狙い 02
「おかえりクルス!」
玄関を開け、姿を現した影。
それは遠く異国に居たため長く姿を拝めなかった、ふさふさとした耳と尾を持つ可憐な少女の姿であった。
その少女、亜人のアルマはボクらが家に居ると知るなり、一気に目を輝かせる。
半ば無意識なのであろう、アルマはそのまま走って階段を上り、中ほどに立っていたボクへと飛びついてきた。
「元気にしていたかいアルマ。ごめんね、ずっと留守番をさせてしまって」
「ううん、大丈夫だよ。教会のおねーちゃんはやさしいし、お友達もできたし、ときどきおそうじもしたし」
「そうみたいだね。……一番最後のは申し訳ないばかりだけれど」
ボクの胴体へとしがみ付き、勢いよく長毛の尻尾をぶんぶんと振り回すアルマ。
どことなくこの数か月で、少しばかり大きくなったように思える少女は、満面の笑みとなり自身の近況を早口でまくし立てた。
この様子から察するに、アルマは相当に寂しさを覚えていたようだ。
もちろん四六時中意識していたということはないだろうけれど、親代わりも同然であるボクとサクラさんが居ないことで、かなり寂しい想いをしていたであろうというのは想像に難くない。
そのことを謝罪するように、ボクは幼いアルマを抱きしめる。
それによって、やはりこの数か月で少し背が伸びただろうかと思っていると、アルマはふとここに居るもう一人に気が付いたようだ。
「えっと、このおねえちゃんは?」
目をぱちくりとさせ、アヴィをジッと凝視するアルマ。
一方のアヴィはそんなアルマの反応に、若干の緊張をした面持ちで背筋を伸ばしていた。
そして元は兵士であるというのを証明するかのように、アルマへと敬礼をする。
たぶん向けられた当人は、意味をよくわかっていないと思うが。
「話すと長くなるのよね……。事情は後でもいいかな?」
「そうなんだ? うん、いいよ」
色々と込み入った事情があって、結果アヴィはこの地へと来た。
とはいえまだ幼いアルマにそれを話しても仕方がないし、それにこんな階段の上でするような内容でもない。
そこでサクラさんはアルマの頭を撫でながら、説明は後にしようと告げるのであった。
言葉の通り、ひとまず上階の寝室へ。
アヴィをサクラさんの部屋に案内し、彼女に一通り見てもらってから、次いで家の中を案内するべく階下へ。
台所やリビングなどを巡り、裏口から出て庭へ。
そこに設置された風呂の存在に驚くアヴィを眺めていると、今度は外から大きな声が。
「おいアルマ。もうよーじはすんだのか!」
庭中へと響く声は、建物を挟んだ玄関側から聞こえてきた。
アルマの名を呼ぶその声。どことなく幼さと虚勢感の垣間見える声に、ボクは聞き覚えがある。
「この声、もしかして……」
「もしかしなくても、こんな下っ足らずなしゃべり方をするのは一人しか知らないわよ。いや、一人というか一匹ね」
サクラさんもまた、声の主について心当たりに思い至る。
そしてボクらが予想した通りの姿が、建物を回り込んで庭へと現れた。
「ん? 人間の女じゃないか、帰っていたのか」
「ついさっきね。っていうかいい加減に名前で呼びなさい"まる助"」
現れたのは、幼いアルマよりもさらにずっと小さな姿。
自身の膝ほどの高さすらない体躯の彼は、近付いてサクラさんを見上げ小さく赤い舌を出し、ハッハッと息を吐く。
サクラさんから"まる助"と呼ばれたのは、同じくこの世界へと召喚された勇者。
しかし人ではなく、その姿は子犬そのもの。世にも珍しい人ならざる勇者、それがまる助であった。
「ていうか何でここに。あんたもっと北の町に居るはずじゃなかったの?」
「今年はすずしくなると言われたんだ。アルマも居るからな、いそいで来たんだぞ。おいらの鼻もそういってる」
本来であれば、今頃はもう少しばかり北の地に居るはずなまる助。
というのも種として暑さに弱いらしく、南部の都市であるここカルテリオの気候が辛いようで、夏の間はもう少し涼しい土地を拠点としているはずであった。
けれど彼の相棒である召喚士にでも聞いたのか、それともわずかに残った野生の本能か。秋の気配を感じ再びこの町へ来たようだ。
確かに時折吹いてくる風には、ほんの少しだけ秋らしい気配が混ざっている。
もちろん海沿いの漁師町であるため、多分に湿度が含まれているため、ジトリとしているのには違いないのだけれど。
「もしかしてまる助、カルテリオに来てからずっとアルマの相手を?」
「おう。おいらたちが相手してやらないと、アルマがさみしがるからな!」
どうやらまる助は10日ほど前、相棒の召喚士と共にカルテリオへ戻ってきたらしい。
とはいえまだまだ暑い土地、町の外に出て魔物を狩るには少々厳しく、気温が落ち着くまでは暇を持て余していたようだ。
そこで最初に会った時からずっと懐いていた、アルマに会いに来たと。
丁度ボクらがその頃遠い国に行っており、寂しがっていたアルマにとっては渡りに船であったようだ。
顔を合わせるなり抱き着き、アルマに抱えられたまる助の説明に、ボクは納得をする。
