狙い 09
刺すような午後の強い日差し。
薄暗い空間に慣れた目には、いささか強烈に過ぎる刺激を受け、瞼を細める。
ボクらを拘束した男の指示によって開いた扉の先からは、多くの人々による喧騒。
ゆっくり瞼を上げると、そこには好奇心と怪訝さが混ざった視線を向ける人々が。
体を半分扉から出し、ボクはそんな人々に愛想笑いを浮かべる。別になんでもない、問題はないと言わんばかりに。
扉の外から見えぬ位置には、男が短剣を持って潜んでいる。
ボクが余計なことをすれば、すぐにクラウディアさんたちに危害を加えられるようにだ。
そのためボクは折角の好機も、外に助けを求めることができない。
だがボクは期待をしながら視線を下に。そこには扉を開くときに想像していた、まさにその"ヒト"が居た。
短く固い毛に覆われた小さな体躯と、垂れた黒い耳。赤い舌を出し、ハッハッと弾んだ息をし地面に座る犬。
「ようクルス。いったいどうしたんだ、お休みなのか?」
現れたのはただの犬ではない。ボクもよく知っている、世にも珍しい犬の勇者であるまる助だ。
しばらく前にもう少しばかり北に在る町から、季節の移ろいと共にカルテリオにやってきた彼は、アルマと仲が良く頻繁に行動を共にしている。
今はまだ気温が高いため勇者としての活動は控えており、今日は確かサクラさんと一緒に、子供たちの遠足へ同行していたはずだというのに。
「別にそういう訳じゃないんだけどね。ちょっと中が散らかってるから、掃除をするまで閉めてるんだよ」
「だったらあければいいだろう。おいらホコリっぽいのはキライだぞ」
「ちょっとばかり理由があってさ。それよりどうしたんだい、確か遠足に同行していたと思うんだけど?」
後ろの連中がまる助を知らないのであれば、このまま迷い犬のフリをして中に入らせてもいいのかも。
けれど犬の勇者という特異な存在はあまりにも目立つし、連中はさっきまる助の存在を知っていることを匂わせていた。
後ろの連中からはまる助の姿が見えていないとは思うが、一瞬でも目にすればすぐに気づくはず。
最初に見た時よりも大きく、徐々に成犬となりつつあるまる助を見下ろす。
なんとか彼に今の状況を知らせたいところではあるけれど、一瞬だけ背後を窺うと男が短剣の切っ先を、クラウディアさんに向けているのが見えた。
"早く追い返せ。さもないと"、という意思表示だ。
「雨がふりそうだったからな。サクラがかえろうって言いだした」
「それじゃあ、もう全員町に戻っているの?」
「いいや。町の入口でふってきたから、皆いっしょに雨やどりしてるぞ」
どうしてそのまる助が、今頃町に居るのか。
それを問うてみると、彼はちょっとだけ空を見上げながら、天候悪化の兆候があったため戻ってきたと告げる。
ただ雨が降り始めたため、都市外周の壁で雨宿りをしていると言うのだが、空を見てもまるで降っている様子がない。
「でもあとちょっとで止むから、まどを開けたほうがいいぞ」
まる助は薄暗い協会の奥を見つめながら、なお雨が降り続けているという前提で話を進めていく。
そんな裏の意図があるであろう彼の言葉に、ボクはそれとなく狙いとするところを察した。
まる助へ「わかったよ」と答えると、彼を外に出したままで扉を閉める。
そして暗がりの中で声を潜め立っている男たちに、もう大丈夫であるという旨を伝えると、ボクは静かにクラウディアさんの近くへ歩いた。
いつの間にやら上階から女性騎士も連れてこられており、彼女を一瞥してから再び拘束されるために両手を後ろに回し、黒ずくめに背を向ける。
ただ男たちの意識がこちらを向いたであろう時、さっき閉めたばかりの扉を強く叩く音が響いた。
再び連中の視線は扉へと移る。その瞬間、ボクは荒紐で拘束されかけた腕を伸ばすと、クラウディアさんと女性騎士に覆いかぶさった。
突然の出来事に驚き、目を見開く二人の女性。
彼女らに圧し掛かったボクが、頭を上げぬよう押さえつけたところで、大きな音がして閉められていた窓から光が入り込んだ。
「な、なんだ!?」
突然の事態に、男たちは慌てふためく。
その混乱が収まらぬうちに、窓から飛び込んでくる細身の影。
窓をぶち破って現れた影は、床に転がった勢いのまま跳ね、瞬く間に男たちへと迫る。
握った拳を小さく振い、最も近くに居た男の鳩尾を打つ。次いで真横に居た黒ずくめの肩口へ手刀、そして右の回し蹴りで次の相手。
そして最後に唯一顔を晒した男へと肉薄し、まさかの頭突きをかます。
瞬き一つする間の、ごく短い時間での出来事。それによって協会支部を占領していた男たちは、完全に鎮圧されてしまうのであった。
あまりにも素早い動き。光が差し込んだとはいえ、やはり薄暗い建物の中。
そんな環境でも辛うじて目で捉えられたのは、おそらく"彼女"の動きをボクが見慣れていたため。
……最後の頭突きだけは、今まで見たことがなかったけれど。
「た、助かりました……」
女性陣へと覆いかぶさったまま、体を捩じって後ろの彼女へと呟く。
すると暗がりの中で気絶している男たちを足蹴にした彼女、サクラさんは腰に手を当てボクを見下ろす。
「どういたしまして。よくまる助の伝言に気付いたわね」
「付き合いが長くなってきましたから。まる助にしては、意味深にすぎる言葉だったので」
近づき、顔が見える位置に来たサクラさん。
