特別 07
「思ったよりも、悪い子じゃないのかもね」
いまだ名前も知らぬ勇者の片割れと別れ、その姿が小さくなってきた頃。
サクラさんは薄く笑いながら、小さく弾むようにボクへと話しかけてきた。
それは今まさに助けた、前髪で目の隠れた青年勇者に対して向けられた言葉。
ただボク自身はといえば、助けられたのだから自己を押し殺してでも礼をすればいいのにと思うだけに、その言葉には首を傾げざるを得ない。
「そうですか?」
「素直に謝れなくて最後にようやく小声で言うあたり、ちょっとだけカワイイじゃない」
「カワイイ……、ですか?」
大人の男に対して使うのは、少々憚られる言葉だ。
だがボクのように14歳という立派な大人と言える年齢であっても、サクラさんは遠慮なく子供扱いをしてくる。
ボクよりも少しだけ年上だろうと思われる彼も、扱いはそう変わらないのかもしれない。
「なぁに、嫉妬?」
「格好いいと呼ばれるならまだしも、可愛いではどうでしょうね」
やはり男として生まれたからには、そう言われたいというのが本音だ。
少しばかり幼く見えたり、時折性別を間違われてしまうボクのような容姿であれば、なおのことそういった憧れは強くなってしまう。
「そんなこと言って、本当はもっと構ってもらいたいんでしょ。クルス君にも言ってあげようか?」
「……なんのことですかね。ボクは別に」
「でも話しかけた時、ちょっとだけ嬉しそうにしてたわよ。玩具を前にした子犬みたいに」
これ以上口を開けば、きっと墓穴を掘ってどんどんからかわれる一方に違いない。
普段ならばそれも悪くはないのだが、今は一応曲がりなりにも勝負の最中。
ボクはそれを避けるため、そうですねとだけ返す。
「なんだ、からかい甲斐のない」
その返答に肩透かしを食らったのだろう。
サクラさんはツマラナイとばかりに若干口を尖らせ、次の標的を求めて周囲を見渡し始めた。
ボクは少しばかりあの安堵と物寂しさを感じつつ、同じく草原を広く窺う。
すると次の標的となる魔物の代わりに、草原の数か所から煙が立ち上っているのが見えた。
サクラさんや2人の勇者が狩った魔物を、騎士たちが処理してくれている光景だ。
彼ら騎士たちはボクらと違い、しっかりと売却できる素材を回収してくれているはず。
それらは後で売却され、最終的にはボクとサクラさん、2人組の勇者と、騎士団で均等に3等分されるという旨で話が付いている。
3等分されるとはいえ、これだけ狩ればそれなりの額。
王都から回ってくる少ない予算をやりくりしている騎士たちからすれば、降って湧いた好機と言えるようだった。
このままだと多く狩っているボクらが、一番割を食うはめになりそうではある。
ただこれも酒場に渡している肉と同じ、地域貢献の一種と考えればいいのかもしれない。
そうして開始からしばらくし、太陽も真上へと差し掛かっていく。
遮るもののない草原では、容赦なく日光に晒され続けるため、ジリジリと肌が焼かれるようだ。
僅かに潮の香りがする海風によって、この辺り一帯には熱が篭りはしないものの、日射による熱さばかりは如何ともしがたい。
「そろそろ日も高くなってきましたし、お昼も兼ねて休憩にしませんか?」
「賛成。いい加減この暑さも耐え難いもの」
この暑さの中でも長袖を着込み、暑さに茹っているサクラさんへと、ひと時の休息を提案する。
すると額に汗を滔々と流していた彼女は、ホッとしたような表情を浮かべ、一も二も無く飛びついて来た。
食事を求めてというよりは、町へと戻って日陰に避難したいという思いが強いらしい。
それならば涼しい格好をすればいのにと思うも、彼女はどうやら日に焼けるのを嫌がっているようだった。
その意図するところはよくわからないけど、頑なに袖の長い服を着続けるのもそれが理由だ。
「ていうかもうかなりの数を狩ったしさ、日が沈むまで休んでていいんじゃないかな」
「何を言ってるんですか、食事をしたらまた出ますよ」
ボクの言葉に、ガクリと肩を落とすサクラさん。
そういえばここ半月程、彼女は今までよりも熱心に狩りをしていた。
