くすりのひみつ 07
何度となく叩かれる扉の音が部屋に響く中、乳鉢を手に急ぎ薬草をすり潰していく。
扉の向こうからは、数人の男女が叫ぶ声。その中には幼い声も混じっており、ついつい手が止まる。
「アルマまで来たんですか!?」
「一応服は着せておいたわよ。お風呂には入れ損なったけど」
どうやら扉の向こうには、アルマまでもが押しかけてきているようだ。
周囲の大人たちにも負けていないらしく、一番前で扉を叩いているような気配すら漂わせていた。
今は真冬であるため、服だけは着せられていることにちょっとだけ安堵。
けれど今度は、いっそう強く叩かれる扉が不安になる。
その扉を背で抑えるサクラさんは、ゲンナリとした様子で時間のなさを告げた。
「そう長くは持たないわよ。せめて金属製の扉で作るべきだったわね」
「大丈夫です、あとちょっとで……」
いくらサクラさんが抑えているとはいえ、扉そのものの耐久性には限界が。
大の男が体当たりでもすれば、壊れてしまう程度の安い木材で作られた代物なのだから。
ただこいつが壊されるよりも先に、なんとか薬の方は完成しそうだ。
すり潰した薬草を煮出し、若干の香辛料を加え、自身の頭から乱雑に引き抜いた毛髪を一本。
そいつを漉して小瓶に入れ、小窓から入ってくる淡い明りに晒すと、乳白色へと変化していく。
本当なら数日間は液体に馴染ませておきたいけど、流石にそんな時間はなかった。
手順も材料も問題はない。たぶん……、これで完成しているはず。
「できました! 開けてください」
「本当にいいの? そこはかとなく不安なんだけど……」
「ボクもです。でもやるしかありません、もしダメならお願いします」
お師匠様のことだ、こいつが効果を現わすのは信用していいと思う。
けれど仮に効果が出なければ、サクラさんが全員に当身をして気絶させ、ここに放り込むしかなくなる。
そうならないよう祈りながら、サクラさんが扉を開くのを待つ。
意を決した彼女が扉から離れると、すぐに鍵は壊され、勢いよく開け放たれた。
なだれ込んでくる男女の姿。アルマにアヴィ、クラウディアさんにメイリシア、女性騎士隊長。そして数人の男たち。
ボクは彼女らの姿を見るなり、手にしていた小瓶の中身を床にぶち撒けた。
すると乳白色の液体はすぐさま空気に触れ、白く薄い気体を発し始める。
それでも意に介さず迫ってくる。けれど警戒せず気体を吸い込んでしばし、徐々に彼女らは眠そうに瞼を落としていく。
「これは効果があったと考えていいのかしら?」
「少なくとも、効果の片方は出ています。睡眠を抑制する成分も含まれていますので」
さっきまでの興奮はどこへやら、揃って床に崩れ落ちていく。
とりあえず倒れていくアルマだけは抱き支え、床で眠る彼女らの様子を観察。
すると瞼を閉じ意識を失った状態ではあるけれど、徐々に興奮の度合いが収まっていくのがわかった。
「どう?」
「たぶん、効いています。起きてからちゃんと診てみないと断言はできませんが」
「そう……。ならとりあえず、私はこの子をもう一度お風呂に連れていく。念のためにね」
おそらく状況は落ち着きつつある。
そのことに安堵したサクラさんは、ボクからアルマを引き受け抱えると、気だるそうな嘆息をしつつ地下室から出ていく。
彼女が出ていったことで静まり返る地下室。
小窓を開け、地下室に立ち込める蒸気のような白い煙を追い出し、置かれた椅子に腰かけて卓上の燭台に明かりを灯した。
倒れているメイリシアたちを尻目に、ひとまず使った器具の片づけをしていきながら思案する。
例の薬品が、内に秘めた願望を露わにするのか、それとも多少の好意を盛大に勘違いさせてしまう作用を持っていたのか。
まだどちらとも言えないが、こいつはある種の媚薬とも評されかねない代物。
あまり人に存在を知られるのは好ましくない。お師匠様だって、一度もこれに関することを口にしたことはなかった。
「処分……、した方がいいのかな。やっぱり」
お師匠様の手帳を見下ろし、最も無難と思える選択を呟く。
けれどあまりに貴重なそれであるだけに、最後のページを破り燭台にかざすこともできず、とりあえず鞄に仕舞い込むのであった。
翌日早朝。ボクは朝から協会支部の一角で、椅子にもたれかかり霞む目をこすっていた。
ロビーの中央には、簡易的なベッドがいくつも並べられている。
その上に横たわっているのは、昨日まき散らされた薬品によって、暴走状態となっていた人たち。
あの後でサクラさんと共に協会に運び込み、体調におかしな点がないかを観察するべく、彼女らを纏めてここへ寝かせることに。
深夜にクラウディアさんと女性騎士隊長が起きたけれど、その時点で彼女らは薬品の影響も抜け去り、すっかり平常通りになっていた。
ただ彼女たちにとって不幸であったのは、昨日の記憶が丸々残っていたこと。弱い照明の下でもわかるほどに、揃って赤面した後、また眠りついていった。
そんな眠り続ける人たちを眺めるボクの横で、大きく欠伸をする人の姿。
「メイリシアとアヴィも、起きたら同じ反応をするのかしら」
「まず間違いなく。たぶんもっと悶絶するのでは」
「逆に楽しみになってきた。願わくば、映像で残しておきたいくらい」
眠気を隠そうともせず、大きく欠伸をするサクラさん。
彼女は起きた時の反応が楽しみであると、ちょっとだけ愉快そうな声で話す。
立ち上がったサクラさんはロビーを歩き、簡易の酒場となっているカウンターへ。
まさかこんな早朝から酒でも飲もうというのかと思うも、そこに置いてあった冷めた茶を持ち、眠気覚ましのためか一気に煽る。
