ギャップ 01
「えっと、粗茶ですが」
召喚が行われた部屋から出てたボクは、呼び出した勇者へとひとまず事情を説明するべく、宿舎にある応接室の一つへと向かった。
そこへ彼女を案内すると、一息ついてもらうべく温かい茶を差し出す。
この場には彼女を除けばボク一人。ただもし揉めた場合に備え、教官は隣にある部屋で待機してくれている。
置かれた椅子へと座る彼女、ボクが召喚した勇者は酷く不機嫌そうだ。
黒く艶やかな生地で作られた彼女のスカート。それが椅子に座って脚を組んでいるせいで捲れ、ボクは少しばかりドキドキしてしまう。
……なんというか、機嫌の悪さを除けば大人の女性って感じだ。
女性と言えば、ベリンダか騎士団内の固い格好をした人たちくらいしか接点のないボクには、少々刺激が強い。
「ご丁寧にどーも。……それで?」
「と言われますと」
「なんなのココは。それと君はいったい誰?」
茶を差し出したボクの目を凝視する彼女は、少しばかり鋭い声色で問い詰めてきた。
世間では召喚という行為に対し、"求めた助けに異界の勇者が応じてくれた"などと言い表わされることが多々ある。
しかし実際のところ、勇者本人には承諾した意志などないという。
ある時急に真っ白な光に包まれたかと思えば、突然この世界へ身体一つ放り出されるのだと。
当然彼女ら勇者にこの世界に関する知識などある訳はなく、まずは事情の説明と謝罪をする必要があった。
それもまた、ボクら召喚士の担う役割の一つ。
ただ頭の中で内容を整理するのが追いつかず、あわあわと狼狽えながらとりあえず思いついた言葉が口をつく。
「え、えっとですね。ボクが召喚士でお姉さんは勇者になったから、この世界で戦いを――」
「落ち着いて喋りなさい」
「は、はい!」
ジロリと一瞥され、静かに一喝される。
細い金属の輪っか越しに向けられる鋭い視線に、背筋へゾクリとしたものが奔る。
心臓を鷲掴みされたようなそれを受け、ボクは猛る鼓動をなんとか抑え込もうと、必至に落ち着くべく努めた。
「ぼ、ボクはクルスと言います。シグレシア王国騎士団に所属する召喚士で、今回お姉さんを召喚したのがボクになります」
「それで?」
「実はお姉さんには勇者として、ボクと一緒に王国内に出現する魔物の討伐をお願いしたいんです。もちろん国からは報酬も出ますし、功績によっては別途恩賞も――」
必要と思われる話を頭の中で整理しながら、必死となって説明を続ける。
勇者のお姉さんはチラリとボクを見つつ、時折目頭やこめかみを押えて深く息を吐き、苦悩している様子が見られた。
協力をしてもらうために必要な説明は、ここまでで全てしているはず。
でも見たところ何か不足があったり、納得のいかないことでもあるのかもしれない。
「以上になります。何かわからないこととかは」
「全部」
確認のため問う僕の言葉を打ち消すように、バッサリと言い切られてしまう。
彼女の目はジトリとこちらへ向けられ、どこか責められているような、居た堪れない気持ちにさせられた。
ただ全部と言われても、いったいどうすれば。一から説明し直した方が良いのだろうか……。
「その、できれば具体的に……」
「全部よ。そもそも私の質問に答えてないでしょ? まずここがどこなのか説明しなさい」
「で、ですからここはシグレシア王国の……」
「どこにある国よそれは! ヨーロッパ? アフリカ? それとも南米!?」
ガタリと立ち上がり、勢いよく迫り顔を寄せるお姉さんの剣幕に押され、つい身体を逸らしてしまいそうになる。
ただボクの胸ぐらを掴まんばかりな彼女を、少し怖いと思いつつも、鼻先をくすぐる良い匂いに頬を染めてしまう。
「と、とりあえず落ち着いて……」
なんとか宥めようと、改めて説明をすると口にする。
すると彼女はため息をついて椅子に座り直し、背もたれへ身体を預けボクを眺めた。
とりあえず落ち着いて話を聞こうとはしてくれるみたいだ。
ただ考えてもみれば、まず最初はこの世界について話す必要があった。
そもそも異界という存在を認知していない向こうの人に、突然こちらの事情を捲し立てても理解してもらえるはずがない。
ならばもう一度、今度は最初から丁寧に説明をしなくては。
この国の状況、ボクの立場、勇者を呼び出すに至った理由。そしてこのお姉さんに何を求められているのかを。
そうして最初から改めて、今度はこうなった経緯や取り巻く事情から説明をしていく。
それらが粗方終わったところで、彼女は椅子に腰かけた身体の位置を直し、平静さを保ったままで口を開く。
