潰れ花 03
整然と植えられた花壇は踏み荒らされ、立ち並ぶ家々は破壊されていく首都リグー。
無数の"黒の聖杯"が融合したことによって現れた未知の魔物は、建物や花壇のみならず、立ちふさがる勇者や兵士を次々となぎ倒していく。
それによってこの都市へ来た時からずっと目にしていた、色とりどりの花によって飾られていた町は、一面を血の色に染めていた。
花壇の都と称されたこの首都リグーを、それこそ押し花にでもしてやろうと言わんばかりだ。
そしてこの時ばかりは、町の異名となっている人々の様子も一変。これまで人格さえ管理されていたかのような人々が、恐怖も露わに四方八方へ逃げ惑う。
それも当然か。都市を守る兵士どころか、頼りの戦力である勇者たちまでもが、巨大な魔物を前に無残に散っていくのだから。
「ちょっと、アイツ姿が変わって……!?」
「わかっている! まったく、ただでさえ厄介だっていうのに」
さっきまでサクラさんの腋に抱えられていたアヴィ。
彼女はいつの間にやらサクラさんの背に移動し背負われ、時折後ろを振り返っては、ここまで聞けなかったかわいい悲鳴を上げる。
ボクは彼女のそれに対し、からかう余裕すらなく叫んで返すと、自身も走りながらチラリと背後を振り返った。
出現当初は真っ黒な帯が無数に寄り合い捻じれ、一本の巨大な塔のように。
そして徐々に形を変えて城壁と見まごうばかりの壁へと変化し、兵士や勇者を仕留めながら追いかけてきた。
けれど今はさらにそこから変異。徐々にその色を薄れさせていくと、次第に巨大な体躯を白に染めていく。
灰色をした曇天に映えるそれは、ある種の神々しさすら感じさせるも、元が黒の聖杯とあってはそれすら空恐ろしい。
「で、どうするのだ。なにか手があるのなら、手伝ってやらんでもないぞ」
そんな未知の魔物と化したそいつを見上げるアヴィ。
彼女は思考も徐々に落ち着き始めているのか、自身も手助けをと申し出る。もっとも策があればという前置きをしてだけれど。
とはいえ今のボクらに、いったい何が出来るというのか。
戦うというのは無理だ。もし抗うことができたとしても、国軍に素性を疑われてしまう。
かといって逃げ続けても、きっとヤツはいつまでも追ってくる。
アバスカルの勇者たちだって、いつまでもおめおめとやられ続けてはいないだろうけれど、討伐してくれるのがいつになることやら。
「となると、あと出来ることと言えば……」
頭の中に浮かんでは、次々と却下されていく案。
走り続けたことで徐々に失われていく酸素の中、必死に回転させる思考ではあるけれど、逆にそれが功を奏したのかもしれない。
ふとこの国に入ってからの記憶が何かの拍子で思い出され、ボクはあの脅威に対しなんとか使えそうな一つの策を思い浮かぶ。
「列車を使いましょう。アレならきっと」
大通りを走り抜けながら、ボクの言葉を待っていたサクラさんとアヴィ。
息を切らしながら彼女らに向き直ると、辛うじて浮かんだ策を静かに告げた。
ここ首都リグーは、ボクらが国境を越えてすぐに見た、"列車"という移動手段の集中する場所だと聞いた。
首都を中心に国土の四方八方へ線路が引かれ、物流や国軍の移動に活用されているのだと。
そしてあれは使うたびに一定の整備が必要であるらしく、常に2両か3両の列車が基地に置かれていると、確か宿の主人が話していたはず。
人が走るよりも遥かに速く、巨大かつそのほとんどが金属で造られているという物体だ。
出す速度によっては、衝突時に生む破壊力は並大抵ではないはず。
そいつを上手くあの白い魔物にぶつけられれば、かなりの傷を負わせられるのではないか。
「列車……、というとアレか。わたしもこの町に連れてこられるときに乗せられたが、確かに突っ込めばケガでは済まんな」
「悪くないかも。矢を射たところであの巨体じゃ焼け石に水、ある程度の質量が必要だろうし。ただ問題があるとすれば」
半ばヤケクソ気味に出した案であったけれど、サクラさんとアヴィは意外にも同意してくれる。
彼女たちにしても、ほかに浮かぶ両案がなかったのかもしれないけれど。
とはいえそれをすぐに実行するには、少々問題があったのだろう。
サクラさんはほんの少し思案すると、難しい表情をして呟く。
「どうやって線路上に誘導するか、ね。馬車じゃないんだから、どこでも自由には動かせない」
サクラさんの指摘に、ボクは少しだけ走る足を緩め、弾む息を抑え込みながら頭を抱える。
そうだ、この策には非常に大きな欠陥がある。
サクラさんが言うように、あの移動手段は馬車などとは異なり、動ける範囲に大きな制限が存在する。
地面に敷いた金属性の棒、それも専用の代物の上のみを走れるようにしか出来ておらず、そこを外れれば走るどころかすぐに横転してしまうとか。
なのでまずはあいつを、線路上に誘い出さなくてはいけなかった。
「たぶん誘導そのものは出来ると思う。けれど問題は、どうやって列車を動かすかね」
「おそらく国軍の妨害もあるでしょうし。この騒ぎで警備がおろそかになっていればいいんですが」
一応線路上に誘導すること自体は一応可能だ。狙いであるボクらが、そこに移動すればいいのだから。
けれどよしんば誘導が成功したとしても、次に列車を動かすためには、警備をしているであろう国軍兵士をなんとかしなくてはいけない。
なにせ国にとって重要な施設と道具、普段から大量の警備が立っていることは想像に難くない。
それでも他に良案が浮かばない以上、そこに賭ける必要が。