夏場に楽をするためと理由を語っていたのだけど、今はその楽という言葉の意味が、炎天下で外を出歩きたくないという意味なのではないかと思えてくる。
だがせめて、今日くらいは辛抱してもらいたい。
娯楽に飢えていた港町カルテリオにとって、今回の勝負は待ちに待った一大イベント。
ただでさえ広い草原を会場にしているため観客からは遠く、豆粒程度にしか見えないのだ、対峙する一方がノンビリとしていては、さぞ興醒めに違いない。
「折角苦労して準備したんです、サクラさんだって観客が退屈するのは望んでいないですよね?」
「それはまあ、そうなんだけどね……」
「でしたらもう少し頑張りましょう。明日はお休みにしますし、終わったらご馳走やお酒が待っていますから」
ボクがそう告げると、渋々ながらも一応は承諾してくれ、ダルそうな顔をしながら歩き始める。
サクラさんは町の中では上手く本性を隠し、真面目で品行方正な勇者という評価を得ているのだ。
とてもではないがこんな様子、町の人たちには見せられない。
ひとまず町へと戻り、ボクらは正門を通って城壁の中へ。
ヒンヤリとした石造りのそこへ入ると、一時町へ戻ろうとするこちらの姿を見ていたのか、2人の人物による出迎えがあった。
すっかり顔なじみになった女性騎士と、白髭を蓄えた壮年の男性だ。
「どうじゃ、怪我なんぞしとらんかの?」
この人物はつい最近、この町へとやって来てくれた新しい医者だ。
アルマの誘拐以降、不在となったカルテリオの医師として、王都から派遣されてきたのであった。
これまで3度ほど顔を合わせた程度ではあるけれど、好々爺然とした穏やかな人だ。
前任の女医は裏に隠れた野心を抱いていた。でもこの人物にはそれらしきものが見えない、あくまでもボク個人の印象ではあるけど。
王都で長く後進の指導をしていたらしく、この町を終の棲家とするべく自ら名乗りを上げたのだという。
騎士団の詰所に居る医師だけでは到底手が足りないので、来てくれた事によって町の人たちからはとても感謝されているそうだ。
「大丈夫ですよトリスタン先生。そこまで危険な目には遭いませんでしたし」
「それは何よりだったの。だが慢心はいかんぞい」
ボクの答えにトリスタン先生は、満足気な表情をしながらも釘を差す。
ついつい反射的に気を付けますと言ってしまうのは、年の功によるものだろうか。
「昼飯でも食いに帰ってきたのかの」
「はい。食事もなんですが、少々気温が高くなってきたので小休止に」
「それは良い心がけじゃの。何のかのと言っても今日は祭りのようなもの、あまり無理はせん方がええ。ちゃんと食休みも摂るようにの」
それだけ言うと、正門から入ってすぐの場所に停めてある幌付き馬車の中へと入っていく。
トリスタン医師は勝負の最中、万が一に備えてそこで待機していてくれる。
常人ならざる能力を持つ勇者とて人の子、病気になれば怪我もする。
なのでああいった医学に精通した人物の存在が控えていてくれるのは、とても心強い。
「とりあえず食事にしましょうか」
「早く行きましょ。やたら喉も乾いたし、もう水筒だって空っぽ」
急かすサクラさんの言葉に促され、ボクらは城壁内を抜け、壁の裏に立ち並ぶ出店の列へと足を運んだ。
連なる出店は軽食や飲料を売っているものがほとんど。ただその中には、薬品の類や衣料品を売るものもある。
普段それらを扱っている店が、降って湧いた祭りに便乗して出店しているためだ。
ここカルテリオは特別大きな町ではないので、存在する店舗の数など限られている。
……はずなのだけど、ここに立ち並ぶ出店の数々はそれらよりも多いように見えた。
日頃商売を営む者以外にも出店しているようで、どこか家庭的な料理が並べられた屋台も多い。
観客たちは思い思いに好きな品を買い、僅かな日陰へと避難して地べたに座り食事を楽しんでいる。
勝負の行方にはあまり関心がなく、ただ買い物や飲食を楽しむお祭りとして受け止めている人も多いようだ。
「……サクラさん、それ狩りの最中は使わないで下さいね」