「つまりアンタはこう言いたい訳ね。この世界で怪物が暴れてるから、それと戦わせるために私を異世界に呼びました、是非命を懸けてみんなを助けて下さいって」
「……ま、間違ってはいないです」
「なんだか学生の頃に読んだお話に出てきそうな展開ね、嫌いじゃないけど。とりあえずは話が進まないから、今のところはそれを信じておくとして。まず一応聞いておくわね、私が元の世界へ帰る手段はあるのかしら?」
「…………」
「こら、返事は」
「たぶん、……ないです」
そう答えると、お姉さんは静かに立ち上がりボクの正面に立つ。
浮かべた表情は先ほどまでと異なり、なにやら柔らかさを感じる穏やかなものへ変わっていた。
まさかこんな急に呼び寄せ迷惑をかけたボクを、この人は許してくれるのだろうか。
胸はドキドキと高鳴り、いったいどんな言葉を掛けられるのかと思っていると、彼女はその手をボクの頭にポンと乗せた。
さわさわと優しく、髪を撫でられる。
その意図は定かでないけれど、なんだか懐かしい。
幼い頃に師匠に撫でてもらって以来の感覚に、ボクはどこか温かいものを感じ、勇者のお姉さんを抱擁せんと腕を前へ――
「あ痛ったたたああああ!」
今しがたまで置かれ頭を撫でていた手は、突如ボクの頭部を万力の如く締め上げる。
頭皮を裂くどころか、骨まで砕かんと言わんばかりの勢いでギリギリと食い込む指に、頭蓋骨が悲鳴を上げているかのようだ。
これはいけない。きっとこのお姉さんは、ボクの頭を本気で握りつぶそうとしている。
「私最近少し疲れ気味なの。だからちょーーーっとだけ、君の言葉が聞こえなかったんだ。だからゴメンね、もう一度だけ聞かせてくれないかなー?」
「で、ですから帰る手段は無いと……」
「やだ、やっぱり聞き取れない。もう一度だけお願い、大きな声で、リピートアフタミー」
「ふええ!? だからお姉さんはもう帰れなアイタタタタタ!」
問われた内容へ返そうとするも、お姉さんの指はなおもボクの頭を締め付けてくる。
というよりも返すたびにそれは強くなっていく。かといって強い力で固定され、抗う術はなさそうだ。
椅子へ座ったままのボクは手足をバタバタと振るい、痛みを誤魔化そうとする以外になかった。
きっとこのお姉さんは、「帰る方法はあります」と言わぬ限り、この手を緩めてはくれそうにない。
ただ本当にそんな手段は確立されておらず、そもそも模索し研究している人が居るのかすら疑わしい。
なので結論は、"帰る方法は今のところ一切なし"という一点であった。
「ほらもう一度言ってごらん。優しい優しいお姉さんが、ちゃんと聞いててあげるから」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい痛い痛い痛いいいいい!」
穏やかながらも底冷えのするお姉さんの声と、ボクの悲鳴が響き渡る応接室。
笑顔と泣き顔に悲鳴が混じりあったこの光景は、きっと傍から見れば一種異様な光景なのだとは思う。
そんな状況に、隣の部屋へ控えていた教官はすぐに気付いたようだ。様子を見に駆けつけ、勢いよく扉を開く。
「な、何してるんだお前ら」
扉を開けるなり、深く息を衝く教官。
その口から呆れの言葉が発せられた直後、ボクの頭にめり込んだ指の力はようやく緩められる。
ただそこから暫し、頭を抑え床を転げまわる破目にはなったのだけれど。
「落ち着かれましたか?」
「はい、申し訳ありません。お騒がせ致しました」
ようやく頭の痛みも引いていき、なんとか持ち直して椅子へ座り直した頃。
咳払いをする教官がした問いに対し、勇者のお姉さんは謝罪と共に丁寧に頭を下げた。
背筋をピシリと伸ばし、乱れた格好や髪型も綺麗に整えて、さっきまでとはまるで別人だ。
「いえ、貴女が取り乱されるのも当然と言えば当然です。急にこのような事態に巻き込まれたのですから。我が国を代表してとはいきませんが、この場で謝罪を」
「そんな、顔を上げてください。私ももう気にはしていませんから」
本当に、さっきまで目の前に居た人はどこに行ってしまったのだろう。
ボクと教官とで、接し方が余りにも違い過ぎやしないだろうか。
ボクが童顔なのが悪いのか、それとも腰の低さや口調に反して、見た目ワイルド系な教官がカッコイイせいか。
その教官の下げた頭を上げさせようと、彼女がソッと触れる指は細く繊細に見える。
あの細い指からどうやって、頭蓋骨を軋ませる馬力が生まれたのだろうか。
やはり勇者とい存在は、話に聞く通り尋常ならざる力を持っているのだと、身を持って体験する破目になってしまった。