サクラさんもまた同じように考えたらしく、そろそろ自ら走れるであろうアヴィを下ろし、手にしていた弓を背負い直して告げる。
「頼んだわよクルス君。たぶんあいつが狙っているのは私だから、囮役は引き受けた」
彼女はそう言うと、一瞬だけ振り返って魔物の姿を見据え、方向転換をし真南へ駆けていった。
サクラさんの姿を見送ったボクとアヴィは、そのまま西へ向け真っすぐに走る。
すると白い巨躯を持つ魔物は、こちらに目もくれず南へ。確かにアイツの狙いはサクラさんであるようだ。
たぶんヤツにとって"エサ"であるアヴィを連れ去ったため、敵として認識されたに違いない。
「で、これからどうするのだ?」
「おそらくサクラさんは、一旦ヤツを都市の外に誘導するはず。そこから線路に誘導するだろうから、ボクらはその間に列車を奪う!」
今の様子だと魔物が都市の外へ出るまでに、国軍や勇者が多く倒れてしまうはず。
となると彼らもその後はすぐに追跡をせず、ひとまずは態勢を立て直そうとするのではないか。
ボクらが仕掛けるのはその時だ。まずは列車を停めている場所へ行き、そこで車両を奪ってから、線路上に誘導したところでぶつける。
……そう言うのは簡単だ。アヴィも言葉通り大人しくいくとは思っていないようで、どことなく表情には渋いものが混ざっている。
けれど異論を口にはしない。彼女もまた他に策がなく、この荒唐無稽一歩手前な策に縋るほかないから。
逃げ惑う人々の波を超え、ボクらは西門へと急ぐ。
正門を飛び出すと、綺麗に舗装された道を少しばかり行った先に、横長な建造物の姿が見えた。
あれが列車を置く場であり、国内各地から運ばれてきた荷を下ろすための施設だ。
「本当にわたしたちだけで突っ込むのか? ここまで来ておいてなんだが、正直勝ち目があるとは」
「連中が他所に行っていることを願うしかない。そうでなければ、不意を打って車両を盗み出そう」
目下願うのは、王都で列車の警備をしている国軍兵士が不真面目であること。あるいは逆に生真面目である可能性だろうか。
この騒動は列車が置かれた基地にも届いているはず。それによって野次馬根性を発揮し、持ち場を離れてくれれば。
もしくは列車の警備どころではないと、加勢に向かってくれていればいいのだけれど。
けれど徐々に近づいてくる建物を見ると、パラパラと人の姿が見える。
偶然居合わせただけの一般人。……ということはありえない。
なにせほぼ国軍が占有している施設であるだけに、そこに居るのはほぼ間違いなく兵士だ。
「幸いにも車両周辺にはそこまで多くない。静かに乗り込もう」
幸か不幸か、施設にはそれなりに兵士がいるようだけれど、車両のそばは若干少なめ。
速攻で戦闘になるかと思ったけれど、運が良ければ避けることが出来そうだ。
ボクはあの場に勇者が居ないよう願いつつ、アヴィと共に荷箱や建物の陰を渡り接近していく。
慎重に、慎重に。けれどサクラさんが誘導してくるのに間に合うよう、監視の目を掻い潜りながら素早く列車に向かう。
見たところ警備に立つ兵たちの中に、勇者らしき姿はない。もしや都市内の騒動に全員駆り出されているのかと考えつつ、ボクらは意外にすんなりと列車の先頭車両へと乗り込んだ。
「ここまで来て今更だが、動かし方はわかるのか?」
「辛うじてね。ボクも一度だけ乗った時に、ちょっとだけ見たから」
先頭車両に乗り込むなり、設置されてある諸々の器具へと触れていく。
アヴィはそんなボクの様子を見ながら、どことなく不安そうな表情をしていた。
彼女自身も首都へ連れてこられるとき、この列車に乗せられたようだけれど、この先頭車両にまでは立ち入っていないはず。
けれどボクは国境越えをして国軍の連中に拘束された後、アヴィと同じように奴隷とされかけた時、運よく列車を襲撃したイチノヤによって助け出された。
その際に列車内を制圧しながら移動、ここを見たことがある。
なので記憶を頼りにしていくのだけれど、色々と動かすために肝心要な部分までは見ていなかったらしい。
どこをどうしたものかサッパリで、ほとほと困り果てていたのだけれど、不意にすぐ近くから足音が。
「隠れて」
ボクとアヴィは先頭車両の中で身を潜め、息を抑えて音が近づくのを待つ。
音の主は先頭車両に上がってきたらしく、金属を踏む固い音を響かせながら、扉を開きボクらのいる場所へと入ってきた。
こうなったら隠れてなどいられない。
向こうがこちらの姿を黙視する前に立ち上がると、意を決してそいつに腕を伸ばす。
背後から羽交い絞めにするようにして口元を抑えると、他の兵士に気づかれぬよう、陰へと引っ張り込んだ。
「騒ぐな。大人しくしていれば、少なくとも死にはしない」
捕らえたのは、国軍兵士の制服とは少しだけ変わった格好をした男。
おそらくはこの列車を専門的に運用する人間なのだと思う。
ボクはそいつに対し静かに、それでいて力強い声を作って恫喝。と同時にアヴィはすかさず、自身が持っていたナイフを男の首筋へ当てた。
突然の事態に呆気にとられる男。
けれどボクらがしようとしているのが、列車強盗であるというのをすぐに察したようだ。
過去にも自治都市"アマノイワト"の面々が襲撃してきたのだから、それも当然かもしれないけれど。
それ故にだろうか。男は一気に顔を青くしながらも、無言のまま必死に首を縦に振ろうとする。
ボクはその反応に満足し、もう一度騒がぬよう念を押してから、男の体を放すのであった。