二人のボク 03
王国中央部の、若干西に寄った土地。
これといって大きな都市もなく、在るのは農耕を生業とする小村くらいというそこへと、ボクとサクラさんは約半日を要したどり着いた。
乗合馬車から降りるなり、その小村に拠点を確保。
拠点とは言うものの宿屋などありはせず、農家の納屋を借りてそこで眠るだけ。
もっともその簡素に過ぎる寝床が、どことなく勇者としての活動を始めた頃を思い出させ、ボクには少しだけ懐かしく思えていた。
とはいえそんな感傷に浸るのもそこそこに、ボクらは村を出て目的の場所へ。
かつてゲンゾーさんが、黒の聖杯召喚の際に発生する扉へ干渉できたとされる、野へと行き調査を始めた。
けれど数時間をかけて調べるも、碌な成果が得られず、この日は一旦村へ戻ることに。
「ではここ最近、それらしき物を見てはいないと」
「ここ最近どころか、もう十数年以上見ちゃいないさ。昔は年に1度くらい、村の誰かが見かけていたもんだがなぁ」
日没まではまだ若干の猶予があり、そのまま眠ってしまうにはまだ早い。
そこで納屋に戻って携行食を齧る前に、まだ外を歩いていた村人たちに聞き込みをすることにした。
ただ近隣で黒の聖杯を見たことがあるかという問いに、男は大きく首を横に振る。
返ってきた見ていないという答えは予想通りだったけれど、以前は度々目撃されていたという点は少々意外。
それでもこの話が成果と言えるかと問われれば、首を傾げるしかなかった。
「結局手がかり無し、ですか……」
「そこまで期待はしていなかったけれど、こうも盛大に空振ると気が抜けるわね」
「とりあえず明日も探しますが、なんとなく成果は得られない気がします」
数人の村人から話を聞くも、得られたのはほぼ同じ内容。
陽が傾き茜に染まりつつある村の道を、寝床となる納屋へ向けノンビリと歩きながら、この日の感想を口にする。
「なにせあのおっさん曰く、30年も前の出来事だもの。何も手がかりが残っていない方が自然かも」
「では早々に撤収しますか? たぶんゲンゾーさんも文句は言わないと思いますし」
「……いいえ、もう少しだけ粘っておきましょ。他の人たちだって方々走り回ってるし、私たちだけ安穏とするのもね」
かなり昔の出来事であるため、手掛かり無しというのは普通かもしれない。
とはいえサクラさんは、ここでアッサリ諦めてしまうというのも、他の勇者たちの手前気まずいと考えたようだ。
あと数日、せめて明日一日くらいは調査を継続し、報告書として残せる程度には動く必要がありそうだった。
そうと決まれば、後はもう眠るだけ。
軽い欠伸をしながら納屋へと入り、鞄から簡単な携行食を齧って水を飲み、敷かれた藁の上で横になる。
するとすぐさま眠気に襲われ、うつらうつらとするのだけれど、どういう訳かしばらくして急に目が覚め眠気が晴れていくのを感じた。
なんだか妙に寝付けないが、しばし横になったまま目を閉じる。
それでもなかなか眠ることができず、起きあがり藁の中から這い出ると、枕元に置いていた水を一口飲み上着を羽織る。
そしてすぐ隣で眠るサクラさんを起こさぬよう、慎重に歩いて納屋の扉を少しだけ開き、冷たい夜風の舞う外へ出た。
「寒っ。もう1枚上着を用意した方がよかったかな……」
外に出るなり、夜風を受け身を震わせる。
大陸の南方に位置するシグレシア王国は、他国に比べ比較的温暖な傾向がある。
王国中部であるここいら一帯も、冬季にしては比較的温暖なのだけれど、当然さらに南部の海沿いであるカルテリオとは比べようはずもない。
なので暖かな土地に慣れた身には、この寒さは少々堪えるというのが本音。
この国よりさらに北、高地に在るアバスカル共和国に行ったのが夏場であったのは、ボクにとっては救いと言えるかも。
ボクはそんなことを考えながら、かじかむ手に息を吹きかける。
すると照明も落とされ星明りだけで照らされた村の中、ボウと視界の端に柔らかな光が浮かぶ。
そちらを振り返ると、壮年の男が一人、手にランプを持ちゆったりとした足取りで歩いてくるのが見えた。
「こんな時間に、どなたですかな?」
彼はランプをかざしながら、世闇の中で明かりも持たず立つボクへと声をかける。
どことなく表情からは不安そうなものが漂っているようにも見える。
「あ、すみません……。ちょっと寝付けなくて、夜風にでも当たろうかと」
「そうでしたか。てっきり家畜泥棒でも現れたのかと思いました」
姿を現したのは、確かこの村の村長であるという男だ。
まだ夜が開けるにはかなり早いけれど、そろそろ早朝と言っていいくらいの時間帯。
かなり早起きであるらしき彼は、どうやら単純に眠れず外に出たボクを、善からぬ輩ではないかと確認しに来たようだ。。
村長からしてみれば、こんな時間に明かり無しで外に出ているというのは、なかなかに不信感を覚えてしまうに違いない。
正体を確認し安堵した村長は、折角とばかりにちょっとした世間話を振ってきた。
眠気を求めていたボクは彼のそれに付き合うこととし、立ったままでしばし言葉を交わしていくと、ここに来た経緯の話へと至る。
騎士団の用事であるというのは言っていたけれど、そういえば詳しい部分は言っていなかった。
別段隠すような内容でもない気もするが、肝心な部分だけ省いて要約し伝える。
「おや、では貴方がたはゲンゾー殿の……」
