異界の扉 02
転がり小石を跳ね、ガタリガタリと鳴る木製の車輪。
揺れる荷車の上では、何人もの騎士たちが腰を下ろして剣を抱え、体力を温存するべく瞼を閉じる。
そんな馬車が計6台。総勢30人以上の騎士たちを連れ、一路街道を東に向け進んでいく。
飛竜に乗ったタツマがカルテリオに現れ、野盗討伐のために町を出立して早4日。
一旦北上し、道中王都やいくつかの都市を経由し騎士たちを集めながら進んでいるのだけれど、残念ながら勇者はあまり集まらなかった。
一応まる助は加勢を承諾してくれたけれど、あの時点でカルテリオに居たのは他に勇者が2人。
彼らの実力に疑ってはいないけれど、勇者としてやってきた期間はサクラさんよりさらに短い。
対魔物においてはともかく、対人戦闘という点では不安感が残るものであるため、彼らには残ってもらうことにしたのであった。
その若干の不安さすら覚えてしまう道中。
夏の気配が徐々に薄れ、秋の冷たい空気が風に混じる街道を行きながら、ボクは対面に座ったタツマと言葉を交わしていた。
長く変わり映えしない景色の中、眠気を覚えるまでの暇つぶしだ。
「幸いにもこの世界やその住民に対し、害意を抱く勇者はそう多くない。今回のように野盗の首領に元勇者が収まるなど、そうそうあることではないしな」
揺れる馬車の上で、騎士たちと同じく昼寝をするサクラさんとまる助。
ボクは彼女らの隣に腰かけた状態で、タツマと世間話に興じる。
最初こそ天気や近況など、他愛もない話をしていた。
ただそこから徐々に内容は移り、今は彼が主に研究し資料を編纂する対象、つまり勇者についての内容を口にしていた。
タツマによると、この世界へと召喚された勇者たちのほとんどは、意外なほどアッサリこちらの世界に順応するのだと言う。
元の世界から、それにあちらに居た家族から無理やり引き離され、帰る手段さえ存在しないというのに。
「言われてみれば、あまり不満を口にするような事を聞きませんよね。本当なら無理やり召喚されたのを怒りそうなものなのに……」
「普通であれば恨んで然るべき。だがそれでも勇者たちが恨み言を口にしないのは、この世界に召喚されたことが救いであるからだ」
「救い……、ですか?」
眠るサクラさんとまる助を見る彼は、静かに語る。
おそらくは彼自身も覚えがあるのであろう、勇者たちが怒りを発露させない理由。
ボクには彼が口にしたその理由が、いまいち理解できぬものであった。
「どういう訳か召喚された者、つまり勇者と呼ばれる者たちだが、あちらの世界に執着がない傾向にある。というよりも、異なる世界に行くのを望んでいたフシすら」
「よく、わかりませんが……」
「勇者たちに共通するもの。それはあちらの世界に絶望し、または生への渇望を失っていたという点だ」
立場上これまで幾人もの勇者たちと接し、資料を集め記してきたであろうタツマ。いわば彼はこの国における、勇者研究の権威だ。
その彼は勇者たちから多くの話を聞いてきた結果、導き出した推測があるようだった。
「例えばそこの子犬。兄弟たちが次々と引き取られていく中、自分だけは店の展示棚で売れ残っていた。さぞ寂しく不安を抱いていたろうな」
「それは……、聞いたことがありますけど」
「例えば数日前は留守にしていたが、カルテリオに居を置くアメリカ人の勇者。確かオリバーだったか。彼もまた召喚の直前に、親友から手酷い裏切りに遭っているようだ。詳しくは話せんが」
どうやら彼は現役の勇者であるまる助やオリバーについても、一定の調べをしているようだ。
他にも何人か、ボクの知る勇者について話をしていく。もちろん当人に配慮し、詳細については濁しているが。
つまり彼はこう言いたいのだろう。勇者たちは元の世界に居続けるのを望まず、この世界へ避難してきたのだと。
そこに当人の意思は介在していないようだけれど、どういう訳か勇者召喚を行うと、そういった相手と繋がってしまうようだ。
タツマにも詳しい原理はわからない。ただこれまで彼が得てきた情報や証言を考慮すると、そういった結論になってしまうらしい。
そんなタツマはサクラさんについても調べていたようで、話の流れから彼女のことについても言及した。
「君も知っているかもしれんが、さくら嬢にしても召喚の直前に祖父を亡くしている。他にも幼いころに両親と弟を失い、仕事の面でも――」
「そこらへんで勘弁してくれるとありがたいのだけれど?」
しかしサクラさんについての話に及んだところで、待ったをかけたのは当人だ。
彼女はさっきまで腕を組み下を向いていたけど、今は顔を上げ非難がましい視線をタツマに浴びせていた。
ボクは以前、サクラさんから向こうでのことを大まかにだけど聞いている。
タツマが話していた範疇のことは既に知っており、おそらく彼が言わんとしていた部分もだ。
それでもサクラさんが止めたのは、自身の過去を話されるのは気分が良くない。そういうことなのだろう。