彼女は小さく苦笑しながら、ボクの行動が狙い通りだったことに感心していた。
別にまる助を侮る気はないけれど、彼はなんだかんだ言ってもまだ子犬だ。
生まれてからまだ1年弱、そんな彼にしてはあまりに意図が含まれた言葉であったため、その後ろに誰かさんの影を見るのは容易い。
ついさっきまで行動を共にしていて、上手くまる助を動かせる人物。となればこの場合はサクラさん以外に考えられない。
ただ逆にそう考えると、さっきのまる助はなかなかに上手くやったものだと思う。
なかなかの名演技だと感心していると、サクラさんはジッとボクを見下ろす。
どうしたのだろうか考えるも、彼女はチラリとボクの左右へ視線を散らし、呆れ交じりに問うてきた。
「で、クルス君。いつまで両手に花を堪能するつもり?」
呆れだけでなく、どことなく不満げなサクラさんの声。
彼女の言葉にハッとし、捩じっていた身体を元に戻して床を向き、努めて冷静さを保ちながら左右へ視線を向ける。
するとそこには年上の女性たちが、ボクに圧し掛かられたままで床に仰向けとなって、苦笑を浮かべていた。
そういえばクラウディアさんたちに飛び掛かり、床へと伏せてそのままだ。
当然彼女らはボクの腕の下。暗がりの中であるというのも相まって、さぞや隠微な格好となっているに違いない。
ボクは軽く咳払いをすると、静かに立ち上がる。
そして無言のままで背を伸ばし、あらん限りの力で頭を下げるのであった。
「災難だったわね二人とも。こんなお子様相手じゃ、良い雰囲気も期待できやしない」
「でもなかなか悪くない経験さね。もうちょっと優しく触れてくれたなら、少しは満足出来たんだけど」
「わたしは気にしていません。むしろ助かりました」
気まずい想いをするボクは頭を下げながら、女性陣のやり取りを耳にする。
実際のところクラウディアさんも女性騎士も、別段ボクによって押し倒されたことを気にした様子はない。
その証拠にサクラさんがする軽口に、クラウディアさんは乗って返し、女性騎士は笑み交じりであった。
「発言、いいですか?」
「いいわよ。頭を下げさせ続けるのも可哀想だから、簡潔な内容であれば許してあげる」
カラカラと笑う彼女らに、ボクは頭を下げたままで小さく挙手。
発言の許可をサクラさんから頂戴すると、ボクは彼女が言うように、簡潔に質問を口にした。
「サクラさんはどうして、ここで起きていることに気付いたんです?」
「簡単よ。雨が降りそうになって急いで戻ってきた時に、城壁の騎士たちとした世間話ね。外から騎士団のお偉方が来るって話をしたら、彼らはそんな話は聞いていないって」
真っ先に聞いておきたいのは、どうしてサクラさんがこちらの異常に感づいたか。
彼女はまる助と共に子供たちの遠足に同行し、協会支部が占拠されたことに気付くはずなどなかったというのに。
ただ聞いてみれば、まる助が言っていたように雨が降る気配を感じ取ったのは本当らしく、それで戻ってきたようだ。
そこで都市の周囲を囲む城壁で、警備に立っている騎士たちと話をした結果、事態がおかしなことになっていると察知した。
「最初は質の悪い悪戯かと思ったんだけどね。嫌な予感がしてまる助と一緒に来てみれば、どういう訳か建物が封鎖されてるじゃないの」
「もしかしてさっき扉を開けた時、見ていたんですか」
「向かいに在る酒場の屋上からね。クラウディアに短剣が向いてるのがチラッと見えたから、これは危険な状態だなと」
サクラさんもまた、最初に聞いたときは誰かによる悪戯によって、騎士団のお偉方が来るという誤情報を聞いたのだと考えた。
けれど直感に従って急ぎ来てみれば、普段は絶対に閉めているはずがない協会支部が閉め切られている。
そこで同行していたまる助に頼み、中を探ろうと考えたようだ。
顔を出したボクの反応を見て、状況の危うさを確信。
直後に窓を破って突入。とりあえず中に居た黒ずくめを無力化したのだという。
ただまる助にああいった言葉を発させていた点から察するに、最初から踏み込む気でいたに違いない。
今はただ、彼女の直感の鋭さに感謝するばかりだ。
「で、こいつらの目的は何よ? 殴り倒した後で聞くのもあれだけれど」
「かなり端折りますが、ルアーナの両親はこいつらの仲間であったそうです。それと最終的な目的は、アルマではなくサクラさんのようで」
「私?」
扉を、窓を開いて室内に風と光を取り込む。
そうしてようやくハッキリ見えるようになった黒ずくめたちの、覆面を一枚ずつはぎ取っていく。
4人の内3人が男、1人が女。それを確認しながら、サクラさんの問いに返す。
ただ外から入り込んできた明かりでよくよく見てみれば、その内二人はルアーナの両親だ。
……正確には両親のフリをした賊だが、やはり最初からグルであったらしい。
「詳しい話はさっきサクラさんが頭突きで倒したヤツ、コイツが一番知っていそうですよ」
サクラさんの頭突きを受け、額を真っ赤に染め昏倒している男。
この4人の中でおそらくリーダー格であろう男であれば、それなりに情報を引き出せるかもしれない。
サクラさんもまた同じことを考えたようで、服の襟をつかんで持ち上げると、適当な椅子に座らせ両手足を縛りあげた。
これはきっと、コイツにとって過去にないほど最悪な時間が訪れるに違いない。
そう考えるとほんのちょっとだけ、本当にほんの僅かではあるけれど、コイツに同情したくなるような気がしていた。