潰れ花 05
風を切る勢いはどんどん増していき、走る馬では到底追いつけぬ速度となった列車。
首都リグーを囲む外壁の外を沿うように伸びた線路を走るそれは、サクラさんが魔物をおびき寄せている場所へと、徐々に近づきつつあった。
最初はその白い巨躯が、突破したことで崩壊した都市外壁のそばに見えていただけ。
けれど今は高速で接近するにつれ、次第に一つの人影が見え始める。
魔物の身体に比べれば、遥かに小さく細いその姿。愛用の大弓を手に大立ち回りを演じる、サクラさんの姿が目に映った。
「あの人が戦っているのを見るのは初めてだが……。クルスが自信満々話していただけのことはある」
猛進する列車から身を乗り出すアヴィ。彼女は線路上で魔物相手に立ち向かうサクラさんを見て、感嘆の声を漏らす。
ここまでボクは彼女に対し、サクラさんがかなり高い実力を持つことは話してきた。
けれどアヴィにしてみれば、ボクが彼女の誇る実力を疑っていたのと同様、サクラさんの能力を言葉通りには受け取っていなかったらしい。
もっともその疑いは直に見たことで融解。感心とも呆れともつかぬ声を漏らしていた。
実際ここから見えるサクラさんは、単騎で純白の魔物相手に奮闘している。
一方で既に都市外壁を突破し外に出ているためか、アバスカル国軍の兵士や勇者の姿は見られない。
おそらく都市内での戦闘によって多くの犠牲を出したため、外壁を越えたのを好機とし立て直しを図ろうとしているに違いない。
「弓手であるというのが幸いしているみたいだけれど……」
「そうだな。もし接近戦を主とする戦士であれば、危なかったやもしれん」
けれどサクラさんとて、平然と誘導を行えたとは言い難いようだ。
まだ遠目ではあるけれど、彼女は魔物が繰り出す無数の触手から逃げ回り、時折隙を窺っては矢を射るというのを繰り返していた。
なにせボクが目にしただけでも、数十人以上の兵士や勇者があの触手によって身体を両断されていったのだ。少し触れるだけで致命傷になりかねない。
慎重を期し、なによりも回避を優先するというのは当然だった。
とはいえそんな合間を縫ってする反撃も、効果が出ているとは言い難いかも。
強烈な威力を持つはずのサクラさんが射た矢だけれど、あまりにも巨大な魔物にとっては、体表へ針を浅く刺した程度も同然。
となればやっぱり、コイツに賭けるしかないのかも……。
「アヴィ、そろそろいくよ!」
線路上に誘き出された魔物へと、列車はみるみる内に接近していく。
おそらくあと2分もすれば衝突という頃合いで、ボクはアヴィに準備を告げた。
捕まえた男と共に、列車へ燃料をくべていたアヴィ。
彼女はボクの声に反応し頷くと、先頭車両の小さな扉を開け、男と共に屋根の上によじ登り始めた。
なにせ今からこの列車、全速力で魔物へとぶつかるのだ。このまま大人しく見守っていては、魔物もろとも粉砕されてしまう。
サクラさんとは打ち合わせをしているわけではないけれど、彼女もまた同じように考えているはず。
全速で走る列車から飛び降りるのは不可能。となればサクラさんに救出してもらうしかない。
最後の詰めの部分で彼女に頼らねばならぬという、少々情けない想いがしなくもないけれど、こればかりは致し方なかった。
その他力本願な考えを、幸いにもサクラさんは察知していてくれた。
轟音を上げ走る列車に気付くなり、線路に沿ってこちらへと走ってくる。もちろん、真っ白で巨大な魔物を引き連れて。
そんな迫力のある光景に、サクラさんと言葉すらなく意図の疎通が出来ていたことへの喜びも吹っ飛び、緊張感から冷や汗が滴る。
「そろそろだぞ。準備はいいのか!?」
「ああ。しっかりと結んだからたぶん……、大丈夫」
さらに迫りつつあるサクラさんと白い魔物。