「このクルスが言う通り、元の世界へ帰る手段は発見されていません。現状では我々に協力して頂く以外の道を提示できないのです、申し訳ないとは思いますが」
「そう、ですか……」
「ですがこれまで帰還を模索した者も居るはずです。貴女と同郷のそういった方と会えれば、何がしかの手掛かりを得られるやもしれません」
「私と同じ、この世界へ来た日本人に?」
「ええ。もちろん確実な話ではありません、しかし何もしないよりは多少マシかと」
落ち着いて話す教官の言葉に、僕が呼び出したはずな勇者は深く頷き、その言葉を反芻していく。
お姉さんの感情的にはわかるけれど、なんとなく納得がいかない。
そのせいでちょっとばかり不貞腐れかけると、すぐさま教官にギロリと一瞥されてしまう。
「ですがひとまずは、こちらでの基盤を確保するためにも、このクルスと組んで我が国に協力して頂きたいのです。当然我々は可能な限りの助力も致します」
「……わかりました。私がどの程度力になれるかはわかりませんが、そうするしかないのであれば」
「感謝致します。いいかクルス、勇者さんとお前は一蓮托生だ、しっかりお助けするんだぞ」
教官はそう告げると、勇者のお姉さんへ丁寧な礼をして退出していった。
パタリと閉められる扉の音と同時に、勇者のお姉さんはため息をつき、伸ばしていた背から力を抜いて面倒臭そうな表情を浮かべる。
教官が居るか否かで、落差が激しすぎやしないだろうか。
ジッと見るボクの視線に気づいたお姉さんは、ダルそうに椅子の背もたれへもたれ掛ると、同じく気だるげな声で話しかけてくる。
「君が言いたい事はわかるわよ。でもね、大人同士ってのはよっぽど親しい間柄じゃないと、そう易々と気を抜けないのよ」
「ボクも一応大人ですけど……」
「そうなの? 何歳よ」
「今年14になりました!」
キョトンとした表情のお姉さんに、ボクは胸を張って答える。
確かに童顔なボクではあるが、もう立派に成人した大人の男だと主張しなくてはならない。
すると彼女は一転して呆れたような乾いた笑みを浮かべ、やれやれといった素振りで首を振る。
「やっぱガキじゃないの」
お姉さんにとって、14ではまだまだ子供の扱いになるようだ。
これは住んでいた世界の違いからくるのだろうか、こちらでは13にもなれば、世間から立派な大人として扱われるのだけれど……。
少しばかりそれが悔しいと感じたボクは、意趣返しも兼ねて同じ質問を返してみる。女性にそれを聞くのはマナー違反と知りつつも。
「そういうお姉さんはいくつなんですか?」
「……私の事はいいのよ」
返答は拒絶される。それはもう問答無用に。
ただスラリとした細身の身体に加え、彼女の肌はきめ細かく血色も良さそうに見える。なにより雰囲気からしてそう年配でもないはず。
ボクの見立てでは20~22歳くらい、それなら別段隠す必要もなさそうに思えるのだけれど。
ただボクが年齢に関する邪推を繰り広げている間、誤魔化した当人はまた別の事を考えていたようだ。
少しばかり遠い目をしながら、自嘲するように口を開く。
「異世界だなんだって言われてもさ、普通は信じられないんだよね。たちの悪いドッキリの類だって思うでしょ」
「どっきり……、ですか」
「それに目の前に現れたのが、男の子だか女の子だかわかんない、やけに日本語が流暢な外国人のお子様。真剣に説明してもらったとしても、疑ってかかるのが当然でしょ」
天井を見上げボーっとするお姉さんは、率直な感想を口にしていく。
ボクの性別が云々というのに関しては別にいい、時折初対面の人に言われることもあるくらいだから。
ただやはり突然異界へ連れて来られたというのは、彼女にとって容易には信用できぬ事態であるようだった。
ボクなどは小さいころからずっと、異世界から来る勇者の話を聞いて育ったから違和感はないが、向こうの世界ではそうではないのかも知れない。
「でもさ、あんなのが見えちゃってる以上、流石に信じるしかないかもね」
ただそんなお姉さんにしても、ここがニホンジンにとっての異世界であると納得するに足るものがあったらしい。
背後の窓に向けて、お姉さんはクイッと親指を向ける。
その指先を追って外へ視線を向けてみると、応接間から見える中庭へと、騎士団所有の騎乗用飛竜が三頭翼を休めていた。
ただここから見えるのはたったそれだけで、別段おかしなものは見当たらない。
いったい何のことだろうと怪訝に思い首を傾げると、お姉さんは「わからないなら別にいいよ」と言って、初めてボクの前で可笑しそうに声を上げた。
異世界の人が考えることは、よくわからない。