加えてたぶん、ボクが知らない部分まで口にされるのを嫌がって。
「悪かったな、つい口が滑りすぎたようだ」
「まあ、別にいいけど」
さすがに今のは自分が悪いと思ったか、タツマはこれまでの訓練教官のような鋭い気配は鳴りを潜める。
そこで話を止めようとするのだけれど、サクラさんは自分に関すること以外は気になっていたようだ。
「でもさっき話していた内容は興味深いわね。そこだけ耳に入れておきたいかも」
タツマが口にしていた節に、興味津々と言った様子で身を乗りだすサクラさん。
彼女の好奇心だか知識欲だかに押されたのだろうか。タツマは彼女の求めに応じ、色々な話をしてくれる。
もっとも話せない内容もあるとは思うが。
それにしても、なかなかに興味深い話だ。
彼はあくまでも、自身の持つ記録や勇者たちから聞いた話から辿り着いた推測だと前置くも、聞いている限りだと自然な結論に思える。
「もちろん例外なく全員とは言わない。現に帰りたいと願う者も居るが、やはりそれは少数派。それに半年も過ごせば、大抵はこの世界に順応していく」
「なんとなくわかるわね。私だって今更帰らされても困るし」
「だからこそ、野盗に身をやつす輩もそう多くはない。だが中には大金に釣られ、裏社会に身を置く者も出てくる。君たちも覚えがあるだろう?」
納得し、言葉のたびに頷いていく。
ただタツマが発したその覚えというものがあるボクは、つい息を詰まらせてしまう。
ボクとサクラさんがとある密命を帯び、王都の王城に滞在していた時。
そこで執事に扮した暗殺者が潜伏していたが、そいつは元勇者であった。
なので彼が言うように、強い力を持つが故にそういった稼業に身をやつす人間も居る。
一応王城の外に漏れぬよう箝口令は敷かれているも、王城の図書館に居るタツマであれば、その立場もあって詳しいところを知っていてもおかしくない。
ボクはそんなタツマの話す内容を聞きながら、揺れる馬車の上で体を傾ける。
やはり研究者故にだろうか、自身の専門的な分野について、留まることなく話が続けられていく。
実に興味深いのは確か。しかしこの心地よい揺れと秋めいた穏やかな空気、それに小難しい話というのもあって、まるで子守歌のようだ。
ただゆっくりと思考が白濁していくボクの耳に、若干の緊迫感漂う声が。
「……どう思うかね」
「おかしい、かな。まだ具体的になにか見えてはいないけど、準備はした方がいいかも」
「同感だ。馬車を止めよう」
さっきまでも熱心に話していたタツマの声は、再度鋭いものに。
と同時にサクラさんまでもが声に緊張が混じり、視線だけで周囲を見回していた。
王国で2番手の勇者と評されるサクラさん。それに今は一線を退いているとはいえ、たぶんかなりの実力者だったであろうタツマ。
彼女らふたりが同時に、なにかの異変を察知した。
これだけで十分だ。現在この野盗討伐部隊の車列へ、危険が迫っていると理解するには。
「もしかして襲撃ですか?」
「おそらくね。まだ見えない、けどこっちを窺ってる視線を無数に感じる」
タツマの指示で停止させられる馬車の上では、寝起きの騎士たちがなんとか思考を覚醒させ、周囲の警戒をするため降りていく。
サクラさんはまだ視線のみだと言うも、騎士たちが警戒に動いている様子を見たせいだろうか。
少しばかり先に見える林や後方の岩場、そして草を被った地面の下などから、わらわらと武装した男たちが姿を現した。
そいつらは武器を携えた状態で、一気に駆け出す。
人数も10や20では足りない、たぶん40人くらい。よもやこんな数が潜んでいようとは。
「クルス君、迎撃するわよ!」
同行する騎士たち以上の数に、つい動揺してしまう。
そんなボクの背を軽く叩き、冷静さを取り戻してくれるサクラさんは、愛用の大弓に矢をつがえ戦闘開始の合図を告げる。
騎士たちも各々の武器を手に、物資が乗せられた馬車を取り囲むように迎撃態勢を整えた。
ボクは一瞬馬車に乗せられた食料や武具目的に、野盗が襲撃してきたのかもしれないと考えた。
けれどそれとは違うような気がする。食料にしても武具にしても、ただ行商人を襲えば事足りるから。
それにただの野盗であれば、騎士団の部隊を襲うなんて非常に大きな危険を冒すはずがない。……となると答えはわかりきっている。
「まさかこんなところで妨害に出るとはね。おおかた足止めのつもりだろうけど」
「でもどうして場所がわかったんでしょうか……」
「さてね。気になることだし、これを片付けてから聞くとしましょ」
この大量に現れた野盗は偶然現れたものではなく、カルテリオで協会支部を襲撃した輩に関わっているはず。
目的がサクラさんの言うように、足止めなのかそれともほかに理由があるのか。
どちらにせよ連中の中から何人かを捕らえ、先日のように聞き出すしかないようだ。
早々に到達した足の速い野盗どもは、前の方に居た騎士たちと衝突を始めている。
その光景を目に戦いへの覚悟をするボクは、肩へ襷にかけた鞄に手を突っ込んだ。