その姿がハッキリと、それこそサクラさんの表情すら窺えそうな距離になったところで、アヴィは大きく叫ぶ。
彼女の声に、ボクは自身の腰に結んだロープをグッとキツく締める。
そいつはボクだけでなく、アヴィと男にも結ばれており、一度に運べるようにはしておいた。
これまたなんとも不安感を覚える方法だとは思う。けれどただでさえ大きな弓を持つサクラさんが、全員を運ぼうとすればこうするほかない。
近づいてくるサクラさんへと、全員を縛ったロープの端を掲げ、なんとかその意図を伝えようとする。
彼女がそいつを確認したかどうかはわからないけれど、大きく跳躍し列車の上に飛び乗ったサクラさんは、ボクが持つロープを奪うとグッと重心を低くする。
そして低い体勢へと移った流れで、身体のバネを目一杯使いさらに大きく跳躍するのだった。
「舌を噛むわよ。口を閉じていなさい!」
ロープで繋がれた人間3人もを、易々と宙に運ぶサクラさん。
流石は勇者と思ったのもつかの間、彼女はぶら下がり身体を強張らせるボクらに向け、非常に雑な扱いをすると宣言したような言葉を放つ。
彼女の発したそれを聞くまでもなく、猛烈な勢いで振り回されるボクは、ロープを握りしめ歯を食いしばる。
アヴィと男からも文句の一つすら聞こえることはなく、ボクらはただサクラさんによって、高く高く運ばれるのであった。
そんな自身の数十倍もの高さではと思う空。風を切って落下していくボクは、真っ白な魔物へと列車が突っ込んでいくのを視界に収める。
線路上を進む両者。ただ魔物の方は進む力強さはあれど、俊敏性に関してはそこまででもないらしい。
突っ込んでくる列車を避けようとする素振りすらなく、城壁の如き巨躯へと、金属の塊をもろに受けた。
ズシリと。宙に居るボクらを襲う、衝突による重い空気の振動。
金属が軋み、潰れ、線路が破れ、魔物の肉が爆ぜる嫌な音が折り重なって響く。
列車の後部が衝突の勢いで浮き上がり、繋がる車両が連路から外れて横倒しになり、勢いそのままさらに魔物を巻き込んでいった。
「やった!?」
地面と衝突せぬよう、小器用に振り回してボクらを下ろすサクラさん。
ようやく対面した大地の感触にホッとするのもつかの間、彼女は鋭い視線を魔物の方へと向けた。
いつの間にやら失神していた男をよそに、ボクとアヴィもまた同じ方向へ。
そこでは巨大な身体の半分近くを潰され、身動きするのも儘ならない状態という、重大な傷を負った魔物の姿が。
しかしまだ息がある。己が鋭利な触手を振り回し、動きを妨げる列車の残骸を切断。サクラさんを襲わんとする。
けれどそんな魔物へ、さらに追い打ちが下る。
突如列車内の炉から出火、同じく魔物へと突っ込んだ燃料が積まれた車両へ引火し、一気に魔物にまで燃え移ろうとしていたからだ。
「……石炭って、あんな簡単に火が付くもんだっけ?」
「そこはよくわかりませんけれど、あちらの世界に在る物とは違うのでは」
沈みつつある夕日の赤に照らされ、なおも赤く燃えていく魔物。
ヤツはしばらく暴れるような動きを見せるも、徐々に動きは鈍くなっていく。やはり列車の衝突によって、かなりの深手を負っているようだ。
炎の色か、あるいは日差しによってか白い巨躯は染まり、焼かれて黒く変じていった。
そんな光景を目にするサクラさんは、小首をかしげ自身の知識とはズレた光景に疑問を口にする。
ボクはそんな彼女にどことなく暢気な声で返すのだが、サクラさんがこういった素振りを見せるということは、脅威が薄れつつあるという証拠のようなものだ。
ただ今回は彼女の消耗も激しかったのかもしれない。
普段以上に気を抜いていたサクラさんの背後で、沈みかけほんの僅かに残った日差しに照らされ、ぬらりと光る細い刃が見えた。
「危な――」