「一応今は部下、と言ってもいいのかもしれません。彼の下で動いているので」
村長はそんなボクの説明に対し、内容そのものよりも指揮を執っているのがゲンゾーさんであることに反応する。
確かに彼はこの国において、対魔物の急先鋒というか、ある種の英雄とも言える存在。名を知っていてはおかしくない。
ただ村長はゲンゾーさんのことを名を知った英雄としてではなく、それなりに近しい存在として知っているようだった。
「懐かしい名ですな。いつぞやはあの御仁に、村の皆ごとお世話になりましてな」
「それって、30年前に来たっていう……」
「おや、ご存知でしたか。当時あのお方は名が売れ始めた頃で、魔物の被害に苦しんでいた我々を、親身になって助けて下さったものです」
どことなく遠い目をし、良い思い出であると呟く村長。
昼間に聞いた限りだと、この村は昔かなり魔物の被害に苦しめられていたとのこと。
当時から勇者の王都一極集中が進んでおり、王都からほど近いここいら一帯であっても、あまり勇者が寄り付く場所ではなかったはず。
勇者が地方に散らばり始めたのは、地方で活躍し名を挙げたサクラさんという例が生まれた、ここ1年かそこいらの話だ。
そんな当時、困っていた村にやってきたのがゲンゾーさん。
相棒のクレメンテさんと共に魔物を延々と討伐し続け、村の人たちと共に暮らし、家族同然になったのだと村長は言う。
どうやらかなり良い想い出であるらしく、夜中であるというのに滑らかに舌が回り続ける村長。
ただ彼はふと何かを思い出したようで、話を中断し思案する。
「そういえば、かの御仁が王都へお戻りになられた後、とある品を見つけまして」
「品、ですか?」
「ゲンゾー殿が村を離れる際、当時村長であったわたくしめの父に頼んでいたそうなのですが……」
そう言って彼はボクを手招きし、自身の家へ向かう。
彼は玄関をくぐって奥へ進み、少ししてから出てくると、手には木製の小箱が。
「当時あの方は、黒の聖杯について調べておられるようでした。これだけ出現頻度の高い地域ですので、その件について記した書物がないかとも」
「これがそうであると?」
「王都へお戻りになられて、さらに数年後に出てきた物でして。その頃にはわたくしの父も他界しておりまして、すっかり時効になったものと思い……」
村長は若干申し訳なさそうに、手にしたその小箱を開く。
ランプの明かりに照らされた箱に入っていたのは、随分と古びた一冊の本。
本、というよりも冊子と言う方が適切に思えるそれは、村長曰く黒の聖杯に関する内容が記されているようだ。
見つかった時に彼は知らせようか悩んだようだが、あれ以降ゲンゾーさんはこの村に立ち寄っていないのに加え、その頃には王国有数の勇者として名を挙げていた。
突然何年も前の頼みごとを果たしたと、このように古びた本を送り付けるのもと躊躇したようだ。
けれど案外その時に受け取っていたら、逆に存在を忘れてしまっていたかもしれないと考えれば、怪我の功名と言えるのかも。
「良い機会です、これをあの方に渡しては頂けませぬか。謝罪の手紙もこれから書きますので」
「賜りました。ボクらとしても、手ぶらで帰るのが心苦しかったので」
「それは良かった。ではしばしお待ちを、朝にでも手紙を持って納屋へ伺いますので」
長年の憂いが解消されるとわかったためか、村長は暗がりの中でもわかるほど表情を明るくする。
これから朝までかけて謝罪の手紙を書くという彼と別れ、ボクは木箱ごと受け取った本を持って納屋に。
極力静かに扉を開けたつもりだったのだが、中に入るとそこには藁の上に腰を下ろし、点けたランプの明かりで荷物の整理をするサクラさんの姿が。
どうやらボクが抜けだした時点で、目を覚ましていたらしい。
ただてっきりボクを待つ間、荷物を整頓しているだけかと思ったのだけれど、広げていた物を全部鞄に詰め込もうとしていた。
「で、なにをしているんです?」
「なにって、撤収の準備よ。クルス君の話している内容、ここまで聞こえていたもの」
どうやらサクラさん、ボクが外で村長と交わしたやり取りを全て聞き取っていたようだ。
でも考えてもみれば、ここは村長の家に併設された納屋。
勇者の優れた聴力からすれば、静まり返った夜にされる囁き合いなど、目の前で普通に話すのとそう変わらないのかも。
黒の聖杯そのものは見つかりそうもないけれど、ちゃんと手がかりは発見した。
ここに来た目的としては十分で、むしろ早く撤収して、こいつを持ち帰る方が優先と考えたらしい。
その考えに異論などなく、朝が近いということもあってボクも荷物の片づけを始める。もう少ししたら村長が手紙を持ってくるはずだ。
「武器、まるで持ってきた意味がありませんでしたね」
「使う機会は追々あると思うけど。……案外、そう遠い先のことじゃないかもよ」
持ってきた荷物の大部分を占めるのは、武具店で買い占めた短剣や投擲ナイフなど。
黒の聖杯に対し使うためのそれらだけれど、結局遭遇すらできなかったため、このまま持ち帰ることになりそうだ。
けれどそいつを大きなカバンに仕舞っていくと、サクラさんはなにやら意味深なことを呟く。
きっと彼女とて、これといって根拠があるわけではないと思う。
それはわかるが、どうにもその予感が外れてはいないような気がしてならず、ボクは手にした短剣の1本を、鞄ではなく腰に差してしまうのであった。