けれどまる助が発した言葉の中に、ちょっとばかり気になる点が混ざっているのに気づく。
おいらたち。確か今そう言ったはずだ。
「あら、お客さんがもう一人」
ボクがまる助の言葉を怪訝に思っていると、サクラさんが玄関の方を向いて呟く。
彼女に倣ってそちらを向くと、そこには植木の陰に隠れるように、ひとりの少女がこちらを窺っていた。
手招きするアルマに呼ばれ、おずおずと歩いてくる少女。
見たことのない顔だ。ただここ最近はカルテリオへ、幾人もの人たちが移り住んできているため、知らない顔があるというのは別段不思議ではない。
なのでこの少女もまた、ボクらが離れている間に移り住んできた家の子供なのだと思う。
「アルマのお友達かな。名前は?」
「る、ルアーナ……」
腰をかがめ、少女の視線と合わせる。
そうして名を問うと、彼女は困惑し視線が泳ぎながらも自身の名を名乗った。
どうやらかなり人見知りをするタチであるらしい。
まる助に詳しく聞いてみると、どうやらこのルアーナという少女、つい数日前に町へ姿を現したとのこと。
ここから少しだけ離れた、再開発区画に越してきた家の子供らしく、広場で遊んでいたアルマとまる助に声をかけ、一緒に遊ぼうと誘ってきたようだ。
以降毎日決まった時刻に顔を合わせては、家やその近所で遊んでいるとのことであった。
「いつもありがとうね、アルマと遊んでくれて」
「た、楽しい……、から」
彼女へ礼を言うと、そう言ってアルマとまる助の後ろに隠れてしまう。
ほんの少しだけ、アルマよりも年下であろうか。身を縮めているのもあって、小柄な身体がアルマの陰へすっぽりと隠れてしまっていた。
やはり相当な人見知りであるようだけれど、これでよく自らアルマに話しかけに行ったものだと思う。
けれどこの子のおかげで、アルマは多少寂しい想いをせずに済んでいるようだ。
留守中一人で我が家の掃除をさせてしまい、親代わりとしては心配と申し訳なさで一杯であっただけに、正直助かったという想いが強い。
もちろんまる助にも、その点では感謝するのだが。
ともあれここで延々と話し込んでいても、暑さから不快な汗を流し続けるばかり。
そこで家の中に入って、皆で冷たい飲み物でもと考えるのだが、見ればアヴィが庭にある風呂に興味津々なのに気付く。
彼女はこちらを向いて、是が非でも入りたいと訴えてきたため、サクラさんたちが家に戻っている間にボクが風呂の準備をするハメに。
庭の隅に積んでおいた薪は、湿気を帯びた空気の中でもちゃんと使えるようで、そいつを使って火を熾す。
アヴィには水を運ばせ、大釜を彷彿とさせる浴槽に入れさせると、彼女はすぐに全身を汗だくとしており、沸ききってもいないのに服を脱ぎ始める。
「ああ、もう我慢できんぞ! わたしは湯に入る」
「それはいいんだけど、恥じらいを持ってくれるとありがたいかな。曲がりなりにも、貴族のお嬢様なんだから」
どうやら彼女が生まれ育った北方の国では、あちこちに天然の湯が沸いているらしく、アヴィは気が向いたときに足を延ばしては浸かっていたらしい。
けれど奴隷商に捕まってアバスカルに連れていかれて以降、当然のようにそんな自由はなかった。
というよりも、アバスカルには湯が沸くような土地が、珍しいというのもあるのだが。
ともあれそんな環境で育ったアヴィ、目の前で湯気を立て始めた風呂に我慢が出来なくなったらしい。
ボクが居るというのに、服を脱ぐ動作にまるで迷いがない。
まるで男扱いされていないとうものあるが、きっと騎士団に居た時期とやらが、そういうのを気にさせなくしたのだろう。
「固いことを言うな。男にそれを言うのは無粋かもしれんが」
「……サクラさんみたいに唐突な下ネタはやめてくれないかな。疲れが増しそうだよ」
「もちろん冗談だ。それにもしそんな邪な考えを起こしてもみろ、お前が針の筵となるだけだ」
いそいそと服を脱ぎ、小屋の中に入ってぬるい湯をザバリと身体にかけるアヴィ。
彼女は上機嫌で湯舟へ浸かると、なんとも気の抜ける冗談を発するのであった。
ただアヴィが言うのも間違ってはいないのかも。普段は意識しないけれど、言われてもみればアヴィはまだ成人になるかならないかという少女。
下手にそんなことをしてしまえば、ボクが変態の烙印を押されてしまう。
一応彼女くらいの歳で嫁に行く娘も居るとはいえ、きっとサクラさんは軽蔑の視線を向けてくるに違いない。
もっともアヴィが冗談めかして言うような事態にはなりようはずがない。
……なにせボクは、今ではたった一人にしか目が向いていないのだから。
ボクは小屋の外で火の番をしながら、そんな自信を抱き腕を組んで大きく頷く。
「……なにを感慨に浸っているのだ」
ただボクのしていたそんな動きを、風呂場の小窓から顔だけ出したアヴィは見ていたようだ。
呆れたような視線でこちらを見下ろしており、ボクは若干の気まずさを覚えつつ、誤魔化すように薪を火へ放り込むのだった。




