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風に乗り 04


 上を見ずとも窺える青い空。そして眼下に広がる岩と雪の大地。

 大陸有数の高地であるアバスカル共和国の国土よりも、ずっと高い空の上を、ボクらはゆったりと漂っていた。


 アバスカルの隣国、コルネート王国の勇者たちによって造られた"キキュウ"という乗り物は、意外にも安定し空を進んでいく。

 けれど時折吹き付ける強風によって煽られ、3人が乗る大きな籠はグラリと揺れる。

 その度にボクは籠の縁を掴み、身体を強張らせて襲い掛かる不安感を誤魔化していた。



「ほ、本当に墜ちないんだろうか……」



 軋む籠と、限界まで張るロープ。

 それらを凝視し不安感を覚えるボクは、ついつい無意識に不安が口をつく。


 足元には身体を丸め、小さく震え続けるアヴィの姿。

 高所であるというのに加え、気温が低いというのもあるけれど、彼女が震える理由はそれではないだろう。

 きっと元々が高いところを好かぬアヴィもまた、こいつが落下した場合を想像している。

 もしも張った布が破れたら。もしもロープが切れてしまったら。もしも籠の底が抜けてしまったら、と。



「気にしすぎよ。見たところかなり丈夫に作られているみたいだし、余程のことがない限りは」



 どうやら漏れ出した不安が聞こえていたらしい。

 サクラさんはそう言って、丸く張った布と籠を繋ぐ数本のロープの内1本を握り、確かめるように何度か揺らす。

 正直やめて欲しい。ボクもだけれど、アヴィが耐えられないだろうから。


 というか余程のことってなんですか。

 彼女の発した、おそらく当人は適当に言っているであろう一言によって、嫌な想像が膨らんでは風に流されていく。



「安心なさいって。一応はちゃんと南に向けて飛んでいるみたいだから、今の調子だとシグレシアまで飛んでくれるはず」


「飛ぶというか、風に流されてるって気がしますけど」


「気球ってのはそういう物よ。……本来なら私みたいな素人が動かしていい物じゃないけど」



 カラカラと笑うサクラさんは、燃える鉱石の火力を調整しながら、指を舐め風向きを探る。

 けれど実のところ彼女も、本心では少々心配をしてはいるようだ。

 言葉の端々から自信のなさが漏れ、ボクとアヴィをいっそう震え上がらせた。


 とはいえ次第に操作にも慣れてきたらしく、サクラさんの動きは軽快なものへと変わっていく。

 それに風もちゃんと南に向かって吹いているようで、新路上にある最も高い山脈も既に越え、あとはシグレシアまで一直線。

 あとはこのキキュウが、壊れずにいてくれるよう祈るばかりだ。



 徐々に揺れる頻度も下がっていき、風の落ち着きやサクラさんの慣れもあって、安定をしだしたキキュウ。

 ボクもまた眼下や雲を眺める余裕が生まれ始め、籠の縁に手を乗せノンビリと風景を眺める。

 ただ火力の調整をするサクラさんを見たところで、ふと思い出したことが。



「そういえばサクラさん、リグーに到着した日に話していたことなんですが」



 唐突に思い出したのは、ボクとサクラさんが首都リグーに到着した日の夜のこと。

 まだアヴィを奴隷市で買う前であり、まずはこの地で情報を集めようという頃、食事の席でした会話についてだ。


 あの時サクラさんは、突然イチノヤについて話を振ってきた。どう思ったのか、あの人に対し抱いた印象についてを問うたのだ。

 ボクは彼女がその質問を向けてきた時、少々怪訝に思いはしたものの、普通に思うままに答えていた。

 けれど今にして思えば、サクラさんはあの時既に気付いていたのではないか。あるいはイチノヤ当人から、なにかを聞いていたのではないか。

 意を決してそれとなく聞いてみると、彼女は一瞬だけ火力を調整する手を止め、ボクへと向き直る。