「普段使い用だって。流石にこんなの持って弓は引けないし」
食事を求めて歩いていたはずなのだが、目を離した隙にサクラさんが購入していたのは、薄い布の張られた傘。
雨具としての用途に作られた物ではなく、日差しを避ける為に作られた物のようだ。
ボクの知る限り、日除けの為の傘など王都に住む貴族のご令嬢が使うくらいのもの。
それとて人から聞いただけで、実際に使っている人など見たことはない。
ただ快晴の中で傘をさすサクラさんの姿は少々奇異に映るものの、さきほどまでダレていたのと比べれば、若干機嫌がよくなっているような気もする。
何故このような商品が、ここで売られているのかは謎だが。
「午後も暑い中で動きますからね、軽めでアッサリした物がいいでしょうか」
「そうね、流石に揚げ物とかを食べるような気分じゃ……。って、あれは」
今度こそと昼食を見繕うために出店を巡っていると、サクラさんが何かに気付いたようで、人混みの向こうへ視線をやる。
何があるのだろうかと思いボクはその視線を追うと、大勢いる住民たちの向こう、少しだけ開けた場所に少女が立っているのが見える。
手にバスケットを持つその少女は、さらさらとした赤毛を持ち、陽射しを受けて輝く銀色の髪留めを着けていた。
サクラさんはそのまま人を掻き分け、少女の下へと歩み寄り少しだけ腰を屈めて声をかける。
「どうしたのアルマ。一人?」
サクラさんが近寄り声をかけたのは、この町の教会に預けている亜人の少女、アルマであった。
アルマは少しだけ驚いたようなそぶりを見せると、手にしたバスケットで顔を半分ほど隠しながら頷く。
見ればアルマが履いている丈が長いスカートの裾からは、ほんの少しだけ尾先が見えており、それが左右に揺られているのが見て取れる。
恥ずかしがりながらであっても、それなりに再会を喜んではいるようだ。
その様子に気が付いたのか、サクラさんも心なしか頬を緩めている。
「……クルスは?」
「ボクならここだよ。7日ぶりくらいかな」
サクラさんに対するアルマの小さな問いかけに、ボクは横から割って入り答える。
その声に反応し、ボクの姿を視認したアルマは笑顔を開かせ腰のあたりへと飛びついてきた。
ここ数日はこの祭りの準備に走り回ったせいで、碌に会いには行ってあげられなかった。
きっとこの抱擁はその反動で、幼い少女はグリグリと顔をボクの腹に押し付けてくる。
そんな飛びついたアルマを見て、サクラさんはやれやれと苦笑し、自分にも抱き着いて欲しいとばかりに肩を竦めていた。
「ところでどうしたんだい、こんな所で。司祭様と一緒じゃないの?」
ただなぜこんな所にアルマが居るのかと思い問いかけると、幼い彼女は一方を指さす。
そちらにはアルマの保護者となっている教会の司祭と、一緒に暮らしているであろう子供たちが、芝生へ座り楽しそうにお弁当を広げていた。
ボクらの視線に気づいたのだろう、司祭を務める老夫婦はこちらへと会釈する。
「あのね……、クルスにおべんとう」
そう言ってアルマは恥ずかしそうに、手にしたバスケットを渡してくる。
どうやら居るかどうかも定かではないボクらへと、食事を渡そうと探して探し回っていたようだ。
受け取りバスケットを開くと、中には野菜や魚などを挟み込んだサンドイッチが納められていた。
少々歪な形をしているところからして、どうやらアルマ自身の手作りらしい。
その中身を横から覗き込むサクラさんは、ことさら大げさに喜びアルマの頭を撫でる。
「ありがとうアルマ、上手に出来てるじゃない。私が作るよりもずっと美味しそう」
そんなサクラさんを見上げ、アルマは注意深く見ずとも判るほどに尻尾をブンブンと振り、スカートの裾をバタつかせていた。
少し俯いて恥ずかしそうにしてはいるのだが、とても感情の起伏が判別し易い子だ。喜んでいるのがすぐわかる。
折角持ってきてくれた手作りのお弁当。出店の料理もそそられるけれど、こちらは何にも代えがたい。
ボクらは城壁の側に出来た陰へと移動し、ありがたくアルマ手製の昼食を頂くことにした。