特別 05
「明日さ、急に雨とか降らないかな」
「難しいでしょうねぇ。この辺り一帯は、今の時期あまり降雨量が多くないそうなので」
その日の昼過ぎ、やることも無く武具の手入れをするサクラさんは、ふと天井を見上げ呟く。
ボクもまた自身の使う武具を手直ししつつ、彼女のそんな言葉にノンビリとした口調で返す。
「雷でも雪でも、いっそ槍でもいい」
「雷はともかく、雪はこの時期期待できそうにないですねぇ。槍なんてもっと無理です、ってそんなにイヤですか?」
「当たり前でしょ! 誰が好き好んであんな面倒臭いことを……」
サクラさんがこうも自然現象に頼ろうとしているのは、ひとえに今後行われる、勇者たちとの勝負を避けたいがため。
結局3日後にと決まったそれだが、衆人環視のもとで行われることになったのだ。
見世物同然となってしまうのが嫌なサクラさんは、どうしても何か理由を付けてサボリたいらしい。
「クルス君はアッサリと裏切るし」
「必要だと思いましたからね。それにサクラさんだって、一度は承知したじゃないですか」
「それはまぁ……。逃げられそうになかったし」
今回迷惑をかける対価として、ゲンゾーさんは一つ報酬を提示してきた。
"この勝負が終わったら、王都に居るワシ御用達の武具工房を紹介する。無論代金はワシ持ちで"と。
その話を聞くなり、ボクは一も二もなく飛びついた。
ゲンゾーさんほどの名のある勇者が使う装備だ、相当な技術を持つ鍛冶師を抱えた工房でないと手におえない。
そんな工房が作る武具を買える。それも"人のお金"でだ。そんな話を聞けば断る方がどうかしていた。
良い装備を揃えるに越したことはないし、まだまだ新米のボクらが名を売る好機でもある。
「なので本気で戦ってくださいね。手を抜いたと見られれば、報酬はチャラなんですから」
「……クルス君、何気に君って悪辣というか人使い荒いわよね」
「褒め言葉として受け取っておきます。これもサクラさんのため、ボクはいくらでも良心を売り渡しますよ」
しかし手を抜いてわざと負けようものなら、報酬は無しだと釘を刺された以上、全力でやってもらわなくては。
ゲンナリとした様子のサクラさんへ、ボクは満面の笑みを持って返す。
ただ直接武器を持って対峙するのではなく、狩った魔物の数で決するというのでまだマシか。
やる事そのものは普段とそう変わらない。いつもより早い回転で、多くを狩ればいいのだ。
「それにしても、なんなのよ勝負って。決闘なんて時代劇や西部劇の中だけで十分でしょうが」
「なんだかよく解りませんが、気持ちはわかります」
「この世界じゃ、弟子入りを賭けて決闘するのが基本なの? だとしたら就職を賭けて、集団でデスマッチとかするのかしら……」
「それもよく解りませんが、とりあえず気持ちはわかります」
より良い武具という餌がチラつくも、彼女にとっては余程これが面倒であるらしい。
ボクの適当そのものな相槌を気にするでもなく、サクラさんは延々と呟き続ける。
「狩った魔物の数を競う訳よね? その後で死骸の処理とかはどうするのかしら。早朝から日没まで狩り続けてるうちに、他の魔物を呼び寄てしまいかねないし」
「言われてみればそうですよね。出来るだけ早く処理しないといけないけど、互いにその時間も惜しいですし」
「でしょ? だからきっとまた、騎士団の人に処理をお願いする必要があるのよね。……そうよ、3日後にやるってのなら、今日の内にその辺り頼まないといけないじゃない! ていうかある程度の人数を都合してもらうなら、それなりに上の人へ話を通さないと」
サクラさんはなにやら頭の中で必要な事を整理し始め、あれもこれもと一つずつ呟く。
そうする内に、どんどん準備しておくべき物や連絡しておかなければならない相手が増えていったようで、それらを卓上に置いてあった紙へと書き込んでいく。
「あの人、たぶん準備のために動いたりはしてないわよね」