「大体察しがついているんじゃないの?」


「……なんとなくは」



 するとサクラさんは一瞬な間を置き、ボソリと呟くようにボクの思考を言い当てる。

 確かに予想ではあるけれど、理由についての察しはついている。おそらくサクラさんは、イチノヤから身の上を話されたうえで、あえて黙っていたのだ。



「確かに、私はあの人から色々と聞いた。素性とか、今の状況に至った経緯とか」


「ならやっぱり、あの人はボクの……」


「でも君には教えない。伝えるかどうかは私の裁量で決めていいって言われているから、私は君に黙っていることにした」



 しかし彼女は、あえてその答え合わせをしようとしない。

 ボクは既にその答えを、ほぼ正しい形で想像している。そしてサクラさんもまた、ボクが気付いていることを察している。

 それでも教えようとしないのは何故であろうかと思うも、彼女はそうするに至った自身の考えを述べた。



「クルス君がおおよそ察しているとしても、もう今後あの人と会う機会は無い。だから確信を得ないままでいた方がいい。きっとね」


「それ、答えを言っているようなものですよ」


「そうね、自分でもそう思う。でも真相は闇の中、それでいいんじゃないかなって」



 再び吹き始めた強い風の音で、消え入りそうなサクラさんの声。

 けれどボクの耳には、彼女の発したそれがハッキリと聞こえていた。


 自身でも言ったように、サクラさんの反応からして答えは明らかだ。

 あの人は、イチノヤはどういうわけか、シグレシアの地で消息を絶ったはずなボクの父親であると。


 どうしてシグレシアではなくアバスカルに居るのか。どうして母と一緒ではないのか、どこに行ってしまったのか。

 ボクの父親と面識があるはずなゲンゾーさんは、一度この国でイチノヤと手合わせしているはずなのに、どうしてこのことを教えてくれなかったのか。

 などなど、不可解な点は多々ある。


 しかしそんな疑問を抱きながらでも確信を持つのは、ここまであの人と言葉を交わしてきて、なんどかそれらしい反応を目にしてきたから。

 初めて会った列車の中、ボクの名を耳にして驚きを露わとした時。カガミに襲われ、己を盾とし護ろうとしてくれた時。

 思い返せば"らしい"反応は幾度かあったし、きっと首都リグーを脱出したボクらをわざわざ迎えに来たのも、こいつが理由だったのではないか。

 加えてこうなるに至った経緯まで聞いたという、サクラさんの反応がダメ押しだ。



「それも、あの人の考えですか?」


「肯定よ。私の考えであり、一ノ谷の考えでもある」



 つまりイチノヤは、サクラさんを介してこう言いたかったのではないか。

 「お前を育てたのは、お前の親はシグレシアに居る師匠だ」と。それでいいのだと。

 ボクはそんな突きつけられる2人の意思に、小さく頷き納得をした素振りをすることしかできなかった。



 そこで会話は止まり、再び吹き付ける風の音ばかりが鳴る時間が過ぎていく。

 これ以上を聞いてよい物かどうか、それすらわからぬボクは、ただ外の景色と作業をするサクラさんの動きを眺めていることしかできない。


 ただしばし流れていく景色を眺め、そろそろシグレシア王国の領内へ入ろうかという頃。

 突然に足元でもぞもぞと動く感触が伝わり、見下ろしてみるとさっきまで横になっていたアヴィが、胡坐をかいて大きく息を吐いていた。



「く、クルス。今はどのあたりだ……。もう着いてもいいのではないか?」



 どことなくやつれたような、青い表情をするアヴィ。

 彼女はグッタリと背を丸めながら、力なく顔を上げ着陸の時を確認する。

 ここまでボクがサクラさんとしていた話を聞いていなかったようで、その件についてはなにも言わない。

 というよりも、それどころではなかったのだろうけれど。



「もう少しだね。今丁度国境を越えたあたりだから、開けた場所でもあればそこに降りたいかな」