「で、例の薬はどうするの?」
口元を拭う彼女は、再び椅子のところに戻りながら問う。
指先は眠っている人たちの方へ。表情には好奇心がにじみ出ており、この騒動の原因となった代物を、どうしたいのか気になっている様がありありとしていた。
「少し悩みはしましたが、やっぱりレシピごと処分します。こんなの残しておけませんよ。たぶん後々で、欲しいという人間が来るとは思いますが」
「あら残念。上手くすれば大儲け出来るってのに」
「心にもないことを。製法については忘れたということにでもしておきます」
ボクはお師匠様の手帳から、今回使った薬の製法が書かれたページだけを破る。
テーブル上に置かれた燭台にかざすと、移った火がすべてを灰とするのにそう時間はかからなかった。
これで製法を知るのはボクとお師匠様だけ。
けれどおそらく噂は風よりも速く駆け、すぐにでも王都へ届いてしまうに違いない。
そうなればきっと様々な商会が接触してくるはず。なにせサクラさんが言うように、こいつを裏で売れば膨大な利益を得うるのだから。
なのでお師匠様には、あとで事態の顛末を記した手紙でも送っておこう。
「まあ、それもそうか。薬の力なんかに頼っちゃダメね、こういうことは」
「おっしゃる通りで。ボク自身も使うつもりはありませんし」
「使うつもりはない、か。使えない、の間違いじゃない?」
使う意思がないことを軽く言い放つのだけれど、サクラさんはどことなく意味深な目と言葉を向けてくる。
……確かに、ボクがこいつを使うことはできない。それは薬師としての矜持やら常識とは異なる部分。
こういった代物を使いたくなるような相手、つまり大抵の場合は好意を寄せる相手であろうけれど、ボクにとってのその人には効果が表れないから。
たぶんこちらの世界で生まれ育った人間とは異なり、勇者には薬の効果が出ないようだ。
「なんのことだか、サッパリです」
「ならそういう事にしておくとしましょ。どのみち処分そのものには賛成だし」
燭台の皿で灰となったそれを眺めつつ、なんとか表情を抑えて誤魔化す。
すると彼女もそれ以上は追及してこないけれど、実際に誤魔化せているかどうかという点は、かなり危ういものがありそうだ。
サクラさんにしても、自身の言動が若干意味深に過ぎたと思ったのだろうか。
少しだけ気まずい空気が流れ、お互いに黙り込んでしまう。
そこで軽く咳ばらいをし、なにか別の話題でも振ろうとするのだけれど、その時協会の扉が開かれるのに気づく。
「朝早くから失礼します。手紙を預かっているのですが」
入ってきたのは、この町の役場で働く娘だ。
この町の住民宛てに出された手紙は、一旦は役場へと届けられ、そこの職員によって運ばれる。
大抵は届いてすぐにではなく、暇を見て届けに来るといったものであるが、年の終わりも近いこの時期、越す前に済ませておきたいと考えこんな時間に届けに来たのだろう。
ボクは手紙を届けに来た彼女に礼を言って受け取り、普段クラウディアさんが立つカウンターに置こうとする。
けれどよくよく宛名を見てみると、そいつは協会に届いた物ではなく、ボク個人宛。
どうやら一旦家の方に行くも、誰も居なかったため協会に届けたようだ。
「クルス君宛て? いったい誰から?」
「……お師匠様です。どうしてこんな時に」
ボク宛てであることを知り、後ろから覗き込んでくるサクラさん。
彼女へと書かれている差出人を見せ、ボクは小首をかしげた。
基本的には筆不精で、滅多に手紙など出さないお師匠様だ。
よりにもよってこんな時に限って届くというのは、なにかあるのではと怪訝に思いながら封を開く。
すると中に入っていたのはたった1枚の紙。それもごくごく簡単な、短い文章が記された物。
そいつに目を通すなり、ボクはカウンターに身体を預け脱力する。
サクラさんはそんな姿を見て、ヒョイと手紙を取り上げると、窓を開け日差しを取り込んで読み始めた。
「なになに、"完成したそれがどのような効果を持つか、それがわからないようではまだまだ。流石に最後の答えを必要とする事態にはならないと思うが"。……と」
「もしかして、こうなるのって想定済みだったんでしょうか」
「おそらく。たぶん頃合いを見計らって手紙を出したのね」
記されていたのは、まるで今回のことを最初から見ていたかのような内容。
定期的にお師匠様宛ての手紙を出しており、ボクが再び手帳を頼りに薬師としての腕を磨いていることも書いた。
なのでこうなることを予測し、頃合いと判断しボクに対するダメ出しとして、この手紙を送ってきたということになる。
「つまりクルス君に対する試験でもあったわけね。アレがなんの薬であるか理解できる知識を持っていたなら、最初から問題は起きていないっていう」
「我が師匠のことながら、なんって性格の悪い。流石にこんな大騒ぎになるとまでは、想定していなかったと思いますが……」
「そこはいまいち確信が持てないわね。何気にお遊びの好きそうな人だし」
過去に一度お師匠様と会ったことのあるサクラさんは、その気質を思い出し納得する。
彼女の言うそれが正解に違いない。きっとお師匠様は、ボクが手紙に書いている通り本当に励んでいるか気になったのだろう。
あるいは怠らぬよう、釘を刺すために。
なんだかまだお師匠様に認められていないように思えるし、実際その試験とやらは不合格も同然だった。
けれどまたいずれ、別の形で課題が与えられるのかもと思えば、若干楽しみに思えなくもないのであった。
もちろん、今回のような事は御免被りたいのだけれど。