「……そう思います。クレメンテさんはわかりませんけど、ゲンゾーさんはその辺り適当そうですし」
紙へと走り書きをしていくサクラさんは、しまったという表情をしていた。
その彼女は書き終えた紙を眺め、盛大に悪態をつく。
「クルス君、コレとコレお願い。私はとりあえず騎士団の詰所に行って、お偉いさんに話を通してくるから。ああもう、当日までにとか絶対無理!」
「は、はい!」
「なんで当事者の私が準備に追われるのよ! 必要経費に私の人件費上乗せして、後でおっさんに請求してやる!」
ボクへと書き込んだメモを押し付け、捲し立てながら足早に部屋から出ていく。
少しだけ唖然とし、ひとまず残された手入れ途中の防具を片付ける。
なんだかよくわからないけど、とりあえず頼まれた用事をこなしていかなければならない。
しかし受け取ったメモに書かれた内容を読みながら、ボクはふと今の光景を思い出す。
悪態つき走っていくサクラさんだったが、その様子はどこか少し楽しそうだったなと。
その後、サクラさんの手早い交渉もあって、町に駐留する騎士たちへの協力要請は思いのほかすんなりと取り付けることができた。
基本的に彼らはあまり多忙ではないというのと、魔物の駆除そのものは賛成であるという点。
そしてなによりイベント事に飢えていたという理由で、喜んで協力してくれることとなった。
ただ流石にそれらの準備に時間が足りず、勝負は5日後へと延期が決定。
その間に様々なこと、魔物の死骸処理に必要な道具や、協力してくれる騎士たちへの食事の手配などを行う。
協力してもらう以上は彼らにそれらを負担させられず、費用は当然こちら持ち。
もちろんその全てをゲンゾーさんに押し付け、サクラさんが総額の書かれた紙を渡した時には、潤沢な資産を持つはずな彼も流石に渋い表情をしていた。
一方忙しく走り回るボクらを尻目に、2人の勇者は自己の鍛錬に勤しんでいたようだ。
準備不足による勝負の延期理由を告げた時に返された、「そのまま逃げるつもりじゃないだろうな」という一言には流石に腹が立つ。
この借りは本番で返すとしよう。実際に返すのはボクではないけれど。
「見事に晴れましたね。雨も雷も雪も、ましてや槍なんて振りそうもありません」
「これだけ私が苦労して準備したのよ、中止になんてさせてたまるもんですか」
空の白み始めた当日の早朝、あれほど嫌がっていた様子などどこ吹く風、サクラさんは気合十分に言い放つ。
これだけ額に汗して走り回り準備したのだ。これで中止にでもなって苦労が水の泡、なんてのは彼女からすれば耐え難いということか。
「でも何ていうか、想像以上の大事になってしまいましたね」
「そうね……。警備の人数足りるかしら」
「心配するのはそこですか。もう完全に自分が当事者だって忘れてません?」
暢気に警備へ立つ兵士の心配をするサクラさんを余所に、ボクは背後に聳える石造りの城壁を見上げる。
城壁の上には、大勢の人だかり。これらは全て今回の勝負を見届けようという人たちだ。
何故こんな事態になっているのだろうかと思えば、原因はクラウディアさん。
彼女が近所でした世間話が、あっという間に町中へと広まり、想像をはるかに超えた見物人が押し寄せていた。
ここからは見えないけれど、城壁内側では複数の屋台まで建っている。
決行を5日後と決めたのも、見物人を見越した商店の店主らが、そのための準備をする時間が欲しいと言い出したのが理由の一つだ。
「今にして思えば、なぜサクラさんが全部采配する破目になったんでしょう」
「とんだ貧乏くじを引かされたもんだわ……。でも正直楽しかった、久しぶりにやり応えのある仕事で」
それら出店場所の指示なども、どういう訳かサクラさんが仕切っていた。
出店する商人らから見れば、準備に慌ただしく動き回っているサクラさんが、この祭りの責任者に見えてしまったのだろう。
勝負を行う当人であるはずなのにおかしなものだ。