「そ、そうか。ようやくこの悪夢から解放されるのだな。ところで……」


「ん?」


「こいつはどうやって降りるのだ?」



 ほんの少しだけ安堵した様子のアヴィが向ける質問に、知識の不足から返すことのできぬボクは、サクラさんの顔を窺う。

 すると彼女は小さく微笑んで、アヴィの頭へ軽く手を置き問題ないと告げる。



「安心なさいな。操作方法はしっかり習ったし、ここまでで少しは動かし方にも慣れてきたから。それにもう降下を始めているし」



 昇る時と降りる時では、少々勝手が違うのではないかという気がしないでもない。

 けれどアヴィを安心させるためにか、サクラさんは自信ありげな素振りで言い放つ。


 ただサクラさんがそう言って、薄い胸を張った時だ。

 鈍い、なにかが裂けるような音が上から響き、ボクらは揃って上を見上げた。



「あ」


「あ……」



 目にした光景を映したボクとアヴィは、まったく同時に間の抜けた声を漏らす。

 視線の先にあったのは、熱い空気によって張られ丸く形作られていた布の一角、内側から空の色が映っている様子。

 そしてキキュウから飛び去って行く、この時期シグレシアの北部に生息する白い渡り鳥の姿。


 聞こえるのは、ビリビリとゆっくり裂けていく布の音。

 そこからキキュウを浮かび上がらせていた熱が漏れ出し、ガクリと籠が揺れた瞬間、ボクもまたアヴィのように青褪めるのだった。

 3人もを空へと押し上げているモノが抜けていく。それが引き起こすことなど、考えずともわかる。



「2人とも、しっかり掴まっていなさい!」



 落下という言葉が頭をよぎり、悲鳴が喉を震わせかける。

 けれどその前に、サクラさんによる指示が飛ぶ方が先であった。


 ボクは咄嗟に籠の縁を、アヴィは伏せたまま籠の隙間を握りしめる。

 斜めとなった籠は、進む勢いを増していく。いや進んでいるのではない、落ちているのだ。

 体を襲う強い浮遊感に、いっそう恐怖心が増していくのを感じる。


 そんな中でも、サクラさんは必死に操作を続ける。

 幸運にも完全に真下へ落下するほどの穴ではなかったらしく、勢いこそあるもののなんとか着陸を試みられるようだ。

 ただ着地と落下、どちらがより正しい表現かと言えば、おそらく後者寄り。


 しがみ付く籠の縁でなんとか目を開けてみれば、勢いよく迫りつつある緑の大地が。

 ああ、やっぱりここは雪多き高地のアバスカルではなく、緑豊かなシグレシアに入っているようだ。

 などという妙に部分的に落ち着いた思考へ自ら驚きながら、歯を食いしばり落下、……いや着地の衝撃に備える。


 一気に近づく地面。そして襲い掛かる強い衝撃。

 ドサリという重い音と共に身体は投げ出され、柔らかな草の大地を転がる。

 顔面から突っ込んで土塗れとなり、しばし身動きもできず身体を固めてから、強烈な鼻先の痛みに涙目となりながら周囲を見渡した。



「クルス君、無事みたいね。鼻血は出てるけど」


「……鼻血で済んだなら御の字です。アヴィは?」


「あっちで目を回してる。でもケガはないようだし頭も打っていないから、安心していいわよ」



 周囲を窺うと、すぐ目の前にはサクラさんが立っていた。

 勇者らしく軽快な受け身を取ったのか、怪我一つない彼女はしゃがみ込んで、ボクの鼻先へハンカチを当ててくれる。

 見れば少しだけ離れた場所では、彼女が言うようにアヴィが仰向けとなって気絶していた。


 とりあえず全員無事でよかった。

 それにちゃんと国境を越え、シグレシアの地にたどり着けたようだ。


 アバスカルや空の上と異なり、肌に寒さを感じぬシグレシアの地。

 むしろ暑さすら感じる懐かしいその空気に、ボクは安堵しながら身体を草の地面に投げ出すのであった。


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