くすりのひみつ 02
霞む視界に思考、そして気怠い身体。
地下室と地上を繋ぐ小さな小窓からは、冷たい冬の空気と渡り鳥の鳴く声が入り込む。
徹夜での作業を経た疲労の中、朝の気配を感じたボクは、卓上に置かれた小瓶を静かに見下ろした。
「で、出来た……」
小瓶を手に取り、かすれた声で呟く。
手の中にあるのは、昨日の昼過ぎから延々と続けた作業の成果。
アルマとまる助がくれた切っ掛けを試し、お師匠様からもらった手帳の最後に記されていたこれを、一昼夜をかけてようやく完成させたのだ。
実に感慨深い。お師匠様からの贈り物とも言える手帳に記された、最大の課題を乗り越えたのだから。
まるでお師匠様がボクのことを認めてくれているようで、自賛以上の誇らしい気持ちにさせられる。
ただ手にしているこいつに、一つ問題があるとすれば……。
「これ、いったい何の薬品なんだろう……」
最も気になるのは、そして肝心要なのはこの部分。
作って形となったは良いものの、何よりも重要な薬品の効果というか作用がサッパリわからないのだ。
情けないとは思うけど、お師匠様のくれたレシピに沿って作っただけで、これに対する理解そのものは出来ていなかった。
作るための技量は身に着いた。けれど残念なことに、知識面では少々危うい部分があるのは否定できない。
というかこれがわからないようでは、恐ろしくて使うことも出来やしない。
たぶん精神に作用する類の薬品だと思うが、ここいらを定かとするためにも、小動物などを捕まえて実験をしなければいけないようだ。
なので明日にでも、近場の森に行って探すとしよう。ただその前に……。
「その前に仮眠だな。いい加減立ってもいられない」
昨日の昼過ぎに地下へこもって、以降食事も睡眠も摂らず延々こいつに掛かりっきり。
その直前にサクラさんから窘められたばかりだというのに、結局それを無視し夜通し作業をしてしまった。
たぶん今頃、サクラさんも呆れた状態で眠りについているはず。
肺の空気を全て吐き出すほどの大きな欠伸をするボクは、目をこすりながら明かりを消し地下室から出る。
扉を後ろ手に閉めてから再び大きな欠伸をし、階段を上って2階まで上がると、自室に入ってそのままベッドに倒れこんだ。
ベッドへ横になって、さっき完成した薬品のことを考える。
効果がわからないという点、そしてお師匠様が意図的に隠していたであろうということ。
それらが若干気にはなるし、どことなく嫌な雰囲気が漂うような気もするけれど、とりあえずそれも起きてから考えればいいか。
ボクは今だけはそう割り切って、息を吐き瞼を閉じるのであった。
外を走り無邪気に遊ぶ子供の声で、ボクは目を覚ます。
上体を起こし、窓を開け外を見ると、陽は傾きつつあるものの夕方とまではいかない頃合い。
眠りすぎて日付を跨いでいない限り、実際に眠ったのは10時間かそこら。今は15時過ぎといったところだろうか。
ベッドから立ち上がり、大きく伸びをする。
起きていた時間からすると、思いのほか長い時間眠っていたわけではないことに拍子抜けしながら、部屋を出てリビングへ。
そこで腰かけ茶と菓子を愉しんでいたサクラさんは、笑みながら少しばかりの毒を向けてくる。
「お早いお目覚めで。次に顔を合わせるのは、明日の昼頃かと思ってた」
「勘弁してくださいよ。舌の根も乾かないうちに徹夜をした点は、ちゃんと謝りますから」
昨日したお小言があまり効果を現さなかったのが、彼女にはお気に召さなかったらしい。
とはいえそれも本気で怒ってのものというより、半分冗談が混ざっていたようで、すぐに雰囲気を変え軽い調子で問う。
「で、徹夜の成果は?」
「遂に完成しました。今までとは違う方法を、何度か試してようやく」
「そいつは何より。これでディータさんの挑発に勝てたのかしらね」
これはボクのお師匠様に対する反骨心というか、独り立ちの通過儀礼のようなものとなっているように思える。