緊張を弛緩させ、肩の力を抜き得物を下ろす。
そんな彼女の背後から唸りを上げるその刃は、サクラさんを切り裂かんと迫っていた。
ボクは咄嗟に声を上げるのだけれど、それが言い終わる前に到達するというのがすぐにわかる。
間に合わない。そう思い、繰り広げられるであろう光景に目を閉じてしまいそうになった時だ。甲高い音が響いたのは。
「アヴィ!」
サクラさんへと迫っていた触手の刃。それを弾いたのは、自身の短剣を握りしめたアヴィであった。
その刃によって短剣を砕かれた彼女は、強い衝撃によって弾かれ地面を転がる。
アヴィが横たわる姿を見るが早いか、サクラさんは腰に差していた短剣を握り、触手を切り落とす。
見ればいつの間にか背後へ回り込んでいたようで、ボクらをぐるりと囲うように細い触手が地面に伸びていた。
金属製の器という見た目に反し、おそらく一定の知能を持つであろう黒の聖杯。
ヤツが複数融合したことによって生まれたあの白い魔物は、最後に一矢報いようとしたのかもしれない。
「怪我は?」
「大丈夫、軽傷のようです。意識は失っていますけれど」
そんな魔物が最後に行った攻撃によって、地面に投げ出されたアヴィ。
彼女へと近づき様子を見ると、砕かれた短剣の破片によって多少の切り傷はあるけれど、それ以外はほぼ無事であるようだ。
助けられたことへの感謝と、アヴィの命が無事であったことへの安堵に息を吐く。
なにせまともに食らえば勇者をも両断してしまう刃だ。ヤツが弱っていたというのを差し引いても、軽傷で済んだというのは奇跡と言えるかもしれない。
「本当なら、念のため医者に診せておきたいところだけれど……」
「アヴィには悪いですが、ひとまず逃げるとしましょう」
同じくアヴィの無事に安堵したサクラさん。ただ彼女はすぐに首都市街の方を一瞥すると、ここにとどまるのは得策ではないといった意図の言葉を吐く。
確かにそうだ。このような騒動が起こり、直後に列車の強奪という大ごとまであったのだ。
さらに都市の外で豪快に魔物が燃えているとあれば、早々に態勢を整えた国軍兵士がやってくるのは目に見えている。
「連中も私の存在には気づいていたようだけれど、それが誰であるかを確認するほどの余裕はなかったみたい。あくまでも今のところは」
「では確認をされる前に撤収ですか。捕まったら厄介です」
「あいつを調べてから身体の一部でも持ち帰りたいけど、そんな事をしている場合でもないか。行きましょ」
こういった突発的な状況を想定し、出立の準備は常に整えている。
いったん宿に戻って荷物も回収したし、魔物を倒したのが誰であるかを探られる前に退散しなくては。
なにせ捕まれば巨大な魔物を倒した英雄が一転、他国からの間者として投獄されてしまうのだから。
見れば首都リグー外壁の向こう、世闇に沈みつつある市街は滅茶苦茶。
魔物が大暴れというか通り過ぎたことによる破壊は、とんでもない犠牲を出しているのは言うまでもない。
きっと拘束されてしまえば、非常にマズい状況に置かれるのは避けられそうもなかった。
列車を動かすのを手伝わせていた、今は気絶している男に関しては、悪いけれどここに置いていくとしよう。
幸いにも強力な魔物が出現したことによって、近隣の比較的弱い魔物は逃げているらしく、兵士が駆けつけてくるまでなら大丈夫なはず。
彼はこちらの顔を見ているけれど、正体までは知る由がないためその点も問題はない。
「それじゃ、全力で逃走ね。疲れているだろうけれど、しばらく休む暇はないわよ」
サクラさんは大弓を片手に、背嚢を背に。そしてアヴィは、普段ボクに対しやっているように小脇に抱える。
そうしてボクを見下ろすと、彼女自身もどことなく疲れの見える表情で、あと一踏ん張りを口にするのであった。