮えくり返るかのようだ。

 彼女が名を呼ぶそいつが、憎き敵であるという事実が酷くイラつかせられる。


 ただそれよりも今重要なのは、ヤツがボクに成りすまし、騎士団の拠点へ向かおうとしているという点。

 目的は定かでないが、どうにも明確な目的が存在するように思えてならない。

 そのことを証明するかのように、偽者背を押され街道方向へ歩き始めたサクラさんの背後で、ヤツは一瞬ニヤリとし、"ボク"の方へ視線を向けた。



「クソっ……。早く、早くなんとかしないと。でもどうやって……」



 強い悪意や害意が滲んだヤツの視線。

 やはり明確な意思を持っているであろうそいつからは、なにか危険な目的を持っているようにしか思えない。


 なんとかしてサクラさんに知らせなくては。一刻も早くここを脱しなくてはと気が急く。

 けれどボクにはその術がなく、ただ映し出される光景を眺めることしか出来ない。

 そして無力にも身動きできぬボクを他所に、ヤツとサクラさんは歩いて街道へ向かう。



『このまま街道まで出て、乗合馬車を拾います』


『そんな簡単に見つからないわよ。最近は物騒なんだから、行商人だって動き回りはしないし』


『では歩きましょう。ここから歩いていけば、明日の昼には着く』


『……随分と急ぐわね。確かに報告が早いにこしたことはないけど』



 ヤツはボクの記憶までも複製したのか、非常に自然な発想で移動を口にする。

 気安くサクラさんの手を取り引くヤツの姿に、なお苛立ちが募っていく。

 けれどそれと同時に、鏡の向こうでサクラさんが漏らした感想に意識が向いた。


 確かに彼女が言うように、ヤツはやたら急いでいるように思える。

 ボクの思考や行動原理を複製したのであれば、急いで帰ろうと考えてもおかしくはない。

 けれどそれにしたところで、妙に急いているように思えてならなかった。



『ちょっとでも早く、この役目から解放されたいので』


『勝手をしたんだから、どのみち怒られるのは避けられそうにないってのに。私としては、ちょっとでも先送りしたいんだけど』


『僕は逆です。先に消化しておくに越したことはない』



 サクラさんの手を引き、一歩でも早くと言わんばかりな偽のクルス。ヤツはなにやら妙な言い訳をし先を急いでいた。

 もしかしてヤツには、特別な急ぐ理由があるのかも。

 真っ先に考えうるものとしては、時間制限の類でも存在するというところだろうか。



「ならこのまま待っていれば……。いや、仮にそうだとしてもその前に事を済ませようとするはず」



 おそらくヤツは複製したボクの記憶を元に、騎士団の集まる町へ向かおうとしている。

 それが騎士団を壊滅させようという腹積もりなのか、あるいは別の意図を孕んでいるのか。まだ判断材料に乏しい。

 ただどちらにせよ急ぐには相応の理由があるはずで、仮に時間の制約というのが正解であったとしても、安穏と待っていることは出来そうになかった。



 そこでサクラさんの方が気にもなるけど、脱出方法を再度模索することに。

 まず真っ先に試してみるとすれば……。



「まずは、こいつだ!」



 落としてしまっていた短剣を拾い、振りかざして目の前に浮かぶ鏡へ。

 こいつは向こうの様子を映していることから、黒の聖杯の一部であるのだと思う。

 分身かもしれないし、あるいはこいつこそが本体である可能性も。


 振り下ろした短剣は、意外にも避けようとすらしない鏡を切り裂く。

 けれどあまりにも薄い、いやむしろ皆無と言っていい手応え。

 易々と通り抜けた刃は、まるで霞でも着るような感覚で地面に突き刺さるのだった。さっきまで普通に触れていたというのに。



「ダメ、か。なら次はこのデカいのを……、ってこっちは流石に厳しいか」



 どうやら普通の攻撃では、こいつには通用しないようだ。

 ということは鏡の方はあくまでも分身。なので本体の方をどうにかしなくてはいけない。

 ではいまだ明滅を続ける巨大な金属の構造物はと思うも、こちらは非力なボクが立ち向かうには過ぎたる相手。

 というよりも、たとえ勇者であってもこいつの破壊は難しいはず。


 ダメで元々と、試しに短剣を振ってみる。

 けれどこちらはすり抜けたりはしないものの、案の定アッサリと刃は弾かれ、手に強い痺れが残るばかり。



「参ったな。これは本格的に、向こうで何とかしてくれるのを待つしか」



 どうやら現時点で、ボクに打つ手はなさそうだ。

 薬品の類を入れた鞄はなんとか持ったままだけれど、今回その中には強い破壊力を持つ代物など含まれては居ない。精々が多少の毒性がある薬品くらいだ。

 なのでここから脱するためには、あちらの世界から干渉をしてもらうしかなさそう。

 あるいはこの場へ再び現れてくれるかもしれない、黒の聖杯を破壊してみるとか。


 おそらく自力での脱出は極めて困難。

 食料の類は、陣を描いていた時に地面へ置いていた。となるとあまり体力を無駄には出来そうもない。

 ボクは流れ出る汗の一滴すら惜しむように、その場へ座り込み息を落ち着けた。


 ひんやりとした、無機質の地面。

 その感触をどこか不安に思いつつ、宙に浮かび向こう側の様子を映す鏡を眺める。



『ところでもう一度聞くんだけどさ。本当に向こうに連れていかれた時のこと、まったく覚えていないの?』



 急ぎ足で街道へ向かうサクラさんと偽クルス。

 ただ彼女は背負う荷の位置を直しつつ、ジッとヤツを見て再度の問いを向けた。

 もしかして本物であるボクとの、微妙な違いでも感じ取ってくれたのだろうか。



『本当ですって。まったく、何一つとして記憶にありません』


『……そう、ならいいわ。行きましょう』



 けれどサクラさんはヤツの言葉を聞き、とりあえずの納得らしきものを示す。

 そしてボクの期待を他所に、街道方面に早足で歩き続けるのであった。


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