サクラさんもそれは承知しているようで、なんとか薬を完成させたことを、密かに喜んでくれているようであった。
ただそうなると今度は、当然のように完成した薬品の効果が気になったらしく、サクラさんは身を乗り出し尋ねてくる。
「それがまだ不明で。これから実験をするために、ネズミでも捕まえてこようと思ってるんですが……。ところでアルマはどこに?」
折しも季節は冬。カルテリオ近隣に居る魔物は大抵が昆虫型であるため、冬になると活動が鈍り出てくる頻度は著しく下がる。
そのため近隣の林などであれば、気分転換がてらアルマを連れて行ってもいいと考えた。
けれどお茶をする頃合いだというのに、アルマの姿が見当たらない。
メイリシアが留守であるため、教会での勉強は中断。一方他の子供たちは、年越しの祭りのため手伝いに駆り出されている。
となると考えられるのは、今日もまる助と一緒に遊んでいるという可能性。
とはいえ仮にそうであれば、やはりここで一緒におやつを食べている方が自然なはずなのに。
「そういえば朝から見ないわね……。クラウディアのところにでも行ってるのかしら」
「ならネズミを捕りに行く前に、協会を覗いてみますよ」
アルマを連れて行こうかと思ったけれど、居ないのであれば仕方がない。
道中で協会支部にでも立ち寄って確認すればいいやと、ボクは陽が沈む前にカルテリオの城壁内に在る、農地そばの林へ向かうべく上着を羽織る。
ただその前に、薬品の入った小瓶を念のため金庫にでも入れておこうと考え地下室へ。
階段を下りて扉を引き、薄暗い地下室へ入り卓上に置いた小瓶に手を伸ば……、
「あれ?」
けれど伸ばした手の先には、本来あるべきそれが見当たらない。
あの時は確かに徹夜明けで眠かったけれど、完成した興奮もあって、確実にここへ置いたのは覚えている。
でも実際、薬の調合などに使う道具が置かれたままではあっても、肝心な完成品が存在しなかった。
その代わりにと言っていいのだろうか。卓の隅には換気用の小窓から入り込む光を受け、鈍く艶めく物が。
拾い上げてみると、それは灰色をした短い繊維。いや、おそらくこれは毛だ。しかも見覚えのある。
「これ、まる助の? でもどうしてここに……」
これまでまる助はこの地下室に入ったことはない。
基本的にこの地下室は危険な物が多いため、一応成犬になっているとはいえ、実際にはまだ2歳にもなっていないまる助に立ち入りを許していなかった。
けれどここに彼の毛がある。換気窓には格子とガラスがはめられておい、あそこからは入って来れるはずはないし、内側からの鍵で閉じられている。
……そういえば今さっき、ボクは鍵に触れることなく扉を開けなかったか。
朝地下室を出る時、明かりを消したのは覚えているけど、鍵はかけずに出たような気が。
ボクはしまったと思い頭を抱える。いくら眠気に襲われていたとはいえ、こんな場所の鍵を閉め忘れるだなんて。
ただ後悔の念を抱くのもそこまで。すぐさまハッとし、重要な部分に考えが至る。
「待てよ、まる助がここに入ったってことは、たぶんアルマも。そして薬品の小瓶が無いってことは……」
導き出される答えなど、決まりきっていた。
まだ無邪気に遊ぶ歳のアルマとまる助が、未知の場所である地下室に入り込み、卓の中央へ置かれた綺麗な小瓶を発見。
そこで採る行動など、身内でなくともわかろうというものだ。
「もしアルマが、あの瓶を開けてしまったら……」
最も悪い考えが頭を巡り、ボクは地下室を飛び出す。
なにせアレはまだ効果すら定かでないのだ。
怪我をするような代物ではない。けれど精神に作用すると推測されるもので、下手をすれば意識だって喪失しかねない。
高濃度の酒精に成分を溶かし込んでおり、薬品が一旦瓶の外へ漏れ出せば、徐々に気化し周囲にまき散らす。