ただそんな彼女を横から見ていると、周囲にする指示は澱みなくとても効率的。
騎士団の施設に居た時でも、ここまで無駄なく指示を飛ばし人を動かせる人は、そうは居なかったはずだ。
見ればサクラさんの表情は晴れやかで、向こうの世界で覚えたノウハウなのだろうか、水を得た魚の様に活き活きとしている。
「そういえばこの勝負、賭けの対象にもなってるみたいよ。クラウディアから聞いた話だと」
「……怒られないんですかね。で、今はどうなってるんですか?」
「だいたい8割方、私の勝ちに賭けてるみたいね」
そんなものだろう。何せサクラさんにはこの1ヶ月少々、カルテリオの町を拠点に魔物を狩り続けてきた実績がある。
クラウディアさんを情報の発信源とし、2対1で行うとゲンゾーさんが言ったのも伝わっている。
となれば相当な実力者であると評価されるのも当然だ。
「さて……。日も昇ってきたことだし、そろそろ始めようかしら」
「ちょっと待て!」
協力してくれる騎士たちも道具を持ち、準備が完了しているのを確認。
そして開始を告げようとしたサクラさんだったが、その声を遮らんとばかりに、2人組勇者の片割れである、目が隠れる長さの前髪をした男が叫ぶ。
準備も整ってさあ始めようという時に、突然何を思ったのか。
「なんでそいつがここに居るんだ! 俺たちとお前の勝負だったんじゃないのか!」
彼の指差す先に居るのは……、ボクか。
どうやら彼らはボクがここに居るのが、随分とご不満のようだ。
"ふざけるな"、"正々堂々と勝負しろ"などと怒声を上げるのだが、そもそも2対1という優位な状況を貰っておいて、どの口が正々堂々などと言うのか。
少々頭にきたボクは、一言文句でも言ってやろうと口を開きかけるのだが、頭上から聞こえた大声にそれは中断させられる。
「馬鹿者がぁ! 勇者と召喚士は共に行動するのが基本、お前たちはそんな事すら忘れたのか!」
「で、ですが俺たちは召喚士を連れてきていません……」
「勝手に置いてきたのはお前らだろうが、文句を言えた義理か! それに召喚士は直接武器を持っては戦わん!」
城壁の上、最前列へと陣取り持ち込んだ椅子にふんぞり返っていた、ゲンゾーさんの罵声が響き渡る。
勇者の片割れは不満を口にするが、彼には聞き入れてはもらえないようだ。
これ以上は文句を受け付けぬとばかりに、ゲンゾーさんは置かれていた銅鑼を大きく叩く。
騎士団の詰所から借りてきたそれは、開始の合図として使う為に用意した物。
開始前の盛り上がりもなにもあったものではないが、このまま難癖をつけられ続けるよりはマシか。
勇者たちはこちらを少しだけ睨んできたため、ボクも横目で軽く睨み返してやる。
すると彼らは鼻を鳴らすと余所を向き、自身の得物を持って草原へ駆け出していった。
それぞれ別方向へと散っていく様子からして、二人で協力して確実に狩っていくよりも、数的有利を活かそうという目論みなのだろう。
「随分嫌われたものですね」
「それはまぁお互い様ね。クルス君も嫌ってるでしょ? あの人たちを前にする度、ずっと嫌そうな顔をしてるもの」
「……そんなに表に出てますか?」
「ほんの少しね。でも明確に気付かなくても、意外とそういうのって雰囲気で悟られたりするものよ」
背負った矢筒から抜いた矢を番え、遠くに見える魔物へと狙いを定めながら静かに語るサクラさん。
確かに言われる通り、ボクはあの2人を嫌っている。
突然押し掛けてきたはた迷惑さもあったのだが、サクラさんをあの女呼ばわりをした時点から、どうにも不愉快さが抜けないのだ。
「でも気持ちはわかるかな、私もちょっとだけ腹立つし。だから今日ここでハッキリと、実力の違いを理解させてあげるわよ」
「はい!」
「いい返事ね。ちょっとだけ飛ばしていくから、遅れずついて来なさい!」
限界まで引いた弓から遥か遠くの魔物へ矢を放ち、草原を駆けるサクラさん。
ボクはそんな彼女の姿を捉えながら、周囲の警戒と敵の探索を始めたのだった。