具体的な作用は不明であるけれど、愉快と言える範疇の事態で収まってくれるかどうか。
「さ、サクラさん!」
過去にないほど猛烈な勢いで階段を駆け上がり、自室で昼寝を決め込もうとしていたサクラさんのもとへ。
ベッドで横になり欠伸をする彼女へと、ボクは混乱しかける思考でなんとか説明をしていく。
「そいつはマズいわね。もしも瓶をあの子たちが開けてしまったら」
「ついさっきボクもまったく同じことを言ったような気がしますけど、ともかくそういう事です」
「探すわよクルス君。君は教会の方を見てきて、私は市街地を周ってみるから!」
ボクが眠っている間に地下室へ入り、完成した薬品を持ち出してしまったであろう二人。
たぶん地下室では開けていないと思うけど、今頃好奇心が抑えきれず、町中で蓋を開けてしまっていたら大事。
サクラさんはすぐさま自身の上着を羽織ると、指示をして大急ぎで家を飛び出していくのであった。
ボクもまた彼女に倣い、家を飛び出して一目散に駆ける。
市街地を抜け、農道を駆けて都市外壁のそばに在る教会へと。
息が切れるほどに走り続け、ようやく教会に辿り着いたボクが、膝に手を当てて荒い息を弾ませていると、丁度建物から出てきた人影に声を掛けられる。
「クルスさんじゃないですか。そんなに息を切らして、いったいどうしたんですか?」
「め、メイリシアさん……。戻ってたんですね」
教会の扉を開け出てきたのは、司祭のメイリシア。
コルネート王国から逃げ出してきた彼女は、高齢であった前の司祭夫婦の後を継ぎ、現在はここを管理している。
つい先日所用で他の都市に行っていた彼女だが、いつの間にか戻ってきていたようだ。
「はい、昨夜遅くに。申し訳ありません、長く教会を留守にしてしまいまして」
「それはいいんです。と、ところでうちのアルマとまる助が来ませんでしたか!?」
「ええ、今の今まで居ましたよ。でもついさっき、町の方へ向かって行きました」
そんな彼女へと、ボクは挨拶もそこそこにアルマとまる助の所在を問う。
するとどうやらつい先ほどまでここに居たらしいが、今は町の方へと行ったようで、彼女は市街地方向を指さす。
とりあえずここに居た時点では無事だったようだが、どうやら一足遅かったらしい。
「無邪気で微笑ましい子たちですわね。でもそのせいで転んでしまったようで、服を汚してしまっていましたが」
「転んだ、……ですか」
「はい。その時に持っていた小瓶を割ってしまったみたいで、中身を盛大に。良い香りがしましたし、香水でしょうか? ふふ、幼くてもやっぱり女の子ですね」
微笑ましそうに、この場で起きたことを語るメイリシア。
しかしボクは彼女のように、楽観的にその話を聞くことなど出来はしなかった。
アルマが持っていた小瓶、つまりボクが作った正体不明の薬品をぶちまけ、服に浴びてしまったというのだから。
「あ、アルマは無事なんですか!? なにかおかしな様子は……」
「別に怪我などはしていませんよ。瓶の欠片もわたしが片付けましたし、精々彼女の服が濡れたくらいで」
とりあえずアルマ自身には、別段変わった様子がなかったと告げるメイリシア。
ボクはそのことへひとまず安堵するも、今はまだ効果が表れていないだけかもしれない。
ならば早く見つけ、速やかに確認をしなければと考え、再び町の方へと駆けだそうとする。
ただメイリシアはもう少しばかり用があったらしく、ボクの背へと声をかけ、教会で行っている勉強についてを口にする。
……のだが、彼女の言葉はあるところでふと止まるのだった。
「そうだ、まる助君にも伝えてもらえますか。子供たちと遊ぶのもいいですけど、たまには君も一緒に勉強をし――」
急に言葉を中断し、黙りこくったメイリシア。
アルマとまる助のことは気になるけれど、突然な彼女の変調を訝しく思い振り返る。
ただ振り返ったボクの顔へと、突然彼女の手が伸びてくるのが見えた。




